徒然草 第25段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、?吉田兼好 日文念書

飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば:「飛鳥川」は、奈良県中部を流れる川。高取山に源を発し、畝傍 <うねび>山と天香具山の間を流れ、大和川に注ぐ。昔は流れの変化が激しかったので、定めなき世のたとえとされた。また、同音の「明日」の掛け詞や枕詞としても用いた。[歌枕]「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」〈『古今集』?雑下〉。
桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん:桃やスモモの花が昔のように咲いていたとて、物言わぬ彼らと何を話せばいいというのか。
まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき:まして、昔のやんごとなき人の住んでいた跡などは、いたってはかないものだ。
京極殿?法成寺など見るこそ:「京極殿<きょうごく どの>」は藤原道長(966~1027)のことで、「法成寺<ほうじょうじ>」は道長の建立による京都市上京にあった寺。広壯な規(guī)模を誇ったが、後に火災(zāi)に遭い、南北朝初期には廃絶(『大字林』より) 。
志留まり、事変じにけるさまはあはれなれ:仏法の國家護(hù)持という志だけで、事実は消滅してしまったのは、実にあわれをもよおす。
御堂殿の作り磨かせ給ひて:<みどうどののつくりみがかせたまいて>と読む?!赣谩工系篱Lのこと。かれは、この法成寺を絢爛豪華につくらせ、この寺に多くの荘園を寄進(jìn)したものの結(jié)局崩壊したのである。
我が御族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時(shí):藤原家という自分の一族だけを天皇の後見にして、世の守護(hù)者として、子々孫々まで権勢を振舞えるものと思ったのだろうに。
正和の比、南門は焼けぬ:1314年3月、南門消失 。
無量壽院ばかりぞ、その形とて殘りたる:「無量壽院」は法成寺の仏殿の正式な名前。それだけが法成寺の形見となって殘っている。
行成大納言の額:藤原行成(972~1027)。日本の三筆と言われた能書家 。額は彼の書いた書。
萬に、見ざらん世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ:「思い掟んこと」<おもいおきてんこと>前もって考慮して処置しておくこと。萬事、自分の死後の時(shí)代までも考えて、 処理しておかなければ、はかないことになるのだ。