閑話休題1
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閑話休題1
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被說過度自信
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我也快40歲了,就算被問到“你還記得多少年前的事?”我現(xiàn)在的情況是,我甚至不記得三天前的事情了。
我不記得我在幼兒園時的任何事情,只記得我不能吃午餐盒里的菠菜,于是被逼著吃到接我的時間。以及除了在「できるかな」節(jié)目Noppo(注1)的事以外,其他的我什么都不記得了。
那我上小學的時候呢?那是我三年級的時候,在我的成績單上,我曾經被寫成"過于自信"。我不知道是什么意思,記得曾經問過母親。
我不記得當時我說了什么或做了什么,然而,我的班主任一定是一個非常自信的人,因為她在我的成績單上寫了這一點。
正好在那個時期,我所在的城市開了一家足球俱樂部,這在我的人生中,那無疑是一個轉機。我每天都努力練習運球,托他的福,我再也不傳球了。在中心圈接到球后,我會一個勁兒地向對方球門帶球。不管怎么說,運球越過對手是我最大的樂趣。
這種情況一直持續(xù)到了中學,被對方搶斷球的情況很少?!拔矣肋h不會忘記學長的超級運球!”在學弟們發(fā)來的祝賀畢業(yè)的彩紙上,稀稀落落地寫著這樣的話。我想我的后輩們早就忘記了,曾經有一段時間是這樣的。
但有一天,我突然意識到,"我確定球不會被帶走,但我做了什么有用的事情嗎?"運球結束后,我氣喘吁吁,而且也不一定能創(chuàng)造出機會。也就是說,90%的比賽都是無用功。那當然,不送那么多傳球就會比別人累一倍,而運球的話誰也不會輸!這完全無視團隊合作,只是自以為是。所謂的過于自信,原來就是這樣,東海林老師沒有看錯。
然后我注意到了重要的事情,我不適合團體比賽,要做就做個人比賽。當然,這是小學時代從未想過的事,但迷上麻將或許也是必然的。
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譯者注
1:「できるかな」直譯為《你能做到嗎?》Noppo先生這里指のっぽ,藝名為高見のっぽ,本名高見 嘉明,曾在日本兒童節(jié)目「できるかな」中出演。
閑話休題
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自信過剰と言われて
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私も間もなく 40を迎える。
仮に、「何年前までなら思い出せますか?」と問われても、3日前すら危うい狀況になりつつある。
幼稚園時代は、弁當のほうれん草を食べられなくて、迎えの時間まで食べさせられたことと、「できるかな」ののっぽさんが來たこと以外は何も記憶に殘っていない。
小學時代はどうか。
確か3年生の頃だった。
通知表に、「自信過剰」と書かれたことがあった。
私は意味も分からず、母に問うた記憶がある。
當時の言動など思い出せない。
しかし、擔任の先生が通知表に書くくらいだから、よっぽどの自信家だったのだろう。
ちょうどその時期、 私の町にサッカークラブができた。
私の人生において、それは間違いなく一つの転機となった。
私は日々、 ドリブルの練習に勤しんだ。
おかげで一切パスは出さなくなった。
センターサークルでボールを受けたら、ただひたすら相手ゴールに向かってドリブル。
とにかく相手をドリブルでかわすことが、無上の喜びだった。
それは、中學に入っても続いた。
相手にボールを奪われることは稀だった。
「先輩のスーパードリブルは一生忘れません!」
後輩からの卒業(yè)祝いの色紙には、こんな言葉がちらほらと見受けられた。
その後輩もとっくに忘れたとは思うが、そういう時代もあったのだ。
だが、あるときふと気付いた。
「確かにボールは奪われないが、オレは何かの役に立っているのか」
ドリブルが終わると、物凄い息切れ。
加えて、必ずしもチャンスを生み出しているわけでもない。
つまりは、9割方ムダなプレーの連続だったということである。
そりゃあ、あれだけパスも出さなきゃ人の倍は疲れる。
ドリブルなら誰にも負けん!
これはチームプレーを全く無視した、ただの一人よがりだったのである。
自信過剰というのは、こういうことだったのか。
東海林先生の目に間違いはなかった。
そして私は大切なことに気付く。
私に団體競技は向かない。
やるなら個人競技だ、と。
もちろん小學時代には思いも付かないことだったが、 麻雀にのめり込んだのも、もしかしたら必然だったのかもしれない。
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