秒速五厘米 2.1
世田谷で育った同級生たちがずいぶん大人びて見えること、駅前の人混みに息が苦しくなること、水道の水がちょっと驚くくらい不味いこと、そういった自分にとって切実な問題を共有できるような相手は明里だけだった。
僕たちはふたりともまだ背が小さく病気がちで、グラウンドようりは図書館が好きで、體育の時間は苦痛だった。
僕も明里も大人數(shù)ではしゃいで遊ぶようりは誰かひとりとゆっくり話をしたり、ひとりだけで本を読むことの方が好きだった。
僕は當時、父親の勤める銀行の社宅アパートに住んでいて、明里の家もやはりどこかの會社の社宅で、帰り道は途中まで同じだった。
だから僕たちはごく自然にお互いを必要とし、休み時間や放課後のプ多くをふたりで過ごした。
そして當然のこと成り行きとして、クラスメイトからはよくからかわれることなった。
今振り返れば當時のクラスメイトたちの言葉も行動もたわいもないものだったけれど、あの頃はまだ、僕はそういう出來事を上手くやりすごすことができなかったし、一つひとりの出來事にいちいち深く傷ついていた。
そして僕と明里は、ますますお互いを必要とするようになっていった。
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