応援が力になるわけ、いくつもの願いが交わる夏

応援が力になるわけ、いくつもの願いが交わる夏
? ? 千葉?習(xí)志野高校

「応援を受けることで、いつも以上の力が出せるのだ」
6月24日の夕方、吹奏楽の名門、千葉県の習(xí)志野市立習(xí)志野高校吹奏楽部は、プロ野球千葉ロッテマリーンズの本拠地、ZOZOマリンスタジアムに集合していた。試合前のイベント「ALL FOR CHIBA」に、全部員189人で出演するためだ。
今年度の部長?七海歩夢(ななうみ?あゆむ)はスーザフォンを擔(dān)ぎ、部員たちとともに出番を待っていた。
(今年の夏は、野球部の応援もこの球場でできるんだ)
7月9日開幕の全國高校野球選手権千葉大會。習(xí)志野高校の初戦は12日のマリンスタジアムと決まっていた。
歩夢の胸は高鳴ってきた。これからグラウンドに出て観客の前でマーチングを披露することに。そして、ついに今年は球場で野球部の応援演奏ができるということに。
センター後方のフェンスが開く。歩夢たちは、照明に緑色が鮮やかに浮かび上がった人工芝のグラウンドへと踏み出した。

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歩夢が吹奏楽部でチューバを吹き始めたのは小學(xué)校4年のころだった。同時(shí)に地元の野球チームにも所屬した。ポジションはライトだった。
夏のある日、テレビで習(xí)志野高校の試合を見た。グラウンドでプレーする野球部も強(qiáng)かったが、スタンドで応援している吹奏楽部の演奏に魅了された。200人近い部員による大迫力のサウンド。それでいて荒さがなく、美しい。これが「美爆音」との最初の出會いだった。
「あんなすごい演奏をしてもらえたら心強(qiáng)いだろうな」
歩夢は野球少年の目線でそう感じた。
中學(xué)生になった歩夢は吹奏楽部に入った。野球はやらなくなったが、プロ野球は地元の千葉ロッテのファンで、高校野球もテレビでよく見ていた。
中3になった春、選抜高校野球大會の決勝で、習(xí)志野が東邦(愛知)と阪神甲子園球場で戦うのをテレビで観戦した。高校球児たちの夢の舞臺である甲子園。アルプススタンドではあの演奏が鳴り響いていた。
今度は吹奏楽少年の目線で演奏を受け止めた。試合には負(fù)けたが、必死に戦う野球部を後押しする吹奏楽部の応援に、心が沸き立った。歩夢は決めた。
「僕は習(xí)志野高校に入って野球応援がしたい! 甲子園のアルプススタンドで演奏してみたい!」

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習(xí)志野高校吹奏楽部は全國大會である全日本吹奏楽コンクールに過去34回、全日本マーチングコンテストに18回の出場を誇る。歩夢もコンクールやコンテストに憧れてはいたが、第一の夢は甲子園で応援をすることだった。
だが、コロナ禍の影響で高1のときは入學(xué)から2カ月間、部活ができず、夏の高校野球は中止になった。その後、野球の大會は再開されたものの、吹奏楽の応援演奏は復(fù)活しなかった。
高2の夏の高校野球でも応援演奏はできなかった。吹奏楽部は、いつも練習(xí)している學(xué)校の音楽ホールの壁に試合の様子を映し出し、それを見ながら応援曲を演奏した。
「何もできないよりはずっと良かった。でも、直接応援を?qū)盲堡椁欷胜い?、スタンドで演奏したかったな……?/p>
結(jié)局ここまで、歩夢の代の3年生は一度も球場での応援演奏ができないままだった。このまま高校生活が終わってしまうのだろうかと不安になることもあった。
そこによいニュースが屆いた。今年の夏の高校野球は、千葉大會も甲子園も、50人以內(nèi)での応援演奏が認(rèn)められることになった。コンクールなどと重ならない限りは全部員で応援に駆けつけるのが「習(xí)高」スタイルだった。前と同じとはいかないが、球場に「美爆音」を響かせることができるのだ。
野球部には、高1のときに歩夢と同じクラスになって以來の友人でピッチャーの古賀海音(かいと)がいる。
吹奏楽部の顧問の一人、海老沢博はよく言う。「吹奏楽部は野球部を応援し、野球部は必死に戦う姿を通じて吹奏楽部にエールをくれる」
応援することは、応援されること――。高校生活最後の夏にようやくそれを體験できるのだ。
コンサートやコンクールではチューバを吹く歩夢は、マーチングや野球応援のときは少し軽量で持ちやすいスーザフォンを演奏する。前方に向けて大きく開いたベルから響く低音で、海音やナインたちを後押しするつもりだ。

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マリンスタジアムでのマーチングは、千葉ロッテの球団マークにあやかった「かもめが翔(と)んだ日」で始まり、チームや選手の応援歌メドレー、習(xí)志野高校の野球応援の定番曲《エル?クンバンチェロ》や《レッツゴー習(xí)志野》を演奏した。楽器を吹きながら人文字で、カモメやマリーンズの「M」、ボールのマーク、習(xí)志野の「N」を次々に描いていった。
曲や人文字の変わり目ではスタンドから大きな拍手や手拍子が沸き起こった。
歩夢は「お客さんが僕らを応援してくれているんだ」と思った。そしてマーチングを演じる吹奏楽部員の動きや演奏が熱を帯びるのを感じた。応援を受けることで、いつも以上の力が出せるのだと改めて実感した。
歩夢は観客で埋まったスタンドを見上げた。
「次は僕らがあそこで応援する番だ。50人で189人分の音を奏でよう!」
最後に習(xí)志野市章の隊(duì)形でご當(dāng)?shù)廿渐螗啊钉椁盲去单螗小筏蜓葑啶工毪取ⅴ蕙辚螗攻骏弗ⅴ啶虾炔嗓税蓼欷俊?/p>
千葉大會の準(zhǔn)決勝、決勝はマリンスタジアムで行われる予定だ。野球部が勝ち進(jìn)めば、この球場で3回は応援ができる。その先には阪神甲子園球場がある。これまでテレビで見るだけの憧れの場所だったアルプススタンドがある。
歩夢は今年、習(xí)志野高校吹奏楽部の55人の「Cメン(コンクールメンバー)」に初めて選ばれた。10月に名古屋であり、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれる全日本吹奏楽コンクールを目指す。
高校生活最後の夏、歩夢は甲子園を目指す野球部を演奏で後押ししながら、野球部からもらったエールを胸に「吹奏楽の甲子園」に挑む。
真夏の日差しを浴びる球場に、野球部と吹奏楽部の思い、歩夢の夢が響き渡る。(敬稱略)
