最美情侣中文字幕电影,在线麻豆精品传媒,在线网站高清黄,久久黄色视频

歡迎光臨散文網(wǎng) 會(huì)員登陸 & 注冊(cè)

【青空文庫(kù)】太宰治 人間失格?第一の手記

2023-01-03 21:00 作者:木下丸子君  | 我要投稿

對(duì)應(yīng)時(shí)間軸:0:07:23~0:38:27

?

第一の手記

?

 恥の多い生涯を送って來(lái)ました。

 自分には、人間の生活というものが、見(jiàn)當(dāng)つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見(jiàn)たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場(chǎng)のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場(chǎng)の構(gòu)內(nèi)を外國(guó)の遊戯場(chǎng)みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設(shè)備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜(あかぬ)けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過(guò)ぎないのを発見(jiàn)して、にわかに興が覚めました。

 また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見(jiàn)て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風(fēng)がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分は子供の頃から病弱で、よく寢込みましたが、寢ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない裝飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小學(xué)校、中學(xué)校、自分が學(xué)校から帰って來(lái)ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、學(xué)校から帰って來(lái)た時(shí)の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論(もちろん)、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無(wú)理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時(shí)刻は、実に、自分の家の食事の時(shí)間でした。

 自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳(ぜん)を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、晝ごはんの時(shí)など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質(zhì)(かたぎ)の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時(shí)刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運(yùn)び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時(shí)刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無(wú)言でごはんを噛(か)みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を與えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋(かいじゅう)で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無(wú)かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未(いま)だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾(てんてん)し、呻吟(しんぎん)し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時(shí)から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて來(lái)ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見(jiàn)えるのです。

 自分には、禍(わざわ)いのかたまりが十個(gè)あって、その中の一個(gè)でも、隣人が脊負(fù)(せお)ったら、その一個(gè)だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質(zhì)、程度が、まるで見(jiàn)當(dāng)つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強(qiáng)い痛苦で、自分の例の十個(gè)の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄慘(せいさん)な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政黨を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを當(dāng)然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無(wú)いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満點(diǎn)なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快(そうかい)なのかしら、どんな夢(mèng)を見(jiàn)ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無(wú)いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無(wú)い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど會(huì)話が出來(lái)ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後の求愛(ài)でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出來(lái)たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、內(nèi)心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機(jī)一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見(jiàn)當(dāng)つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出來(lái)ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本當(dāng)の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした寫真などを見(jiàn)ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応(くちごた)えした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂(へきれき)の如く強(qiáng)く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば萬(wàn)世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無(wú)いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い爭(zhēng)いも自己弁解も出來(lái)ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして來(lái)て、いつもその攻撃を黙して受け、內(nèi)心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰(shuí)でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無(wú)いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子(しし)よりも鰐(わに)よりも竜よりも、もっとおそろしい動(dòng)物の本性を見(jiàn)るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機(jī)會(huì)に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寢ていて、突如、尻尾(しっぽ)でピシッと腹の虻(あぶ)を打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正體を、怒りに依って暴露する様子を見(jiàn)て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄(せんりつ)を覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動(dòng)に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩(おうのう)は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無(wú)邪気の楽天性を裝い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無(wú)だ、風(fēng)だ、空(そら)だ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを著て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長(zhǎng)兄も、それを見(jiàn)て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛(ài)くてたまらないような口調(diào)で言いました。なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを著て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の腳絆(レギンス)を両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以(もっ)てセエターを著ているように見(jiàn)せかけていたのです。

 自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時(shí)には家族の者たち、また親戚(しんせき)の者たちにまで、実におびただしくお土産を買って來(lái)るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時(shí)には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖(てちょう)に書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無(wú)いんだという思いが、ちらと動(dòng)くのです。と、同時(shí)に、人から與えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出來(lái)ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盜むように、極めてにがく味(あじわ)い、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、二者選一の力さえ無(wú)かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機(jī)嫌な顔になり、

「やはり、本か。淺草の仲店にお正月の獅子舞いのお獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか」

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出來(lái)やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長(zhǎng)兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復(fù)讐(ふくしゅう)は、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の機(jī)の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個(gè)所を見(jiàn)つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寢ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無(wú)かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子を自分に買って與えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機(jī)嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報(bào)いられました。やがて、父は東京から帰って來(lái)て、母に大聲で言っているのを、自分は子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開(kāi)いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い當(dāng)りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時(shí)には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目(でたらめ)の曲に合せて、インデヤンの踴りを踴って見(jiàn)せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚(た)いて、自分のインデヤン踴りを撮影して、その寫真が出來(lái)たのを見(jiàn)ると、自分の腰布(それは更紗(さらさ)の風(fēng)呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見(jiàn)えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊(cè)以上も、とっていて、またその他(ほか)にも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染(なじみ)で、また、怪談、講談、落語(yǔ)、江戸小咄(こばなし)などの類にも、かなり通じていましたから、剽軽(ひょうきん)な事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼(ああ)、學(xué)校!

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚(はなは)だ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見(jiàn)破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という狀態(tài)の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰(shuí)かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時(shí)、その時(shí)の人間たちの怒り、復(fù)讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、學(xué)校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一學(xué)年ちかくも寢込んで學(xué)校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って學(xué)校へ行き、學(xué)年末の試験を受けてみると、クラスの誰(shuí)よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時(shí)でも、自分は、さっぱり勉強(qiáng)せず、學(xué)校へ行っても授業(yè)時(shí)間に漫畫などを書き、休憩時(shí)間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺(こっけいばなし)ばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした?;颏肴铡⒆苑证?、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこを客車の通路にある痰壺(たんつぼ)にしてしまった失敗談(しかし、その上京の時(shí)に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無(wú)邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚(yáng)げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大聲を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見(jiàn)とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目。

 自分は、所謂お茶目に見(jiàn)られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全學(xué)科とも十點(diǎn)でしたが、操行というものだけは、七點(diǎn)だったり、六點(diǎn)だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡(およ)そ対蹠(たいせき)的なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、哀(かな)しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、殘酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質(zhì)を見(jiàn)たというような気持さえして、そうして、力無(wú)く笑っていました。もし自分に、本當(dāng)の事を言う習(xí)慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出來(lái)たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出來(lái)なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡(まわ)りに訴えても、政府に訴えても、結(jié)局は世渡りに強(qiáng)い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無(wú)いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮(しょせん)、人間に訴えるのは無(wú)駄である、自分はやはり、本當(dāng)の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無(wú)い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいつクリスチャンになったんだい、と嘲笑(ちょうしょう)する人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現(xiàn)にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の屬していた或る政黨の有名人が、この町に演説に來(lái)て、自分は下男たちに連れられて劇場(chǎng)に聞きに行きました。満?jiǎn)Tで、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見(jiàn)えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆(zhòng)は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説會(huì)の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の聲もまじっていました。父の開(kāi)會(huì)の辭も下手、れいの有名人の演説も何が何やら、わけがわからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒聲に似た口調(diào)で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説會(huì)は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説會(huì)はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説會(huì)ほど面白くないものはない、と帰る途々(みちみち)、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過(guò)ぎません?;イい摔ⅳ钉啶悉盲啤ⅳ筏猡い氦欷獠凰甲hに何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦(みょうてい)を教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間の生活と対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗(な)めずにすんだのでしょう。つまり、自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰(shuí)にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリスト主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時(shí)折、見(jiàn)せる事があったのですから。

 そうして、その、誰(shuí)にも訴えない、自分の孤獨(dú)の匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅(か)ぎ當(dāng)てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり、自分は、女性にとって、戀の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

【青空文庫(kù)】太宰治 人間失格?第一の手記的評(píng)論 (共 條)

分享到微博請(qǐng)遵守國(guó)家法律
抚松县| 巴南区| 阿坝| 泾阳县| 长宁区| 石台县| 噶尔县| 湖州市| 阿坝县| 城步| 辽阳市| 秦皇岛市| 嘉禾县| 平和县| 濉溪县| 连云港市| 隆尧县| 宜丰县| 嘉鱼县| 收藏| 大庆市| 西宁市| 巫溪县| 福建省| 兰溪市| 清水河县| 铁力市| 保亭| 贡觉县| 铜川市| 紫阳县| 玉环县| 和政县| 莫力| 布尔津县| 福鼎市| 客服| 日土县| 宜阳县| 乾安县| 翁牛特旗|