【青空文庫(kù)】太宰治 人間失格?はしがき
對(duì)應(yīng)時(shí)間軸:0:00:00~0:07:23

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はしがき
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私は、その男の寫(xiě)真を三葉、見(jiàn)たことがある。
一葉は、その男の、幼年時(shí)代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の寫(xiě)真であって、その子供が大勢(shì)の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(いとこ)たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴(はかま)をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている寫(xiě)真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無(wú)いような顔をして、
「可愛(ài)い坊ちゃんですね」
といい加減なお世辭を言っても、まんざら空(から)お世辭に聞えないくらいの、謂(い)わば通俗の「可愛(ài)らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無(wú)いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓(xùn)練を経て來(lái)たひとなら、ひとめ見(jiàn)てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
と頗(すこぶ)る不快そうに呟(つぶや)き、毛蟲(chóng)でも払いのける時(shí)のような手つきで、その寫(xiě)真をほうり投げるかも知れない。
まったく、その子供の笑顔は、よく見(jiàn)れば見(jiàn)るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて來(lái)る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無(wú)いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺(しわ)を寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の寫(xiě)真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見(jiàn)た事が、いちども無(wú)かった。
第二葉の寫(xiě)真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌(へんぼう)していた。學(xué)生の姿である。高等學(xué)校時(shí)代の寫(xiě)真か、大學(xué)時(shí)代の寫(xiě)真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の學(xué)生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。學(xué)生服を著て、胸のポケットから白いハンケチを覗(のぞ)かせ、籐椅子(とういす)に腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命(いのち)の渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無(wú)く、それこそ、鳥(niǎo)のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見(jiàn)ていると、やはりこの美貌の學(xué)生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて來(lái)るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見(jiàn)た事が、いちども無(wú)かった。
もう一葉の寫(xiě)真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その寫(xiě)真にハッキリ寫(xiě)っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無(wú)い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする寫(xiě)真であった。奇怪なのは、それだけでない。その寫(xiě)真には、わりに顔が大きく寫(xiě)っていたので、私は、つくづくその顔の構(gòu)造を調(diào)べる事が出來(lái)たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎(あご)も、ああ、この顔には表情が無(wú)いばかりか、印象さえ無(wú)い。特徴が無(wú)いのだ。たとえば、私がこの寫(xiě)真を見(jiàn)て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出來(lái)るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。畫(huà)にならない顔である。漫畫(huà)にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無(wú)い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその寫(xiě)真を再び見(jiàn)ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。
所謂(いわゆる)「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見(jiàn)る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見(jiàn)た事が、やはり、いちども無(wú)かった。