【龍騰網(wǎng)】《紅樓夢(mèng)》亞馬遜等網(wǎng)站書(shū)評(píng)
正文翻譯


圖
評(píng)論翻譯


Ayako Kato
5つ星のうち5.0 特に初読時(shí)にオススメ
これ以前にグーテンベルク刊と平凡社刊を読んでいますが、この本はとにかく読みやすいです。非常に丁寧に訳されていると感じました。
古典なので、原書(shū)では(先に読んだ二訳から推測(cè)しておそらく)曖昧になっているであろう話(huà)者などが補(bǔ)ってあり、誰(shuí)が喋っているかなどの當(dāng)たり前のことが大変わかりやすい。ほかの訳や原書(shū)と照らしても面白いでしょうが、まずお話(huà)の筋がわかっていないとなりませんから、初めて読む方に特にオススメです。
5星 特別推薦初次閱讀的讀者
在此之前,我讀過(guò)古登堡出版社和平凡社出版社的版本,這本書(shū)很容易讀懂。感覺(jué)翻譯得非常仔細(xì)。
因?yàn)槭墙?jīng)典,原書(shū)(根據(jù)之前讀過(guò)的第二譯本推測(cè))中可能會(huì)有一些含糊不清的說(shuō)話(huà)人,本書(shū)加以補(bǔ)充,讓人很容易理解是誰(shuí)在說(shuō)話(huà)等理所當(dāng)然的事情。雖然其他譯本完全照搬原著也很有趣,但首先必須了解故事的情節(jié),所以特別推薦初次閱讀的讀者。
あいりす
5つ星のうち4.0 訳がいいです。
挿絵が一切ないのがちょっと殘念ですが、今までで一番読みやすくわかりやすいです。
4星 翻譯得很好
雖然完全沒(méi)有插圖有點(diǎn)遺憾,但這是迄今為止最容易讀懂的。
Tokyo Boy
5つ星のうち5.0 賈寶玉、大丈夫か?
第1冊(cè)16回分、僕は毎日1回分ずつ読み進(jìn)みました。ちょうど、NHK 朝の連続テレビ小説のように。地上に降りた奇想天外、というか、スライスし続けるホームドラマ、というか???。イケてるんだかイケないんだか摩訶不思議な味わいの主人公賈寶玉にもてあそばれるようにしてものがたりの日々が進(jìn)んでいきました。その途中で、「雲(yún)雨の情」という言葉の意味を教えてもらいました。ちなみに、このものがたりの語(yǔ)り手は「石」のようです。もう、第2冊(cè)を注文しました。
5星 賈寶玉,沒(méi)問(wèn)題吧?
第一冊(cè)一共16回,我每天讀一回。就像NHK晨間劇一樣。是落在地上的異想天開(kāi),還是不斷切片的家庭劇……。在風(fēng)流倜儻的主人公賈寶玉的玩弄下,日子一天天過(guò)著。在這個(gè)過(guò)程中,他讓我明白了“云雨之情”這個(gè)詞的意思。順便說(shuō)一下,這個(gè)故事的講述者好像是“石頭”。已經(jīng)訂購(gòu)了第二冊(cè)。
黃梅



Christena
中國(guó)文學(xué)はあまり読んだことがなかったので、このへんで有名な大作を読んでみようかと。なかなかストーリーが摑めずに、頭の中が疑問(wèn)符でいっぱいになったけれど、巻頭の家系図と解説、建物の平面図などを何度も読み返し、第5回ぐらいから面白くなってきました。慣れればこの訳は読みやすく、情景が目に浮かぶよう。しかし、人がどんどん亡くなっていくのには驚いた。後半ほぼ葬式。これからどうなるのか気になるところ。
我沒(méi)怎么讀過(guò)中國(guó)文學(xué),想在這里讀一下有名的大作。雖然怎么也抓不住故事情節(jié),腦子里滿(mǎn)是疑問(wèn)號(hào),但是卷頭的家譜和解說(shuō),建筑物的平面圖等反復(fù)讀了好幾遍,從第5回開(kāi)始變得有趣起來(lái)。如果習(xí)慣了,這個(gè)翻譯就容易讀懂,情景就會(huì)浮現(xiàn)在眼前。但是,人物的不斷死亡讓人吃驚。后半段幾乎都是葬禮。很在意后面會(huì)怎么樣。
しんすけ
第一巻は長(zhǎng)い物語(yǔ)の前奏で、核心には至らない。だが、興味深い前奏である?,F(xiàn)役時(shí)代、何度か中國(guó)に行った。日本人の必読書(shū)に『源氏物語(yǔ)』があるように、中國(guó)人には『紅樓夢(mèng)』があると実感した。本書(shū)には挿絵は無(wú)いが文章が解りやすく、情景が脳裏に明確に浮かんでくる。初読の翻訳は伊藤漱平だったはず。斷定は控えるが、読みにくい文章だったと覚える。しかし、初読のころは清代どころが中國(guó)史もあまり理解していなかった。故に、イマージュが膨らまなかったのかもしれない。
前奏中ではあるが、55年前に感じた違和感も蘇った。主人公林黛玉に関連する者の二つの死についてである。ひとつは賈寶玉の親戚筋にあたる賈蓉の妻の秦可卿の死。もうひとつは賈寶玉の愛(ài)人とも云うべき林黛玉の父の死。一方は盛大な葬式が行われ、関連する記述が50頁(yè)ほど続く。他方は「死んだ」とあるのみである。今にして想うのは、葬式が生存者の自己主張であり、死者への弔いなどではないと云う事実であった。
第一卷是漫長(zhǎng)故事的前奏,沒(méi)有觸及核心。但是,這是有趣的前奏。我在現(xiàn)役時(shí)期去過(guò)幾次中國(guó)。就像日本人必讀的《源氏物語(yǔ)》一樣,中國(guó)人有《紅樓夢(mèng)》。本書(shū)雖然沒(méi)有插圖,但文章很容易理解,情景清晰地浮現(xiàn)在腦海中。第一次讀的翻譯應(yīng)該是伊藤漱平。雖然不太肯定,記得那個(gè)很難讀懂。但是第一次讀的時(shí)候,清代乃至中國(guó)史都不太了解。也許正因?yàn)槿绱?,我的沉浸感才沒(méi)有膨脹起來(lái)。
雖然是前奏,但55年前感受到的違和感也復(fù)蘇了。關(guān)于與主人公林黛玉有關(guān)的兩個(gè)人的死亡。一個(gè)是賈寶玉的親戚賈蓉的妻子秦可卿的死。另一個(gè)是堪稱(chēng)賈寶玉情人的林黛玉,其父親之死。一方舉行了盛大的葬禮,相關(guān)的記述持續(xù)了50頁(yè)左右。另一方只寫(xiě)著“死了”?,F(xiàn)在回想起來(lái),葬禮是生存者的自我主張,并不是對(duì)死者的吊唁。
ゼルビーチャ
取っつきにくかったもの次第に話(huà)にのめり込む、全7冊(cè)の幕が開(kāi)いたばかり。主人公の賈家の栄枯盛衰をしっかり見(jiàn)極めます。どんな事が起こるのか本當(dāng)に楽しみです。以下訳者の井波陵一氏、巖波の「図書(shū)4月號(hào)」から。『天井世界の奇縁に導(dǎo)かれ、名門(mén)大家族の従兄妹同士として生まれ変わった少年賈寶玉と林黛玉が、大勢(shì)の主人や召使たちが複雑緻密に織りなす人間模様を背景に、ひそかに愛(ài)を育みながらもついに結(jié)ばれることなく、家の沒(méi)落とともに一場(chǎng)の夢(mèng)幻劇に終止符を打つ?!?br>
原本難以觸及的話(huà)題漸漸陷入故事,全7冊(cè)的大幕剛剛拉開(kāi)??辞逯魅斯Z家的興衰。真的很期待會(huì)發(fā)生什么樣的事情。以下譯者井波陵一,摘自巖波“圖書(shū)4月號(hào)”?!笆艿教焐鲜澜缫龑?dǎo)的奇緣,重生為名門(mén)望族的堂兄妹的少年賈寶玉和林黛玉,許許多多主人和仆人們之間復(fù)雜周密的人間故事為背景,暗地里成長(zhǎng)的愛(ài)情最終沒(méi)有結(jié)果,隨著家族敗落,一場(chǎng)夢(mèng)幻劇畫(huà)上了句號(hào)。”
Etoile
玉を含んで生まれた美少年と、その玉と対になる金鎖を持つ美少女。そしてそれを妬み、「草や木のようにつまらぬ縁」しかもたないと涙するもう一人の美少女。 源氏物語(yǔ)よりもはるかに濃密で剝き出しのエゴに満ちた人間関係に引き込まれ貪るように読みました! それでも人は誰(shuí)かを愛(ài)さずにはいられない そんな事を教えてくれる作品です。
含著玉石出生的美少年,和擁有與玉石配對(duì)的金鎖的美少女。另外嫉妒著這些的,哭著說(shuō)她只擁有卑微的“木石前緣”的另一位美少女。我被遠(yuǎn)比源氏物語(yǔ)更濃厚、更赤裸裸的利己主義的人際關(guān)系所吸引,貪婪地閱讀著!盡管如此,人還是不能不去愛(ài)某個(gè)人。這正是這部作品告訴我們的。
tsuki2b
先日、抄訳版を読んだけれど、やはりきちんとした全訳を読んでみたくなり手に取った。巖波文庫(kù)版でも既読なので、大まかな流れは分かっているのだけれど、細(xì)かいところを思い出したり、こんな場(chǎng)面あったんだ、と思うこともしばしば。寶玉が警幻仙姑に導(dǎo)かれて太虛幻境を訪れる第5回などは、通読した後で読んでみると、謎めいた詩(shī)もよく分かるというもの。まだまだ第1巻、先は長(zhǎng)い。
前幾天讀了摘譯版,還是想好好讀一遍全譯,于是拿了起來(lái)。因?yàn)閹r波文庫(kù)版已經(jīng)讀過(guò)了,所以大致的流程我也知道,但我經(jīng)常會(huì)想起一些細(xì)節(jié),也經(jīng)常會(huì)想,原來(lái)有這樣的場(chǎng)景。寶玉在警幻仙姑的帶領(lǐng)下訪問(wèn)太虛幻境的第5回,通讀之后,就能明白這首謎一般的詩(shī)。第1卷還有很長(zhǎng)的路要走。
punto
まだ導(dǎo)入部でした。どうも主人公が好きになれないです。どうしようかなあ。
還只是導(dǎo)入部分。但主人公喜歡不起來(lái)。怎么辦才好呢。
999
まあまあだった。王熙鳳がとても魅力的に思えた。こうした人もなかなか好きになれる。林黛玉も魅力的だった。というのも[情]が書(shū)かれていると言う程なので感情の起伏が分かる言葉を連ねるのでキャラクターの思いが分かりやすい。だからこそ魅力的に思えるのだろうと考えた。楽園を模した園の詩(shī)はなかなか趣があって素晴らしいと思う。これを読んでますます?jié)h詩(shī)に興味を持った。今度読んでみようと思う。まだ10巻ほど殘っているのでどんな漢詩(shī)が読めるだろうかと楽しみも出來(lái)た。
還行。我覺(jué)得王熙鳳非常有魅力。這樣的人也很喜歡。林黛玉也很有魅力。因?yàn)閷?xiě)的是“情”,所以用能看出感情起伏的語(yǔ)言串聯(lián)起來(lái),所以很容易理解角色的想法。正因?yàn)槿绱瞬艜?huì)覺(jué)得有魅力吧。我覺(jué)得描寫(xiě)樂(lè)園的游園詩(shī)很有情趣,很棒。讀了這些,我對(duì)漢詩(shī)越來(lái)越感興趣了。下次想讀一下。因?yàn)檫€剩下10卷左右,所以很期待能讀到什么樣的漢詩(shī)。
かごむし
1巻の終わりくらいから自覚癥狀はあったけれど、紅樓夢(mèng)中毒と言うべき病に侵されているらしい。紅樓夢(mèng)を読んでいる時(shí)は、紅樓夢(mèng)の世界に沒(méi)頭し、紅樓夢(mèng)を読んでいないときは、早く紅樓夢(mèng)の世界に戻らないといけない、という焦燥感に苛まれている。一行一行、いとおしむように、なめるように読んでいるのだが、それでもページがあっという間に進(jìn)んでしまう。日本ではあまり有名じゃないけれど、なんでこんなに面白いものが広まってないのか不思議に思うから、紅樓夢(mèng)の面白さを多くの人に伝えたいけど、中毒患者になるリスクもあるから躊躇している。
雖然從第一卷結(jié)束時(shí)就開(kāi)始有了自覺(jué)癥狀,但似乎是染上了一種應(yīng)該稱(chēng)為紅樓夢(mèng)中毒的病。讀紅樓夢(mèng)的時(shí)候,就沉浸在紅樓夢(mèng)的世界里,沒(méi)讀紅樓夢(mèng)的時(shí)候,就被必須盡快回到紅樓夢(mèng)的世界里的焦躁感所折磨。一行一行,像憐愛(ài)一樣,像舔舐一樣地讀著,即便如此,書(shū)頁(yè)還是在瞬間前進(jìn)。雖然在日本不是很有名,但是為什么這么有趣的東西沒(méi)有流傳開(kāi)來(lái)呢,我覺(jué)得很不可思議,雖然想把紅樓夢(mèng)的有趣之處傳達(dá)給更多的人,但是也有成為中毒患者的風(fēng)險(xiǎn),所以猶豫不決。
bookmeter最終卷書(shū)評(píng):
しんすけ
最終巻である。いよいよ賈家の沒(méi)落が始まる。賈赦や賈珍の不正がばれ差し押さえの危機(jī)が迫り。賈政も不器用なためか濡れ衣を著せられてしまう。祖母の史大君は、賈家に明るさを取り戻そうとするが、心労が重なり死を招いてしまう。八十歳を過(guò)ぎていたが、周りがこんなでは小往生というものでしかない。葬式の準(zhǔn)備は王煕鳳に任されるが、気力をなくしているためことは巧く運(yùn)ばない。そんな中、盜賊が押し入り、ついには王煕鳳も死んでしまう。話(huà)はその後も続いていくが、幕を閉じるために急いでいるような感がしないでもない。
続く話(huà)とは次のようなもの。叔父たちによる巧姐(王煕鳳の娘)人身売買(mǎi)計(jì)畫(huà)。劉ばあさんの機(jī)転による巧姐救出。賈寶玉と賈蘭の科挙合格。賈寶玉の失蹤。読後には、漸く夢(mèng)が終わったとの感慨が殘る。
最后一卷。賈家的沒(méi)落即將開(kāi)始。賈赦、賈珍腐敗案曝光,面臨查抄危機(jī)。賈政也因?yàn)楸渴直磕_被冤枉了。祖母史太君雖然想讓賈家恢復(fù)光明,但因操勞過(guò)度而導(dǎo)致死亡。雖然已經(jīng)八十多歲了,但周?chē)娜硕际沁@樣,只能說(shuō)是小病了。葬禮的準(zhǔn)備工作由王熙鳳負(fù)責(zé),但因?yàn)榫Σ蛔?,所以無(wú)法順利進(jìn)行。在這種情況下,盜賊闖入,最終王熙鳳也死了。故事還在繼續(xù),但也有一種為了落幕而匆忙的感覺(jué)。
接下來(lái)的故事是這樣的。叔叔們販賣(mài)巧姐(王熙鳳的女兒)的計(jì)劃。劉姥姥機(jī)智救出巧姐。賈寶玉和賈蘭科舉合格。賈寶玉失蹤。讀完之后,會(huì)留下夢(mèng)終于結(jié)束的感慨。
Tonex
中國(guó)の國(guó)民文學(xué)の代表であり中國(guó)文化の結(jié)晶といっても過(guò)言でないほどの大作なのに、日本では不思議なくらい人気がなく知名度も低い。そもそもこの新訳自體、ほとんど話(huà)題にならず、ほめる人もいない代わりに、ドストエフスキーの新訳のようにけなす人もいないというさびしい狀態(tài)。紅樓夢(mèng)は確かにとっつきにくいし、読めばハマる人は大勢(shì)いると思う。ライトノベルのように美少女のイラストを付けて文庫(kù)サイズか新書(shū)サイズで出せば、もっと売れて、ファンも増えるに違いない。
作為中國(guó)民間文學(xué)的代表,說(shuō)是中國(guó)文化的結(jié)晶也不為過(guò)的大作,在日本卻不可思議地沒(méi)有人氣,知名度也很低。原本這個(gè)新譯本身就幾乎沒(méi)有成為話(huà)題,沒(méi)有人稱(chēng)贊,也沒(méi)有人像陀思妥耶夫斯基的新譯那樣貶低它,處于寂寞的狀態(tài)。紅樓夢(mèng)確實(shí)很難讀,但讀了就會(huì)著迷的人應(yīng)該很多。如果像輕小說(shuō)一樣,配上美少女的插圖,以文庫(kù)本或新書(shū)的尺寸出版的話(huà),一定會(huì)賣(mài)得更好,粉絲也會(huì)增加。