【日本小3道德】32#爺爺奶奶,看著我
お爺ちゃん、お婆ちゃん、見ていてね(爺爺奶奶,看著我)
毎日、お爺ちゃんとお婆ちゃんの寫真に手を合わせること。これが、僕の一日の始まり。寫真の中の二人は、今日もにこにこしている。
(我每日朝爺爺奶奶的照片合掌。這是我一天的開始。照片中的兩人今天也笑容滿面。)
僕の大好きなお爺ちゃん。お爺ちゃんは、部屋で寢っ転がって、テレビを見ていることが多かった。
(我最喜歡的爺爺。爺爺總是躺在房間看電視。)
でも本當(dāng)は、お爺ちゃんて凄いんだ。僕はよく、お爺ちゃんと二人だけで女川漁港のそばの海岸に行った。魚釣りをするためだ。
(但是爺爺其實(shí)很厲害。我經(jīng)常和爺爺兩人一起到女川漁港附近的海岸釣魚。)
僕は結(jié)局、唐揚(yáng)げにも出來ないくらいの小さな魚しかとれなかったけれど、お爺ちゃんの方は凄い。三十センチメートルぐらいある大きな魚を、どんどん釣っていた。それを焼いて食べると、油がじゅわっと出て、美味しんだよ。釣りの時(shí)のお爺ちゃん、かっこよかったな。
(雖然我只能釣到炸都炸不了的小魚,但是爺爺就厲害了。他不斷地釣到三十厘米左右的大魚。將魚烤了吃時(shí),油一下子滋出來,很美味。釣魚時(shí)的爺爺很帥。)
僕の大好きなお婆ちゃん。今でも朝ご飯に目玉焼きが出てくると思い出すんだ、だってお婆ちゃんが作る目玉焼き、黃身をお箸で突っつくと、黃色いのがとろって、出てくるんだ。あの目玉焼き、また食べたいなあ。
(我最喜歡的奶奶。我至今仍會(huì)想起早飯時(shí)的煎蛋,因?yàn)槟棠套龅募宓埃每曜哟烈幌碌包S,黃色的蛋黃會(huì)一下子流出來。我還想再吃一次那個(gè)煎蛋。)
思い出したくないけれど、忘れられない日。女川に津波が來た日。僕の大好きなお爺ちゃんとお婆ちゃんがいなくなってしまった日。
(雖是不愿回想,但是無法忘懷的日子。海嘯襲來女川的那天。我最喜歡的爺爺奶奶去世的那天。)
地震が來た時(shí)、僕は學(xué)校にいた。
(發(fā)生地震時(shí),我在學(xué)校。)
「津波が來るぞうっ!」という。大きな聲が聞こえて、皆で高い山に登った。町の方からは、ゴゴーッ、ギシギシ、ゴーッ、ギシギシ。という、津波が町を呑み込む音や、家と家とがぶつかる音が聞こえた。
(聽到了很大聲的“海嘯來了!”后,大家一起爬上了高山。從鎮(zhèn)子的方向傳來了轟隆、嘎吱嘎吱、轟隆、噶吱嘎吱的海嘯淹沒了城鎮(zhèn)以及房子相撞的聲音。)
僕達(dá)は先生達(dá)と、近くの體育館に避難した。お姉ちゃんと弟もいた。でも、お迎えはなかなか來ない。そのことが心配で、夜はなかなか眠れなかった。
(我們和老師們一起在附近的體育館避難。姐姐弟弟也在。但是,遲遲沒人來接我們。為此我擔(dān)心得晚上怎么也睡不著。)
次の朝、やっとお父さんが來てくれた。お晝になって、ようやくお母さんも來た。あとから聞いたけれど、お父さんは石巻から、がれきをかき分けながら歩いてきたらしい。僕はやっと安心して、ぐっすり寢た。
(翌日早上,父親終于來了。午時(shí),母親也終于來了。之后聽說父親似乎是從石卷一邊移開瓦礫,一邊走過來。我終于放心地熟睡了。)
でも、お爺ちゃんとお婆ちゃんには、全然會(huì)えなかった。何日か経って、僕達(dá)はお父さんに呼ばれて、お爺ちゃん達(dá)が死んでしまったことを聞かされた。僕は信じたくなかったけれど、死んでしまった二人に會(huì)って、本當(dāng)なんだと思った、寂しくて、悲しくて、體の力が全部抜けてしまった。皆もたくさん泣いていた。
(然而完全見不到爺爺奶奶。經(jīng)過了幾日,父親把我們叫去,告訴了我們爺爺奶奶的死訊。我雖然不想相信,但是見到了死去的兩人,想到是真的啊,感到非常悲傷,全身沒了力氣。大家都哭了很久。)
避難所に帰ると、ランドセルが目に入った。お爺ちゃんに買ってもらったもの。だから、大切に大切に使っていこうと思った。そして、このランドセルを背負(fù)って、學(xué)校でたくさん勉強(qiáng)を頑張るんだ。勉強(qiáng)して、たくさんの人達(dá)が僕達(dá)にしてくれたように、人に優(yōu)しさをあげたい。皆の命を救いたい。僕はそういう人になりたいんだ。
(回到避難所后,雙肩書包映入眼簾。是爺爺給我買的。因此,我想非常珍惜地使用。然后我要背著這個(gè)書包,在學(xué)校努力學(xué)習(xí)很多知識(shí)。學(xué)習(xí),然后就像眾多的人們?yōu)槲覀兯龅囊粯樱瑢?duì)人們溫柔以待。想救大家的命。我想成為這樣的人。)
お爺ちゃん、お婆ちゃん、見ていてね。
(爺爺奶奶看著我。)

