雙語讀書摘抄:芥川龍之介逝世95周年紀念
1927,九十五年前的今天,芥川逝世。
生于明治,成于大正,逝于昭和,年僅三十五歲。
“僕の將來に対する唯ぼんやりした不安?!?br/>
(中文:我對未來只有迷茫的不安。)
于茫然不安之中突圍,于司空見慣之中覺醒,沿最深邃的思路,縱身走向生之盡頭。
在最燦爛的時候墜落,未始不是一種轟轟烈烈的活法。
“人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず?!?/span>
(中文:不應(yīng)忘記,人生始終是戰(zhàn)斗,直至死亡。)
在最燦爛的時候墜落,未始不是一種轟轟烈烈的活法。
(以上兩句日文出自芥川遺書)
竹林之中人心難測,玄鶴山房半生如煙;地獄變前慘烈歷盡;羅生門下炎涼看遍。
良秀于地獄變相圖作成的第二天懸梁自盡,而芥川,亦于此作寫完的十年內(nèi)自殺身亡。
令人瑟縮的文字,追根溯源的洞徹。機警戲謔的語氣,冰冷入骨的剖析。痛徹心扉的領(lǐng)悟,入木三分的揭露。
欠一分輕靈瀟灑,多一世沉郁悲涼。
他清楚,他深知自已的病源:
對他自己感到羞愧,同時又害怕他們——害怕他所蔑視的社會。
(原文:しかし彼は彼自身彼の病源を承知してゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心もちだつた。彼等を、――彼の軽蔑してゐた社會を!)
熱愛日?,嵤?,苦于日?,嵤?。于瑣事之中看盡世間,于細微之處體悟落入地獄的痛苦。
在生與死的抉擇之間,在希望與絕望的交匯之處,在歷史與未來的轉(zhuǎn)折點,四顧蒼茫,燈火闌珊,他背影決然,縱身離去。
九十五年,謹以一句話獻上祭奠:
“于浩歌狂熱之際中寒;于天上看見深淵。于一切眼中看見無所有;于無所希望中得救?!?/span>
——魯迅《墓碣文》

《羅生門》
1.雨は、羅生門をつっんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した荒(いらか)の先に、重たくうす暗い雲(yún)を支えている。
大雨籠罩著羅生門。雨聲“嘩嘩”地由遠及近,令人心煩。晚霞漸漸壓低了天空。仰面望去,羅生門斜刺里探出的屋檐,支撐著沉重、黯淡的陰云。
2.この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
無可置疑,在這樣一個風雨之夜,來羅生門城樓點燃燭光的,定非等閑之輩。
3.しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の體を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような聲を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。
過了一會兒,像死人似的赤裸老嫗從死骸堆中爬起身,口中發(fā)出呻吟般的嘟囔?;鸸馊晕聪纭@蠇炘诨鸸庵信乐撂菘?。她的白色短發(fā)倒懸梯旁,窺測著羅生門下一片黑洞洞的夜幕。
《地獄變》
1.地獄変の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい畫面の景色が、ありありと眼の前へ浮んで來るやうな気が致します。
提起地獄變屏風,那恐怖的畫面頓時歷歷在目。
2.同じ地獄変と申しましても、良秀の描きましたのは、外の絵師のに比べますと、第一図取りから似て居りません。それは一帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め眷けん屬ぞくたちの姿を描いて、あとは一面に紅ぐ?れ蓮ん大紅蓮の猛火が剣山刀樹も爛ただれるかと思ふ程渦を巻いて居りました。でございますから、唐からめいため冥う?く官わんたちの衣裳が、點々と黃や藍を綴つて居ります外は、?どこを見ても烈れつれ々つとした火焔の色で、その中をまるでま卍んじのやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞ひ狂つて居るのでございます。
同樣的地獄圖,良秀筆下的地獄圖在構(gòu)圖上,與其他的畫師截然不同。在一帖屏風的角落里,人物、景象都是微觀的,中間是十殿閻王,周邊則是眾僚屬。另外一面則是猛烈的火焰,燃燒中的劍山刀樹仿佛置于爛的漩渦之中。冥官們像是身著唐裝,衣裳上點綴著黃色和藍色。近前則是一片紅色的烈焰,黑煙和金粉漫天飛舞,仿佛描畫出一個“卍”字的圖像。
3.?が、その中でも殊に一つ目立つて凄じく見えるのは、まるで獣の牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢?ス?にも、多くの亡者がるゐ々と、五體を貫か?なデられて居りましたが中空から落ちて來る?一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾の中には、?女御、更衣にもまがふばかり、綺羅びや?かに裝つた女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白い頸を反らせながら、悶?え苦しんで居りますが、その女房の姿と?申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦を偲ばせな?いものはございません。云はゞ広い畫面の恐ろしさが、この一人の人物に輳つて?ゐるとでも申しませうか。これを見るも?のゝ耳の底には、自然と物凄い叫喚の聲が伝はつて來るかと疑ふ程、入神の出來映えでございました。
其中最最令人驚恐的,是懸浮半空的一輛牛車。背景是野獸牙齒一般的刀樹,刀樹的樹梢上串著許多亡者的尸體。牛車的掛簾被地獄的陰風吹起,分不清是女御還是更衣的一個侍女綾羅披身,黑色的長發(fā)飄拂于烈焰之中。我看見,侍女白皙的頸項向后彎曲著副痛苦不堪的模樣。那姿態(tài),和熊熊燃燒的牛車,皆令人聯(lián)想到炎熱地獄的痛苦煎熬。不妨說,寬幅畫面中的恐怖景象,統(tǒng)統(tǒng)凝聚在了這人物身上。畫作的確出神入化,觀賞者似乎自然而然地感覺到,耳際傳人了凄慘的呼叫之聲。
4.あゝ、これでございます、これを描く?為めに、あの恐ろしい出來事が起つたの?でございます。又さもなければ如何に良?秀でも、どうしてかやうに生々と奈落の苦艱が畫かれませう。あの男はこの屏風の絵を仕上げた代りに、命さへも捨てる?やうな、無慘な目に出遇ひました。云?はゞこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良?秀が、自分で何時か墜ちて行く地獄だつ?たのでございます。
啊!多么恐怖。為了實現(xiàn)那般描寫,就須體驗?zāi)菢拥目植狼榫?。否則,即便是良秀這樣的畫師,也無法生動地描畫出地獄之中的那般苦難。在完成這幅屏風繪畫的過程中,良秀也經(jīng)歷了生生死死的慘烈遭際。不妨說,畫中的這個地獄,正是當朝第一畫師良秀自己將要墮入的境地。
5.?が、その晩のあの女は、まるで人間?が違つたやうに、生々と私の眼に映りま?した。眼は大きくかゞやいて居ります。?頬も赤く燃えて居りましたらう。そこへ?しどけなく亂れた袴や袿が、何時もの幼?さとは打つて変つた艶しささへも添へ?てをります。
.....可是這天晚上,良秀之女仿佛完全変了一個人。她活生生地映入我的眼簾,眼睛閃閃發(fā)光,面短也燒得通紅。凌亂不堪的內(nèi)外衣飾,也與往日的稚嫩截然不同,相反地卻増?zhí)砹藥追盅G之美......
6.火は見る見る中に、車蓋やかたをつゝみました。庇ひさしについた紫の流蘇ふさが、煽られたやうにさつと靡くと、その下から濛々と夜目にも白い煙が渦を巻いて、或は簾すだれ、或は袖、或は棟むねの金物かなものが、一時に砕けて飛んだかと思ふ程、火の粉が雨のやうに舞ひ上る――その凄じさと云つたらございません。いや、それよりもめらめらと舌を吐いて袖格子そでがうしに搦からみながら、半空なかぞらまでも立ち?xí)Nる烈々とした炎の色は、まるで日輪が地に落ちて、天火てんくわが迸ほとばしつたやうだとでも申しませうか。
大火眼見得包圍了車篷。車篷邊沿的紫色流蘇,被風吹得向上飄拂。下面則是夜幕之中的蒙蒙白煙,漩渦似的翻卷著。掛簾,袖裾,梁上的金飾,一時間粉碎飛揚。漫天飛舞的火星像似細雨,一派恐怖的景象。更為可怖的則是兩側(cè)窗欞的火舌,熊熊升騰于半空之中。烈焰的色調(diào)像是日輪落地,天火進發(fā)。
7.?鳥でさへさうでございます。まして私たちは仕丁までも、皆息をひそめなが?ら、身の內(nèi)も震へるばかり、異様な隨喜?の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも?見るやうに、眼も離さず、良秀を見つ?めました??找幻妞锁Qり渡る車の火と、?それに魂を奪はれて、立ちすくんでゐる?良秀と一一何と云ふ荘厳、何と云ふ歓喜?でございませう。が、その中でたつ?た、御縁の上の大殿様だけは、まるで別?人かと思はれる程、御顔の色も青ざめ?て、口元に泡を御ためになりながら、紫?の指貫の膝を両手にしつかり御つかみに?なつて、丁度喉の渇いた獣のやうに喘ぎつゞけていらつしやいました。
鳥兒亦如是。何況我等與眾多雜役。所有的人都屏住了氣息,身心震顫,心中充滿了隨喜。且目不轉(zhuǎn)晴地盯視著良秀,仿佛瞻仰著開眼之佛??罩泻衾沧黜懙能囎恿已婧腕@魂失魄、呆然佇立的良秀,——體現(xiàn)了何等的莊嚴、何等的歡喜呀。然而唯有落座廊下的大公,臉色鐵青,嘴角翻沫,面目全非。他雙手緊緊抓住自己的紫色外罩膝部,像干渴的野獸一般呼哧直喘……
8.屍骸は今でもあの男の家の跡に埋ま?つて居ります。尤も小さな標の石は、そ?の後何十年かの雨風に曝されて、とうの?昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸して?ゐるにちがひございません。
良秀的遺骸如今埋在了他家的墳塋中,前方是一塊小小的墓碑。想必經(jīng)過數(shù)十年風風兩雨之后,碑上也將生出苔蘚,人們將無從知曉墓碑的主人。
《或阿呆の一生》
1.僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない
我目前生活在最不幸的幸福當中。但奇怪的是我并不懊悔。
2.隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた?;à蚴ⅳ膜織@は彼の目には一列の襤褸ぼろのやうに憂欝だつた。が、彼はその桜に、――江戸以來の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。
隅田川陰沉沉的。他從行駛中的小汽船窗口眺望向島的櫻樹。在他眼里,盛開的櫻花恍若一片敗絮般令人憂郁??墒撬谀切褬渲?/span>——江戶時代以來的向島的櫻樹中發(fā)現(xiàn)了他自己。
3.二十三歳の彼の心の中には耳を切つた和蘭人が一人、長いパイプを啣へたまま、この憂欝な風景畫の上へぢつと鋭い目を注いでゐた。
……二十三歲的他,心目中浮現(xiàn)出一個割去了耳朵的荷蘭人,叼著長煙斗,銳利的目光注視著這幅憂郁的風景。
4.架空線は不相変鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。
架空線依然放出耀眼的火花。他展望人生,并沒有特別留戀的東西。但是只有這紫色的火花一只有這可怕的空中的火花,哪怕用生命來換取,他也想把它抓住。
5.「誰も彼も死んでしまへば善い?!贡摔蠠啢臂Eに仔んだまま、しみじみかう思はずにはみられなかつた。
他站在灰燼中,不由的深深地想到:人人都死掉才好呢。
6.彼はいつ死んでも悔いないやうに烈しい生活をするつもりだつた。
他打算過一種激烈到不論何時死去也不會后悔的生活。
7.彼はふと七八年前の彼の情熱を思ひ出した。同時に又彼の七八年前には色彩を知らなかつたのを発見した。
他忽然想起了七八年前的激情。同時發(fā)現(xiàn)他在七八年前是不懂得色彩的。
8.しかし彼は彼自身彼の病源を承知してゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心もちだつた。彼等を、――彼の軽蔑してゐた社會を!
可是他知道自已的病源。那就是對他自己感到羞愧,同時又害怕他們的心情。害怕他們——害怕他所蔑視的社會!
9.彼はひとり藤椅子に坐り、椎の若葉を眺めながら、度々死の彼に與へる平和を考へずにはるられなかつた。
他獨自坐在藤椅上,看著柯樹的新葉,不由的反復(fù)思索死亡將給予他的和平。
10.「神々は不幸にも我々のやうに自殺出來ない」
“我最同情的是神不能自殺?!?/span>
11.……彼の作品の訴へるものは彼に近い生涯を送つた彼に近い人々の外にある箸はない……
……只有那些與他生涯相近并且和他相似的人才會為他的作品所感動……
彼は「或阿呆の一生」を書き上げた後、偶然或古道具屋の店に剝製の白鳥のあるのを見つけた。それは頸を挙げて立つてみたものの、黃ばんだ羽根さへ蟲に食はれてみた。彼は彼の一生を思ひ、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだつた。彼は日の暮の往來をたつた一人歩きながら、徐ろに彼を滅しに來る運命を待つことに決心した。
他寫完《某傻子的一生》后,偶然在某家舊家具店看見了剝制的天鵝。它伸長了頸立著,連發(fā)黃的羽毛也被蛀蝕了。他回想自己的一生,不禁熱淚盈眶,發(fā)出冷笑。他的前途不是發(fā)瘋就是自殺。他獨自在日落的街上走著,決心等待慢慢把他毀滅的命運的到來。
12.しかし神を信ずることは――神の愛を信ずることは到底彼には出來なかつた。あのコクトオさへ信じた神を!
可是他終究不可能信神——信仰神的愛。連柯克托都是信神的??!
13.彼はペンを執(zhí)る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は?!ぐ摔违籁ē恁圣ⅴ毪蛴盲窑埔櫎幛酷幛瓮猡弦欢趣猡悉膜辘筏郡长趣悉胜膜?。しかもはつきりしてみるのはやつと半時間か一時間だった。
他執(zhí)筆的手顫抖起來了,甚至還流了口水。除非服用0.8毫克的佛羅納,他的頭腦沒有一次清醒過。而且不過清醒半個小時或一個小時。
彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてみた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。
他只有在黑暗中捱著時光,直到好像是一把崩了刃的細劍當拐杖拄著。
(昭和二年六月、遺稿)
《侏儒の言葉》
1.道徳は便宜の発名である?!缸髠?cè)通行」と似たものである。
道德の與えたる思車は時間と労力との館約であ。道德の與えろ損害は完全なる良心の麻陣である。
妄にの道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。
妄に道徳に屈するものは臆病ものか怠けものである。
我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道
徳である。我我は殆ど損害の外に、何の恩恵にも浴していない。
強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者は又道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
道徳は常に古著である?! ?/span>
良心は我我の口髭のように年齢と共に生ずるものではない。我我は良心を得る為にも若干の訓(xùn)練を要するのである?! ?/span>
一國民の九割強は一生良心を持たぬものである?! ?/span>
我我の悲劇は年少の為、或は訓(xùn)練の足りない為、まだ良心を捉え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである?!∥椅窑蜗矂·夏晟伽螢椤⒒颏嫌?xùn)練の足りない為、破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである?! ?/span>
良心とは厳粛なる趣味である?! ?/span>
良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だ甞て、良心の良の字も造ったことはない。
道德是權(quán)宜的別名,大約如“左側(cè)通行”之類。
道德賜予的恩惠是時間與力氣的節(jié)省,而帶來的損害則是良心的徹底麻痹。
肆意違反道德者乃經(jīng)濟意識匱乏之人; - -味屈從道德者乃懦夫或懶漢。
支配我們的道德是被資本主義毒化了的封建時代的道德。除受害以外,我們幾乎沒得到任何好處。
不妨說,強者蹂躪道德,弱者則又受道德的愛撫。遭受道德迫害的,通常是介于強弱之間者。
道德經(jīng)常身著古裝出場。
良心并非如我輩的胡須隨年齡的增長而增長。即使為了獲取良心,我們也須進行若干訓(xùn)練。
一國民眾,?九成以上為無良心者。
由于年少,或由于訓(xùn)練的不充分,我們在獲取良心之前被指責為寡廉鮮恥,這是我們的悲劇。
而我們的喜劇則在于在被指責為寡廉鮮恥者之后終于獲取了良心一-由于訓(xùn)練的不充分,或由于年少。
良心乃嚴肅的趣味。
良心也許制造道德。而道德至今仍未造出良心的“良”字。
如同所有趣味,良心也擁有近乎病態(tài)的嗜好者。其中十之八九若非聰明的貴族即乃睿智的富豪。
5.武器それ自身は恐れるに足りない??证欷毪韦衔淙摔渭紓zである。正義それ自身も恐れるに足りない??证欷毪韦仙縿蛹窑涡圹亭扦ⅳ搿?/span>
武器本身不足為懼,恐懼的是武將的武藝。正義本身不足為懼,恐懼的是煽動家的雄辯。
6.?人生類似一?盒火柴。視為珍寶未免小題大做,反之則不無危險。
人生近乎嚴重缺頁的書。很難稱其為一部,卻僅此一部。
人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である?! ?/span>
人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは稱し難い。しかし兎に角一部を成している。
7.古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである?! ?/span>
我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでいることである?! 』蛞蝗氦问|術(shù)家は幻滅の世界に住している。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のように無何有の砂漠を家としている。その點は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気樓は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵蕓術(shù)には幻滅していない。いや、蕓術(shù)と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢は忽ち空中に出現(xiàn)す
古典的作者是幸福的,因為反正都已死去。
?我們——或者諸君一?是幸福的,?因為反正古典的作者都已死去。
一群藝術(shù)家居住在幻滅的世界里。?他們不相信愛,不相信所謂良心,只是像古之苦行僧那樣以虛無的沙漠為家。這點固然有些悲哀。然而美麗的海市蜃樓卻是僅僅出現(xiàn)在沙漠上空的。對一切人事感到幻滅的他們對藝術(shù)則仍心馳神往。只要一提起藝術(shù),他們眼前便出現(xiàn)常人所不知曉的金色夢幻。其實他們也并非不擁有幸福的瞬間。
8.もし游泳を?qū)Wばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。もし又ランニングを?qū)Wばないものに駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不盡だと思わざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、こう云う莫迦げた命令を負わされているのも同じことである。
......
人生は狂人の主催に成ったオリムピック大會に似たものである。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを?qū)Wばねばならぬ。こう云うゲエムの莫迦莫迦しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去る
如果有人命令沒學(xué)過游泳的人游泳,想必任何人都認為是胡鬧。同樣,如果有人命令沒學(xué)過賽跑的人快跑,人們也不能不覺得荒唐??墒菬o獨有偶,我們自一降生便背負這種滑稽的命令。
人生類似由狂人主辦的奧林匹克運動會。我們必須在同人生的抗爭中學(xué)習(xí)對付人生。如果有人對這種荒誕的比賽憤憤不平,?最好盡快退出場去。自殺也確乎不失為一條?捷徑。但決心留在場內(nèi)的,便只有奮力拼搏。
9.人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲(yún)の光り、竹の戦ぎ、群雀の聲、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
......
人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲(yún)の光り、竹の戦ぎ、群雀の聲、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に墮地獄の苦痛を感じなければならぬ。
為使人生幸福,必須熱愛日?,嵤?。云的光影,竹的搖曳,?雀群的鳴聲,行人的臉孔,一須從所有?日?,嵤轮畜w味無上的甘露。
為使人生幸福,我們必須苦于日?,嵤?。云的光影,竹的?搖曳,雀群的鳴聲,行人的臉孔,一必須從所有?日?,嵤轮畜w悟墮入地獄的痛苦。
10.神的所有屬性中最令人為之同情的,是神不可能自殺。
あらゆる神の屬性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出來ないことである。
5.?わたしは不幸にも知っている。時には噓に依る外は語られぬ真実もあることを?! ?/span>
我不幸懂得:有時只有借助謊言才能訴說真實。
諸君は青年の蕓術(shù)の為に墮落することを恐れている。しかしまず安心し給え。諸君ほどは容易に墮落しない。
諸君害怕青年為藝術(shù)而墮落。但請暫且放心好了,他們并非像諸君那么容易墮落。
諸君は青年の蕓術(shù)の為に墮落することを恐れている。しかしまず安心し給え。諸君ほどは容易に墮落しない。
諸君害怕藝術(shù)毒害國民,但請暫且放心好了,至少藝術(shù)絕不可能毒害諸君,絕不可能毒害不理解兩千年來藝術(shù)魅力的諸君。
11.戀愛は唯性慾の詩的表現(xiàn)を受けたものである。少くとも詩的表現(xiàn)を受けない性慾は戀愛と呼ぶに価いしない。
戀愛不過是披以詩的外衣的性欲。至少不披以詩的外衣的性欲不值得稱之為戀愛。
12.萬人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかも知れない
人皆共通的唯一情感是對死的恐怖。道德上對自殺評價不高,恐并非出于偶然。
13.自殺しないものはしないのではない。自殺することの出來ないのである。
未自殺的人并非不自殺,而是不能自殺。
其他作品選段
1.ただわたしは殺す時に、腰の太刀を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。
只不過我殺人是用腰間佩的大刀,而你們殺人不用刀,單憑權(quán)力,憑金錢,往往還僅僅憑了那張偽善的嘴巴就夠了。不錯,血是不會流的,人還活得好好的——然而還是給殺了。想想有多么罪孽呀!誰知道究竟是你們壞還是我壞呢?
節(jié)選自《竹林中》
2.人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出來ると、今度はこつちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陷れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。
人的心中,自具有兩種矛盾的感情。見他人的不幸無人不會不同情。然而,此不幸者,一旦擺脫困境,不知怎的,反讓人覺得悵然若失。說得過分點兒,心里巴不得他重陷入不幸中去。雖非有意,不知不覺中竟生出一種敵意來。
節(jié)選自《鼻子》
3.「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が來るでしょう。その時が來るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか?!?/span>
唯因虛夢,尤需真活。彼夢會醒,此夢亦終有醒來之時。人生在世,要活得無愧于說:此生卻曾活過。
——《黃粱夢》
4.?人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。
不應(yīng)忘記,人生始終是戰(zhàn)斗,直至死亡。
僕の將來に対する唯ぼんやりした不安。
我對未來只有迷茫的不安。
(摘錄自芥川龍之介遺書,昭和二年7月24日)