準高一想大學(xué)念東京大學(xué) 請問一定要讀語言學(xué)校才能報考嗎?可否在國內(nèi)學(xué)日語直接報考?

高校一年生であれば、2年以上學(xué)ぶ時間があるはずです。
東京大學(xué)に合格するために必要な日本語レベル(基準)を明確に教えることはできませんが、
出願するためには、最低N1レベルだと理解してください。
実際、どの程度の日本語力が必要かというと、一つは課題文(設(shè)問)を理解できるレベル;もう一つは自分の考えを適切に表現(xiàn)できるレベルです。
以下は、東京大學(xué)の過去問です。
【文系】
「物語を生み出す力について考察せよ」
「政治と人間の善悪について論じよ」
【理系】
「量子力學(xué)の基礎(chǔ)となる原理について、深く解説せよ」
「自然災(zāi)害において、情報科學(xué)が果たす役割を論じよ」
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こんな問題もあります。
古代ギリシアにおいて,人間とは何か,幸福とは何かについて語られています。自分なりの解釈を含め,古代ギリシアの思想家たちが語った「人間像」と「幸福論」について考察してください。
何となくかけそうなイメージですが、実際に書こうとすると、結(jié)構(gòu)悩んでしましますね。
因みに、課題文考察に必要な情報をもっと増やすと以下のようですが、どうでしょうか、これでどのぐらい書けそうでしょうか?
【古代ギリシアにおいて、人間とは何か、幸福とは何かについては、いくつかの思想家たちによって異なって考えられました。
例えば、ソクラテスは人間とは知識を追求する存在であると考えました。彼は「知らぬことを知りたい」という名言で有名です。彼は、人間が常に學(xué)び続けることが大切であり、知識を追求することが人間にとって最高の幸福であると考えました。
一方、アリストテレスは人間を理性を持った動物として考えました。彼は、人間が理性を使って知識を得、道徳的な行動をすることが最高の幸福であると考えました。
プラトンは、人間とは精神的な存在であり、物質(zhì)的な世界と精神的な世界を備えていると考えました。彼は、精神的な世界において知識を追求することが人間にとって最高の幸福であると考えました。
これらの思想家たちの意見を合わせると、古代ギリシアでは、人間は知識を追求することが大切であり、理性を使って道徳的な行動をすることが最高の幸福であるという「人間像」が描かれています?!?/p>
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理系であれば、私が実際動畫で説明した內(nèi)容もあります。私の答えも書いてます。參考にしてください?!?a target="_blank" >東京大學(xué)ノ実踐小論文(理科1)~秋武老師

備考:文系【悪法も法】という課題文の回答ですが、私が実際に書いた答えは教えることができませんが、解答構(gòu)成を公開します~~
回答の構(gòu)造例
1.自分が體験OR観察した「悪法」とは何か、その「悪法」が施行された法的根拠は何かを述べる。
外出?移動制限、學(xué)校弊社、出勤停止、営業(yè)停止等自分が體験?観察した「悪法(過酷な法)」を挙げる。
2.その「悪法」は守るべきか非か、自分の主張を述べる。
備考:死刑制度の具體例においては、死刑制度は廃止すべきか存続すべきかの主張を述べる。
3.自分の主張は何を根拠?基準に判斷されたかを述べる。
◇「法の支配」への理解を基に、自分の主張は、「形式的意味」と「実體的意味」のどちらを判斷基準としているかを明確にする。つまり、自分の考えは、「形式的な合法性」に基づいているのか、それとも「実質(zhì)的な正當性」に基づいた主張なのか明確に述べる。
◇都市封鎖の具體例では:憲法上保障されている國民の権利、自由に反してはいるかどうか、また、「法の支配」の在り方における自分の立場を踏まえて主張する。
◇死刑制度の具體例では:賛否両論の論點及び違いを踏まえ、自分は何を判斷基準(法的根拠)として、死刑に賛成か反対か主張する。
4.どのような反対論が考えられるか、その反対論の法的根拠とは何か、自分の主張?法的根拠とどの點で対立するのか、それにどう反論したいか、
◇具體例にある「個人の権利や自由」への法的措置の妥當性について、自分の判斷基準と反対意見の判斷基準の違いを指摘したうえで、自己主張の正當性をもって、反論する。
◇反論だけでなく、死刑適応の限界(課題)を踏まえ、自分の考えを述べる。
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2022年度出題問題もあります。この課題文は、小論文のためだけでなく、文系でも理系でも、みんな真剣に考えるべきものだと考えていますので、參考資料も上げます。

參考文獻↓↓(図)

~~~文系1の出題は、以下の図を參照ください。

備考:これは、留學(xué)生だけでなく、日本人學(xué)生でも難しいと思います。日本人先生も同じです。まず課題文の設(shè)問を理解するだけでも精一杯です。精読と言いますが、この課題文には、【さまざま/いろいろな】なキーワードがあります。
ここで、私がなぜ【様々】と【色々】を同時に使用したか?についてですが、
さまざま、は中國語で【不同種類】として理解でき;
いろいろ、は【不同分類】?同じ種類(系統(tǒng))の中の分類として理解してほしいからです。
つまり、課題文を理解する時に、たくさんのキーワードがありますが、これからを正確に區(qū)別分類しながら、精読しないと、【あれもこれも】絞れなくなります。課題文で問われている本質(zhì)を洞察できるかどうか、これが最も難しいです。大手塾の日本人先生たちとも過去問議論をしたことがありました。それぞれの先生が得意不得意分野があるのは仕方ないことですが、議論の中で、その先生の知識(レベル)の幅が透けて見えるのです。特に、文系出身の先生です。正しい日本語と正確な文脈ではとても立派ですが、理工系知識が混ざっている課題文の理解はやや弱いと感じました。実際、東京大學(xué)の過去問には、文系でもなく理系でもない學(xué)際分野の課題文も少なくありません。つまり、特定分野の知識だけでは、精読すら正確に解きにくい可能性もあるからです。解答をまとめるのも難しいですが、その前、課題文を正確に理解するだけでも、相當難しい問題も少なくありません~