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【優(yōu)秀素質(zhì)】最后一份報告

2023-06-08 00:51 作者:木の葉景天  | 我要投稿

原作:退休馬協(xié)會/浦河渡邊牧場

我們收到了渡邊牧場發(fā)來的優(yōu)秀素質(zhì)的報告。是渡邊harumi的手記。感謝harumi這么長久以來犧牲自己對內(nèi)恰的照顧。衷心感謝渡邊牧場的所有人。

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優(yōu)秀素質(zhì)

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優(yōu)秀素質(zhì),5月30日12點40分,安息了。衷心感謝在漫長的歲月里一直深愛著他的人們。這篇文章很長,我們想盡可能詳細的記錄他最后的歲月。?

食欲不振

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今年春天,青草開始生長的時候,我們喂給他的東西(把粉末和湯汁攪拌在一起像嬰兒輔食那樣的東西),他開始吃的越來越少。所以我們5月6號給他驗了血,一切正常。

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5月上旬開始表現(xiàn)出挑食。只吃一些干草和干糧(貓糧狗糧那樣的東西),這種現(xiàn)象當(dāng)馬兒發(fā)生胃潰瘍的時候是很常見的,所以我們給他吃了胃潰瘍的藥,完全沒有效果。到后來切細的干草也不吃了。

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5月13號,我們在沒有打麻藥的情況下幫他洗牙,他居然沒有反抗而且很平靜,這令我們吃驚。但是就算他這樣,我們還是沒有勇氣幫他弄里面的牙齒,因為有風(fēng)險。之后我們想看看他是不是能恢復(fù)進食(洗牙是擔(dān)心他牙口不好引起的胃口不好)。5月16日,我們觀察了一個半小時,他把很短的青草咬成更短的碎葉,就這樣吃了30分鐘。之后,也喝了一點水而且沒有吐掉。我們親眼看著他把水喝下去。


5月14日早上

5月16日早上

?對抗病魔的日子

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5月17號下午,體溫超過了40度。獸醫(yī)給他進行了吊針和其他治療。從以前開始,他就會左右晃頭,前幾天開始更頻繁了。我們覺得他是發(fā)燒后引起的頭疼,在鎮(zhèn)靜劑的作用下終于冷靜了下來。我們經(jīng)常聽到馬肚子疼,但是幾乎沒怎么聽說過馬也會頭疼。我們懷疑他是不是頭里有什么問題,但是檢查不出來。而且從后來的狀況看應(yīng)該也不是。

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5月18日很熱,Meteor Shower陪著他在馬房里吃飯。18日的早上,驗血的結(jié)果顯示,有關(guān)于感染和炎癥的幾個指標(biāo)都有上升。所以我們開始給他注射抗生素,但是除了驗血以外的項目查下來都正常。

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18日的傍晚,退燒止痛藥失效,這是內(nèi)恰最痛苦的一個晚上。39.5度以上的高燒一直在持續(xù),也一直在晃頭,這種痛苦的狀態(tài)一直持續(xù)。不得已,我們在隔了4小時以后,22點30分再次給他注射了鎮(zhèn)痛劑。

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如果之后再隔4個小時又失效的話,那只能換一種止痛藥了。如果還不行,我們只能考慮因為年齡問題是不是要對他采取人道措施了。結(jié)果到了半夜12點半,熱度和痛感都平靜了下來,也沒有再吃藥了。


5月17日早上

5月18日早上

之后的日子里,逐漸退燒,有時候低燒,但是大部分時間體溫正常,但是食欲仍然沒有回復(fù)

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不知道是因為一下子暴瘦沒有信心支撐自己還是因為疼痛的關(guān)系,內(nèi)恰后來一直都保持那種好像隨時都可以躺下來的身體前傾的姿勢。所以為了讓他能夠更方便的吃飯喝水,我們就把飯桶和水桶提的很高。

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5月20日早上


22日上午,他左前腳突然很痛。我們把他從放牧地帶了回來。這個時候他身體的傾向感覺隨時要倒下來,但他還是大步向前,正常的走著。一開始是蹄子有點熱,我們覺得是不是得了蹄病。我們緊急叫來裝蹄師,給他安裝特殊的蹄鐵,但是檢查下來他蹄子沒問題,好像是左肩疼。

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22日早上的驗血顯示,炎癥相關(guān)的數(shù)值又上升了,白血球很高。考慮到他左肩疼,我們懷疑是關(guān)節(jié)炎。也有可能體內(nèi)有地方什么發(fā)炎了之類,到底有幾處炎癥感染的地方我們也不知道。


?5月22日傍晚


23日,我們找了中醫(yī)的獸醫(yī)來給他看病。平時只是我們給他左股關(guān)節(jié)左觸診的時候他有點挺大的反應(yīng)。但是那一天,全身,左邊,右邊,前面,后面,背部,渾身都反應(yīng)很大。我們知道了,因為他已經(jīng)沒有什么肌肉,要支撐他那龐大的身軀行動,每天都非常累而且痛苦。

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我們給他做了45分鐘的電針灸,給他補充各種維生素。經(jīng)過治療以后再給他觸診,全身都沒有什么疼痛的反應(yīng)了。這一天也是Meteor Shower陪他在馬房吃飯。吃完三葉草和青草以后還吃了3根胡蘿卜,很開心。但是之后又吃不了東西了,這日子一天天的就是一進一退,一悲一喜。

?5月23日早上

5月23日電針灸

每天,早晚都給他各吊2個小時點滴。5月26日開始,在他頸部的右側(cè),放了留置針。每天哪怕是少量的給他補充一點卡路里和營養(yǎng),當(dāng)然還有鎮(zhèn)痛計,抗生素,強心劑等等等。

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這之后,在24日早上,27日早上,還有他離開的那一天早上,都給他驗血了。數(shù)值越加惡化的同時,我們追加了那么多種類的抗生素也都失去了作用。全身到處都是炎癥,還有關(guān)節(jié)炎,抗生素也很難傳遞。如果是小馬發(fā)生這種事情的話,可以直接動手術(shù),把身體里流膿發(fā)炎的部分拿出來或者清洗掉。但是內(nèi)恰不管是移動他還是給他做手術(shù)都已經(jīng)是挨不住的了。

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靠近體表部分的炎癥,已經(jīng)是到了即便不用麻藥,不用去醫(yī)院,只是照一下X光都可以看見的地步了。我們決定帶他去做一次X光,至少如果知道炎癥在哪里的話,就會有很大幫助,能給我們幫助他終結(jié)這痛苦的日子帶來重要的參考??上ё詈笏€沒來得及做檢查,就走了。


?5月23日傍晚有了食欲,我們很開心

23日傍晚開始的3天半時間里,什么都沒吃。27日開始吃東西了,自己把干草咬碎一點,短一點的青草也可以吃的噴香,還吃了三根胡蘿卜,讓我們喜出望外,可惜,后面又不吃東西了。

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好幾天沒大變了,小變帶血,很濃的茶紅色。量也是越來越少,我們拿紙杯接了一點去化驗,但是沒有血的反應(yīng)。每天早晚吊針,獸醫(yī)把脈,看他的腸動,看他的牙齒,看他的四肢有沒有浮腫,每天都細心的確認(rèn)這些。雖然他狀態(tài)很差,但是一直到離開的前一天,腸胃也還可以,應(yīng)該肚子挺餓的吧。馬本來是一種需要持續(xù)攝入纖維的動物,他這么久沒吃東西都沒有引起肚子痛,也算是一種好運吧。

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5月25日沒有食欲

5月26日早上

5月26日晚上

5月27日早上

5月27日早上吊針

5月27日早上突然有了食欲

5月28日早上

5月28日下午

5月29日早上吊針

5月29日穿上防蟲服,主要是給他防曬

5月29日晚上吊針

5月30號

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離開的前一天開始,脈動加速。離開的那天早上,第一次腸動減弱,脈動更加的快速,體溫到了37.9度。從20號開始肚子稍微有點浮腫,但是那一天更明顯了

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30號早上吊完點滴以后,一直都是一副想出去走走的表情。然后就慢慢的跟在Meteor Shower的身后這么走著。中午,有兩個內(nèi)恰粉絲俱樂部的會員從北海道和本州島趕來,在放牧地看他。那天那個中醫(yī)的獸醫(yī)也來了,在放牧地給他觸診,上半身沒有痛感,也沒有治療,只是四肢都沒有肌肉了,身體很疲勞。

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5月30日,早上10點前

5月30日,早上10點半前

5月30日,過了10點半

會員和牧場長還有老牧場長去看他們的時候,Meteor Shower在欄桿附近,內(nèi)恰幾乎就跟在身后。11點25分,本來站在那里的內(nèi)恰,一下子倒了下來。幾度想起身,但是力量太弱了,應(yīng)該再也起不來了。

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我們有裝著吊起裝置的拖拉機在邊上。如果是習(xí)慣這么來的馬兒到還好,但是35歲的內(nèi)恰來說太殘忍了,如果因為害怕而應(yīng)激突發(fā)心力衰竭怎么辦?這種結(jié)局太過殘酷了。

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陽光照射的很強烈,我們給他穿了驅(qū)蟲服,用水沾濕的毛巾給他蓋了3塊。健康的馬隨便陽光怎么照射都可以,但是內(nèi)恰已經(jīng)瘦成這樣了,再加上黑色的身軀很容易吸熱,陽光的熱量很容易傳遞到他體內(nèi)。

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獸醫(yī)馬上就來了,給躺在地上的內(nèi)恰做了診斷。牙根已經(jīng)白的發(fā)紫了,脈搏更加一塌糊涂。綜合判斷下來,內(nèi)恰已經(jīng)到了極限。

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如果讓他長時間這么躺在地上,會壓迫內(nèi)臟導(dǎo)致無法呼吸。而且一旦到了下午溫度會更高,我們必須早下決斷。我們給退休馬協(xié)會打了電話,告知情況,獸醫(yī)也進行了情況說明。退休馬協(xié)會說尊重我們的決定。

5月30日 11點半左右


?安樂

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安樂的過程要經(jīng)過,鎮(zhèn)靜劑→麻醉劑→安樂劑的三個階段,這是目前日本對馬兒最友好的處理方式了。如果不是飼養(yǎng)管理者和獸醫(yī)都一起商量好的話一般是不會用這個方法的。現(xiàn)在對馬兒的處理,從經(jīng)濟性的角度來說,一般直接就是第三步、或者就是為了考慮執(zhí)行人的安全情況,只執(zhí)行第一步和第三步。但是我們渡邊牧場從以前開始就是執(zhí)行完整的3步。

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鎮(zhèn)靜劑注射以后,內(nèi)恰的表情安穩(wěn)了許多。鎮(zhèn)靜劑起效了。注射了適量的麻醉劑,通過麻醉劑,內(nèi)恰就沒有意識了,這個時候再進行第三步。內(nèi)恰從注射麻醉劑開始到最后的藥劑注射完畢,一動都沒動。12點40分,平靜的離去了。2個趕來的內(nèi)恰粉絲和我們牧場全體員工守在邊上。

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這塊地方,是內(nèi)恰1歲的時候生活的放牧地,在這塊放牧地的青草之上,藍天白云,微風(fēng)拂面。在小鳥的歌唱中,內(nèi)恰安心的踏上了旅程。在橫倒在地上的內(nèi)恰邊上,我用手機拍下了內(nèi)恰眼里,這個世界最后的風(fēng)景。?

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葬禮

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如果遺體擺放過長,肚子里的氣體就會各種乒乒乓乓。雖然非常抱歉,但是我們在第二天的5月31日,就把他葬在了我們渡邊牧場的馬兒墓地。這塊墓地里還有內(nèi)恰的爸爸媽媽,弟弟妹妹,女兒,朋友,大家都在這里長眠

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葬禮的當(dāng)天,退休馬協(xié)會的代表沼田,北海道辦公室的加藤,內(nèi)恰粉絲俱樂部的會員,一直給內(nèi)恰拍照的攝影師朝內(nèi),這些相關(guān)人員出席。


因為土葬會有水污染,所以離民宅太近的話得不到環(huán)保許可,所以我們就安置在了自己私有土地的山上。上下山需要開車,我們接送不了這么多人所以沒有公開。


5月31號的內(nèi)恰落葬儀式

6月2號內(nèi)恰的墓

內(nèi)恰的爸爸媽媽

葬禮后內(nèi)恰的馬房


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好朋友Meteor Shower

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內(nèi)恰倒下的時候,Meteor Shower就在附近。內(nèi)恰走了以后,他很平靜,一定是他們當(dāng)時已經(jīng)說完告別的話了。

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關(guān)于心臟的雜音

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內(nèi)恰31歲的生日前,心臟出現(xiàn)了雜音。但不是那種年紀(jì)大了會有的雜音,而是那種心臟生病了的雜音。我們當(dāng)時很震驚,但也并不是說馬上就會怎么樣。

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內(nèi)恰對我們很重要,更何況我們尊重他的意愿,他說還不想走。對我們來說拼命疼愛還來不及的內(nèi)恰,他是我們的寶貝。

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再一次,關(guān)于內(nèi)恰的長壽,幸福的活到最后,感謝退休馬協(xié)會的各位,會員的各位,中醫(yī)和西醫(yī)的獸醫(yī),裝蹄師,還有,感謝各位至今的支持,致以誠摯的感謝。


======================日語原文=================

渡辺牧場さんから、ナイスネイチャの報告が屆きました。渡辺はるみさんによる手記です。長きにわたりナイスネイチャを支え、獻身的なケアを続けてこられたはるみさん、そして渡辺牧場のみなさまに、心より感謝申し上げます。

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ナイスネイチャ

ナイスネイチャは、5月30日12時40分、安らかに息を引き取りました。大変長い年月を、多くの皆様に深い愛情を持って支えていただきましたことを、心から感謝申し上げます。長文になりますが、ナイスネイチャの最後の闘病記録として殘したいと思います。

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ナイスネイチャ

【食欲が落ちてきた頃】

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この春、青草が生えてきた頃から廄舎內(nèi)で食べる飼い葉(粉末をぬるま湯で練って離乳食狀にしたもの)の量が徐々に減って來ました。そのため、5月6日に血液検査をしたところ、異常はありませんでした。

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5月上旬から特に偏食気味になり、切り草(乾草)やビートパルプは食べようとしていました。このような傾向は胃潰瘍の馬によく見られるということで、胃潰瘍の薬を飲ませましたが、全く効果がありませんでした。(切り草は飲み込めるところまで噛めず、出してしまいます。)

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13日に、鎮(zhèn)靜剤無しで整歯していただきましたが、抵抗しないで落ち著いて処置できたため驚きました。それでも奧歯は危険なため、敢えて処置しませんでした。その後、放牧地で青草をちゃんと食べて飲み込めているのか、5月16日に1時間半つきっきりで観察しましたが、短く生えた草を自分の前歯で更に短くちぎって30分間は食べ続け、その後、水を飲むまで口から吐き出すこともなく、ちゃんと飲み込めているのを確認(rèn)できました。

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【闘病の日々】

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ところが、5月17日午後に40.1℃の熱が出て、夕方、獣醫(yī)さんの點滴などの治療を受けました。以前から頭を左右に傾ける仕草をしていましたが、この數(shù)日前から頻繁になり、熱発後はとても頭が痛そうな様子を見せましたが、解熱鎮(zhèn)痛剤が効くと落ち著いていました。馬は疝痛(腹痛)は多いですが頭痛はあまり聞きません。前庭疾患も疑いましたが、検査は出來ず、また、その後の様子から違うだろうとのことでした。

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5月18日は暑かったため、メテオシャワーに付き添ってもらい舎飼いになりました。18日の朝、血液検査をした結(jié)果、感染と炎癥に関する値が上がっており、抗生物質(zhì)の注射による治療が始まりました。血液検査の他の項目は異常ありませんでした。

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18日は夕方の解熱鎮(zhèn)痛剤が効かず、ナイスネイチャにとって一番辛い夜だったように思います。39.5℃以上の熱が続き、頭を振り続け、前腳で寢ワラを掻いて、辛そうな狀態(tài)が続きました。やむを得ない場合の最低限の間隔4時間を空けて、22時半に再度追加で痛み止めを注射していただきました。

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この後、更に4時間空けて、まだ効いていなければ、別の種類の解熱鎮(zhèn)痛剤の錠剤を飲ませ、それでもダメなら、年齢からも、もう命を諦めて早く楽にしてあげた方がいいとさえ考えていましたが、夜中0時半、熱と痛みが落ち著いていたため、錠剤を飲ますこともありませんでした。

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その後の日々は、熱は徐々に落ち著いていきました。時々微熱になりながらも平熱の時間が多くなりましたが、それでも食欲は回復(fù)しませんでした。

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急激に痩せたことで體勢を維持する自信がないからか、それとも痛みがあったからなのか、地面に口を近づける姿勢をしない日が続いていました。そのため、口元に草や水を持って行き、食べたり飲んだりしたいか確認(rèn)していました。飼い葉桶や水桶を食べやすい、飲みやすい高さに設(shè)置しました。

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22日午前に急激な左前腳の痛みが出ました。放牧地から連れて帰るのに、體の向きを変える時にはよろけて倒れるのではないかと思う程でした。その割に真っすぐ歩き出すと、ちゃんと歩けていました。初めは蹄に熱感があり、「砂のぼり」などの蹄の疾患を疑いました。特殊裝蹄を施してあったため裝蹄師さんが急遽來て下さり、調(diào)べて下さいましたが蹄に異常はなく、左肩が痛いと気付き教えて下さいました。

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22日の朝の血液検査結(jié)果では、炎癥の値は更に上がっており、白血球もまだまだ高く、左肩の強い痛みを考え合わせ関節(jié)炎の可能性はあるそうでしたが、體內(nèi)のあちこちに膿瘍ができている可能性もあるそうで、感染箇所はわからない狀態(tài)でした。

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23日は東洋醫(yī)學(xué)の獣醫(yī)さんに診察していただきました。いつも左股関節(jié)のあたりを觸診すると、患部がカクカクッと少し崩れるような様子が見られますが、この日は全身が、右も左も前も後ろも背中もみんなガクガクッと、大きく反応していました。筋肉がどんどん落ちて、大きな馬體を支えるのにとても疲れ切って痛みも生じていたのがわかりました。

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全身に電気鍼の治療を45分間と、あちこちに各種ビタミン剤の水鍼もして下さいました。治療後に、觸診すると、カクカクッという痛みを表す反応はなくなっていました。この日はメテに付き合ってもらい舎飼いになりました。夕方には気分が良さそうになり、クローバーなど青草を食べた後、人參を3本も食べ、喜びましたが、その後はまた食べなくなり、一進一退、一喜一憂の日々でした。

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毎日、朝晩2時間前後ずつ、點滴をしていました。5月26日からは頸の右側(cè)に靜脈留置針を入れて下さいました。カロリーや栄養(yǎng)が少しでも摂れる內(nèi)容の點滴と、痛み止め、抗生物質(zhì)、強肝剤も続けられました。

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その後、24日朝、27日朝、そして亡くなった日の朝にも血液検査をしましたが、感染の値は悪くなる一方で、抗生剤の種類を変えたり追加したりしても効果は見えませんでした。體のあちこちに膿瘍ができている場合も関節(jié)炎の場合も抗生物質(zhì)は屆きにくく、仔馬などでは體內(nèi)に膿瘍ができることがあるそうですが、その場合は診療所で手術(shù)して膿瘍を取り出して洗い流す治療になるのだそうです。ナイスネイチャの場合、移動と手術(shù)には耐えられるはずもありませんでした。

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體表に近い膿瘍なら診療所に連れて行かなくても、鎮(zhèn)靜剤を使わなくても、エコー検査でわかるとのことで、近々受けようとも考えていました。膿瘍の存在がわかるということは、経緯からも助かる見込みがないとわかるということで、闘病生活を長引かせずに楽にしてあげるための判斷材料としてでした。結(jié)果としては検査を受ける前に亡くなりましたが…。

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23日夕方から3日半、何も食べられませんでしたが、27日に急に食べ始めました。乾草の切り草を口でわしづかみにするかのように咥えたので、慌てて青草と取り替えると、短く刈った青草もムシャムシャ食べて人參も3本くらい食べて大喜びしました。ですが、その後また食べなくなりました。

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ボロ(馬糞)は何日も出なくなり、尿は血尿かと思う程、赤茶色に濃くなり、量も少なくなりました。紙コップに採って調(diào)べましたが血液の反応はありませんでした。朝晩、點滴をしながら、獣醫(yī)さんが脈、腸の動き、歯莖の色など、四肢の浮腫みも丁寧に確認(rèn)して下さいました。こんなに狀態(tài)が悪くても亡くなる前日まで腸の動きは良かったです。お腹が空いていただろうなぁと思います。本來、繊維質(zhì)を食べ続けるべき草食動物がこんなにも長く食べないでいながら、最後まで疝痛を起こさずにいられたことは救いでした。

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亡くなる前々日くらいから、脈が速めになっていました。亡くなった30日の朝は初めて腸の動きが弱くなり、脈も更に速くなっており、體溫は37.9℃と高めでした。また、20日頃からお腹の下と胸前に浮腫ができ、次第に大きくなってきていました。

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30日の朝は點滴を終えると顔を何度も押し付けてきて外に出たそうな素振りを見せました。ゆっくりメテの後ろをついて歩いて行きました。午前中、ナイスネイチャのFP會員さんが道內(nèi)からと本州からとお一人ずつ來られ、放牧地で様子を見ていて下さいました。その日は東洋醫(yī)學(xué)の獣醫(yī)さんも來られ、放牧地で觸診して下さり、上(體)については痛みの反応はなく、治療もありませんでした。四肢については筋肉が落ちてしまって、疲労が溜まっていたと思います。

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會員さん方と現(xiàn)牧場長と元牧場長も見ている時に、牧柵の近くにいたメテが放牧地の中ほどに歩いて行き、その後をナイスネイチャもついて行き、11時25分、その場所で立ち止まるとすぐにゴロンと寢ころびました。疲れ切った全身をやっと休めることができました。何度か起きようという仕草はしましたが、それは力のない弱いもので、もう立てないだろうと思いました。

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吊起?。à沥绀Δ郡ぃ─蛑堡匹去楗咯`を近くまで持ってくるとしても、そのようなことに慣れた馬ならともかく、35歳で初めてそれをするのは酷でした??植坤摔韦韦い啤ⅳ猡沸牟蝗蚱黏长筏郡?、ここまで生きてきて、そんな最期はあんまりだと思いました。

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陽射しが強くなって來たので、白っぽい色で通気性が良い蟲除け馬服をふわっとかけたり、獣醫(yī)さんを待つ間、水で濡らしたバスタオル3枚を體にかけたりしました。健康な馬なら何でもない程度の陽射しでも、ナイスネイチャは體が痩せて衰弱していたため、黒っぽい色の體表から太陽の熱が體の內(nèi)部に屆きやすいと思いました。

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獣醫(yī)さんはすぐに駆けつけて下さり、橫たわるナイスネイチャを診察して下さいました。歯莖は白っぽく紫がかっていること、脈も更に悪くなっていることなど総合的に判斷して、やはりもう限界とのことでした。

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寢たきりで長時間放置すると肺など內(nèi)臓が圧迫され呼吸が苦しくなってきます。また、この後もっと暑くなるかもしれず、早い方がいいと判斷しました。引退馬協(xié)會さんに電話で狀況を説明し、獣醫(yī)さんからも説明をしていただきました。引退馬協(xié)會さんは私たちの選択を尊重して下さいました。

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【安楽死】

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安楽死は「①鎮(zhèn)靜剤?②麻酔薬?③心肺機能を停止させる薬剤」の、3つの段階を経る方法(現(xiàn)在の日本では最も馬の福祉を考慮した方法)で処置していただきました。この方法は、飼養(yǎng)管理者が獣醫(yī)さんに前もってお願いしなければ、現(xiàn)狀では一般的にはされていません。

多くの場合は経済性が重視され③のみ、または人間の安全のため①と③のみで行われます。渡辺牧場では昔から①②③を使用していただく「3 step法」でお願いしています。

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鎮(zhèn)靜剤を注射するとナイスネイチャはこわばった表情が穏やかになり、鎮(zhèn)靜剤が効いてから、適切な量の麻酔薬を注射して下さいました。麻酔薬で意識が消失してから最後の薬剤を注射して下さいました。ナイスネイチャは麻酔を入れても最後の薬剤を入れても全く動かず、12時40分、靜かに息を引き取りました。お二人の會員さんとスタッフ全員が見守りました。

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【お葬式】

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遺體は時間の経過とともにお腹にガスがパンパンに溜まるため、急で申し訳なかったのですが、翌日、5月31日に「渡辺牧場 馬の墓地」に埋葬しました。同じ墓地には父ナイスダンサーと母ウラカワミユキと、ナイスネイチャの弟や妹たち、娘も、そしてかつての友、セントミサイルも眠っています。仲間たちときっと仲良く安らかにいてくれると思います。

お葬式當(dāng)日は引退馬協(xié)會代表沼田氏、北海道事務(wù)所加藤氏、ナイスネイチャFP會員様や、ナイスネイチャを撮影し続けてきたカメラマンの朝內(nèi)氏をはじめ、所縁の方々が訪れて下さいました。

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埋葬については地下水の汚染の関係上、民家から數(shù)百m距離を置かなければ保健所の許可が下りないため、渡辺牧場の私有地である山の上に墓地があります。車での送迎が必要であるため、限られた方々しかご案內(nèi)ができず申し訳ございません。

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【親友メテオシャワー】

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ナイスネイチャが橫になった時、すぐ近くにメテがいました。ナイスネイチャが亡くなった後も、メテは靜かで穏やかだったことから、きっとこの時、最後のお話をしたのだろうと思いました。

最後の會話は済んだとはいえ、殘されたメテはとても淋しそうで、亡くなった後、何日も目がうつろでした。6月1日にセイントネイチャーとヒカルの放牧地に入れました。正直なところ、慣れるまで荒々しく噛んだり蹴ったりし合う光景を想像しましたが、全く違っていました。セイントもヒカルも初めからとてもメテに優(yōu)しいのです。午後には3頭がすぐ近くで一緒に草を食んでいる姿が見られ、涙が出ました。

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かつて、ナイスネイチャ、セントミサイル、メテオシャワーが3頭で仲良しグループでした。時が流れて一番若いメテが生き殘り、淋しい想いをしているのを先に逝ったナイスネイチャの息子とセントミサイルの甥が勵まし、支えているのです。その後も感動するくらい穏やかで優(yōu)しいです。セイントとヒカルに心から感謝しています。

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【心臓の雑音について】

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ナイスネイチャは31歳の誕生日前に、心臓に雑音があることがわかりました。高齢馬に多く聴かれる雑音ではなく、心臓の病気による雑音とのことで、當(dāng)時ショックを受けましたが、それだからすぐに命に関わるという訳ではない、とのことでした。

それまでもナイスネイチャのことを大事にしてきたつもりでしたが、より一層、ナイスネイチャを興奮させないよう、彼の意思を尊重して、「そっちには行きたくない」と言われれば無理に行かないなど、渡辺牧場にとっての「かわいいかわいいナイスネイチャ様」という想いでお世話してきました。渡辺牧場の寶でした。

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改めまして、ナイスネイチャが幸せな長生き、幸せな最期を遂げられたのは、ひとえに引退馬協(xié)會の皆様、會員の皆様、東洋醫(yī)學(xué)、西洋醫(yī)學(xué)の獣醫(yī)さん、裝蹄師さん、そして、多くの応援して下さる全ての方々のお陰です。誠にありがとうございました。


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