【初音ミク】ザムザ(薩姆沙)【てにをは】

參考了機(jī)翻和其他翻譯。
ザムザ
薩姆沙
使い古した自分の名前に
對自己那沿用至今的姓名
あえてキッチュなルビを振って
冠以悲劇主角的自嘲名號
高潔を打ち負(fù)かせるくらいに
何種寬慰都無法緩解的傷痛
恐ろしくなる 骨の髄まで
那種恐懼 已深入進(jìn)了骨髓
今はどんなふうに見えてますか?
現(xiàn)在的我看起來如何
醜いですか? それはそっか
相當(dāng)丑陋?是這樣吧
どうか林檎を投げつけないで
請不要將蘋果扔向我
胸にLock up Lock up ザムザ
胸口中那處那處心房 薩姆沙
「鏡をご覧」誰かが囁く
面向鏡子時 恍若有誰竊竊私語
うまくいったら 儲けものさ
做得很好 已經(jīng)比許多人出色了
甘い言葉も笑顔も通じない
甜言蜜語同微笑都不再會相信
走り出したら たらもう獣だ
明確方向后 便如野獸那般奔跑
月の真下をうろつきながら 考えてた 夜すがら
在月色中彷徨無措 徹夜都在 苦思冥想
悪夢にどの指立てて やるべきかってね
直面心魔的那一天 又還能用什么反抗
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
刺痛刺痛刺痛 『刺痛刺痛刺痛』
ズキンズキンズキン 『ズキンズ』
刺痛刺痛刺痛 『刺痛刺痛』
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
刺痛刺痛刺痛 『刺痛刺痛刺痛』
ズキ ズキ ズキン
刺痛 刺痛 刺痛
変われ
改變吧
誰だって魂辛辛 ズキズキズキ
任誰都在內(nèi)心深處體會過 刺痛刺痛刺痛
痛みと怒れる人を喰らったったらった
痛苦和憤懣一次一次又被咽下 啦噠噠啦噠
だのに何故だろう 今も ズキズキズキって
但又為何 如今仍舊 刺痛刺痛刺痛不斷
派手な尻尾を引き摺りゆく ザザザザ ザムザ
裝作光鮮亮麗地狼狽逃跑 薩薩薩薩 薩姆沙
「現(xiàn)実はもういい」なんて云うなよザムザ おーいえー
現(xiàn)實已經(jīng)受夠什么的 別再說出這種話薩姆沙 懂了嗎——
ザザザザ ザムザ
薩薩薩薩 薩姆沙
「ごめんね ちっとも上手に 生きてあげられなくて」と伝えて
「對不起 沒能好好地為你而活」最后也只能說出這句話
否定形の笑顔でも欲しくて ニンゲン様なりきってる 亡霊
來自您的否定也讓我期待 渴望認(rèn)同卻只算是個 亡靈
自分の弱音に相槌ばかりだった
總是用細(xì)微的聲音軟弱附和著
當(dāng)然 あなたとまともにケンカもできなかった
當(dāng)然 也沒敢下定決心和你吵上一架
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
刺痛刺痛刺痛 『刺痛刺痛刺痛』
ズキンズキンズキン 『ズキンズキン』
刺痛刺痛刺痛 『刺痛刺痛』
ズキズキズキ 『ズキズキズキ』
刺痛刺痛刺痛 『刺痛刺痛刺痛』
ズキ ズキ ズキン
刺痛 刺痛 刺痛
変われ そうにないやいや
改變 看來是做不到的吧
冗談じゃない夢を食べないで ズキズキズキ
被嘲笑時也不曾放下 刺痛刺痛刺痛
小灑落た 絶望を 歌ったったらった
瀟灑唱著 絕望時的歌 啦噠噠啦噠
どうしようもない成れの果てでも ズキズキズキって
縱然是窮途末路時的情感 刺痛刺痛刺痛不斷
いつか愛しい歌になるさ ザザザザ ザムザ
終有一天也能成為被人喜歡的曲調(diào) 薩薩薩薩 薩姆沙
ねえ123で飛んで ザザザザ ザムザ
默數(shù)一二三后離去 薩薩薩薩 薩姆沙
一切合切蹴っ飛ばして ザザザザ ザムザ
拋開一切苦惱飛走 薩薩薩薩 薩姆沙
あとがきで觸れられもしない日々
后記中從未提及過的光明未來
ここで逃げ出したら 本當(dāng)にそうなりそうだ
若是在此刻逃離 便真就如同故事的結(jié)局那般吧
誰だって魂辛辛 ズキズキズキ
任誰都從不甘中竭力忍受 刺痛刺痛刺痛
痛みと怒れる人を喰らったったらった
痛苦和憤懣無論有多少還要咽下 啦噠噠啦噠
だのに何故だろう 今も ズキズキズキって
但又為何 如今仍舊 刺痛刺痛刺痛不斷
林檎をかじるように ザザ ザムザ
像被咬傷的蘋果般 薩薩 薩姆沙
どうしようもない 成れの果てでも ここにいる
縱然是 無可奈何的結(jié)局 我仍在這里
シャガの 花に 毒されても
即便被 蝴蝶花 毒素所侵染
光は1時の 方角にある
光明與希望 永遠(yuǎn)在你的前方
今は尻尾を引き摺りゆけ ザザザザ ザムザ
如今收起狼狽后仍要向前看 薩薩薩薩 薩姆沙
だから「現(xiàn)実はもういい」なんて云うなよザムザ
所以請不要再說「現(xiàn)實已經(jīng)受夠了」這種話薩姆沙
おーけー?
好嗎——?