【GPT機(jī)翻】戰(zhàn)國(guó)小町苦勞譚 (戦國(guó)小町苦労譚)- 113 [千五百七十四年 一月下旬]
書(shū)名 戰(zhàn)國(guó)小町苦勞譚
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作者: 夾竹桃
原作:http://ncode.syosetu.com/n8406bm/
翻譯工具:ChatGPT
*機(jī)器輸出的翻譯結(jié)果UP未做任何修正,僅供試閱。標(biāo)題章節(jié)號(hào)為原翻譯版的順延。*
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千五百七十四年 一月下旬(*原文網(wǎng)頁(yè)序列號(hào) - 130)
元日。新年の挨拶を交わすため、信長(zhǎng)の許を訪ねる者は昨年に比して數(shù)倍にもなっていた。
元日。來(lái)拜訪信長(zhǎng)的人數(shù)比去年多了數(shù)倍,為了交換新年祝福。
混雑を予想して用意された待合所は人で溢れ、待合所に入るにも長(zhǎng)蛇の列を覚悟せねばならない有様であった。
預(yù)料到會(huì)很擁擠,準(zhǔn)備好的等候區(qū)已經(jīng)擠滿人,即使要進(jìn)入等候區(qū)也需要排很長(zhǎng)的隊(duì)。
當(dāng)然そのような狀態(tài)であるため、一人一人に割り當(dāng)てられる時(shí)間は厳しく制限される。簡(jiǎn)潔かつ、必要最小限の言葉で信長(zhǎng)に覚えて貰おうと皆が頭を捻っていた。
當(dāng)然,由于這種狀況,每個(gè)人被分配到的時(shí)間都嚴(yán)格限制。大家都在想方設(shè)法用簡(jiǎn)潔且最必要的話語(yǔ)讓信長(zhǎng)記住他們。
篝火が焚かれているとはいえ、寒風(fēng)吹きすさぶ試練に耐え、ようやく信長(zhǎng)との謁見(jiàn)が葉おうとも、交わせる言葉は定型句の挨拶以外に一言二言に過(guò)ぎない。
盡管篝火熊熊,但在冷風(fēng)中經(jīng)受著考驗(yàn),與信長(zhǎng)見(jiàn)面實(shí)現(xiàn)后,除了一些例行的問(wèn)候外,交流的言辭很少。
挨拶を終えた者が失意にくれながら帰る様を眺めながら、俺はもっと上手くやって見(jiàn)せると野心を燃やす人々の列が何処までも伸びていた。
當(dāng)看到離開(kāi)并陷入失落的人們時(shí),我看到了一排又一排的野心家,他們想要做得更好。
「お茶が美味しいね」
"這茶真好喝。"
元日ともなれば、皆実家に戻っている。いつも騒々しい靜子の屋敷も、この日ばかりは靜寂に包まれていた。
一到元旦,大家都回到了皆實(shí)家。即使是常常喧囂的靜子家,在這一天也沉靜而平和。
事あるごとに騒動(dòng)を起こす市と茶々、初も正月の間は織田家に帰省している。
引起騷動(dòng)的市和茶々,在初正月的時(shí)候也回到了織田家。
侍女や下男たちにも休暇と路銀を與えて帰してしまったため、靜子の邸宅からはすっかり人気(ひとけ)が感じられない。
由于侍女和下男們也獲得了假期和旅行費(fèi)用,因此靜子家已經(jīng)完全沒(méi)有了人氣。
側(cè)仕えが全て出払っているため、何をするにも自分で動(dòng)くしかないのだが、靜子はこれを不便だとは思っていなかった。
所有仆人都出去了,需要的一切都只能自己動(dòng)手,但是靜子并不認(rèn)為這很不便。
囲爐裏でのんびり湯を沸かし、手ずから自分と彩の分の茶を淹れて一服する。
輕松地?zé)粔厮?,為自己和彩泡上一杯茶?/p>
「美濃産の良い茶葉(ちゃよう)を、ご用意いたしました」
"我準(zhǔn)備了美濃產(chǎn)的好茶葉。"
今しがた靜子が使った茶筒を掲げつつ、ポーカーフェイスにどこか得意げな表情を浮かべて返答する。
靜子提著剛剛使用的茶筒,面無(wú)表情卻略帶得意地回答。
彩とも長(zhǎng)い付き合いであるため、僅かな表情の変化を読み取れるようになっていた。
因?yàn)榕c彩相處很久,所以我能夠讀懂她微妙的表情。
味について言及している訳ではなく、このゆったりとした時(shí)間も含めて総評(píng)したのだが、と苦笑しつつも彩らしいと靜子は笑った。
并不是在談?wù)撐兜?,而是總結(jié)包括這讓人感到輕松愉悅的時(shí)光。靜子苦笑著說(shuō),彩則笑稱(chēng)這讓生活更豐富多彩。
出會(huì)った頃に比べると、両名共に身分が高くなり過(guò)ぎた。終始周りに誰(shuí)かしらが侍(はべ)っているため、二人だけで落ち著いて會(huì)話が出來(lái)る時(shí)間など、正月以外にはあり得なかった。
相較當(dāng)初相遇時(shí),兩人的身份已經(jīng)變得越來(lái)越高。由于始終有人侍候,二人很難有閑暇時(shí)光單獨(dú)交流,除了正月幾乎沒(méi)有其他機(jī)會(huì)。
近頃の靜子は信長(zhǎng)の命を受け、家を空けることが多い。一方の彩は、靜子の留守中を預(yù)かるため、蕭と共に家中を取り仕切る必要がある。
最近靜子接到信長(zhǎng)的命令需要常常離家,而彩則需要在靜子不在時(shí)與蕭一起管理府邸。
このため、自然とすれ違い生活をすることとなり、會(huì)話はおろか、下手をすれば一月以上も顔を合わせないということさえあった。
這樣,他們自然而然地錯(cuò)過(guò)了很多時(shí)光,有時(shí)甚至一個(gè)月也無(wú)法碰面。
「なんだか、お正月って感じがするよね」
「感覺(jué)有點(diǎn)像新年一樣呢?!?/p>
余人を交えず、彩と二人で落ち著いて話をする。ただそれだけのことが難しい。今の靜子には年に一回、正月のみに訪れる特別な時(shí)間だった。
他們倆想要安靜地交談,可這卻很困難。對(duì)于靜子來(lái)說(shuō),這是一年中特別的時(shí)光,只有在正月才會(huì)出現(xiàn)。
少し昔を思い返す。今の屋敷とは比ぶべくもない狹い部屋に自分が居て、周りを慶次や才蔵、長(zhǎng)可、彩が囲む。
回想一下過(guò)去的日子。自己當(dāng)時(shí)在一個(gè)狹小的房間里,被景次、才藏、長(zhǎng)可和彩圍繞著。
何を話していたのか思い出せないが、笑い合っていたのは確かだった。昔の方が良かったなどとは言わないが、靜子は隨分遠(yuǎn)くへ來(lái)てしまったような心持ちになっていた。
不記得他們當(dāng)時(shí)談?wù)摿耸裁矗浀卯?dāng)時(shí)都在開(kāi)心地笑。雖然不會(huì)說(shuō)過(guò)去的時(shí)光更好,但靜子覺(jué)得他們都已經(jīng)走得很遠(yuǎn)了。
「なんだか、色んなものが変わっていくよね」
「好像很多東西都在改變呢?!?/p>
「靜子様が何を仰りたいか解りかねますが、貴女様が不要と仰らない限り、私は貴女様のお側(cè)に仕え続けます」
「雖然不知道靜子様?shù)囊馑?,但只要你不覺(jué)得我不必要,我會(huì)一直待在你身邊。」
「……ありがとね」
「……謝謝?!?/p>
彩の飾らない言葉を耳にして、靜子は少しくすぐったいような気持ちになった。それからはどちらも口を開(kāi)くことが無(wú)かったが、無(wú)言の時(shí)を気まずいとは思わなかった。
彩說(shuō)出這句直接的話,讓靜子有些不好意思。此后兩人都保持沉默,但并不覺(jué)得安靜時(shí)光尷尬。
(上様が日ノ本を統(tǒng)一されたら、少しは靜かになるのかな?)
(如果大人能統(tǒng)一日本,就能稍稍平靜下來(lái)吧?)
日ノ本からいくさが消え、世に泰平が齎されれば靜かに暮らせるかも知れない。そんな事を夢(mèng)想しながら、靜子は彩と二人の正月を過(guò)ごした。
坦然面對(duì)并不斷憧憬著通過(guò)消滅戰(zhàn)爭(zhēng)實(shí)現(xiàn)和平,靜子與彩一起度過(guò)了春節(jié)。
一夜明けて、翌日からはいつも通りに戻っていた。家人たちも戻ってきており、前日の靜けさが噓のような喧噪となっていた。
一夜過(guò)去了,第二天就恢復(fù)了平常的生活。家里的人也回來(lái)了,而前一天的靜謐現(xiàn)在變成了嘈雜。
最初の仕事として、まずは信長(zhǎng)へ新年の挨拶を告げに行く。今年からは信忠への挨拶も必要となり、準(zhǔn)備に皆が慌ただしくしていた。
首要的工作是去向信長(zhǎng)拜年。從今年開(kāi)始也需要向信忠拜年,大家忙著準(zhǔn)備。
主君への挨拶を終えても、落ち著いていられる暇などない。三日目にもなると自身の部下や、織田家家中の要人たちも、正月の挨拶に靜子の屋敷を訪れる。
向主君拜過(guò)年之后,也沒(méi)有時(shí)間平靜下來(lái)。到了第三天,自己的部下和織田家的要人們也會(huì)拜訪靜子的住所。
家格が上がったため、出向く必要は無(wú)くなったが、迎える側(cè)になっても大変なのは変わらない。
家格升高了,因此不需要出門(mén)了,但即使成為了接待方,也同樣不容易。
相手に合わせて通す部屋から、著る衣裝まで変える必要があり、事前に蕭と相談していたとは言え、不慣れなのも相俟(あいま)って勝手が分からないでいた。
需要從客人的語(yǔ)調(diào)到穿著的裝扮進(jìn)行變化,雖然和蕭事先商量過(guò),但由于不熟悉,自己也不知道該怎么辦。
それらを済ませると、次は自分の所領(lǐng)にある主な街へ、新年の挨拶を告げに行く必要があった。
完成這些之后,接下來(lái)需要去自己領(lǐng)地中的主要城鎮(zhèn)拜年。
この頃になると慶次が戻っておらずとも、他の面々は靜子邸へと帰參しているため、行事に護(hù)衛(wèi)としてついてくる。
這時(shí)慶次還沒(méi)有回來(lái),但其他人已經(jīng)返回靜子的宅邸,他們將擔(dān)任護(hù)衛(wèi)參加這個(gè)活動(dòng)。
ここまでを萬(wàn)事滯りなく終わらせると一息つけるのだが、その頃には一月も半ばを過(guò)ぎていた。
直到完成以上任務(wù)后才能稍微休息一下,但此時(shí)已經(jīng)過(guò)了半個(gè)月。
元々松の內(nèi)と呼ばれる期間は、『小正月』までの15日とされているため、新年は慌ただしく過(guò)ぎていく。
本來(lái)稱(chēng)為“松之內(nèi)”的時(shí)間段被視為直到“小正月”的第15天,因此新年過(guò)得很快。
「ぐえー、やっと終わった」
“哇,終于結(jié)束了?!?/p>
靜子は文機(jī)に突っ伏していた。未だに進(jìn)物のチェックが殘っているが、それは大した手間ではない。
靜子倚著書(shū)桌。禮物檢查還沒(méi)完成,但這不是非常麻煩的事情。
靜子が新年の挨拶をしている間に、彩と蕭が身分別に整理した資料を準(zhǔn)備してくれていた。
在靜子進(jìn)行新年拜訪時(shí),彩和蕭整理了身份的資料。
後は靜子が內(nèi)容を確認(rèn)し、不足しているところを補(bǔ)うだけとなっていた。書(shū)類(lèi)を確認(rèn)し、追加で何通かの書(shū)を認(rèn)(したた)め、1時(shí)間もすると終わりが見(jiàn)えてきていた。
之后,靜子只需要確認(rèn)文件的內(nèi)容并補(bǔ)充缺失的部分。檢查文件并增加了幾個(gè)頁(yè)面,大約花了一個(gè)小時(shí)就結(jié)束了。
「ふーむ。黒鍬衆(zhòng)を抱えているからか、色々な人が來(lái)ているね」
“嗯,因?yàn)閾碛泻隈斝\(zhòng),所以來(lái)的人很多啊”
光秀や細(xì)川藤孝などの京に拠點(diǎn)を置く有力者や、秀吉を始めとして、柴田に佐久間など織田家譜代の家臣の名が並ぶ。
光秀等京城有力人物如細(xì)川藤孝以及織田家族的家臣如秀吉、柴田與佐久間等人名并列。
最低限のお返しはしているものの、追加で何か贈(zèng)った方が良いと思いながら靜子は書(shū)類(lèi)をめくっている。ふと、靜子は書(shū)類(lèi)とは別に二通の手紙が添えられているのに気が付いた。
靜子雖已做出最低限度的回禮,但她在翻閱文件時(shí),忽然發(fā)現(xiàn)兩封信放在文件之外。
「なんだろこれ?」
"這是什么?"
手に取って見(jiàn)ると一通は前久からのものであり、もう一通は足満からの文だと判った。前久はともかく、足満が手紙を寄越すのは珍しいなと靜子は思う。
她拿起信看到一封是前久寫(xiě)的,另一封是足滿的。在前久的信上,即便是足滿寄信也是罕見(jiàn)的情況。
急ぎならば、直接出向いてくるであろう足満の文を後回しにし、先に前久の文を開(kāi)くことにした。
考慮到足滿若有急事也會(huì)親自來(lái)訪,靜子于是先打開(kāi)前久的信封。
書(shū)かれていた?jī)?nèi)容は、朝廷所有の寶物殿である正倉(cāng)への立ち入りを認(rèn)める旨が記されていた。
信中寫(xiě)有允許進(jìn)入朝廷財(cái)寶庫(kù)"正庫(kù)"的內(nèi)容。
「これは……ふむふむ」
"這個(gè)……嗯嗯"
正倉(cāng)とは時(shí)の朝廷が財(cái)物を保管するために設(shè)けた倉(cāng)であり、現(xiàn)代ではその殆どが焼失してしまっていた。
正庫(kù)是由當(dāng)時(shí)的朝廷為保管財(cái)物而設(shè)立的庫(kù)房,現(xiàn)在大部分都已被燒毀。
かつては南都七大寺にそれぞれ正倉(cāng)が立ち並ぶ區(qū)畫(huà)を塀で囲った『正倉(cāng)院』が存在したが、現(xiàn)存しているのは東大寺正倉(cāng)院の中にある一棟だけとなってしまった。
曾經(jīng),南都的七大寺院都被高墻分隔成不同區(qū)域的"正庫(kù)院",但現(xiàn)在只剩下東大寺正庫(kù)院一棟。
當(dāng)時(shí)の寶物が時(shí)を越えて、今なお良好な狀態(tài)を保っている理由は、高床式の構(gòu)造により濕損や蟲(chóng)害を防げた事が一つ。
寶物經(jīng)歷了時(shí)間的洗禮,但至今仍然保存完好的原因是因?yàn)椴捎昧烁吲_(tái)式的建筑構(gòu)造,可防潮可防蟲(chóng)蛀。
勅封制度で厳重に管理され、みだりに開(kāi)封されなかった事が理由に挙げられる。
它受到勅封制度的嚴(yán)格管理,如此才不會(huì)輕舉妄動(dòng)開(kāi)封。
「流石に時(shí)期は未定か。まあ、當(dāng)然だよね」
"當(dāng)然,目前的時(shí)機(jī)是未確定的。"
厳重に封印され、限られた人の目にしか觸れない正倉(cāng)の寶物を閲覧出來(lái)る権利を得られた背景には、越前での行動(dòng)があった。
得到欣賞文物封印的權(quán)利,這得益于一乘谷行動(dòng)。
靜子自身が意識(shí)しての事ではなかったが、一乗谷にある文物を避難させてから焼き討ちしたという事実は、文化の擔(dān)い手を自稱(chēng)する公家や朝廷にとって大事件であった。
這件事在公家和朝廷人士中引起了轟動(dòng)。雖然靜子自己沒(méi)有意識(shí)到,但將文物移至一乘谷并避免遭到火燒一事,對(duì)文化的支持者來(lái)說(shuō)是重大的事件。
信長(zhǎng)にとって朝倉(cāng)とは幾度も煮え湯を飲まされた存在。その朝倉(cāng)をして、信長(zhǎng)に文物を運(yùn)び出す猶予を願(yuàn)い出て、それを認(rèn)めさせたという事実は重かった。
對(duì)信長(zhǎng)來(lái)說(shuō),朝倉(cāng)是一個(gè)讓他屢次吃過(guò)苦頭的存在。朝倉(cāng)求得瓜田文物暫緩交出的請(qǐng)求被信長(zhǎng)批準(zhǔn),這一事實(shí)具有重要意義。
直接信長(zhǎng)に會(huì)う機(jī)會(huì)の無(wú)い公家達(dá)にとって、信長(zhǎng)とは鬼神の如く恐ろしい存在であり、その信長(zhǎng)を制して文物を保護(hù)する靜子に、公家達(dá)は『文化の守護(hù)者』の姿を見(jiàn)た。
對(duì)于無(wú)法直接見(jiàn)到信長(zhǎng)的公家們來(lái)說(shuō),信長(zhǎng)就像鬼神一樣可怕。公家們看到靜子保護(hù)文物并制約信長(zhǎng),認(rèn)為她是“文化守護(hù)者”。
「いつ許可を頂いても良いように、準(zhǔn)備だけは怠らないようにしないとね」
“為了隨時(shí)可以獲得許可,我們必須準(zhǔn)備充分?!?/p>
朝廷の寶物庫(kù)であるため、容易に開(kāi)かれることはない。それを理解している靜子は、逸る心を抑えつつ、先方の出方を待つことにした。
由于這是朝廷的寶庫(kù),因此不會(huì)輕易開(kāi)放。靜子明白這一點(diǎn),抑制住激動(dòng)的心情,決定等待對(duì)方的回應(yīng)。
靜子は気づいていなかったが、正倉(cāng)への立ち入り許可証に日付が記されていないのには、朝廷の狙いが存在していた。
靜子沒(méi)有意識(shí)到訪問(wèn)正庫(kù)的許可證上沒(méi)有日期,這反映了朝廷的意圖。
もしも靜子が許可証の內(nèi)容に不満を持ち、強(qiáng)権を以て立ち入りを要請(qǐng)すれば、朝廷側(cè)は理由を付けて斷るつもりでいた。
如果靜子對(duì)許可證的內(nèi)容不滿意并采取強(qiáng)制手段要求進(jìn)入,朝廷一定會(huì)找理由拒絕她。
計(jì)らずして寶物を前にしても、利己的に振る舞うことのない理性的な人物とみなされた靜子は、避けておいた足満の文を開(kāi)く。
靜子被視為一個(gè)理性的人,不會(huì)因?yàn)槊鎸?duì)寶物而表現(xiàn)出自私的行為。她打開(kāi)了足滿的信。
「ふーん。剣術(shù)指南役として柳生家の協(xié)力を仰げることになったんだ。わざわざ文で送ってくるから、対立関係にでもなったのかと思ったよ」
“哦,我明白了。我已經(jīng)成為柳生家的劍術(shù)指南了。他專(zhuān)程發(fā)來(lái)這封信,我還以為我們之間會(huì)產(chǎn)生矛盾呢?!?/p>
現(xiàn)在の柳生家は、足満にとって因縁の深い松永久秀に仕えていた。
目前的柳生家為足滿所傾慕的松永久秀效力。
その松永が正月の挨拶として岐阜を訪れた際に、足満は強(qiáng)引に交渉の場(chǎng)を持った。松永は快諾(??)してくれた、と文にはあった。
在新年拜訪岐阜期間,足滿硬生生談成了交易。松永在信中表示無(wú)條件接受。
「貴様には拒否権など無(wú)い。承服するか、いくさ支度をするか、好きな方を選べ」
“你沒(méi)有拒絕的權(quán)利。你可以服從這個(gè)條件,或者準(zhǔn)備好參加戰(zhàn)爭(zhēng),自行決定?!?/p>
「努々(ゆめゆめ)、逃げようなどとは思うなよ? 貴様の一挙手一投足は常に見(jiàn)られていると思え」
“你要認(rèn)為任何時(shí)候都會(huì)有人監(jiān)視你的一舉一動(dòng),所以不要想著逃走?!?/p>
「ここで決斷せずとも構(gòu)わぬが、後日になる程に條件は厳しくなると心得よ」
“你可以不在此時(shí)做出決定,但隨著時(shí)間的推移,條件會(huì)越來(lái)越苛刻,所以請(qǐng)好好考慮。”
「誤解が無(wú)いよう念を押すが、これはわしの一存ではなく、織田殿の意向として伝えておる」
"我再?gòu)?qiáng)調(diào)一下,這不是我個(gè)人的決定,而是繼承自織田殿的意愿。"
「これらを踏まえた上で、可及的速やかに返答を寄越せ」
"在考慮以上因素的基礎(chǔ)上,請(qǐng)盡快回復(fù)。"
「貴様が柳生を惜しんで、返答をせぬと言うのならば、こちらにも考えがある。そう怯えることは無(wú)い。少なくとも國(guó)許までは帰れよう。今は(??)な」
"如果你因?yàn)閼z惜柳生而不回復(fù)的話,我們也有自己的考慮。不需要害怕,至少可以回到國(guó)內(nèi)。現(xiàn)在是(??)。"
このような明らかに恫喝めいた交渉が行われていた。交渉とは名ばかりの、一方的な最後通牒に過(guò)ぎない內(nèi)容を知らない靜子は、柳生家の受け入れについて思案していた。
"這樣明顯的恐嚇?biāo)频慕簧嬲谶M(jìn)行。靜子并不了解這個(gè)所謂的交涉只是單方面的最后通牒,正在思考接受柳生家的事情。"
今の柳生家當(dāng)主は宗厳が務(wù)めている。しかし、當(dāng)の宗厳はいくさからの帰國(guó)途中に落馬し、大怪我を負(fù)っていた。
"現(xiàn)在的柳生家當(dāng)家是宗厳。但是,宗厳在返回故鄉(xiāng)的途中落馬,受了重傷。"
嫡男の巌勝に至っては、辰市城の合戦で負(fù)傷し、介添えが無(wú)くては起き上がれない狀態(tài)であった。
"而繼承人巌勝在辰市城之戰(zhàn)中受傷,不能自行起身。"
後世に於いて柳生新陰流の地位を確立した宗矩(むねのり)も、この時(shí)點(diǎn)では年端もゆかぬ童に過(guò)ぎない。
"后來(lái)成為柳生新陰流地位確定者的宗矩,此時(shí)還只是個(gè)年幼的孩子。"
先祖代々の所領(lǐng)があるため、誰(shuí)を派遣してくるのかと考えると、一抹の不安があった。
"考慮到世代相傳的領(lǐng)地,不知該派遣誰(shuí)前去,讓她有些不安。"
(順當(dāng)にいけば次男の久斎かな? 三男の徳斎は幼少期に出家しているから、まず対象に挙がらないよね。四男の宗章(むねあき)だと、十にも満たない少年……うーん、これは厳しいかなあ)
"(該派遣次子久齋嗎?三子徳齋早年出家了,應(yīng)該不會(huì)被提及。四子宗章還不到十歲……嗯,這可能有點(diǎn)困難。)"
現(xiàn)狀から判斷すると、宗章が元服を迎えるまで待つのが得策だと、靜子は考えた。
"從目前的情況判斷,等宗章元服后再考慮可能是最好的選擇。"
現(xiàn)時(shí)點(diǎn)では満足に指南など出來(lái)る人物が居ない。
"目前沒(méi)有能夠出色指導(dǎo)的人。"
上泉信綱の直弟子であり、柳生宗厳を倒し(諸説あり)、史実では織田信忠や豊臣秀次などに兵法を伝授したとされる疋田(ひきた)景兼(かげとも)も考えたが、今どこにいるかが判らない。
"考慮到上泉信綱的直系弟子,擊敗了柳生宗厳(有多種說(shuō)法),被認(rèn)為教授了兵法給織田信忠和豊臣秀次的疋田景兼,但現(xiàn)在不知身在何處。"
彼が候補(bǔ)に挙がらない理由として、彼の放浪癖が挙げられる。史実では生涯武者修行の姿勢(shì)を貫き、決して一つ所に留まらない流浪の生活を続けていた。
他沒(méi)有被列為候選人的理由是因?yàn)樗辛骼说牧?xí)慣。根據(jù)歷史記錄,他一直保持著武者修行的姿態(tài),過(guò)著漂泊不定的流浪生活。
「流石に剣術(shù)指南役が、武者修行の旅と稱(chēng)して、度々行方(ゆくえ)を晦(くら)ませるのは問(wèn)題だしね」
"當(dāng)然,作為劍術(shù)指南的人,經(jīng)常稱(chēng)為武者修行之旅,卻總是神出鬼沒(méi),這是個(gè)問(wèn)題啊。"
腰を據(jù)えて考える必要があるなと、靜子はため息を吐いた。そんな彼女に、更なる追い打ちをかける事態(tài)が訪れる。
靜子深吸一口氣,意識(shí)到需要靜下心來(lái)仔細(xì)考慮。但在這個(gè)時(shí)候,更加不尋常的情況出現(xiàn)了。
それは一月も末、もう數(shù)日で二月になろうかという時(shí)期のことだった。信長(zhǎng)から呼び出しを受け、靜子は彼の居城である岐阜城へと向かっていた。
故事發(fā)生在月末,距離二月只有幾天。靜子接到信長(zhǎng)的召喚,前往他的居城岐阜城。
城では堀と蘭丸の凸凹コンビが相も変わらず、漫才じみたやり取りをしながら靜子を案內(nèi)する。襖が開(kāi)かれ、靜子の目に飛び込んできた光景に、彼女は及び腰となった。
在城中,堀和蘭丸像往常一樣,一邊說(shuō)笑著一邊帶領(lǐng)著靜子。當(dāng)屏門(mén)被打開(kāi)時(shí),靜子看到的場(chǎng)景讓她不禁退卻了一步。
「よくぞ參った。待ちかねておったぞ」
"終于來(lái)到了。我一直在等你啊。"
靜子は信長(zhǎng)の言葉に驚いた訳ではない。上座におわす信長(zhǎng)を中心に、左右にずらりと重臣達(dá)が揃っている現(xiàn)場(chǎng)を見(jiàn)て、ただ事ではないなと怯んだのだ。
靜子并沒(méi)有因?yàn)樾砰L(zhǎng)的話而感到驚訝。她看到信長(zhǎng)坐在上座,左右兩側(cè)都是重要的臣子,不由得發(fā)抖。
嫡男の信忠を始め、秀吉に光秀、柴田に佐々、前田利家に丹羽長(zhǎng)秀等、錚々たる面子が揃い踏みをしていた。
包括嫡子信忠、秀吉、光秀、柴田、佐々、前田利家和丹羽長(zhǎng)秀在內(nèi)的一眾名將都來(lái)了。
己の場(chǎng)違いさに乾いた笑みを浮かべつつ、靜子は上座のほど近くに用意された席に、恐る恐る座った。
雖然感到自己與這些人格格不入,但帶著干笑的表情,靜子小心翼翼地坐在了上座旁邊準(zhǔn)備好的席位上。
「さて、靜子の到著を以て全員が揃ったな。ようやく話を始められる」
"好了,現(xiàn)在大家都到齊了,我們可以開(kāi)始談了。"
信長(zhǎng)の言葉に全員の表情が引き締まった。信長(zhǎng)が明言せずとも皆が理解していた。これから信長(zhǎng)が告げる內(nèi)容によって、己の進(jìn)退が左右されるということを。
信長(zhǎng)的話讓所有人的表情變得嚴(yán)肅。即使信長(zhǎng)沒(méi)有明確說(shuō)明,每個(gè)人都明白,接下來(lái)的內(nèi)容將決定他們的前途和命運(yùn)。
全員が信長(zhǎng)の言葉を聞き漏らすまいと固唾を飲むが、その様子が面白かったのか信長(zhǎng)は笑みを浮かべつつ口を開(kāi)いた。
所有人都緊緊盯著信長(zhǎng)的嘴巴,聽(tīng)得非常仔細(xì),信長(zhǎng)看到這種情況不禁露出了笑容。
「そう急くでない。まずは朝廷より、面白い勅書(shū)(天皇からの命令書(shū))が屆いた」
「不用著急。首先從朝廷那里收到了一份有趣的詔書(shū)(天皇的命令)」。
その言葉と同時(shí)に、背後に控えていた小姓が動(dòng)き出す。二人の小姓が膳に載せられた勅書(shū)を恭しく捧げ持ち、靜子と光秀の前にそれぞれの膳を置いて下がる。
同時(shí),身后的小姓開(kāi)始行動(dòng)。兩個(gè)小姓恭敬地把膳上的詔書(shū)捧給了靜子和光秀,然后退下來(lái)。
靜子は視線だけを光秀へ向けるが、彼も同じことを考えていたのか、はからずして二人で見(jiàn)つめ合う恰好となった。
靜子只望向光秀,但他也在想同樣的事情,不由自主地對(duì)視了一下。
二人の行動(dòng)をよそに、信長(zhǎng)は顎で靜子を促した。読め、という事だろうと察した靜子は、勅書(shū)の中身を検める。
盡管有兩人在進(jìn)行著行動(dòng),但信長(zhǎng)用下顎示意靜子閱讀。明白這是讓她閱讀詔書(shū)內(nèi)容的靜子,開(kāi)始檢查詔書(shū)的內(nèi)容。
「帝(みかど)が、その方ら二人に蕓事の保護(hù)を任せたいそうだ」
「天皇想把藝術(shù)保護(hù)的責(zé)任委托給你們兩個(gè)人」。
獨(dú)特の難解な言い回しに四苦八苦している靜子を見(jiàn)て、信長(zhǎng)が勅書(shū)の內(nèi)容を要約して語(yǔ)った。
靜子不得不艱難地理解獨(dú)特而復(fù)雜的措辭,但信長(zhǎng)簡(jiǎn)要地總結(jié)了詔書(shū)的內(nèi)容。
新たな役職を設(shè)け、朝廷が後援するから、日ノ本各地に散らばっている蕓術(shù)品や、職人たちの保護(hù)をせよとの內(nèi)容だった。
詔書(shū)提議成立一個(gè)新的職位,由朝廷支持,并要求保護(hù)散落在日本各地的藝術(shù)品和手工藝人。
形式上は命令だが、斷る事も可能という、懇願(yuàn)に近い內(nèi)容であった。朝廷の寶物を預(yù)かる東大寺でさえ、過(guò)去に二度の焼き討ちに遭っている。
在形式上,這是一項(xiàng)命令,但實(shí)際上可以拒絕。即使是東大寺,保管朝廷寶藏的機(jī)構(gòu),也曾兩度遭受火災(zāi)。
勿論、寶物を狙っての焼き討ちではなかったが、仏教の総本山の一つに數(shù)えられる東大寺ですら安全ではない。
當(dāng)然,這并不是為了爭(zhēng)奪貴重物品而發(fā)生的火災(zāi),但甚至被視為佛教的總本山之一的東大寺也不安全。
特に松永久秀と三好三人衆(zhòng)が繰り広げた、東大寺大仏殿の戦いは公卿たちの心膽を寒からしめるのに十分であった。
特別是由松永久秀和三賢將軍引發(fā)的東大寺大佛殿之戰(zhàn),足以讓公卿們感到震驚。
「面白いので、靜子が引き受けよ。キンカンはその様な事にかかずらうな。貴様には別の仕事を申し付ける」
「因?yàn)槭虑楹苡腥?,所以由靜子來(lái)負(fù)責(zé)。金菊不要涉足這種事情,我會(huì)讓你完成其他工作」。
「はっ、承知致しました」
「好的,我明白了」。
勅書(shū)こそ渡されはしたものの、結(jié)局は信長(zhǎng)が方針を決定した。
盡管贈(zèng)送了詔書(shū),但最終決策還是由信長(zhǎng)做出的。
信長(zhǎng)の言葉から、勅書(shū)には靜子と光秀のどちらかが受けてくれさえすれば良いと、書(shū)かれていたのだと言う事を理解した。
從信長(zhǎng)的話中可以理解,詔書(shū)上只是寫(xiě)著如果靜子或光秀中的任何一人愿意接受這個(gè)任務(wù),就可以了。
今や武家の頂點(diǎn)に立ち、天下に一番近い位置にいる織田家の威光と、地方を纏める寺社たちの力を合わせれば、文物の保護(hù)が出來(lái)ると朝廷は考えたのだろう。
現(xiàn)在,朝廷認(rèn)為如果把織田家的威光和地方上的寺社之力結(jié)合起來(lái),就可以保護(hù)文物??椞锛椰F(xiàn)在是武家的頂點(diǎn),處于距離天下最近的位置。
(ふむ……)
(嗯……)
しかし、この話を受けたところで信長(zhǎng)に利益が無(wú)いことが腑に落ちない。蕓事にも理解を示すとは言え、信長(zhǎng)はそこまで文蕓に入れ込んでいる訳ではない。
然而,信長(zhǎng)覺(jué)得接受這個(gè)提議對(duì)他沒(méi)有好處。他對(duì)文藝也有一定的理解,但并不會(huì)過(guò)分去關(guān)注它。
何処に信長(zhǎng)の琴線に觸れる要素があったのか、そこを抑えておかないと信長(zhǎng)の期待を裏切ることになる。信長(zhǎng)が自ら明かさない以上、自分でその胸の裡を推測(cè)するより他にない。
如果找不到能觸動(dòng)信長(zhǎng)心弦的東西,就無(wú)法滿足他的期望。既然信長(zhǎng)不會(huì)披露自己的內(nèi)心,那么只能自己去推測(cè)。
(…………あ、分かったかも)
(…………啊,我可能知道了。)
信長(zhǎng)が柴田と話している間中、ずっと靜子は沈思黙考していた。幾つか推論は浮かんだが、確信を得られずにいたところ、信長(zhǎng)が漏らした『茶器』という単語(yǔ)を、靜子の耳は拾い上げた。
當(dāng)信長(zhǎng)與柴田交談時(shí),靜子一直在沉思默考。她想到了幾個(gè)推論,但沒(méi)有確信的答案。然而,當(dāng)她聽(tīng)到信長(zhǎng)說(shuō)出“茶器”這個(gè)詞,她立刻明白了。
欠けていたパズルのピースが揃う。靜子は全てを理解した。
所有的疑點(diǎn)都瞬間消除了。靜子明白了所有事情的真相。
(文物の保護(hù)となれば、當(dāng)然茶器もその対象に含まれる。帝の勅命で文蕓の調(diào)査をしていると言えば、この要請(qǐng)を突っぱねることは出來(lái)ない。上様が気に入れば、持ち主には期限を定めない借用書(shū)と、協(xié)力に対する感狀が屆けられるんだろうね)
(如果說(shuō)是保護(hù)文物的話,那么茶器當(dāng)然也會(huì)被包括在內(nèi)。如果說(shuō)是帝王的命令去調(diào)查文藝的話,那么無(wú)法拒絕這個(gè)請(qǐng)求。如果上級(jí)滿意的話,持有者會(huì)收到一份無(wú)期限借用書(shū)和一份協(xié)助感謝狀。)
飛ぶ鳥(niǎo)を落とす勢(shì)いの織田家に加え、衰えはしたものの決して侮れない朝廷が手を組んだ。武力では織田家に劣り、大義名分すら相手にある。
織田家雖然力量強(qiáng)大,但武力不如其他對(duì)手,甚至沒(méi)有大義名分。
この狀態(tài)でいくさを仕掛けるなど愚の骨頂。協(xié)力の要請(qǐng)とは名ばかりの、徴発行為に他ならないが、逆らえば『朝敵』として後世に名を殘すことになる。
在這種情況下,發(fā)動(dòng)戰(zhàn)斗等行為是徒勞的。他們會(huì)以征收行為的名義來(lái)請(qǐng)求合作,但如果反抗的話,就會(huì)被稱(chēng)為“叛逆者”留名青史。
(上様の狙いは判ったけど、最初から力業(yè)に頼ると反発が怖いから、まずは穏便に進(jìn)めよう。近衛(wèi)様や細(xì)川様のご助力を願(yuàn)おうかな?)
(雖然我理解上級(jí)的意圖了,但因?yàn)楹ε聦?duì)抗而憑借力量行事并不是一個(gè)好主意。首先我們應(yīng)該采取和平方式。我該請(qǐng)求近衛(wèi)或細(xì)川的協(xié)助嗎?)
大義がこちらにあるとは言え、最初から喧嘩腰で挑む理由もない。強(qiáng)権に頼るのは最終手段にしよう、そう結(jié)論付ける靜子だった。
雖然我們的大義在此,但毫無(wú)理由地以挑釁的態(tài)度開(kāi)始是不明智的。靜子得出結(jié)論要最終訴諸強(qiáng)權(quán)。
靜子が一人で頷(うなず)いていると、信長(zhǎng)が柴田の処遇を発表した。北陸に巣くう最後の敵、加賀一向宗の討伐に際し、柴田勝家を総大將に任じた。
當(dāng)靜子點(diǎn)頭表示同意時(shí),信長(zhǎng)公布了對(duì)柴田的處理。他被任命為北陸最后一位敵人加賀一向宗的總指揮官。
柴田が率いる北陸方面軍の陣容は、秀吉や佐々、前田利家に不破光治らを與力として付けられていた。この織田家內(nèi)でも有數(shù)の軍勢(shì)を以て、北陸を平らげろと命じられていた。
柴田領(lǐng)導(dǎo)的北陸方面軍規(guī)模龐大,由秀吉、佐佐、前田利家和不破光治等得力助手組成。他們被指揮去征服北陸。
この人事から、北陸を任されるのは柴田であると確定した。家臣達(dá)の出世爭(zhēng)いでは、柴田が一歩先んじた形となる。
這次人事變動(dòng)確認(rèn)了柴田成為北陸的領(lǐng)袖。在家臣們的升遷競(jìng)爭(zhēng)中,柴田已經(jīng)領(lǐng)先。
栄達(dá)に興味がない靜子を除く、他の重臣たちは、ことの重大さを理解していた。
除了不對(duì)栄達(dá)感興趣的靜子之外,其他的重臣都理解了事態(tài)的重要性。
(ここは、史実通りなんだ)
(這是歷史事實(shí))。
史実では、柴田勝家が1580年11月17日に加賀國(guó)を平定し、実に90年もの間、幾度も繰り返された一揆の歴史に終止符を打った。
歷史上,柴田勝家于1580年11月17日征服了加賀國(guó),結(jié)束了經(jīng)歷了多次暴動(dòng)的一揆的歷史達(dá)90年之久。
今回の場(chǎng)合も柴田が平定の任を受けたが、史実とは社會(huì)情勢(shì)が異なっていた。
在這次事件中,柴田負(fù)責(zé)平定任務(wù),但社會(huì)形勢(shì)與歷史有所不同。
史実では上杉謙信が加賀國(guó)まで進(jìn)出し、柴田は手取川の戦いに於いて謙信に煮え湯を飲まされることとなる。
歷史上,上杉謙信攻占了加賀國(guó),柴田在手取川之戰(zhàn)中被迫接受失敗。
然るに、現(xiàn)狀では上杉家とは同盟を結(jié)んでおり、情勢(shì)を鑑みても裏切りに遭う可能性は極めて低い。越前には光秀が陣取り、彼は加賀一向宗の退路を斷つことを任されていた。
然而,目前與上杉家結(jié)盟,考慮到形勢(shì),受到背叛的可能性極低。光秀在越前陣地,他的任務(wù)是切斷加賀一向宗的退路。
これらを踏まえると、加賀一向宗には最初から勝ち目など存在しない。武裝解除し、信長(zhǎng)の支配を受け入れるか、それとも全滅するまで戦うかのどちらかしか道はなかった。
可以看出,加賀一向宗從一開(kāi)始就沒(méi)有勝出的可能;只有放棄武裝并接受信長(zhǎng)的統(tǒng)治,否則就只有戰(zhàn)斗到全軍覆沒(méi)的結(jié)局。
「見(jiàn)事、大役を果たしてご覧に入れましょうぞ」
“讓我們一起見(jiàn)證他所扮演的偉大角色。”
「決して、こちらから攻め込むでないぞ。ひたすら奴らを挑発し、奴らが攻めてきたという大義を得て後(のち)、反撃せよ」
"我們絕不會(huì)主動(dòng)進(jìn)攻。只是挑起他們的憤怒,等到他們攻擊我們后,再反擊。"
これは壯絶な我慢比べであった?,F(xiàn)在信長(zhǎng)は本願(yuàn)寺と和平を結(jié)んでおり、この間に他の本願(yuàn)寺派が信長(zhǎng)を攻撃した場(chǎng)合、石山本願(yuàn)寺は黙ってみているしかない。
"這是一場(chǎng)激烈的忍耐比賽。目前信長(zhǎng)已經(jīng)與本願(yuàn)寺達(dá)成和平協(xié)議,如果其他本願(yuàn)寺派別在這期間攻擊信長(zhǎng),石山本願(yuàn)寺只能默不作聲。"
加賀一向宗が先に信長(zhǎng)に仕掛けたという體裁さえあれば、石山本願(yuàn)寺は一兵たりとも動(dòng)かすことが許されない。
"只要讓別人認(rèn)為加賀一向宗先向信長(zhǎng)發(fā)起了攻擊,石山本願(yuàn)寺就不能動(dòng)一兵一卒。"
和平の約定に反すれば、それ自體が信長(zhǎng)に石山本願(yuàn)寺攻めをさせる大義名分となってしまう。
"如果違反和平協(xié)定,那就會(huì)成為信長(zhǎng)攻打石山本願(yuàn)寺的正當(dāng)理由。"
「貴様の思うように攻めてみよ」
"按照你想的那樣去攻擊吧。"
信長(zhǎng)は敢えて柴田に具體的な方針を示さなかった。信長(zhǎng)は柴田に北陸の統(tǒng)治及び、謙信の抑え役を擔(dān)わせる心づもりであった。
"信長(zhǎng)故意沒(méi)有給柴田具體的方針。他打算讓柴田負(fù)責(zé)北陸的治理和兼任謙信的遏制。"
その為には、そろそろ全てを自分で考えて動(dòng)ける必要があると判斷したのだ。
"為此,他認(rèn)為柴田必須開(kāi)始自己思考并采取行動(dòng)。"
信長(zhǎng)が柴田に試練を課したのは、柴田がどちらかと言えば指示待ちタイプの武將であるためだ。
"信長(zhǎng)給柴田設(shè)置考驗(yàn)是因?yàn)椴裉锔鼉A向于等待指令的武將。"
彼は信長(zhǎng)という主君を抱くからこそ、100の力を発揮するタイプであった。主命を受ければ躊躇なく前に進(jìn)めるが、自身が考えるとなると判斷が出來(lái)ないでいた。
"他是那種只有擁護(hù)信長(zhǎng)這個(gè)主君才能發(fā)揮全力的類(lèi)型。一旦接到命令,他就勇往直前,但如果要自己考慮,他就無(wú)法做出決定。"
しかし、北陸を任せるにはそれではいけない。信長(zhǎng)の目が行き屆かない以上、柴田は自分で考えて判斷し、その場(chǎng)に応じた対策を取らねばならない。
"但是,如果他要負(fù)責(zé)北陸,光是那樣是不夠的。除非信長(zhǎng)能夠像自己那樣全面照顧,否則柴田必須自己思考和決策,并根據(jù)情況采取措施。"
この加賀一向宗征伐は、柴田が北陸を治めるに足るかを見(jiàn)極める、試金石となる。
"這場(chǎng)征討加賀一向宗的戰(zhàn)爭(zhēng)是柴田是否能夠治理好北陸的試金石。"
「はっ! 必ずや朗報(bào)をお屆け致します!」
"明白!我一定會(huì)帶來(lái)好消息的!"
「此度の采配に言いたい事もあろう。しかし、今は北陸平定に注力するのだ。ここを崩せば、殘る拠點(diǎn)は紀(jì)伊のみよ。貴様らは、そちらで手柄を立てるが良い」
"雖然此次決策可能會(huì)有不滿,但現(xiàn)在我們要專(zhuān)心于平定北陸。如果在這里失誤了,我們就只剩下紀(jì)伊一地了。你們可以在那里立功。"
「ははっ!」
"哈哈!"
真っ先に柴田が応じ、秀吉や光秀たちもそれに倣って平伏した。彼らの様子に信長(zhǎng)は満足げに頷く。
最先響應(yīng)的是柴田,秀吉和光秀也跟著平伏。信長(zhǎng)滿意地點(diǎn)了點(diǎn)頭。
「靜子。貴様には獨(dú)斷で動(dòng)く裁量を與える。この世の誰(shuí)しも、貴様の動(dòng)きには注意を払わずにはおられまい。敢えて貴様を自由にさせることで、場(chǎng)を掻き亂すことが出來(lái)るやもしれぬ」
"靜子啊,我給你自行決斷的自由。任何人都不會(huì)忽視你的行動(dòng)。放手讓你行動(dòng),或許可以搞亂場(chǎng)面?!?/p>
「は、ははっ」
"哈,哈哈"
靜子は信長(zhǎng)の言に面食らった。いわば白紙委任狀を託されたに等しい。信長(zhǎng)の指示を仰がずとも、靜子の判斷で軍を動(dòng)かすことが可能となる。
靜子吃了一驚,這等于是授予了她一張空白委任狀。即使不遵循信長(zhǎng)的指示,靜子也能夠根據(jù)自己的判斷行動(dòng)軍隊(duì)。
靜子の性格上、織田家にとって不利益となることはしないという信頼の証とも言えた。単獨(dú)部隊(duì)でも目覚ましい戦果を挙げる靜子軍が遊撃に回る。
從靜子的性格上看,這也可以看作是對(duì)織田家的信任。即使只有單獨(dú)的部隊(duì),靜子軍也能在游擊戰(zhàn)中取得巨大的成果。
これ程、敵対勢(shì)力にとって厳しいことは無(wú)い。局面を一手でひっくり返す『鬼札』が、見(jiàn)えない場(chǎng)所に伏せられているのだ。
對(duì)敵對(duì)勢(shì)力來(lái)說(shuō),沒(méi)有比這更為嚴(yán)峻的事情了。'鬼牌'可以在看不見(jiàn)的地方反轉(zhuǎn)局面。
名にし負(fù)う靜子軍が姿を見(jiàn)せないというだけで、敵に圧力を掛け続けることが出來(lái)る。
只要名聲顯著的靜子軍消失不見(jiàn),就可以對(duì)敵方施加壓力。
(靜子の縛りを解けば、家臣共は挙(こぞ)って協(xié)力を要請(qǐng)に動(dòng)こう。まずは家中の諍いを取り仕切る手腕を見(jiàn)せて貰おう)
(一旦解除了靜子的約束,家臣們將會(huì)挺身而出協(xié)助。首先要看到她處理家中紛爭(zhēng)的手段。)
あえて靜子を自由にした理由。それは、この場(chǎng)に居合わせた野心溢れる家臣達(dá)の動(dòng)きを見(jiàn)る狙いもあった。
讓靜子自由的原因是,觀察到場(chǎng)上充滿野心的家臣們的動(dòng)向。
今は互いに牽制し合い、口にこそ出さないものの、目は雄弁に語(yǔ)っていた。秀吉や光秀、それに柴田までもが如何にして靜子を自陣営に取り込むかを、虎視眈々と狙っている。
秀吉、光秀和柴田等人,默默觀察著如何把靜子納入自己的陣營(yíng)。
(さて、こ奴らの舵取りが出來(lái)るか否か、それ次第で國(guó)を任せられるかが判る。靜子を餌に皆が動(dòng)き、どう転んだところでわしに損はない。ふふっ。鬼が出るか、蛇が出るか、結(jié)果を楽しませてもらおう)
(那么,取決于他們是否能夠操縱局面,決定是否將國(guó)家交給他們。所有人被靜子吸引,不管結(jié)果如何,我都不會(huì)受到損失。嘿嘿,看看究竟是鬼在出,還是蛇在出,讓我們享受結(jié)果吧。)
信長(zhǎng)や柴田たちの思いを他所に、靜子は暢気にも、どうやって文物を保護(hù)しようかと思案していた。
忽視信長(zhǎng)和柴田等人的想法,靜子閑逸地思考如何保護(hù)文物。
皆が落ち著きを取り戻した頃合いを見(jiàn)計(jì)らい、信長(zhǎng)が再び口を開(kāi)いた。
在所有人恢復(fù)平靜之后,信長(zhǎng)再次開(kāi)口。
北陸に続いて、信忠に東國(guó)征伐の総大將を命じる。
緊隨北陸,命令信忠成為東國(guó)征討的總指揮官。
もはや、かつての勢(shì)いはないとはいえ、未だに強(qiáng)國(guó)として存在を示す武田。そして武田や上杉と伍すると言われ、未だに旗幟を鮮明にしない北條。
武田雖然已經(jīng)失去了曾經(jīng)的勢(shì)力,但仍被看作是一個(gè)強(qiáng)國(guó),并與上杉合作,而北條尚未明確自己的立場(chǎng)。
本來(lái)ならば三竦(すく)みの狀態(tài)だが、上杉を取り込んだことで天秤は大きく織田へと傾いた。
本來(lái)應(yīng)是三足鼎立的狀態(tài),但因?yàn)槿〉昧松仙嫉闹С?,天平大幅向織田方傾斜。
ここまでお膳立てを整えれば、信忠が後継者となるに相応しい武勲でありながら、命を落とす危険性は格段に低くなる。
如此一來(lái),準(zhǔn)備就緒,信忠就能成為合適的繼承人,而且死亡風(fēng)險(xiǎn)也明顯降低。
「東國(guó)征伐の任、承りましてございます」
“我接受東國(guó)征討這個(gè)任務(wù)?!?/p>
武田や北條と言った列強(qiáng)に怯えることなく、信忠は堂々たる態(tài)度で拝命する。一廉(ひとかど)の武將としての片鱗を見(jiàn)せ始めた信忠に、信長(zhǎng)は頼もし気な笑みを浮かべた。
信忠毫不害怕列強(qiáng)如武田和北條,以一位優(yōu)秀武將的風(fēng)度冷靜地接受任務(wù)。信長(zhǎng)面露放心的微笑。
その後、各自準(zhǔn)備を怠るなという信長(zhǎng)の言葉で、場(chǎng)は締め括られた。
隨著信長(zhǎng)的話語(yǔ),“各自準(zhǔn)備不要怠慢”,會(huì)議結(jié)束了。
真っ先に靜子に聲を掛けたのは信忠だった。彼は用事も終わったし、早々に退散しようとしていた靜子を見(jiàn)つけ、有無(wú)を言わさずに引っ張り込んだ。
首先找到靜子的是信忠。他找到已經(jīng)完成任務(wù)并準(zhǔn)備離開(kāi)的靜子,毫不客氣地把她拉了進(jìn)去。
「間者を貸して欲しい?」
“能借給我間諜嗎?”
機(jī)先を制して用件を告げる信忠に、胡亂(うろん)げな視線を向けつつ、彼女は信忠の言葉をオウム返しに口にした。
在信忠急于展示誠(chéng)意的時(shí)候,她不情愿地把他的話原樣復(fù)述。
「うむ。先だって東國(guó)出身の武將を取り込んだのであろう? なんと言ったか……」
“是啊。你不是最近招募了一個(gè)東國(guó)出身的武將嗎?他叫什么來(lái)著......”
「もしかして真田家の事かな?」
“你是說(shuō)真田家嗎?”
「そうそう、その真田何某(なにがし)だ。借りたいとは言ったが、俺が運(yùn)用する訳ではない。真田何某に率いて貰い、噂を流して欲しい」
“是的,那個(gè)真田某某。我只是借用,不是由我來(lái)調(diào)動(dòng)。請(qǐng)真田某某率領(lǐng)間諜隊(duì),散布一些謠言?!?/p>
「……何となく狙いは読めたけど、君の口から正確に教えて欲しいかな?」
“......我有些明白你的意圖,但我希望你能準(zhǔn)確地告訴我?!?/p>
噂を流すという時(shí)點(diǎn)で、靜子は信忠が何をしたいのかを察していた。
在散布流言時(shí),靜子就已經(jīng)猜到了信忠想做什么。
信長(zhǎng)は得てして言葉が足りず、彼の胸の裡を探る事に慣れた結(jié)果、信長(zhǎng)が皆まで語(yǔ)らずとも意図するところを酌(く)めるようになっていた。
信長(zhǎng)通常話不多,熟悉他內(nèi)心的人會(huì)領(lǐng)會(huì)到他的意圖,即使他沒(méi)有說(shuō)出口。
しかし、靜子の察しが良いことに胡坐(あぐら)をかき、信長(zhǎng)は靜子以外には到底理解出來(lái)ない大雑把な指示を出すようになった。
然而,由于靜子太過(guò)敏銳,信長(zhǎng)開(kāi)始向她之外的人發(fā)出粗略的指示,他們無(wú)法理解。
噛んで含めるようにとは言わないが、せめて必要最低限の指示が欲しいと思う靜子であった。
靜子并不想被咀嚼和含蓄,但至少希望得到最基本的指示。
「狙いは単純。民の心を武田から離す。いくさに當(dāng)たっては、現(xiàn)地の民が協(xié)力的であるかが狀況を左右する。元より有利な狀況ではあるが、なればこそ更に優(yōu)位を揺るぎなきものにするべく一手を講じる」
“目的很簡(jiǎn)單。即使在作戰(zhàn)中,當(dāng)?shù)鼐用竦暮献饕庠笗?huì)左右局勢(shì)。雖然本來(lái)就有優(yōu)勢(shì),但我們會(huì)通過(guò)一系列措施進(jìn)一步鞏固優(yōu)勢(shì)。”
「敵地に浸透して、離反工作をするとなると相當(dāng)に時(shí)間が掛かるけど、それは織り込み済みと考えて良いんだよね?」
“潛入敵境并進(jìn)行叛變工作需要相當(dāng)長(zhǎng)的時(shí)間,但這是預(yù)計(jì)內(nèi)的?!?/p>
「當(dāng)然だ。じっくりと腰を據(jù)え、徹底的にやる。勝頼が民に施しをしようとも、何か裏があるのでは? と疑心を抱くほどにな」
“當(dāng)然了。我們會(huì)穩(wěn)扎穩(wěn)打,徹底地做好準(zhǔn)備。即使獲得勝利,勝須也會(huì)遭到民眾猜疑,我們需要高度警惕。”
信忠の作戦は、単純だが効果が高い。基本的に武士は何も生み出さない。作物を育てる民の心が離れれば、如何に軍事力があろうとも、いくさをしているどころではなくなる。
信忠的戰(zhàn)略很簡(jiǎn)單但非常有效。基本上,武士不生產(chǎn)什么。如果讓種植作物的民心離散,即使有多么強(qiáng)大的軍事力量也無(wú)濟(jì)于事。
顕著な例として、史実での『長(zhǎng)久手の戦い』に於ける家康の行動(dòng)がある。家康は村々の長(zhǎng)に対して妻子を人質(zhì)に差し出させ、池田軍に內(nèi)通されないよう対策を取った。
反映這一現(xiàn)象的一個(gè)顯著例子是歷史上的“長(zhǎng)久手之戰(zhàn)”。家康讓村長(zhǎng)交出妻子和孩子作為人質(zhì),防止與池田軍通敵。
これは徳川?織田信雄連合軍が地元の民から嫌われていたことが原因とされる。
這是因?yàn)榈麓?織田信雄聯(lián)合軍惹惱了當(dāng)?shù)鼐用瘛?/p>
民の心が離れれば、それによる利敵行為を防ぐために、更なる苛烈な措置を取らざるを得ず、悪循環(huán)に陥っていく。
如果民心離散,為了避免敵人獲利,必須采取更加殘酷的措施,從而陷入惡性循環(huán)。
史実での信忠は、僅か一月ほどで甲斐を攻め滅ぼしているが、これも勝頼が民たちから疎まれ、為政者を挿(す)げ替えるべく動(dòng)いたためと言われている。
根據(jù)歷史記錄,信忠僅用了約一個(gè)月的時(shí)間就攻占了甲斐。據(jù)說(shuō)這是因?yàn)閯兕m被民眾所不滿,為了更換治政者而采取行動(dòng)。
民たちは積極的に織田軍を招き入れ、武田軍の內(nèi)情を報(bào)せ、村や田畑を焼いてまで織田に降った。
民眾積極地邀請(qǐng)織田軍進(jìn)入,并報(bào)告武田軍的內(nèi)情,甚至燒毀村莊和田地,最終向織田軍投降。
民心が離れたことで、防衛(wèi)側(cè)が焦土作戦を受けるという屈辱的な情勢(shì)を生み、短期決著を促した。
因?yàn)槊裥碾x散,防御方被迫采取焦土策略,這是一種屈辱的情況,加速了短期解決的過(guò)程。
「そこまでするとなると、勝頼の問(wèn)題點(diǎn)を突いて、家臣達(dá)への求心力を地に落とす必要があるね。まあ、今でも既に嫌われているし、武田家の家督相続に関する教育も受けていないから、譜代の臣に軽んじられているよね……そういう意味では、少し哀れだね」
"如果要做到那樣,就需要抓住勝頼的問(wèn)題并降低對(duì)家臣的忠誠(chéng)度。嗯,他現(xiàn)在已經(jīng)不受歡迎,而且沒(méi)有接受與繼承武田家家督相關(guān)的教育,所以他受到譜代臣子的輕視......就這個(gè)意義而言,他有點(diǎn)可憐。"
勝頼の辿った人生の足跡を知る靜子は、そうひとりごちた。武田信玄の四男ではあるが、庶子であったため、勝頼は兄弟の中で唯一母親の生家である、諏訪家の名跡を継いでいる。
靜子了解了走過(guò)的人生道路,知道勝頼是武田信玄的四兒子,但由于是私生子,勝頼繼承了母親的家族——諏訪家的家名。
武田を名乗れぬがために、家臣達(dá)から軽んじられ続け、成人後も武田家直系の男子には必ず與えられる『信』の字を授かれなかった。
由于無(wú)法使用武田的名字,因此被家臣視為低賤,成年后也沒(méi)有被授予像所有武田直系男孩一樣必須得到的“信”字。
この沙汰に勝頼が大きな不満を抱いていた可能性があるが、信玄や譜代の重臣たちはそれを黙殺した。
勝頼可能對(duì)這種說(shuō)法感到不滿,但信玄和譜代重臣們將其置之不理。
信玄亡き後、武田家の當(dāng)主となった勝頼だが、最初から中継ぎ當(dāng)主扱いであった。更に甲斐守護(hù)職や、大膳大夫などの官位が、勝頼には一つも與えられなかった。
在信玄去世后,勝頼成為武田家的家主,但一開(kāi)始就被視為代理家主。此外,它也沒(méi)有被授予任何職位,例如甲斐守護(hù)職或太守等。
いくさに於いても風(fēng)林火山、武田菱などの武田家を象徴する旗の使用も禁じられた。そのため一門(mén)衆(zhòng)や御親族衆(zhòng)、譜代の重臣たちは勝頼を更に侮った。
在戰(zhàn)斗中,武田家的象征旗幟,如風(fēng)林火山和武田菱等,被禁止使用。因此,一門(mén)衆(zhòng),御親族衆(zhòng)和譜代重臣們更加輕視勝頼。
率先して勝頼の言いつけに背き、勝頼の政策を無(wú)視した獨(dú)斷に走る。その結(jié)果、良い成果が出れば手柄を己のものとし、悪ければ勝頼のせいにした。
先行違背勝利的命令,自作主張無(wú)視勝利的政策。如果有好的成果,就把功勞歸于自己,如果糟糕,就怪罪于勝利。
武田家の家督を継ぐ教育を施されぬまま、信頼できる?yún)⒅\や腹心を得られぬまま、武田家の家督を継いだ。
在沒(méi)有接受武田家繼承教育的情況下繼承了武田家的家督,也沒(méi)有得到信賴(lài)的參謀和心腹。
この為、諏訪家からは「武田の人間」として距離を置かれ、武田家からは「諏訪の人間」として一段低く見(jiàn)られていた。
因此,被諏訪家看作是“武田家的人”,而從武田家的角度看,被看成是“諏訪的人”。
形式上とは言え、主君を主君とも思わない家臣達(dá)を纏めることが出來(lái)ず、信玄亡き後の武田家の凋落を決定づけた、愚將として名を殘している。
雖然形式上是家臣,但不能將主君視為主君,無(wú)法統(tǒng)合家臣們。因此,被稱(chēng)為面對(duì)信玄死后的武田家衰落的愚將。
「先代が偉大であったがための不遇には同情するが、手加減はせぬ」
“我可以同情因先代偉大而遭受不幸的人,但不會(huì)手下留情。”
「……まあ、そうだよね」
“......是啊。”
史実以上に過(guò)酷な道を歩み始めている勝頼だが、それでも武田家の家督を継いだ以上、手を緩めることは出來(lái)ない。
雖然勝利開(kāi)始走著比歷史更加艱難的道路,但既然繼承了武田家的家督,就不能放松警惕。
武田家を討つことで初めて、織田家は武家の頂點(diǎn)を名乗れるのだから。
只有通過(guò)擊敗武田家,織田家才能成為武家的頂點(diǎn)。
「三年、いや二年かな? 豪商たちにも武田家が素性を隠して商いを持ちかけて來(lái)るだろうけど、構(gòu)わず取引しても良いって通知をしておくね」
“三年,或許兩年吧?即使武田家隱藏了自己的身份和商業(yè)交易接觸,我們也可以交易。我們應(yīng)該通知豪商們?!?/p>
「それでは武田が力を取り戻してしまうのではないか?」
“那么,武田家會(huì)恢復(fù)力量嗎?”
「ある程度の力は戻るでしょうね。でも、功を焦る勝頼は軍備拡張を強(qiáng)行しようとするんじゃないかな? その軍備を買(mǎi)い付ける資金は何処から調(diào)達(dá)すると思う? 順當(dāng)に考えれば領(lǐng)民から更に徴収するしかないよね。今の武田家の戦力じゃ、他國(guó)に攻め入る余裕なんてないからね」
“他們會(huì)恢復(fù)一定的力量。但是狂妄自大的勝利會(huì)試圖強(qiáng)制擴(kuò)大軍備。從哪里獲得軍備購(gòu)買(mǎi)資金?從正常的考慮來(lái)看,只有向領(lǐng)民征收更多的稅款。以目前武田家的戰(zhàn)力,沒(méi)有余裕攻擊他國(guó)?!?/p>
出來(lái)たとしても國(guó)境付近を少々掠め取る程度が関の山だろう。しかし、それをすれば僅かばかりの利益と引き換えに、他國(guó)の恨みを買(mǎi)うだけだ。
即使可以,也只能搶奪邊境地區(qū)的小部分。然而,僅僅為了微薄的收益而引起他國(guó)的不滿是不值得的。
今の武田家には、所領(lǐng)に重稅を課す以外に取りうる復(fù)興の道が無(wú)い。出來(lái)ることならば、新府城の築城に著手して欲しいと靜子は願(yuàn)った。
目前的武田家除了向領(lǐng)地征收重稅外,沒(méi)有其他復(fù)興之路。如果可能的話,靜子希望開(kāi)始筑造新府城。
新府城の築城は、経済復(fù)興を目的とした公共事業(yè)だが、その利益に與れる者は限られ、國(guó)全體へと利益が再配分される仕組みにはなっていない。
建造新府城是為了經(jīng)濟(jì)復(fù)興的公共工程,但受益者有限,沒(méi)有機(jī)制使利益再分配到整個(gè)國(guó)家。
過(guò)度な負(fù)擔(dān)を背負(fù)わされ、領(lǐng)民の不満が一気に爆発すれば、甲斐の至る所で一揆が起こる可能性もあった。
如果負(fù)擔(dān)過(guò)重,領(lǐng)民的不滿情緒一旦爆發(fā),可能會(huì)在甲斐各地引發(fā)暴動(dòng)。
「なるほど……確かにどうしようもないな。まあ、細(xì)かいところはそちらに任せる。靜子や真田何某が良いと思う方法で、民の心を勝頼から離してくれ。俺はその後の統(tǒng)治について考えておこう」
「我懂了......確實(shí)沒(méi)什么辦法。細(xì)節(jié)就交給你們吧。靜子和真田某人可以用他們認(rèn)為合適的方法,把民眾從信賴(lài)勝賴(lài)的心態(tài)中解放出來(lái)。我會(huì)思考之后的治理問(wèn)題。」
靜子の言わんとする事を理解した信忠は、內(nèi)容の確認(rèn)を込めて何度も頷いた。
了解靜子的意思后,信忠多次點(diǎn)頭確認(rèn)。
信忠と別れ、今度こそ帰路に就こうとした靜子だが、部屋を出てすぐに聲が掛かった。
與信忠告別后,準(zhǔn)備返回的靜子剛出門(mén)就聽(tīng)到了聲音。
「靜子殿、少しお時(shí)間を頂戴できませぬか?」
「靜子殿,可以稍微等一下嗎?」
「やあ靜子、少し話をしたいのだが、構(gòu)わぬか?」
「嘿,靜子,我有些事想說(shuō),不會(huì)介意吧?」
靜子から見(jiàn)て右手側(cè)からは光秀が、左手側(cè)からは秀吉が話しかけてきた?;イい讼嗍证未嬖冥藲荬钉い郡瑜Δ恰㈧o子を挾んで視線をぶつけ合う。
靜子的右邊是光秀,左邊是秀吉,兩人都發(fā)現(xiàn)了對(duì)方的存在,相互對(duì)視著隔著靜子。
「「実は、折り入って頼みが……」」
「「實(shí)際上,有事想請(qǐng)你幫忙......」」
これは面倒な事になったなと靜子が思っていると、秀吉と光秀の聲が綺麗に重なった。タイミングも內(nèi)容も一言一句まで一致した事に、お互いが驚いた表情となった。
靜子想這會(huì)變得麻煩,就在此時(shí),秀吉和光秀的聲音完美地重合了。兩個(gè)人都驚訝地看著對(duì)方,因?yàn)樗麄兊臅r(shí)間和內(nèi)容都完全一致。
しかし、すぐに我に返ると、互いに不快げな表情を浮かべ、相手を牽制し始めた。
但是,兩人馬上反應(yīng)過(guò)來(lái),開(kāi)始用不悅的表情互相對(duì)峙。
「これ以上、順?lè)侨啶幛毪韦嫌猡扦?。ここは一つ、運(yùn)を天に委ねましょう。賽の目が偶數(shù)を示せば明智様が、奇數(shù)を示せば羽柴様が先として話を伺います」
「我們不希望再為爭(zhēng)奪機(jī)會(huì)而麻煩了。我們把運(yùn)氣交給命運(yùn)吧。如果點(diǎn)數(shù)是偶數(shù),那么請(qǐng)聽(tīng)聽(tīng)明智的意見(jiàn),如果是奇數(shù),那么請(qǐng)先聽(tīng)聽(tīng)羽柴的意見(jiàn)?!?/p>
そう言うと靜子は懐から出した正六面體のサイコロを投げた。板の間を何度か転がり、襖に當(dāng)たってその動(dòng)きを停めた。
說(shuō)完后,靜子從懷里拿出了一個(gè)正六面體的骰子并將其投擲。它在榻榻米上滾動(dòng)幾次,碰到了紙門(mén)后停了下來(lái)。
秀吉も光秀も固唾を飲んで賽の目を窺う。果たして出た目は『四』であった。自分が先だと理解すると光秀は得意満面となり、逆に秀吉は肩を落として消沈した。
秀吉和光秀都屏息凝視著骰子,最終擲出的結(jié)果是“四”。光秀理解自己贏了,得意洋洋,而秀吉?jiǎng)t失落沮喪。
「では、明智様からお話を伺います。後程、羽柴様の許へと伺います」
“現(xiàn)在請(qǐng)聽(tīng)明智大人講話,接下來(lái)我們會(huì)前往羽柴大人的處所。”
「先觸れは要らぬぞ、そちらの用事が済み次第、いつ來(lái)て貰っても構(gòu)わぬ」
“不需要先行通知,等您用事辦完后,隨時(shí)都可以來(lái)。”
天の決定に異を唱えるのは印象が悪いと考えたのか、秀吉は意外にもあっさりと引き下がった。光秀は扇子で口元を隠してはいたが、おそらく笑みを深くしていたのだろう。
秀吉認(rèn)為反對(duì)上天的決定會(huì)給人留下不好的印象,出人意料地輕易地放棄了。光秀用扇子遮住了嘴,但他很可能在微笑。
「立ち話という訳には參りませぬ。部屋を用意しておりますゆえ、そちらにご足労願(yuàn)えますか?」
“請(qǐng)進(jìn)屋子坐吧,不用站著說(shuō)話?!?/p>
光秀自身が案內(nèi)された一室は、華美にならない絶妙な調(diào)度を設(shè)(しつら)えられた、光秀らしい小灑落た部屋であった。
光秀帶領(lǐng)靜子進(jìn)入了一個(gè)別致精致的房間,家具并不華美,恰到好處。
しかし、洗練された場(chǎng)の雰囲気にそぐわない人物が數(shù)人、離れた下座に控えていることに、靜子は気が付いた。
但是靜子注意到,幾個(gè)與該地方的氛圍不搭的人坐在遠(yuǎn)處的下座。
僅かに警戒しつつも靜子は上座へと案內(nèi)され、その背後に才蔵が立ち、いつの間にか駆けつけていた慶次が才蔵の隣に腰を下ろす。
雖然稍微有點(diǎn)警覺(jué),靜子還是被帶到了上座,才藏站在她身后,而惠的身邊沒(méi)人坐,只有景次坐在他的右邊。
「少々込み入った話になります。予(あらかじ)め、ご承知おき下され」
“話題有點(diǎn)復(fù)雜,請(qǐng)事先了解一下?!?/p>
「承知しました」
“好的,我知道了。”
「まずは後ろの者を紹介いたします。こちらは長(zhǎng)宗我部殿の水軍を任されておられる、池(いけ)殿です」
“首先向您介紹后面的人。這位是被委任為長(zhǎng)宗我部水軍的池先生?!?/p>
光秀に紹介された人物、池が僅かに進(jìn)み出て靜子に向かって深々と頭を下げた。
光秀介紹池時(shí),他微微上前,向靜子深深地鞠了一躬。
「お初にお目に掛かります。拙者、長(zhǎng)宗我部(ちょうそかべ)が臣、池四郎左衛(wèi)門(mén)(しろうざえもん)と申します」
“初次見(jiàn)面,我是長(zhǎng)宗我部的臣子,名叫池四郎左衛(wèi)門(mén)?!?/p>
「あ、これは御丁寧に。私は靜子と申します」
“哦,你很客氣。我叫靜子?!?/p>
予期しない人物の登場(chǎng)に、靜子は時(shí)代にそぐわない返答を返してしまう。
看到出乎意料的人物,靜子回答了不符合時(shí)代的話。
池四郎左衛(wèi)門(mén)頼和(よりかず)。池は元々土佐の國(guó)人であり、當(dāng)初は長(zhǎng)宗我部國(guó)親(くにちか)と爭(zhēng)っていた。
池四郎左衛(wèi)門(mén)依賴(lài)和。池原為土佐國(guó)人,最初與長(zhǎng)宗我部國(guó)親爭(zhēng)斗。
しかし、彼の娘を娶ってからは従屬し、長(zhǎng)宗我部水軍の主力を擔(dān)うようになっていた。
但是自從他娶了長(zhǎng)宗我部水軍的主力之一的女兒后,就變得從屬于長(zhǎng)宗我部,并擔(dān)任了其水軍的主力。
堺との交易を活発に行い、長(zhǎng)宗我部の財(cái)政を支えた人物でもある。
他積極開(kāi)展與堺的貿(mào)易活動(dòng),也是支撐長(zhǎng)宗我部財(cái)政的人物。
史実では後に妻と不和になり、謀反の疑いをかけられ、その當(dāng)時(shí)の主君である長(zhǎng)宗我部元親(もとちか)の命により自刃させられている。
根據(jù)史實(shí),后來(lái)他與妻子發(fā)生不和,被懷疑企圖叛亂,根據(jù)當(dāng)時(shí)的主君長(zhǎng)宗我部元國(guó)的命令,自殺身亡。
「我が主君の為に、長(zhǎng)らくご助力を頂戴しておきながら、ご挨拶が遅れた事をお詫び申し上げます。主君は織田様、靜子様のご盡力に大変感謝しておりまする」
“由于長(zhǎng)時(shí)間得到您的幫助,卻遲遲未能拜訪,向我的主人表示歉意。主人非常感謝織田殿、靜子殿的幫助?!?/p>
「それは何よりです(実験場(chǎng)にしたって言ったら、怒られるかな?)」
“太棒了(說(shuō)成實(shí)驗(yàn)場(chǎng)會(huì)不會(huì)被罵呢?)”
池が感謝の言葉を告げる。対する靜子は表面をにこやかに繕いつつも、內(nèi)心では頬が引きつる思いであった。
池表達(dá)了感激之情。相對(duì)的,靜子雖然表面笑臉相迎,但內(nèi)心卻十分不安。
史実では土佐統(tǒng)治に10年を費(fèi)やし、四國(guó)統(tǒng)一に更に10年を要した長(zhǎng)宗我部が、12年もの時(shí)を早めて四國(guó)統(tǒng)一に王手を掛けられたのか。
根據(jù)史實(shí),花了10年時(shí)間治理土佐地區(qū),又花了10年時(shí)間統(tǒng)一四國(guó)的長(zhǎng)宗我部,在12年的時(shí)間里,就被提前放倒了四國(guó)統(tǒng)一的錢(qián)。
そこには幾つもの偶然と、長(zhǎng)宗我部にとって神懸かり的な幸運(yùn)が働いたためであった。
這是由于許多偶然和對(duì)長(zhǎng)宗我部非常幸運(yùn)的神秘影響造成的。
信長(zhǎng)が上洛した際、長(zhǎng)宗我部元親は未だ土佐統(tǒng)一を果たせずにいた。その後、1年ほど信長(zhǎng)の動(dòng)向を見(jiàn)守っていたが、突如として元親は決斷した。
當(dāng)信長(zhǎng)去上洛時(shí),長(zhǎng)宗我部元國(guó)仍未統(tǒng)一土佐地區(qū)。此后,他們觀察了信長(zhǎng)的行動(dòng)約一年,然后元國(guó)突然做出了決定。
自主獨(dú)立を捨てでも、信長(zhǎng)と同盟を結(jié)ぶ。最?lèi)檹緦伽工毪长趣摔胜盲皮鈽?gòu)わないと元親が言い出した。當(dāng)然家臣達(dá)からは反対の聲が上がったが、その悉(ことごと)くを彼は黙らせた。
必須要放棄自主獨(dú)立,與信長(zhǎng)結(jié)盟。元國(guó)說(shuō),即使最終必須從屬于別人也沒(méi)關(guān)系。當(dāng)然,他的家臣們都反對(duì),但他把所有的反對(duì)聲都?jí)褐屏恕?/p>
しかし、信長(zhǎng)からすれば、土佐一國(guó)すら統(tǒng)一出來(lái)ない元親と同盟を結(jié)んだところで、一切の利益がない。
但是,對(duì)于信長(zhǎng)來(lái)說(shuō),即使與無(wú)法統(tǒng)一土佐地區(qū)的元國(guó)結(jié)成聯(lián)盟,也沒(méi)有任何利益可言。
一度目は目通りすら葉わず、光秀に仲介を頼んでの二度目すらも、けんもほろろに追い払われた。
第一次甚至無(wú)法見(jiàn)面,第二次向光秀尋求調(diào)和也被輕松拒絕了。
これが最後と腹を括った元親は、三度目の正直と言わんばかりに、國(guó)を投げ売るが如き條件で従屬を願(yuàn)い出た。それでも、信長(zhǎng)から色よい返事は貰えなかった。
下定決心說(shuō)這是最后一次的元親提出了條件以歸順為代價(jià),像出賣(mài)國(guó)家一樣,但信長(zhǎng)仍未給予滿意的回應(yīng)。
しかし、信長(zhǎng)は思うところがあったのか、靜子を引き合いに出し、元親に彼女との同盟を結(jié)ぶよう持ちかけた。
但信長(zhǎng)似乎有所顧慮,提出結(jié)盟靜子為例,向元親提議與她結(jié)盟。
靜子からすれば、元親が信長(zhǎng)に同盟を申し出るなどという事は、青天の霹靂であった。
對(duì)靜子來(lái)說(shuō),元親向信長(zhǎng)提議結(jié)盟的事情猶如晴天霹靂。
しかし、長(zhǎng)宗我部の扱いを巡って信長(zhǎng)と光秀が反目し、本能寺の変が起きたとされる説を知っている身としては、到底これを見(jiàn)逃すことはできなかった。
但作為了解信長(zhǎng)和光秀因長(zhǎng)宗我部的待遇而發(fā)生分歧,引發(fā)本能寺事件的可能性的人,她無(wú)論如何不能放過(guò)此機(jī)會(huì)。
長(zhǎng)宗我部が早い段階で四國(guó)を統(tǒng)一することが、最終的に織田家にとって利益となると判斷した靜子は、信長(zhǎng)に同盟の承諾を伝えた。
靜子判斷,長(zhǎng)宗我部早期統(tǒng)一四國(guó),最終對(duì)織田家利益有益。于是向信長(zhǎng)傳達(dá)了結(jié)盟的同意。
「何を以て、利とする?」
"以什么為利益?"
「長(zhǎng)宗我部殿の拠點(diǎn)たる土佐は、四國(guó)の下部にあたります。九州遠(yuǎn)征を見(jiàn)込んだ場(chǎng)合、海路上の補(bǔ)給地點(diǎn)としては非常に好立地となります。また、彼が早期に四國(guó)を纏め上げれば、中國(guó)地方の毛利などに圧力を掛けることが出來(lái)ます。ここでしっかりと主従関係を確立し、四國(guó)に橋頭保を築ければ、日ノ本統(tǒng)一に向けて躍進(jìn)するための布石となりましょう」
"土佐作為長(zhǎng)宗我部的據(jù)點(diǎn),處于四國(guó)下部。如果預(yù)計(jì)對(duì)九州進(jìn)行遠(yuǎn)征,在海上補(bǔ)給點(diǎn)上具有非常良好的地理位置。此外,如果他早期統(tǒng)一四國(guó),可以向中國(guó)地方的毛利等施加壓力。在此建立牢固的主從關(guān)系,并為四國(guó)建立橋頭堡,將成為邁向統(tǒng)一日本的策略布局。"
「ほう、中々に先を見(jiàn)ておるな。面白い、差配は貴様に一任する」
"哦?很有遠(yuǎn)見(jiàn)啊。有趣。您來(lái)負(fù)責(zé)部署。"
靜子は現(xiàn)代より持ち込んだ地図を信長(zhǎng)に見(jiàn)せつつ、展望を話し合った。正確無(wú)比な地形図が描かれる地図のお陰もあり、信長(zhǎng)にも靜子が唱える利點(diǎn)を視覚的に理解出來(lái)た。
靜子拿出了現(xiàn)代帶來(lái)的地圖,向信長(zhǎng)展現(xiàn)展望。由于精確無(wú)比的地形圖的加持,信長(zhǎng)也能夠直觀地理解靜子所提出的利點(diǎn)。
三度目にして長(zhǎng)宗我部は、信長(zhǎng)に臣従することとなった。國(guó)力的に織田家との同盟は葉わなかったが、それでも織田家秘蔵の靜子との同盟は、後に出色の成果となった。
長(zhǎng)宗我部最終在第三次嘗試中臣服于信長(zhǎng)。國(guó)力上沒(méi)有達(dá)成與織田家的同盟,但與織田家珍視的靜子的同盟,最終成為了出色的成果。
ただし、この時(shí)點(diǎn)では長(zhǎng)宗我部の立場(chǎng)に変化はない。その後、靜子の働きかけにより前久が動(dòng)き、朝廷から四國(guó)統(tǒng)一の綸旨が出される。
但是,此時(shí)長(zhǎng)宗我部的地位沒(méi)有變化。之后,前久受到靜子的影響,從朝廷頒發(fā)了統(tǒng)一四國(guó)的勒旨。
しかし、朝廷が認(rèn)めたと言っても遠(yuǎn)く離れた四國(guó)の地では、実効力など無(wú)いに等しい。
然而,即使朝廷承認(rèn)了,在遙遠(yuǎn)的四國(guó)地區(qū),實(shí)際效力幾乎沒(méi)有。
あくまでも『朝廷としては長(zhǎng)宗我部を四國(guó)の代表として認(rèn)めます』という程度にしか受け止められていなかった。
它只被理解為“我們以朝廷的身份承認(rèn)長(zhǎng)宗我部是四國(guó)的代表”。
當(dāng)初、信長(zhǎng)は長(zhǎng)宗我部への軍事的な支援に消極的な姿勢(shì)を示していた??椞锇鼑炀W(wǎng)により余裕がなかったという理由もあるが、そこまでする義理も無(wú)いと考えていたからだ。
起初,信長(zhǎng)對(duì)向長(zhǎng)宗我部提供軍事支援的態(tài)度持消極態(tài)度。這也有織田圍困網(wǎng)的原因,但他認(rèn)為沒(méi)必要這樣做。
しかし、この信長(zhǎng)の姿勢(shì)を正反対に変えてしまう事件が起こった。四國(guó)で長(zhǎng)宗我部と覇を爭(zhēng)う三好の軍が、信長(zhǎng)が南蠻から手配した荷物を載せた船を沈めてしまったのだ。
然而,發(fā)生了一件事件,使信長(zhǎng)的態(tài)度徹底轉(zhuǎn)變。在與長(zhǎng)宗我部爭(zhēng)奪霸權(quán)的三好軍隊(duì)擊沉了信長(zhǎng)從南蠻帶回來(lái)的貨船。
積荷には信長(zhǎng)が苦心の末に南蠻より買(mǎi)い付けた、各種の鉱石が満載されていた。當(dāng)初、三好軍は長(zhǎng)宗我部が堺との交易に使用している船と考えていた。
船上載有信長(zhǎng)經(jīng)過(guò)艱辛謀劃從南蠻購(gòu)買(mǎi)的各種礦石。最初,三好軍認(rèn)為這是長(zhǎng)宗我部用于與堺市進(jìn)行貿(mào)易的船。
三好は信長(zhǎng)の逆鱗に觸れた。信長(zhǎng)が次なる飛躍を期して、莫大な費(fèi)用と多くの時(shí)を費(fèi)やした成果を、海の藻屑としてしまった。
三好惹惱了信長(zhǎng)。信長(zhǎng)為了下一步的飛躍耗費(fèi)了巨大的費(fèi)用和時(shí)間,結(jié)果成了海的碎片。
船を沈められたと知った信長(zhǎng)の怒りは凄まじかった。
得知他們沉沒(méi)了船后,信長(zhǎng)非常生氣。
戦國(guó)時(shí)代に荷物の保障などあるはずもなく、それよりも膨大な時(shí)間を掛けた仕込みが水泡に帰し、次なる一手を打つための機(jī)會(huì)を逸したことに激怒した。
戰(zhàn)國(guó)時(shí)代沒(méi)有保障貨物的規(guī)定,而是把大量時(shí)間分配給了籌備,這使得下一步的機(jī)會(huì)流失了,讓信長(zhǎng)非常憤怒。
信長(zhǎng)は直ちに三好を滅ぼさんと、四國(guó)に乗り込もうとしたため、彼を引き留めるため多くの家臣が少なくない傷を負(fù)った。
信長(zhǎng)立即打算征服四國(guó)并消滅三好,因此為了留住他,許多家臣受了不少傷。
損壊した器物も多く、襖などは無(wú)事だった物の方が少ない有様であった。
受損的物品也很多,墻壁等物品很少完好無(wú)損。
連日怒りをまき散らしたが、一転して冷靜になると信長(zhǎng)は長(zhǎng)宗我部を使って三好を滅ぼすことに決めた。
在天天發(fā)泄怒氣后,信長(zhǎng)反而變得冷靜,決定利用長(zhǎng)宗我部來(lái)滅掉三好。
しかし、未だに土佐統(tǒng)一にすら手を拱(こまね)いている長(zhǎng)宗我部ゆえ、起爆剤が必要だと彼は考えた。
但是,由于長(zhǎng)宗我部尚未統(tǒng)一土佐,這就需要起爆劑,信長(zhǎng)想到了織田家擁有的九鬼水軍。
そこで白羽の矢が立ったのが、織田家の擁する九鬼水軍だった。
因此,九鬼水軍成為了他們的首選。
スクリュー船を始め、靜子から様々な技術(shù)供與の果てに近代化を成し遂げた九鬼水軍だが、海戦自體が無(wú)かったため、実戦経験に乏しかった。
九鬼水軍通過(guò)從靜子等人那里獲得各種技術(shù)援助實(shí)現(xiàn)了現(xiàn)代化,包括螺旋槳船,但由于沒(méi)有海戰(zhàn)經(jīng)驗(yàn),因此在實(shí)戰(zhàn)方面缺乏經(jīng)驗(yàn)。
信長(zhǎng)は九鬼水軍の実力がどれほどのものかを把握するため、三好を相手に試し斬りを行うつもりであった。
信長(zhǎng)想要進(jìn)行試斬以了解九鬼水軍實(shí)力如何,他的對(duì)手是三好。
こうして長(zhǎng)宗我部に九鬼水軍が派遣され、土佐統(tǒng)一を?yàn)椁丹氦筏迫盲趣鈶槎摔蜷_(kāi)くという無(wú)理難題が長(zhǎng)宗我部に降りかかった。
長(zhǎng)宗我部面臨著無(wú)法實(shí)現(xiàn)土佐統(tǒng)一的無(wú)理要求,即與三好開(kāi)戰(zhàn),于是派遣了九鬼水軍。
家臣達(dá)は降って湧いた災(zāi)難に悲嘆したが、元親は「この程度の無(wú)理を通せずして、四國(guó)統(tǒng)一は不可能」と開(kāi)き直り、家臣達(dá)を説得した上で、三好にいくさを仕掛けた。
家臣們?yōu)橥蝗缙鋪?lái)的災(zāi)難感到悲痛,但元親很快意識(shí)到四國(guó)統(tǒng)一需要克服這種困境,說(shuō)服了家臣們,并向三好發(fā)起了攻勢(shì)。
急造の連合軍であるため、最初は押され気味であった長(zhǎng)宗我部軍だが、途中から狀況が好転する。
長(zhǎng)宗我部軍是一支緊急聯(lián)合軍,因此一開(kāi)始處于劣勢(shì),但情況在中途開(kāi)始好轉(zhuǎn)。
三好軍の有能な武將が『都合良く』病死し、三好軍の主力であった淡路水軍が九鬼水軍の圧倒的火力の前に、全滅寸前という大敗を喫した。
三好軍的優(yōu)秀將領(lǐng)“恰巧”病死,作為三好軍主力的淡路水軍在九鬼水軍壓倒性的火力下,面臨全軍覆滅的大敗。
更に三好軍の補(bǔ)給路を斷つため、長(zhǎng)射程を生かした対地砲撃を繰り返し、彼らの使う港を一つ殘らず破壊した。
又通過(guò)多次利用遠(yuǎn)程射程進(jìn)行對(duì)地炮擊來(lái)切斷三好軍的補(bǔ)給線,摧毀了他們所使用的所有港口。
これにより海からの支援を受けられなくなった三好軍だが、港を破壊したという事は長(zhǎng)宗我部軍も海上から陸へと攻め込めないと考えた。
這樣一來(lái),三好軍無(wú)法得到來(lái)自海上的支援,但摧毀了港口,長(zhǎng)宗我部軍亦認(rèn)為無(wú)法從海上攻入陸地。
しかし、現(xiàn)代の揚(yáng)陸艦に近い輸送船を開(kāi)発していた九鬼水軍は、港が無(wú)くとも人員や物資を運(yùn)び込み、長(zhǎng)宗我部軍を支援した。
然而,九鬼水軍正在開(kāi)發(fā)類(lèi)似現(xiàn)代登陸艦的運(yùn)輸船,即使沒(méi)有港口,他們也能夠運(yùn)送人員和物資來(lái)支援長(zhǎng)宗我部軍。
その間に、第二次織田包囲網(wǎng)が始まり、織田家の狀況は苦しくなった。しかし、大方の予想を裏切り、三方ヶ原の戦いでは信玄を打ち破り、僅か數(shù)日で長(zhǎng)島一向宗をも蹴散らした。
在此期間,第二次織田包圍網(wǎng)開(kāi)始,織田家的情況變得困難。然而,出乎大多數(shù)人的意料,長(zhǎng)岡原之戰(zhàn)中打敗了信玄,數(shù)天內(nèi)也擊敗了長(zhǎng)島一向宗。
この急展開(kāi)に長(zhǎng)宗我部以外の四國(guó)の國(guó)人たちは心底怯えた。
這種進(jìn)展使除長(zhǎng)宗我部外的四國(guó)國(guó)人感到恐懼。
特に三好に與する勢(shì)力の動(dòng)揺は顕著だった。対する長(zhǎng)宗我部はこの機(jī)を逃さず、調(diào)略と武力とを交互に織り交ぜて勢(shì)力を伸ばした。
特別是與三好有關(guān)的勢(shì)力的動(dòng)蕩非常明顯。相比之下,長(zhǎng)宗我部則趁機(jī)使用策略和武力相結(jié)合,擴(kuò)大了勢(shì)力。
今や四國(guó)で長(zhǎng)宗我部に従わないのは、三好の勢(shì)力のみとなっており、他の國(guó)人は全て長(zhǎng)宗我部元親に屈していた。
目前,四國(guó)不效忠于長(zhǎng)宗我部的只有三好的勢(shì)力,其他國(guó)人全都屈服于長(zhǎng)宗我部元親。
「(破竹の勢(shì)いってこういう事を言うのだろうね)さて、単に挨拶をするためだけにお越しになると思えません。私に何の御用でしょうか?」
「(這就是所謂的破竹之勢(shì)嗎?)嗯,您怎么不是為了問(wèn)事情才來(lái)的呢?」
過(guò)去を振り返りつつ、靜子は池に次の言葉を促した。単純に面會(huì)するだけなら、今までにも機(jī)會(huì)はあった。
當(dāng)靜子回顧過(guò)去時(shí),她促請(qǐng)池說(shuō)話。如果只是為了見(jiàn)面,過(guò)去也有機(jī)會(huì)。
それをせずに、今この場(chǎng)で光秀が場(chǎng)を整えると言う事は、何か重大な話があると靜子は推察した。
然而此時(shí)光秀在場(chǎng),靜子推測(cè)他此來(lái)必有要事。
「ははっ。ご慧眼、恐れ入りましてございます。実は大変に厚かましい事を申しますが、靜子様に折り入ってお願(yuàn)いがございます」
「哈哈,您真是聰明絕頂。有件非常大膽的事想請(qǐng)靜子小姐幫個(gè)忙?!?/p>
「お願(yuàn)い?」
「請(qǐng)客氣?!?/p>
靜子の問(wèn)いに池は一つ頷くと、彼は意外な願(yuàn)い事を申し出た。
靜子問(wèn)話后,池點(diǎn)頭表示,然后提出了一個(gè)出乎意料的請(qǐng)求。
「実は……これ以上のご支援を遠(yuǎn)慮したく、この場(chǎng)を設(shè)けて頂きました次第」
「實(shí)際上……我們想要避免再接受更多支援,因此特別在這里向靜子請(qǐng)教。」