日本小6課文:宇航員——我抱有的夢想【久我Masahi的日語課堂】#94

宇宙飛行士—僕が抱いた夢(宇航員——我抱有的夢想)
作者:野口 聡一(のぐち そういち)(話說這個作者在去年的紅白歌會上出現(xiàn)過)
二〇〇五年七月二十六日、スペースシャトルディスカバリー號打ち上げの瞬間、「これでやっと、僕は、宇宙飛行士になれたんだ。」と思いました。十年近く訓練をした中で、「宇宙に行かなくては、宇宙飛行士ではない?!工趣い莩证沥ⅳ盲郡螭扦?。訓練中だった二〇〇三年、コロンビア號が大気圏再突入の際に機體が分解するというとても悲しい事故があり、打ち上げも何回も延期になりました。だからこそ、これでやっと宇宙に行ける、地球の重力を振り切って外に出られるんだ、と感じたんです。(2005年7月26日,航天飛機探索號發(fā)射的瞬間,我想道:“這下我終于當上宇航員了?!痹诮甑挠柧氈校矣羞^“不去宇宙,就不是宇航員?!钡男那椤S柧氈械?003年,發(fā)生了令人非常悲傷的事故,哥倫比亞號重返大氣層的時候機體分解,數(shù)次延期了發(fā)射。正因為如此,我感受到了這下終于可以去宇宙了,能夠擺脫地球的重力出去了。)
僕は、四歳から十一歳の頃までを、父の仕事の関係で、兵庫県の太子(たいし)町で過ごしました。當時、學校や家の周りには、自然が沢山ありました。放課後、稲刈りの終わった田んぼや空き地で、木の板をホームベースにして、暗くなるまで野球をやっていました。少年時代の野球は、體力作りの第一歩だった気がします。スポーツは大好きで、その後も、サッカー、陸上部、大學ではアメリカンフットボールをやりました。小學生から大學生まで、ボーイスカウトにも所屬していました。根っからのアウトドア系ですね。(我從4歲起到11歲左右的時候,因為父親工作的關系,在兵庫縣的太子市生活。當時,學校和家周圍自然很多。放學后,我在割完稻子的田中和空地中,用木板當作本壘,一直打棒球打到天黑為止。我覺得少年時代的棒球是培養(yǎng)體力的第一步。我非常喜歡體育,這之后,還踢足球、加入田徑部,在大學里打美式橄欖球。從小學到大學,還一直所屬于童子軍。天生就是戶外派。)
小學校一年生の文集には、「ロケットに乗りたい?!工葧い皮い蓼筏?。それでも、あまり具體的なイメージはありませんでした。おそらく、絵本や漫畫などのお話の世界での「宇宙旅行」のようなものを、漠然と思い浮かべていたんでしょうね。勉強は、理科や國語が好きで、中學校に入ってからは、英語が大好きになりました。英語は、狹い學校から解き放ってくれるように思えて、とにかく勉強をしました。(我在小學一年級的文集中寫道:“想乘火箭?!钡牵瑳]有什么具體的印象。或許,我模糊地想象著類似繪本和漫畫等故事世界中的“宇宙旅行”吧。我喜歡學習理科和國語,升入中學后,我最喜歡英語。我認為英語將我從狹小的學校中解放開,總之刻苦學習了英語。)
一九八一年四月、高校に入學してすぐの僕に、人生を変える瞬間が訪れました。スペースシャトルコロンビア號の打ち上げです。宇宙飛行士と言う仕事を、具體的に一つの選択肢として意識したのは、この瞬間からです。ある時、親が、立花隆さんの「宇宙からの帰還」を買ってくれました。この本は、宇宙空間に出た経験のある、アメリカン人宇宙飛行士にインタビューをし、その後の人生観をまとめたものです。宇宙飛行士が、宇宙を體験した後、苦悩したり、宗教家になったり、起業(yè)して失敗をしたり。ネガティブな描寫も結(jié)構あって、バラ色の宇宙飛行士生活が書かれているわけじゃない。高校生の頃にそんな本を読んで、どうして、更に強く宇宙飛行士になろうと思ったのかは、今になって思うと不思議です。おそらく、そういうことも含めて、宇宙飛行士とはダイナミックなものだと思ったのかも知れません。(1981年4月,升入高中后不久,改變我人生的瞬間到來了——航天飛機哥倫比亞號的發(fā)射。從這一瞬間開始,我對于宇航員的工作產(chǎn)生了將此作為一種選擇的具體的意識。有一次,父母給我買了立花隆的《從宇宙歸來》。這本書采訪了有到訪宇宙經(jīng)驗的美國人宇航員,并總結(jié)了此后的人生觀。宇航員在體驗了宇宙之后,有的苦惱,有的成為了宗教家,有的創(chuàng)業(yè)失敗。書中有不少消極的描寫,并沒有寫玫瑰色的宇航員生活。高中時讀了這樣的書,為什么我會更強烈地想成為宇航員呢,事到如今,覺得很不可思議?;蛟S,我當時認為宇航員也是包含著這消極一面的有活力的一種工作吧。)
僕は、最初の進路指導の時、將來就きたい職業(yè)欄に「宇宙飛行士」と書きました。それを今でも覚えています。大學を受験しますが、失敗。一年浪人をしました。在學中は、航空宇宙工學科に在籍し、飛行機のエンジンを研究していました。大學院を修了した後、ジェットエンジンを造っている會社に入社。その三年後に、結(jié)婚をしました。ここで一旦、宇宙との関係は途切れてしまいます。(我至今還記得最初接受發(fā)展方向指導的時候,在將來想要從事的職業(yè)欄里寫了“宇航員”。我考大學失敗。一年后重考。在學中,我在籍于航空宇宙工學科,研究飛機引擎。讀完大學研究生后,我進入了制造噴氣式發(fā)動機的公司。三年后,我結(jié)婚了。我暫且與宇宙中斷了關系。)
ある時妻が、宇宙飛行士募集の記事を見つけて、教えてくれました。會社は面白い場所でしたし、日々忙しく働いていました。ちょうど、會社の制度を使っての留學を考えていた時期だったので、少し躊躇(ちゅうちょ)しました。しかし、宇宙飛行士の募集は、必要が生じたら行う不定期なもの。この機會を逃せば、次がいつかは分かりません。僕は「いっちょやってみるか?!工趣い莩证沥?、挑戦してみることにしました。一次、二次、三次試験を終え、一九九六年五月二十九日の朝、一本の電話がかかってきました。宇宙飛行士の毛利衛(wèi)さんからでした?!袱幛扦趣Α工?。僕は、それから十年近く訓練をし、宇宙飛行士になりました。(有一次,妻子看到了招募宇航員的報導,并告訴了我。公司很有趣,每天工作繁忙。正好是考慮使用公司的制度去留學的時期,因此我稍微有一點猶豫。然而,宇航員的招募是不定期地在需要的時候進行的。錯過了這次機會的話,下一次不知道是什么時候。我用“干脆試一下吧?!钡男那?,決定挑戰(zhàn)成為宇航員。在結(jié)束了第一次、第二次、第三次的考試后,1996年5月29日的早上,我接到了一通電話。是宇航員毛利衛(wèi)打來的,他向我祝賀道:“恭喜你?!贝撕笪医邮芰私甑挠柧?,成為了宇航員。)
宇宙の風景は、シャトルの窓から見るのと、船外活動で見るのとでは全く違います。窓からは、景色としての美しさ。それはそれで美しい。だけど、船外活動では、自分と地球が、一対一で対峙しているという感覚が強くあります。自分が、地球と同じような一個の天體となったような、同等の存在として地球と向き合える體験でした。地球は、刻々と姿を変えていき、光の具合も変わっていく。手を伸ばせば觸れるぐらいにリアリティをもって、そこに存在している。その時、地球が生きていると思ったんです。なぜ、生きていると思えるかと言うと、人間を初めとする沢山の生命が、そこにいるからじゃないでしょうか。過去を含め、自分が知る全ての人間が活躍していたのは、地球でしかない。どんな人にも語るべき人生があって、その一人一人の命がそこにある。船外活動で地球を見た時、それらが、大きな地球という命の輝きに繋がっていると感じました。(從航天飛機的窗口所看到的宇宙的風景,與在船外活動時看到的完全不一樣。從窗口看,是作為景色的一種美。雖然也很美。但是在船外活動的時候,深感到自己與地球是一對一對峙著的感覺。體驗到了自己好似和地球一樣成為了同等存在的一個天體,并與之相對。地球每時每刻都在變化著,光的樣子也漸漸變化。它有著伸手便能觸及的真實感,存在于此。那時,我覺得地球活著。說到為什么會覺得它活著,因為以人類為首的眾多生命存在于那里吧?包含過去,自己所知的所有的人類活躍著的,只有地球。無論怎樣的人也有值得述說的人生,一個一個人的生命存在于那里。在船外活動看地球的時候,感覺到那些生命與巨大的地球生命的光輝相連。)
最近、「夢が葉いましたね?!工趣瑜预铯欷蓼?。僕にとっては、「宇宙に行きたい。」と言うのが夢だったわけです。でも、僕の今の狀態(tài)というのは、バトンのようなものでもあるんです。宇宙飛行士になりたいっていうのは、結(jié)局、人間がもっている可能性をいっぺんに広げていって、自分達がどこまで行けるか知りたいっていうこと。そういった意味では、果てがないと思います。僕が、今、ある程度のことをして、次の世代の宇宙飛行士が、またそこから次へと繋いでいく。十年かけてやっと宇宙に行った時、更に広い世界が見えたのは、そういうことではないでしょうか。(最近,經(jīng)常被人說“夢想實現(xiàn)了呢?!睂ξ叶裕跋肴ビ钪?。”是曾經(jīng)的夢想。但是,我如今也是接力一樣的狀態(tài)。想成為宇航員,歸根結(jié)底,是一下子擴大人類所持有的可能性,也就是想知道自己可以走到多遠。從這種含義來說,毫無止境。我現(xiàn)在做到了某種程度的事,下一個世代的宇航員又接著做下去?;ㄙM十年終于到宇宙的時候,能看到更寬廣的世界,也就是這么回事吧?)
僕は、小學校一年生の時に、「ロケットに乗りたい?!工葧い皮い郡?、ずっとそれを目指していたかのように捉えられることが多いですけど、必ずしもそうではない。色々なことを思いました。やりたいことって、変わっていくしね。ある時點で、あまり夢に拘らず、その時その時で、自分が目指していくもの、自分が理想としていくものを、追っかけていけばいいんじゃないかな。夢は、変わっていっていいと思うんです。(我小學一年級的時候?qū)懥恕跋氤嘶鸺?。”,因此多?shù)人認為我一直以此為目標,但未必如此。我考慮了各種事。想做的事會改變。有時,不怎么拘泥于夢想,想追夢時,朝著自己當時的目標、理想追逐就行了。我認為夢想可以改變。)
例えば、少年野球のちびっ子が、まず、「甲子園に行きたい。」という夢を持ったとします。そこからずっと野球の道を極めて行って、イチローのような選手が出てくるわけです?!弗抓硪扒颏腔钴Sしたい。」「メジャーリーグで活躍したい。」「ワールド·ベースボール·クラシックで活躍したい。」—。そういう感じで、ちょっとずつ世界を広げていく中で、具體的な目標は変わっていく。葉う、葉わないがあったとしても、大きな意味で、その目標がどんどん膨らんでいく。そして、新しく広がった世界から、更に遠くの景色が広がって見える。そういうことが、本當の夢なんじゃないかなって思います。(比如說,少年棒球的小孩子首先有著“想去甲子園”的夢想。然后一直踏上棒球的道路,出現(xiàn)了像一郎那樣的選手?!跋牖钴S于職業(yè)棒球。”“想活躍于美國超級棒球聯(lián)賽?!薄跋牖钴S于世界棒球賽。”就這樣漸漸開闊世界的時候,具體的目標改變。就算有實現(xiàn)的和未實現(xiàn)的事,從大的含義來說,目標越來越大。然后,從新擴大的世界中,能看到更遠的景色。我認為這才是真正的夢想。)
百年後には、僕達宇宙飛行士一人一人の名前は、記憶されていないと思います。後世に殘る宇宙飛行士の名前は、人類初めての宇宙飛行士、ユーリ=ガガーリンさんくらいでしょう。おそらく、百年後から見ると、今は宇宙飛行の黎明期。だけど、黎明期に、チャレンジャーやコロンビアの事故などを乗り越えて、少しずつ宇宙への挑戦を続けていった事実は殘ります。挑戦を続けていくことは無駄ではない。僕は、そういう名もない幾多の宇宙飛行士の一人になれればいいなと思っています。(百年后,我們每一個宇航員的名字不會被一一記住。流傳到后世的宇航員的名字大概只有人類第一個宇航員尤里·加加林吧?;蛟S在百年后看來,如今是宇宙飛行的黎明時期。但是,在黎明時期,越過挑戰(zhàn)者和哥倫比亞的事故等,留下漸漸地繼續(xù)挑戰(zhàn)宇宙的事實。繼續(xù)挑戰(zhàn)并不是徒勞的。我能成為眾多的無名宇航員中的一人就足夠了。)

詞匯
浪人(ろうにん):失業(yè)者、失學的學生;(離開主家)四處流浪的的武士

作業(yè)
1.讀課文