【林原惠Ameba】なんか【2023年6月23日】

『なんか』
たまにね
ラジオやらお手紙やらで
目にします
私なんか…
僕なんかが
の
『なんか』
私なんかが応募して良いものか…
とか
僕なんか林原さんの昔からのファンの
人に比べたら何も知らないし
知らないキャラもいるし
(多くのベテランファンは優(yōu)しいよ)
こんな私(僕)なんかが
ファンと言って良いのでしょうか
的な( ???)
それは
自由ですよー
って回答が解決作ではないみたいだ。
さらに
かまってちゃんとか
『お願(yuàn)い?ファンでいてぇ?ん』
と、私からの肯定を待っている訳でもない
どうやら
元來(lái)の性格や
過(guò)去何がしかでマウントをとられた
苦い経験などからの感情のようです。
謙遜、奧ゆかしいを少し超えて
萎縮に近い感じがします。
私は誰(shuí)がなんと言おうと
好きなものは好き!な人だから
なかなかそーゆー方々の気持ちに
寄り添う事は難しい。
でも
心の中のモヤモヤの
行き先を探していたり
しょぼんとか
ギュッと目をつぶってしまうんだろうなあ
という狀態(tài)なのは分かる
なんか
が頭に浮かんだら
逆さに言ってみる
『かんな』(???)
私は私だかんな(からな)
僕は僕だかんな(からな)
どうしたって
自分は1人しかいない訳で
たとえ、
クローンが出來(lái)ても自分とは違うだろうし
(アヤナミレイならどーするの?ってね)
生きてきた時(shí)間、過(guò)程含めて
私は私だからなあ? 笑
僕は僕でしかないからなあ?
まあ、いっか 笑
と息を吸う。
その言葉を捨てられなくても
見(jiàn)方を少し変えて
楽になれたらなあ?
と思う
ファンって
好きでいる事で、自分に力が沸いたり
ちょっと嬉しかったり
自分の人生を彩る1つの心の居場(chǎng)所だと思う
なんなら昨日まで好きだったけど
別の人が好きになった、もある(°▽°)
昔は良く報(bào)告を、受けたもんだよ 笑
律儀なのか、嫌味なのかわからんかったなあ
一途を貫く人もいれば
グループ好きも
色んなタイプが好きも
出入りも自由、
人、それぞれ。
自分の心が豊かになる好きを
自分の為に選べば良いと思います。
上を向いたら世界が変わった???
(林原めぐみ feel wellより)
ちなみに
無(wú)理矢理ではなく
私は大工道具のカンナが好き!
凄い好き!
その話はまたいつか( ̄? ̄)