日本大地震12周年紀(jì)念日

東日本(ひがしにっぽん)大震災(zāi)(だいしんさい)から12年(ねん)。今年(ことし)も3月(がつ)11日(にち)を迎(むか)えました。
日本大地震已經(jīng)12年了,今年也迎來了3月11日。
宮城県(みやぎけん)南三陸町(みなみさんりくちょう)です。 43人(にん)が犠牲(ぎせい)になった舊(きゅう)防災(zāi)(ぼうさい)対策(たいさく)庁舎(ちょうしゃ)には、今年(ことし)も町(まち)の人(ひと)たちが追悼(ついとう)に訪(おとず)れています。その近(ちか)くの今月(こんげつ)オープン(おーぷん)6周年(しゅうねん)を迎(むか)えた「さんさん商店街(しょうてんがい)」には、これまでに330萬(まん)人(にん)以上(いじょう)が訪(おとず)れ、全國(ぜんこく)の人(ひと)たちに南三陸(みなみさんりく)の魅力(みりょく)を伝(つた)え続(つづ)けています。
在宮城縣南三陸町,曾經(jīng)43人遇難的舊防災(zāi)大樓里,今年也有鎮(zhèn)上的人們前來追悼。在這附近這個月迎來開業(yè)6周年的“叁叁商業(yè)街”,到目前為止,已經(jīng)有330多萬人到訪,不斷向全國人民傳遞南三陸的魅力。
あの日(ひ)津波(つなみ)が襲(おそ)ってきた、福島県(ふくしまけん)いわき市(し)の久之浜(ひさのはま)です。海岸(かいがん)の前(まえ)に建(た)つ神社(じんじゃ)には石碑(せきひ)が立(た)てられています?!复蟮卣?おおじしん)が起(お)きたら大津波(おおつなみ)來(く)る。すぐ逃(に)げろ、高臺(たかだい)へ」。2度(ど)と同(おな)じ悲劇(ひげき)を繰(く)り返(かえ)さない、その思(おも)いが込(こ)められています。
那一天海嘯襲擊了福島縣磐城市的久之濱。建在海岸前的建筑里立著石碑。“如果發(fā)生大地震,大海嘯就會到來??焯?,到高臺去”。它不會重復(fù)兩次相同的悲劇,其中或許包含了這種想法。
そして、巖手県(いわてけん)宮古市(みやこし)の田老(たろう)地區(qū)(ちく)です。あの日(ひ)津波(つなみ)は、10メートル(めーとる)の防潮堤(ぼうちょうてい)を超(こ)え、町(まち)をのみ込(こ)みました。今(いま)も津波(つなみ)の恐(おそ)ろしさを伝(つた)え続(つづ)ける防潮堤(ぼうちょうてい)。今年(ことし)も多(おお)くの人(ひと)が犠牲者(ぎせいしゃ)への追悼(ついとう)に訪(おとず)れています。
還有巖手縣宮古市的田老地區(qū)。那天海嘯超過了10米的防潮堤,吞沒了城鎮(zhèn)。至今仍在嚴(yán)守可怕海嘯的防潮堤。今年也有很多人前來追悼遇難者。
決(けっ)して忘(わす)れることのできないあの日(ひ)あの時(とき)。東日本(ひがしにっぽん)大震災(zāi)(だいしんさい)から12年(ねん)。午後(ごご)2時(じ)46分(ふん)を迎(むか)えます。
決不能忘記的那一天那一刻。日本大地震已經(jīng)12年了,下午2點(diǎn)46分。