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SixTONES萬字訪談杰西篇

2023-02-12 14:50 作者:ramosa  | 我要投稿

ジェシー


〔SixTONES〕


あの日の自分のひと言で、メンバーの人生を決めてしまったかもしれない。

だけど、5人を踏みとどまらせるため、これ以上先延ばしにはできなかった。

自分の居場所を探すため、グループを組むことに憧れてたんじゃない。

“この6人でグループになりたかったんだ”。

その願(yuàn)いは、いつの間にか6人全員の夢(mèng)になっていた。


ギャグなら2兆個(gè)以上ありますけどね


──メンバーが絶大な信頼を寄せるジェシーくんに、SixTONES編のラストを飾ってもらおうと思います。

「俺でいいの!? 信頼はあるかわかんないけど、まあギャグなら2兆個(gè)以上あるからね。俺、いつもふざけてるんですけど、やっぱカメラが入るとさらにスイッチ入るというか?!哎瑗氓伐恪ⅳ栅钉堡胜い?!”みたいな(笑)。共演させていただいた蕓人さんに“考え方が蕓人!”ってよく言われるんですよね?!哎弗悭拴`ズなんだから、いるだけでいい”なんて言われたりもしますけど、“今の時(shí)代、なんでもやんなきゃダメですよ!”っていつも答えてます。ってことで今日は1萬字ェシーなんでがんばります!」

──明るい性格は小さいころから?

「ですね。小學(xué)生のときもずっとふざけてたな。だいたい帰りの會(huì)で、當(dāng)番が“今日、何かイヤなことがあった人いますか?”って聞くと、手を上げたほとんどのクラスメイトが“ジェシーくんに何々されました!”って。ふざけるの大好きで、ちょっかい出したり、そんなことばっかしてましたからね」

──そのころって、何になりたかった?

「スポーツ選手になりたかったかな。なぜか、小2の七夕の短冊(cè)には“ケーキ屋さんになりたい”って書いてましたけど理由は覚えてない(笑)。で、そろそろ將來の夢(mèng)、本気で考え始めようかなくらいのタイミングでジャニーズに入ったんですよね」

──小4のとき、通っていた空手道場の友だちがジャニーズJr.で、そのコに誘われたんだよね?

「はい。ジャニーズのことまったくわかってないけど、その友だちとジャニーさんに會(huì)いに行ってみることになって。ジャニーさんにいきなり千円渡され、“売店で好きなもの買っておいで”って言われて。たしか俺はもったいないと思って売店で何も買わなかったな」

──その2週間後には『ザ少年倶楽部』の収録に參加してる。

「スタジオを借りて友だちと毎日ダンス練習(xí)して。ダンス経験がまったくなかったんで、みんなみたいにリハーサル1、2回でどうにかなるはずなかったから。どうにか本番で踴れたんですけど、名前を呼ばれたら少しだけ踴る紹介コーナーでは全然踴れなくてボロボロだった記憶がある」

──Jr.の活動(dòng)を続けようと思ったのはなんで?

「それまで蕓能界ってまったく興味なかったけど、自分が出た『少クラ』のオンエアを見ておもしろいと思ったんだ。自分の名前がテレビの畫面に映し出されるのもうれしかったし。まあ、あとは、ジャニーさんに“とりあえずやってみれば”って言われたんで、今もとりあえずやってみてるって感じですね(笑)」

グループを組むことに憧れが強(qiáng)かった


──(田中)樹くんが「ジェシーは出會(huì)ったころは口數(shù)が少なかった」って言ってたよ。

「シャイボーイですからね。仲よくなったらふざけるけど、基本無口な人見知りなんで。だから、誰とでもすぐ打ち解けて、言いたいことを何でも言うし、ずる賢い樹が羨ましかったな」

──でも、人見知りなのに(松村)北斗くんと初めて會(huì)ったときはジェシーくんから聲をかけたんでしょ?

「覚えてる。俺は學(xué)校終わりかなんかでレッスンに遅れて行ったのかな。みんな鏡の前で練習(xí)してるのに、赤いジャージの北斗がひとりぼっちでポツンってはじの方に立ってて。“あっち行こうよ”って聲かけたんだよね。それから電車でいっしょに帰るようになったけど、北斗はいつも疲れててすぐ寢ちゃって。北斗の降りる駅で“ついたよ”って起こしてあげて、“じゃあね”って別れるのが定番だった」

──ジェシーくん自身の活動(dòng)は順調(diào)だったよね。

「うん。全然ダンス経験もないのに、ジャニーさんに“YOU、踴りうまいね”ってほめてもらえたりして、気にかけてもらえてたな。入所してすぐ、俺、ジャニーさんに電話番號(hào)を聞かれたんです。“よし、これで勝ち組だ!”って思ったら、Jr.はみんな交換してた(笑)。で、“ハワイに連れて行くから連絡(luò)する”って番號(hào)を交換したはずなのに、ずーっと行けなくて2013年に初めて連れて行ってもらえたんです。ジャニーさんの記憶ちがいで、“YOU、もうハワイ行ったでしょ?”“行ってないよ!”“え!?”って。ハワイに連れてくって約束してから行くまでに7年かかったんですよね」

──ハハハハハ。

「でもジャニーさんに気に入られていたのはまちがいなくて。それをよく思わないJr.もいた。Hip Hop Jumpってユニットのメンバーに選ばれたとき、俺は最後に呼ばれたんだけど、もう今はいないJr.に“ジェシーはただの追加だね。すぐいなくなる”って言われて。それが悔しくて、“絶対に生き殘ってやる”って思ったの覚えてるな」

──そんなことがあったんだ。

「Hip Hop Jumpのときは特にいろいろあったよ。Jr.の私物がなくなることがあって、なぜか俺が取ったってウワサが流れて、一時(shí)期俺はグループから外されたんだよね。Hip Hop Jumpのバックで踴ったり、BI(B.I.Shadow)のバックで踴らされたりして。誰も信じてくれないならいいやって、もう辭めようと思って『少クラ』の帰りかな、ジャニーさんに電話して“なんで俺、外れたの? やってないよ、そんなこと”って伝えたんだよね。そしたら次の日からHip Hop Jumpに戻されて。あの時(shí)間がね、今思えばもったいなかったけど、俺のこと気に入らないJr.がいるのも、それはそうだよなって思ったから、誰にも相談できなくて」

──大変だったね。

「あのころ、考えなきゃいいんだけど、いろいろ考えちゃってたな。気にしなきゃいいんだけど、気にしちゃうというか。俺、入所直後は小さかったから“かわいい”って言われることもあったけど、すぐ大きくなって。やっぱファンの人はかわいいタイプのJr.を応援したいんだろうなって勝手に卑屈になって。Hip Hop Jumpのときのメンバー紹介で、樹とかが紹介されると“キャー”って歓聲がすごくて。でも、“ジェシー”って紹介されるとシーンってなって。俺、気まずすぎて早足ではけて。みんな、ジャニーさんのお?dú)荬巳毪辘坤?、応援しなくても大丈夫でしょって思ってんのかなって思ったりしてた?/span>

──最初は今とは真逆の性格だったんだね。

「だね。だから俺、好きになってもらえなくてもいい。でもせめて、ちょっと気になるとか、おもしろいコだなって思ってもらえる存在になりたいって思って、それまでは仲いい人にしか見せていない素の自分をちゃんと出せるようにしていこうって。で、今の原型というか、ふざけるようにもなって。ふざけすぎて今に至るというね」

──そのころ、いつかデビューできると思ってた?

「うーん、デビューより、グループを組むことに対して憧れが強(qiáng)かったかな。グループだったら、俺にも居場所があるんじゃないかなって」

──その後、少しずつ歌唱力を認(rèn)められていくけど、どういう経緯だったの?

「最初は2011年の『SUMMARY』ですね。ラップを擔(dān)當(dāng)してた樹が舞臺(tái)の関係で出られない日があって。樹と同じくらい人気があったJr.が“ラップやってみない?”って聞かれたけど“ムリだよ”って答えたから、俺が勇気を出して手を上げてラップパートをやらせてもらった。もちろんヘタクソだったけど、それから樹がいないときは俺がラップするようになって。少しずつ“じゃあ歌はどうなんだ?”って空気になってA.B.C-Zのコンサートでソロパートをもらえた。少しずつ、歌えんじゃんって思ってくれる人が増えていって、気づけば歌擔(dān)當(dāng)みたいになったんですよね」

──チャンスをつかんだんだね。

「ホント、どこにチャンスがあるかわかんない。チャンスが欲しくて、ジャニーさんが通りかかったタイミングを見計(jì)らって、俺と樹でNEWSの曲で本來ならハモリのないところをハモって歌って“YOUたち歌うまいじゃん”って言ってもらえるように仕込んだりもしたしね(笑)」

もう一度、6人でやりたいと思わない?


──2012年にはドラマ『私立バカレア高?!护违幞螗些`に選ばれたよね。

「覚えてる。日生劇場でやった『ABC座 星劇場』の初日です。地下階にある部屋に6人が突然呼ばれて?!哎丧楗逈Qまりました”って」

──のちにSixTONESのメンバーになる5人はどう映った?

「大勢(shì)でメシに行くことがあったから、普段絡(luò)みのない(京本)大我とかもなんとなくは知ってて。ただ、そんなの今だから言えるんだろって思われるだろうけど、“なんかこの6人だったらデカイことができんじゃね?”って直感みたいなのがあったんだよね」

──そうだったんだ。

「ドラマの撮影が始まって、少しずつ予感が確信に変わって。ドラマも好調(diào)で映畫化も決まった。6人で『SUMMARY』もやらせてもらえた。パフォーマンスをして、“この6人なら本當(dāng)にデビューできるんじゃないか”って初めて感じて。ドラマや映畫が終わっても、この6人のくくりで続けられるって信じてた。でも、6人でできるはずだった(シアター)クリエのリハーサルに行ったら、急に俺と北斗、殘りの4人って、2と4みたいになってた。ショックだったし、なんでああなったのかわかんなかったな」

──北斗くんとふたりでのパフォーマンスはどうだった?

「今はお互い大人だからわかる。例えば歌割にしても、ここならどっちがやったほうがハマるとか。でも、あのころはまだ若くて、カッコいいとこは全部自分がやりたいって気持ちが強(qiáng)かった。特に北斗は誘われてフワッと入った俺とちがって、ジャニーズに憧れて自分の意思で入ってる。一匹狼というか、俺にはそう見えたってだけなんだけど、絶対に自分だけでもスターになってやるみたいな感じに映った。北斗はバカレアだけじゃない、B.I.Shadowでも挫折を味わってるから、必死になる理由もよくわかったよ」

──その後、ジェシーくんはソロでの活動(dòng)が増えていった。

「複雑でしたね。ジャニーさんは、俺をソロでって思ってたと思うんです。でもぜいたくな悩みなんでしょうけど、俺はずっとグループに憧れてた。もちろん精いっぱいやってましたけど、いろいろ空回ったというか?!荷佶椤护钎渐恧钎啸椹`ドを歌わせてもらうことが多かったんですけど、踴らないからやる気がないみたいに言われたりもして。となりに5人がいてくれたらって思うことも多かったな」

──ひとりでデビューは考えられなかった?

「何度かジャニーさんに打診されても、それは斷り続けてた。雑誌の撮影でもいろんなJr.といっしょに撮影したりもしたけど、誰と組んでもどこかちがう気がして。笑ってはいるけど、どこか笑えてないというか。ようやく気づくんですよ。グループに憧れてるんじゃない。あの6人でグループになりたかったんだって」

──5人に再集結(jié)を呼びかけたのは、ずっと溫めてたアイデアだったんだね。

「タイミングをうかがってたというか。で、カレンダーの撮影をなぜかバカレアの6人ですることになって。ここだなって。誰がこの6人で撮影しようと決めたかはわからない。でも少なくとも、この6人がそろうとこを見たいと思った人がいるってことだから。6人のくくりにニーズがあるって自信が持てた。だから6人が集まったスタジオで、たまたまとなりに髙地(優(yōu)吾)がいたから、“もう一度、6人でやりたいと思わない? 俺から言うのテレくさいから、みんなに言っといて”って伝えて。髙地、“ええ~!? まあわかったよ”って」

──そんな経緯だったんだね。

「だって、ジャニーズを辭めようと思ってたからね、ほぼメンバーみんなが。踏みとどまらせるには今しかない。これ以上、先延ばしにできないって。メンバーとはメールでやりとりを続けて“いいよ。やろう”みたいな感じになったから、一回集まろうってなって渋谷に集まって。“今、ジャニーさんに連絡(luò)しようぜ!”って盛り上がって、俺と髙地でそのビルの11階のロビーで、“ジャニーさん今から行っていい? 話したいことがある”って電話した。ガラス張りになってるから渋谷の街並みが通話中に見えてさ。奇跡みたいな話なんだけど、そのときそこから見えた大きな看板、俺たちのデビュー後はSixTONESの6人の看板になったんだよね」

──ドラマみたいだね。

「うん。で、ジャニーさんの家に行って、“この6人、このくくりでやりたい”ってお願(yuàn)いして。ジャニーさんの構(gòu)想の中では俺をソロでやらせたいってのがあったから最初は反対されて。それに俺は関西ジャニーズJr. の『X'mas Show 2014』にゲストで行く直前だったから、“YOU、これから大阪でもやるんだから、そんなことしてる場合じゃないよ”って言われて。“それもがんばる。でも、この6人でやりたい”って。みんなも思ってること言って。本気なのが伝わったのか、“じゃあグループ名は?”って聞かれた。バカレアをやってたときにじつは6人でグループ名考えてたんだよね。“誕生”って意味を込めて“Birth”ってグループ名を。そしたら“日本人はthの発音が苦手だからダメ”って言われて?!挨胜螭激à趣い啤堡盲蒲预垽筏苿eの部屋に行っちゃったんで、この話は流れちゃうのかなって思ったら、數(shù)十秒後に戻ってきて、“シックス?トーンズ”って書かれた紙を持ってた?!埃钉膜我羯盲埔馕钉坤琛堡盲啤?/span>

──直談判が実ったね。

「うん。俺がそれまでもらってた仕事って、周りのJr.には全部俺がジャニーさんに頼んでもらってたと思われてたと思うんだよね。でも、ドラマもレギュラー番組も、俺から頼んだことなんて一切なくて。俺が生涯で唯一、ジャニーさんにお願(yuàn)いしたのが、“この6人でやらせて”ってことひとつだけ。だからジャニーさん、願(yuàn)いをかなえてくれたのかなって」

──ただ、グループ名発表までは時(shí)間がかかったよね。

「“いつ発表していいの?”“まだダメ”ってことがしばらく続いて。そしたら、まだKing & Princeって名前がつく前の6人がグループっぽくパフォーマンスすることが増えて。髙地が“この6人がシックス?トーンズってことないよね!? だったらヤバくない?”って言い出すから、みんな動(dòng)揺して(笑)。本當(dāng)ならミュージカルの稽古で出られないはずの大我が『ジャニーズ銀座 2015』のステージに立てるタイミングがあったから、もう今日しかないってジャニーさんにお願(yuàn)いすることにして。でもケータイにジャニーさんの番號(hào)を表示したはいいけど、もし今日ダメって言われたら、もうチャンスはないかもしれないって発信ボタンを押すのをためらってたら、橫から大我がボタンを押しちゃって。覚悟決めて、ジャニーさんに“グループ名発表していい?”って強(qiáng)めに言ったら、“知らないよ勝手にして”って言ってもらえたから、“オッケー!!”って返事してピッて通話を切って(笑)」

──いきなりステージ上で発表して、かなり怒られたんじゃない?

「忘れた。発表した後のことは、あんま記憶ない。発表したらこっちのもんだって思ってたから(笑)」

ひとつのミッションをクリアできたな


──ただ、ここからが大変だったよね。

「そうだね。覚えてるな。SixTONES誕生後のクリエの當(dāng)日券に並んだ人が100人ちょい。確か最少記録だったはず。King & Princeになる6人はその10倍だったからね。しかも、100人ちょいの中のひとりは俺のおばあちゃんで。當(dāng)日券、當(dāng)たってんのかい! そんな簡単に俺らのライブは入れるのかよって(笑)。まあでもいいんだよ。まずは6人でグループになることが大切だったし、何よりラストチャンスだと思ってたから。どん底からのスタートだろうが何だろうが、うん。ほんと、一歩ずつ。曲をもらって、ライブをできるようになって、6人で思い描いていたことが少しずつできるようになっていった」

──笑いながら話してるけど、ジェシーくんが背負(fù)ったものって重かったんじゃない。“6人でやろう”って5人に聲をかけるって、5人の人生をある意味背負(fù)うこととほぼ同じだよね。

「確かにね」

──デビューできるって信じてた?

「うん。まあ、まわりは絶対できないって思ってただろうけどね。友だちとカラオケに行くと、よく“SixTONESの曲歌ってよ”って言われたりしてさ。入ってないの知っててわざとふざけて言ってくる人も、本當(dāng)に知らない人もいたけど。“ないよ!”って笑いながら、悔しいからアカペラで歌ったよね(笑)」

──じゃあKing & Princeがデビューしたときはどんなことを思った?

「もう先に行ってくんないと、俺たちの番が絶対回ってこないのは感じてたから、なるべく早く頼むって思ってたな。まあでも、King & Princeのデビュー直後、北山(宏光)くんの家に俺と舘さん(宮舘涼太)で行ったことがあって、“なんでデビューできないんですかねえ?”って話したら涙が止まんなくなったことはあったな。北山くん、“おまえらなら大丈夫っしょ”って勵(lì)ましてくれて。北山くんも、“なんでデビューできないんですかねえ?”って俺たちと同じこと、(三宅)健くんに相談したことがあって、“きっと大丈夫。今は不安になるより準(zhǔn)備をしておきな。デビューして恥ずかしくないように”って言われたんだって教えてくれた」

──いい話だね。

「ただ俺だけじゃない、メンバーみんな不安だったな。King & Princeのデビュー後、樹と(森本)慎太郎と焼き肉に行ったことがあって。慎太郎が“もっと、グループの顔であるジェシーと大我がバーンって行かないとダメなんだよ!”って言い出して。慎太郎はKing & Princeのメンバーと仲いいから、彼らのデビューに思うとこがあっただろうし、悔しさもあったと思う。でも俺の考えは真逆というか。俺はハーフってこともあるし、ジャニーさんに目をかけてもらえてるって周囲は思ってる。大我は大我で2世ってことがあるから、俺らふたりは応援しなくてもって思う人たちもいる。だから、ふたりを押し出さないほうがグループのためにいいんじゃないかって思ってた。それを一生懸命伝えたんだけど日本語がうまくないから上手に伝わらなくて。感情が昂ぶって涙が出そうになったから、泣き顔見られたくなくてうつむいて。涙を我慢するために拳を強(qiáng)く握ってこらえた。そしたらプルプルしてることに気づいた樹が慌てて俺と慎太郎の間に割って入ってくれたんだよね。俺が慎太郎をぶん毆るんじゃないかと思ったんだって」

──なんか青春だね。

「ですね(笑)。ウケるよ。焼き肉屋の店のど真ん中の席で何もめてんだっていうね。でも樹が言ったんだよ??激ǚ饯悉沥Δ猡筏欷胜?。でも、このグループに賭けてることも、この6人で何者かになりたいって思いも全員いっしょだって。俺、ずっとメンバーが幸せだったらいいなってのがあったからさ。ただ、俺が勝手に先走ってグループになっただけで、メンバーにはしなくてもいい苦労までさせて巻き込んじゃったのかなって思ったこともあった。これで、もしデビューできなかったらって。でもちがった。この6人で何者かになりたいって願(yuàn)ってたのは俺だけじゃなかった。いつの間にか6人全員の夢(mèng)になってた」

──そして2019年6月、ジャニーさんの病室でデビューを告げられ、6人の夢(mèng)がかなう。

「なんだろうね。実際にデビューできることを聞いたら、“ヨッシャー!!”って感じより、“おっ! このタイミングか”って妙に冷靜だったな。あとはホッとしたというか。8月の『ジャニーズJr.8?8祭り』でデビュー発表をして。Snow ManとSixTONESの親はみんな仲がいいんですけど、デビュー発表後の舘さんのお母さんと、俺のお母さんの最初の會(huì)話は、“飲みすぎには気をつけてほしいですね”だったらしい。確かにふたりでよくメシを食べに行ったりしてたけど、第一聲がそれかよ、まずは喜んでくれよって(笑)」

──ハハハハハ。

「もちろんまだ何も成し遂げてないし、デビューはスタートなんだけど、俺だけのことで言えば、5人を巻き込んじゃった以上、デビューは必ず達(dá)成しなければいけない大きなミッションだった。デビューできたことで、俺はひとつのミッションをクリアできたなって。まあ俺が何かしたからデビューできたわけじゃないけどさ。あの日、日生劇場の地下の部屋で感じた、“6人なら何か起こせるかもしれない”って直感、當(dāng)たってたよね。そこだけは自分でも誇りに思ってる。すげーだろって。だって一度はバラバラになったのに、信じ続けたから今があるわけだからね」

北斗、ビックリしてたけど、髙地に“ありがとね”って


──「ジェシーくんが好き」って言われるのと、「SixTONESが好き」って言われるの、どっちがうれしい?

「ええ~、でもSixTONESを好きって言われたほうがうれしいかな。自分が好きなものを好きって言われるってうれしいじゃないですか」

──じゃあ、そんな大好きなメンバーへメッセージを。まずは北斗くん。

「ふたりでやってたころのガムシャラさが、今花開いてるのかなって。あんときは、蕾のままもがいてたというか。今ドラマ、映畫、いろんなところで活躍して花咲いている感じがする。ただがんばりすぎちゃう性格も知ってるし、アウトプットばかりじゃいつか枯れちゃう。SixTONESが北斗にとって水分補(bǔ)給できる憩いの場になれればなって思うな」

──北斗くん、芝居がしたいって自己主張できるきっかけをくれたのがジェシーくんだって言ってたよ。

「それぞれがやりたいことやってほしいからね。メンバーが幸せなら俺はそれが何よりだから。北斗に関しては芝居したいってのは、すぐわかったよ」

──次に髙地くん。

「『バカレア』で仲よくなったけど出會(huì)ったころの印象は最悪で。俺が楽屋でボール投げたら髙地の顔面に當(dāng)たっちゃって。すっげーにらみながら“はぁ!?”ってすごまれた。完全に俺が悪いんだけど、一応先輩なのになあって思った(笑)。『バカレア』で、俺と髙地はふたりでひとつみたいな役でさ。それが役だけじゃなく現(xiàn)実でもリンクしてた。なんでも話してくれるし、話しやすいし。さっき、たまたまとなりに髙地がいたから、“もう一回6人でやりたいと思わない?”ってみんなに聞いてもらったって言ったけど、まあ髙地だから言えたのかな。この前も髙地と、おしゃれなカフェで話してて、“デビューして1年、これからどうする? 何がしたい”って聞かれたから、やりたいことはいくらでもあるけど、正直、今はおまえらが楽しそうに仕事してるのを見てるのが何よりうれしいよって俺は答えて。髙地にはなんか、ほかの人には言いにくいことも言えちゃうんだよね」

──髙地くんがSexy Zoneへの加入をジャニーさんに打診され「俺は北斗とやっていきたい」って答えたことがあったこと、ジェシーくんが北斗くんに伝えたんでしょ?

「そうそう。だいぶ昔に髙地に“じつはこんなことがあった”って教えてもらってて。そうだったの!って俺は驚いたんだけど、“本人には言わないで”って髙地に口止めされてたんだよね。だけど、俺はいつかは伝えたほうがいいと思ってさ。いろんな人のいろんな思いや考えがあったから、今6人でいられるんだから。だから北斗に伝えたんだよ。ビックリしてたけど、髙地に“ありがとね”みたいなこと伝えてたな」

──次に樹くん。

「樹とは長いからね。なんだかんだいっしょで。俺のことを知ってるから樹はツッコめるし、樹のこと知ってるから俺は安心してボケられる。ジャニーさんが倒れる前のエピソードで、俺は人伝に聞いたんだけど、ジャニーさん、遠(yuǎn)目にいる俺のことを指さしながら“樹は最近どうなの?”って言ってたんだって。髪の色がちょうど似てた時(shí)期で。たいした話に聞こえないと思うんだけど、俺にとっては、すげーうれしいエピソードで。ジャニーさん、忙しいから興味あるJr.とそうじゃないJr.がわりとはっきりしてて。SixTONESのこと、最初はそんなに興味なかったと思うんだよね。俺はメンバーのよさがもっと伝わればなってずっと思ってた。そんなジャニーさんが、メンバーのこと、じつは気づかってくれてるのを知ってうれしかった。まあ、指さしてたのは樹じゃなくて俺だったってオチはつくんだけどさ(笑)」

──京本くん。

「大我は歌のイメージが強(qiáng)いかな。グループの支えですよ。京本政樹さんの息子ってことで偏見を持たれることも多かったと思う。でも今、『エリザベート』のような大きなミュージカルの舞臺(tái)に実力で立ってる。普段はフワフワしてんのにやるときはやる。ギャップが強(qiáng)烈というか。それこそ『バカレア』の撮影期間、俺は5人といろんなことを話して、それぞれの個(gè)性、キャラクターを知って、“もしこの6人でグループが組めたら、ソロではそれぞれの場所で活躍して、グループに戻ったときに爆発的におもしろいことができるんじゃないか”って思ったんだよね。そう思ったきっかけが大我だったと思う」

──京本くん、ジェシーくんに辭めたいって相談したことがあったんでしょ?

「あったかもしれないけど忘れた。ちょっと1回みんな集めてもらっていい!? 俺、記憶力ないから、そんなことあったか聞くんで(笑)」

──最後に慎太郎くん。

「慎太郎は男らしくなった。でも変わらないことも多いかな。あいつも考える人だからね。何より、俺の中では慎太郎は昔からずっとメインの人。映畫の主演、スノープリンス、『バカレア』だってそう。メインが誰よりも似合うって思ってる。慎太郎は恥ずかしがり屋だから、“あれ、やんなよ”って言っても、“いいよいいよ”って斷ることが多いけど、やろうと思ったらなんだってできる。SixTONESのこれからの飛躍に欠かせないのが慎太郎だと勝手に期待してる」

──じゃあ、これからの夢(mèng)を教えて。

「6人の関係性はこのまま。それぞれが個(gè)人仕事をがんばって、6人になるとふざけてばっかなのに、本気になるとなんかすごいねってオーラというか、そういうのは磨き続けたいかな。グループとしての目標(biāo)や夢(mèng)は決めないことにしてるけど、かなえたいことはたくさんあって。ドーム、野外、いろんな場所でライブしてみたい。海外にも行ってみたい。ジャニーさんも、そこは視野に入れてたからね。いつかかなえたいよね。もちろん焦る必要はないけど、挑戦することを恐れる必要もないと思ってる。元々どん底から始まった6人なんだから、もしこれから大きな挫折を経験したとしても、何度だって這い上がればいいだけだから。それにグループ結(jié)成6年、今は數(shù)えきれないくらい大勢(shì)の仲間がいる。俺、Team SixTONESって呼び方が本當(dāng)に好きで。ファンはメンバーであり、マネージャーのような存在というか。何かがあれば大勢(shì)に情報(bào)を広めてくれたり、メンバーがこうしたいって決めたことを守ってくれたり。応援どころか、いっしょにグループを大きくしてくれてる感覚なんだよね。だから、6人じゃあかなえられないことだってTeam SixTONESだったらきっとかなえられる。これから、まだ見たことのない景色を、どんな景色も6人じゃない、Team SixTONESでいっしょに見たいよね」


SixTONES萬字訪談杰西篇的評(píng)論 (共 條)

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