徒然草 第89段 奧山に、貓またといふものありて、人を食ふなる?吉田兼好 日文念

奧山に、貓またといふものありて、人を食ふなる:奧山に「貓また」というものが棲んでいて、人間を食う、という。藤原定家の『名月記』では、「目は貓のごとく、體は犬の長(zhǎng)さの如し」とある。野犬などが元か?
貓の経上りて:貓が経験をつんで。そして、「貓また」になるという。
何阿彌陀仏とかや:何とか阿彌陀仏という名の僧侶。浄土宗系の僧侶であろう。
行願(yuàn)寺の辺にありけるが聞きて:行願(yuàn)寺は京都一條、油小路東にあった天臺(tái)宗の寺だったので、この連歌をやっている僧侶の寺ではなさそう。
「助けよや、貓またよやよや」:助けて!助けて!貓まただ、やいやい」。
松どもともして走り寄りて見れば:たいまつなどともして走ってきてみれば。
連歌の賭物取りて、扇?小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ:連歌の會(huì)でせしめた景品の扇や小箱など懐に入れていたものはみな水に濡れてしまった。この時(shí)代、すでに連歌はゲーム化して、勝った負(fù)けたという世界になっていたのである。
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