日語(yǔ)《我是貓》第五章

五 二十四時(shí)間の出來(lái)事を洩もれなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時(shí)間かかるだろう、いくら寫生文を鼓吹こすいする吾輩でもこれは到底貓の企くわだて及ぶべからざる蕓當(dāng)と自白せざるを得ない。従っていかに吾輩の主人が、二六時(shí)中精細(xì)なる描寫に価する奇言奇行を弄ろうするにも関かかわらず逐一これを読者に報(bào)知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾いかんである。遺憾ではあるがやむを得ない。休養(yǎng)は貓といえども必要である。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯こがらしのはたと吹き息やんで、しんしんと降る雪の夜のごとく靜かになった。主人は例のごとく書斎へ引き籠こもる。小供は六畳の間まへ枕をならべて寢る。一間半の襖ふすまを隔てて南向の室へやには細(xì)君が數(shù)え年三つになる、めん子さんと添乳そえぢして橫になる?;〞窑辘四氦欷蚣堡い廊栅霞菠趣浃沥啤⒈恧蛲à腭x下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町となりちょうの下宿で明笛みんてきを吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底じていに折々鈍い刺激を與える。外面そとは大方朧おぼろであろう。晩餐に半はんぺんの煮汁だしで鮑貝あわびがいをからにした腹ではどうしても休養(yǎng)が必要である。 ほのかに承うけたまわれば世間には貓の戀とか稱する俳諧はいかい趣味の現(xiàn)象があって、春さきは町內(nèi)の同族共の夢(mèng)安からぬまで浮かれ歩あるく夜もあるとか云うが、吾輩はまだかかる心的変化に遭逢そうほうした事はない。そもそも戀は宇宙的の活力である。上かみは在天の神ジュピターより下しもは土中に鳴く蚯蚓みみず、おけらに至るまでこの道にかけて浮身を窶やつすのが萬(wàn)物の習(xí)いであるから、吾輩どもが朧おぼろうれしと、物騒な風(fēng)流気を出すのも無(wú)理のない話しである?;仡櫎工欷肖皮いξ彷叅馊婴撙堡长怂激そ工长欷渴陇猡ⅳ?。三角主義の張本金田君の令嬢阿倍川の富子さえ寒月君に戀慕したと云う噂うわさである。それだから千金の春宵しゅんしょうを心も空に満天下の雌貓雄貓めねこおねこが狂い廻るのを煩悩ぼんのうの迷まよいのと軽蔑けいべつする念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。吾輩目下の狀態(tài)はただ休養(yǎng)を欲するのみである。こう眠くては戀も出來(lái)ぬ。のそのそと小供の布団ふとんの裾すそへ廻って心地快ここちよく眠る。…… ふと眼を開あいて見ると主人はいつの間まにか書斎から寢室へ來(lái)て細(xì)君の隣に延べてある布団ふとんの中にいつの間にか潛もぐり込んでいる。主人の癖として寢る時(shí)は必ず橫文字の小本こほんを書斎から攜たずさえて來(lái)る。しかし橫になってこの本を二頁(yè)ページと続けて読んだ事はない。ある時(shí)は持って來(lái)て枕元へ置いたなり、まるで手を觸れぬ事さえある。一行も読まぬくらいならわざわざ提さげてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細(xì)君が笑っても、止せと云っても、決して承知しない。毎夜読まない本をご苦労千萬(wàn)にも寢室まで運(yùn)んでくる。ある時(shí)は慾張って三四冊(cè)も抱えて來(lái)る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えて來(lái)たくらいである。思うにこれは主人の病気で贅沢ぜいたくな人が竜文堂りゅうぶんどうに鳴る松風(fēng)の音を聞かないと寢つかれないごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであろう、して見ると主人に取っては書物は読む者ではない眠を誘う器械である?;畎妞嗡邉垽扦ⅳ?。 今夜も何か有るだろうと覗のぞいて見ると、赤い薄い本が主人の口髯くちひげの先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっている。主人の左の手の拇指おやゆびが本の間に挾はさまったままであるところから推おすと奇特にも今夜は五六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時(shí)計(jì)たもとどけいが春に似合わぬ寒き色を放っている。 細(xì)君は乳呑児ちのみごを一尺ばかり先へ放り出して口を開あいていびきをかいて枕を外はずしている。およそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寢るほどの不體裁はあるまいと思う。貓などは生涯しょうがいこんな恥をかいた事がない。元來(lái)口は音を出すため鼻は空気を吐呑とどんするための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無(wú)精になってなるべく口をあくまいと倹約をする結(jié)果鼻で言語(yǔ)を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞へいそくして口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりも見ともないと思う。第一天井から鼠ねずみの糞ふんでも落ちた時(shí)危険である。 小供の方はと見るとこれも親に劣らぬ體ていたらくで寢そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだと云わぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子はその復(fù)讐ふくしゅうに姉の腹の上に片足をあげて踏反ふんぞり返っている。雙方共寢た時(shí)の姿勢(shì)より九十度はたしかに廻転している。しかもこの不自然なる姿勢(shì)を維持しつつ両人とも不平も云わずおとなしく熟睡している。 さすがに春の燈火ともしびは格別である。天真爛漫らんまんながら無(wú)風(fēng)流極まるこの光景の裏うちに良夜を惜しめとばかり床ゆかしげに輝やいて見える。もう何時(shí)なんじだろうと室へやの中を見廻すと四隣はしんとしてただ聞えるものは柱時(shí)計(jì)と細(xì)君のいびきと遠(yuǎn)方で下女の歯軋はぎしりをする音のみである。この下女は人から歯軋りをすると云われるといつでもこれを否定する女である。私は生れてから今日こんにちに至るまで歯軋りをした覚おぼえはございませんと強(qiáng)情を張って決して直しましょうとも御気の毒でございますとも云わず、ただそんな覚はございませんと主張する。なるほど寢ていてする蕓だから覚はないに違ない。しかし事実は覚がなくても存在する事があるから困る。世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えているものがある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無(wú)邪気で結(jié)構(gòu)ではあるが、人の困る事実はいかに無(wú)邪気でも滅卻する訳には行かぬ。こう云う紳士淑女はこの下女の系統(tǒng)に屬するのだと思う。――夜よは大分更だいぶふけたようだ。 臺(tái)所の雨戸にトントンと二返ばかり軽く中あたった者がある。はてな今頃人の來(lái)るはずがない。大方例の鼠だろう、鼠なら捕とらん事に極めているから勝手にあばれるが宜よろしい。――またトントンと中あたる。どうも鼠らしくない。鼠としても大変用心深い鼠である。主人の內(nèi)の鼠は、主人の出る學(xué)校の生徒のごとく日中にっちゅうでも夜中やちゅうでも亂暴狼藉ろうぜきの練修に余念なく、憫然びんぜんなる主人の夢(mèng)を驚破きょうはするのを天職のごとく心得ている連中だから、かくのごとく遠(yuǎn)慮する訳がない。今のはたしかに鼠ではない。せんだってなどは主人の寢室にまで闖入ちんにゅうして高からぬ主人の鼻の頭を囓かんで凱歌がいかを奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまり臆病すぎる。決して鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、同時(shí)に腰障子を出來(lái)るだけ緩ゆるやかに、溝に添うて滑すべらせる。いよいよ鼠ではない。人間だ。この深夜に人間が案內(nèi)も乞わず戸締とじまりを外はずして御光來(lái)になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないに極きまっている。御高名だけはかねて承うけたまわっている泥棒陰士どろぼういんしではないか知らん。いよいよ陰士とすれば早く尊顔そんがんを拝したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足ふたあしばかり進(jìn)んだ模様である。三足目と思う頃揚(yáng)板あげいたに蹶つまずいてか、ガタリと夜よるに響くような音を立てた。吾輩の背中せなかの毛が靴刷毛くつばけで逆に擦こすられたような心持がする。しばらくは足音もしない。細(xì)君を見ると未まだ口をあいて太平の空気を夢(mèng)中に吐呑とどんしている。主人は赤い本に拇指おやゆびを挾はさまれた夢(mèng)でも見ているのだろう。やがて臺(tái)所でマチを擦する音が聞える。陰士でも吾輩ほど夜陰に眼は利きかぬと見える。勝手がわるくて定めし不都合だろう。 この時(shí)吾輩は蹲踞うずくまりながら考えた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現(xiàn)するのであろうか、または左へ折れ玄関を通過(guò)して書斎へと抜けるであろうか。――足音は襖ふすまの音と共に椽側(cè)えんがわへ出た。陰士はいよいよ書斎へ這入はいった。それぎり音も沙汰もない。 吾輩はこの間まに早く主人夫婦を起してやりたいものだとようやく気が付いたが、さてどうしたら起きるやら、一向いっこう要領(lǐng)を得ん考のみが頭の中に水車みずぐるまの勢(shì)で廻転するのみで、何等の分別も出ない。布団ふとんの裾すそを啣くわえて振って見たらと思って、二三度やって見たが少しも効用がない。冷たい鼻を頬に擦すり付けたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらを否いやと云うほど突き飛ばした。鼻は貓にとっても急所である。痛む事おびただしい。此度こんどは仕方がないからにゃーにゃーと二返ばかり鳴いて起こそうとしたが、どう云うものかこの時(shí)ばかりは咽喉のどに物が痞つかえて思うような聲が出ない。やっとの思いで渋りながら低い奴を少々出すと驚いた。肝心かんじんの主人は覚さめる気色けしきもないのに突然陰士の足音がし出した。ミチリミチリと椽側(cè)を伝つたって近づいて來(lái)る。いよいよ來(lái)たな、こうなってはもう駄目だと諦あきらめて、襖ふすまと柳行李やなぎごうりの間にしばしの間身を忍ばせて動(dòng)靜を窺うかがう。 陰士の足音は寢室の障子の前へ來(lái)てぴたりと已やむ。吾輩は息を凝こらして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。あとで考えたが鼠を捕とる時(shí)は、こんな気分になれば訳はないのだ、魂たましいが両方の眼から飛び出しそうな勢(shì)いきおいである。陰士の御蔭で二度とない悟さとりを開いたのは実にありがたい。たちまち障子の桟さんの三つ目が雨に濡れたように真中だけ色が変る。それを透すかして薄紅うすくれないなものがだんだん濃く寫ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしの間まに暗い中に消える。入れ代って何だか恐しく光るものが一つ、破れた孔あなの向側(cè)にあらわれる。疑いもなく陰士の眼である。妙な事にはその眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、ただ柳行李の後うしろに隠れていた吾輩のみを見つめているように感ぜられた。一分にも足らぬ間ではあったが、こう睨にらまれては壽命が縮まると思ったくらいである。もう我慢出來(lái)んから行李の影から飛出そうと決心した時(shí)、寢室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらわれた。 吾輩は敘述の順序として、不時(shí)の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄譽(yù)を有する訳わけであるが、その前ちょっと卑見を開陳かいちんしてご高慮を煩わずらわしたい事がある。古代の神は全智全能と崇あがめられている。ことに耶蘇教ヤソきょうの神は二十世紀(jì)の今日こんにちまでもこの全智全能の面めんを被かぶっている。しかし俗人の考うる全智全能は、時(shí)によると無(wú)智無(wú)能とも解釈が出來(lái)る。こう云うのは明かにパラドックスである。しかるにこのパラドックスを道破どうはした者は天地開闢てんちかいびゃく以來(lái)吾輩のみであろうと考えると、自分ながら満更まんざらな貓でもないと云う虛栄心も出るから、是非共ここにその理由を申し上げて、貓も馬鹿に出來(lái)ないと云う事を、高慢なる人間諸君の脳裏のうりに叩き込みたいと考える。天地萬(wàn)有は神が作ったそうな、して見れば人間も神の御製作であろう?,F(xiàn)に聖書とか云うものにはその通りと明記してあるそうだ。さてこの人間について、人間自身が數(shù)千年來(lái)の観察を積んで、大おおいに玄妙不思議がると同時(shí)に、ますます神の全智全能を承認(rèn)するように傾いた事実がある。それは外ほかでもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界中に一人もいない。顔の道具は無(wú)論極きまっている、大おおきさも大概は似たり寄ったりである。換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられている、同じ材料で出來(lái)ているにも関らず一人も同じ結(jié)果に出來(lái)上っておらん。よくまああれだけの簡(jiǎn)単な材料でかくまで異様な顔を思いついた者だと思うと、製造家の伎倆ぎりょうに感服せざるを得ない。よほど獨(dú)創(chuàng)的な想像力がないとこんな変化は出來(lái)んのである。一代の畫工が精力を消耗しょうこうして変化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出來(lái)んのをもって推おせば、人間の製造を一手いってで受負(fù)うけおった神の手際てぎわは格別な者だと驚嘆せざるを得ない。到底人間社會(huì)において目撃し得ざる底ていの伎倆であるから、これを全能的伎倆と云っても差さし支つかえないだろう。人間はこの點(diǎn)において大おおいに神に恐れ入っているようである、なるほど人間の観察點(diǎn)から云えばもっともな恐れ入り方である。しかし貓の立場(chǎng)から云うと同一の事実がかえって神の無(wú)能力を証明しているとも解釈が出來(lái)る。もし全然無(wú)能でなくとも人間以上の能力は決してない者であると斷定が出來(lái)るだろうと思う。神が人間の數(shù)だけそれだけ多くの顔を製造したと云うが、當(dāng)初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または貓も杓子しゃくしも同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうてい旨うまく行かなくて出來(lái)るのも出來(lái)るのも作り損そこねてこの亂雑な狀態(tài)に陥おちいったものか、分らんではないか。彼等顔面の構(gòu)造は神の成功の紀(jì)念と見らるると同時(shí)に失敗の痕跡こんせきとも判ぜらるるではないか。全能とも云えようが、無(wú)能と評(píng)したって差し支えはない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時(shí)いちじに見る事が出來(lái)んから事物の半面だけしか視線內(nèi)に這入はいらんのは気の毒な次第である。立場(chǎng)を換かえて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社會(huì)に日夜間斷なく起りつつあるのだが、本人逆のぼせ上がって、神に呑のまれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚もこうを示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを雙幅そうふく見せろと逼せまると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方がかえって困難かも知れぬ。弘法大師に向って昨日きのう書いた通りの筆法で空海と願(yuàn)いますと云う方がまるで書體を換かえてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用うる國(guó)語(yǔ)は全然模傚主義もこうしゅぎで伝習(xí)するものである。彼等人間が母から、乳母うばから、他人から実用上の言語(yǔ)を習(xí)う時(shí)には、ただ聞いた通りを繰り返すよりほかに毛頭の野心はないのである。出來(lái)るだけの能力で人真似をするのである。かように人真似から成立する國(guó)語(yǔ)が十年二十年と立つうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚もこうの能力がないと云う事を証明している。純粋の模傚もこうはかくのごとく至難なものである。従って神が彼等人間を區(qū)別の出來(lái)ぬよう、悉皆しっかい焼印の御かめのごとく作り得たならばますます神の全能を表明し得るもので、同時(shí)に今日こんにちのごとく勝手次第な顔を天日てんぴに曝さらさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無(wú)能力を推知し得るの具ともなり得るのである。 吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。本もとを忘卻するのは人間にさえありがちの事であるから貓には當(dāng)然の事さと大目に見て貰いたい。とにかく吾輩は寢室の障子をあけて敷居の上にぬっと現(xiàn)われた泥棒陰士を瞥見べっけんした時(shí)、以上の感想が自然と胸中に湧わき出でたのである。なぜ湧いた?――なぜと云う質(zhì)問が出れば、今一応考え直して見なければならん。――ええと、その訳はこうである。 吾輩の眼前に悠然ゆうぜんとあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――平常ふだん神の製作についてその出來(lái)栄できばえをあるいは無(wú)能の結(jié)果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時(shí)に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼の眉目びもくがわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜うり二つであると云う事実である。吾輩は無(wú)論泥棒に多くの知己ちきは持たぬが、その行為の亂暴なところから平常ふだん想像して私ひそかに胸中に描えがいていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨くらいの眼をつけた、毬栗頭いがぐりあたまにきまっていると自分で勝手に極きめたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像は決して逞たくましくするものではない。この陰士は背せいのすらりとした、色の淺黒い一の字眉の、意気で立派な泥棒である。年は二十六七歳でもあろう、それすら寒月君の寫生である。神もこんな似た顔を二個(gè)製造し得る手際てぎわがあるとすれば、決して無(wú)能をもって目する訳には行かぬ。いや実際の事を云うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して來(lái)たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒く髯ひげの芽生めばえが植え付けてないのでさては別人だと気が付いた。寒月君は苦味にがみばしった好男子で、活動(dòng)小切手と迷亭から稱せられたる、金田富子?jì)荬騼?yōu)に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用において決して寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の眼付や口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にも惚ほれ込まなくては義理が悪い。義理はとにかく、論理に合わない。ああ云う才気のある、何でも早分りのする性質(zhì)たちだからこのくらいの事は人から聞かんでもきっと分るであろう。して見ると寒月君の代りにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟きんしつ調(diào)和の実を挙げらるるに相違ない。萬(wàn)一寒月君が迷亭などの説法に動(dòng)かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未來(lái)の事件の発展をここまで予想して、富子?jì)荬韦郡幛?、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子?jì)荬紊瞍蛐腋¥胜椁筏啶胍淮笠扦ⅳ搿? 陰士は小脇になにか抱えている。見ると先刻さっき主人が書斎へ放り込んだ古毛布ふるげっとである。唐桟とうざんの半纏はんてんに、御納戸おなんどの博多はかたの帯を尻の上にむすんで、生白なまじろい脛すねは膝ひざから下むき出しのまま今や片足を挙げて畳の上へ入れる。先刻さっきから赤い本に指を噛かまれた夢(mèng)を見ていた、主人はこの時(shí)寢返りを堂どうと打ちながら「寒月だ」と大きな聲を出す。陰士は毛布けっとを落して、出した足を急に引き込ます。障子の影に細(xì)長(zhǎng)い向脛むこうずねが二本立ったまま微かすかに動(dòng)くのが見える。主人はうーん、むにゃむにゃと云いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病ひぜんやみのようにぼりぼり掻かく。そのあとは靜まり返って、枕をはずしたなり寢てしまう。寒月だと云ったのは全く我知らずの寢言と見える。陰士はしばらく椽側(cè)えんがわに立ったまま室內(nèi)の動(dòng)靜をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見済みすましてまた片足を畳の上に入れる。今度は寒月だと云う聲も聞えぬ。やがて殘る片足も踏み込む。一穂いっすいの春燈しゅんとうで豊かに照らされていた六畳の間まは、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李やなぎごうりの辺へんから吾輩の頭の上を越えて壁の半なかばが真黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然ばくぜんと動(dòng)いている。好男子も影だけ見ると、八やつ頭がしらの化ばけ物もののごとくまことに妙な恰好かっこうである。陰士は細(xì)君の寢顔を上から覗のぞき込んで見たが何のためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模寫であるには吾輩も驚いた。 細(xì)君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付くぎづけにした箱が大事そうに置いてある。これは肥前の國(guó)は唐津からつの住人多々良三平君たたらさんぺいくんが先日帰省した時(shí)御土産おみやげに持って來(lái)た山の芋いもである。山の芋を枕元へ飾って寢るのはあまり例のない話しではあるがこの細(xì)君は煮物に使う三盆さんぼんを用簞笥ようだんすへ入れるくらい場(chǎng)所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細(xì)君にとれば、山の芋は愚おろか、沢庵たくあんが寢室に在あっても平気かも知れん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭重ていちょうに肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無(wú)理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分だいぶ目方が懸かかりそうなのですこぶる満足の體ていである。いよいよ山の芋を盜むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盜むなと思ったら急におかしくなった。しかし滅多めったに聲を立てると危険であるからじっと怺こらえている。 やがて陰士は山の芋の箱を恭うやうやしく古毛布ふるげっとにくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸い主人が寢る時(shí)に解ときすてた縮緬ちりめんの兵古帯へこおびがある。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかり括くくって、苦もなく背中へしょう。あまり女が好すく體裁ではない。それから小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめり安やすの股引ももひきの中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨ふくれて青大將あおだいしょうが蛙かえるを飲んだような――あるいは青大將の臨月りんげつと云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好かっこうになった。噓だと思うなら試しにやって見るがよろしい。陰士はめり安をぐるぐる首くびっ環(huán)たまへ捲まきつけた。その次はどうするかと思うと主人の紬つむぎの上著を大風(fēng)呂敷のように拡ひろげてこれに細(xì)君の帯と主人の羽織と繻絆じゅばんとその他あらゆる雑物ぞうもつを奇麗に畳んでくるみ込む。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細(xì)君の帯上げとしごきとを続つぎ合わせてこの包みを括くくって片手にさげる。まだ頂戴ちょうだいするものは無(wú)いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂たもとへ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプに翳かざして火を點(diǎn)つける。旨うまそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞めぐってまだ消えぬ間まに、陰士の足音は椽側(cè)えんがわを次第に遠(yuǎn)のいて聞えなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外迂濶うかつなものである。 吾輩はまた暫時(shí)ざんじの休養(yǎng)を要する。のべつに喋舌しゃべっていては身體が続かない。ぐっと寢込んで眼が覚さめた時(shí)は彌生やよいの空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時(shí)であった。 「それでは、ここから這入はいって寢室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向いっこう気がつかなかったのですな」 「ええ」と主人は少し極きまりがわるそうである。 「それで盜難に罹かかったのは何時(shí)なんじ頃ですか」と巡査は無(wú)理な事を聞く。時(shí)間が分るくらいなら何なにも盜まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質(zhì)問に対して相談をしている。 「何時(shí)頃かな」 「そうですね」と細(xì)君は考える。考えれば分ると思っているらしい。 「あなたは夕ゆうべ何時(shí)に御休みになったんですか」 「俺の寢たのは御前よりあとだ」 「ええ私わたくしの伏せったのは、あなたより前です」 「眼が覚めたのは何時(shí)だったかな」 「七時(shí)半でしたろう」 「すると盜賊の這入はいったのは、何時(shí)頃になるかな」 「なんでも夜なかでしょう」 「夜中よなかは分りきっているが、何時(shí)頃かと云うんだ」 「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細(xì)君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向いっこう痛癢つうようを感じないのである。噓でも何でも、いい加減な事を答えてくれれば宜よいと思っているのに主人夫婦が要領(lǐng)を得ない問答をしているものだから少々焦じれたくなったと見えて 「それじゃ盜難の時(shí)刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調(diào)子で 「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに 「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寢たところが盜賊が、どこそこの雨戸を外はずしてどこそこに忍び込んで品物を何點(diǎn)盜んで行ったから右告訴及みぎこくそにおよび候也そうろうなりという書面をお出しなさい。屆ではない告訴です。名宛なあてはない方がいい」 「品物は一々かくんですか」 「ええ羽織何點(diǎn)代価いくらと云う風(fēng)に表にして出すんです。――いや這入はいって見たって仕方がない。盜とられたあとなんだから」と平気な事を云って帰って行く。 主人は筆硯ふですずりを座敷の真中へ持ち出して、細(xì)君を前に呼びつけて「これから盜難告訴をかくから、盜られたものを一々云え。さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調(diào)で云う。 「あら厭いやだ、さあ云えだなんて、そんな権柄けんぺいずくで誰(shuí)が云うもんですか」と細(xì)帯を巻き付けたままどっかと腰を據(jù)すえる。 「その風(fēng)はなんだ、宿場(chǎng)女郎の出來(lái)?yè)pできそこない見たようだ。なぜ帯をしめて出て來(lái)ん」 「これで悪るければ買って下さい。宿場(chǎng)女郎でも何でも盜られりゃ仕方がないじゃありませんか」 「帯までとって行ったのか、苛ひどい奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」 「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子くろじゅすと縮緬ちりめんの腹合せの帯です」 「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋――価あたいはいくらくらいだ」 「六円くらいでしょう」 「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭くらいのにしておけ」 「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だと云うんです。女房なんどは、どんな汚ない風(fēng)をしていても、自分さい宜よけりゃ、構(gòu)わないんでしょう」 「まあいいや、それから何だ」 「糸織いとおりの羽織です、あれは河野こうのの叔母さんの形身かたみにもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」 「そんな講釈は聞かんでもいい。値段はいくらだ」 「十五円」 「十五円の羽織を著るなんて身分不相當(dāng)だ」 「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」 「その次は何だ」 「黒足袋が一足」 「御前のか」 「あなたんでさあね。代価が二十七銭」 「それから?」 「山の芋が一箱」 「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」 「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」 「いくらするか」 「山の芋のねだんまでは知りません」 「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」 「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津からつから掘って來(lái)たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」 「しかし御前は知らんと云うじゃないか」 「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」 「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン?パレオロガスだと云うんだ」 「何ですって」 「オタンチン?パレオロガスだよ」 「何ですそのオタンチン?パレオロガスって云うのは」 「何でもいい。それからあとは――俺の著物は一向いっこう出て來(lái)んじゃないか」 「あとは何でも宜ようござんす。オタンチン?パレオロガスの意味を聞かして頂戴ちょうだい」 「意味も何なにもあるもんか」 「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語(yǔ)を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」 「愚ぐな事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」 「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン?パレオロガスを教えて頂戴」 「うるさい女だな、意味も何にも無(wú)いと云うに」 「そんなら、品物の方もあとはありません」 「頑愚がんぐだな。それでは勝手にするがいい。俺はもう盜難告訴を書いてやらんから」 「私も品數(shù)しなかずを教えて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」 「それじゃ廃よそう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入はいる。細(xì)君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。両人ふたり共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子を睨にらめ付けている。 ところへ威勢(shì)よく玄関をあけて、山の芋の寄贈(zèng)者多々良三平たたらさんぺい君が上あがってくる。多々良三平君はもとこの家やの書生であったが今では法科大學(xué)を卒業(yè)してある會(huì)社の鉱山部に雇われている。これも実業(yè)家の芽生めばえで、鈴木藤十郎君の後進(jìn)生である。三平君は以前の関係から時(shí)々舊先生の草廬そうろを訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠(yuǎn)慮のない間柄である。 「奧さん。よか天気でござります」と唐津訛からつなまりか何かで細(xì)君の前にズボンのまま立て膝をつく。 「おや多々良さん」 「先生はどこぞ出なすったか」 「いいえ書斎にいます」 「奧さん、先生のごと勉強(qiáng)しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」 「わたしに言っても駄目だから、あなたが先生にそうおっしゃい」 「そればってんが……」と言い掛けた三平君は座敷中を見廻わして「今日は御嬢さんも見えんな」と半分妻君に聞いているや否や次の間まからとん子とすん子が馳け出して來(lái)る。 「多々良さん、今日は御壽司おすしを持って來(lái)て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭を掻かきながら 「よう覚えているのう、この次はきっと持って來(lái)ます。今日は忘れた」と白狀する。 「いやーだ」と姉が云うと妹もすぐ真似をして「いやーだ」とつける。細(xì)君はようやく御機(jī)嫌が直って少々笑顔になる。 「壽司は持って來(lái)んが、山の芋は上げたろう。御嬢さん喰べなさったか」 「山の芋ってなあに?」と姉がきくと妹が今度もまた真似をして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。 「まだ食いなさらんか、早く御母おかあさんに煮て御貰い。唐津からつの山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が國(guó)自慢をすると、細(xì)君はようやく気が付いて 「多々良さんせんだっては御親切に沢山ありがとう」 「どうです、喰べて見なすったか、折れんように箱を誂あつらえて堅(jiān)くつめて來(lái)たから、長(zhǎng)いままでありましたろう」 「ところがせっかく下すった山の芋を夕ゆうべ泥棒に取られてしまって」 「ぬす盜とが? 馬鹿な奴ですなあ。そげん山の芋の好きな男がおりますか?」と三平君大おおいに感心している。 「御母おかあさま、夕べ泥棒が這入はいったの?」と姉が尋ねる。 「ええ」と細(xì)君は軽かろく答える。 「泥棒が這入って――そうして――泥棒が這入って――どんな顔をして這入ったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細(xì)君も何と答えてよいか分らんので 「恐こわい顔をして這入りました」と返事をして多々良君の方を見る。 「恐い顔って多々良さん見たような顔なの」と姉が気の毒そうにもなく、押し返して聞く。 「何ですね。そんな失禮な事を」 「ハハハハ私わたしの顔はそんなに恐いですか。困ったな」と頭を掻かく。多々良君の頭の後部には直徑一寸ばかりの禿はげがある。一カ月前から出來(lái)だして醫(yī)者に見て貰ったが、まだ容易に癒なおりそうもない。この禿を第一番に見付けたのは姉のとん子である。 「あら多々良さんの頭は御母おかあさまのように光ひかってよ」 「だまっていらっしゃいと云うのに」 「御母あさま夕べの泥棒の頭も光かってて」とこれは妹の質(zhì)問である。細(xì)君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまり煩わずらわしくて話も何も出來(lái)ぬので「さあさあ御前さん達(dá)は少し御庭へ出て御遊びなさい。今に御母あさまが好い御菓子を上げるから」と細(xì)君はようやく子供を追いやって 「多々良さんの頭はどうしたの」と真面目に聞いて見る。 「蟲が食いました。なかなか癒りません。奧さんも有んなさるか」 「やだわ、蟲が食うなんて、そりゃ髷まげで釣るところは女だから少しは禿げますさ」 「禿はみんなバクテリヤですばい」 「わたしのはバクテリヤじゃありません」 「そりゃ奧さん意地張りたい」 「何でもバクテリヤじゃありません。しかし英語(yǔ)で禿の事を何とか云うでしょう」 「禿はボールドとか云います」 「いいえ、それじゃないの、もっと長(zhǎng)い名があるでしょう」 「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」 「先生はどうしても教えて下さらないから、あなたに聞くんです」 「私わたしはボールドより知りませんが。長(zhǎng)かって、どげんですか」 「オタンチン?パレオロガスと云うんです。オタンチンと云うのが禿と云う字で、パレオロガスが頭なんでしょう」 「そうかも知れませんたい。今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調(diào)べて上げましょう。しかし先生もよほど変っていなさいますな。この天気の好いのに、うちにじっとして――奧さん、あれじゃ胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勧めなさい」 「あなたが連れ出して下さい。先生は女の云う事は決して聞かない人ですから」 「この頃でもジャムを舐なめなさるか」 「ええ相変らずです」 「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうも妻さいが俺のジャムの舐め方が烈しいと云って困るが、俺はそんなに舐めるつもりはない。何か勘定違いだろうと云いなさるから、そりゃ御嬢さんや奧さんがいっしょに舐めなさるに違ない――」 「いやな多々良さんだ、何だってそんな事を云うんです」 「しかし奧さんだって舐めそうな顔をしていなさるばい」 「顔でそんな事がどうして分ります」 「分らんばってんが――それじゃ奧さん少しも舐めなさらんか」 「そりゃ少しは舐めますさ。舐めたって好いじゃありませんか。うちのものだもの」 「ハハハハそうだろうと思った――しかし本ほんの事こと、泥棒は飛んだ災(zāi)難でしたな。山の芋ばかり持って行いたのですか」 「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、不斷著をみんな取って行きました」 「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この貓が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。奧さん犬の大ふとか奴やつを是非一丁飼いなさい。――貓は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でも捕とりますか」 「一匹もとった事はありません。本當(dāng)に橫著な図々図々ずうずうしい貓ですよ」 「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさい。私わたしが貰って行って煮て食おうか知らん」 「あら、多々良さんは貓を食べるの」 「食いました。貓は旨うもうござります」 「隨分豪傑ね」 下等な書生のうちには貓を食うような野蠻人がある由よしはかねて伝聞したが、吾輩が平生眷顧けんこを辱かたじけのうする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢(mèng)にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業(yè)の日は淺きにも係かかわらず堂々たる一個(gè)の法學(xué)士で、六むつ井い物産會(huì)社の役員であるのだから吾輩の驚愕きょうがくもまた一と通りではない。人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら貓食いと思えとは吾輩も多々良君の御蔭によって始めて感得した真理である。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油斷がならなくなる。狡猾こうかつになるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護(hù)身服を著けるのも皆事を知るの結(jié)果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人に碌ろくなものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君の鍋なべの中で玉蔥たまねぎと共に成仏じょうぶつする方が得策かも知れんと考えて隅すみの方に小さくなっていると、最前さいぜん細(xì)君と喧嘩をして一反いったん書斎へ引き上げた主人は、多々良君の聲を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。 「先生泥棒に逢いなさったそうですな。なんちゅ愚ぐな事です」と劈頭へきとう一番にやり込める。 「這入はいる奴が愚ぐなんだ」と主人はどこまでも賢人をもって自任している。 「這入る方も愚だばってんが、取られた方もあまり賢かしこくはなかごたる」 「何にも取られるものの無(wú)い多々良さんのようなのが一番賢こいんでしょう」と細(xì)君が此度こんどは良人おっとの肩を持つ。 「しかし一番愚なのはこの貓ですばい。ほんにまあ、どう云う了見じゃろう。鼠は捕とらず泥棒が來(lái)ても知らん顔をしている。――先生この貓を私わたしにくんなさらんか。こうしておいたっちゃ何の役にも立ちませんばい」 「やっても好い。何にするんだ」 「煮て喰べます」 主人は猛烈なるこの一言いちごんを聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑を洩もらしたが、別段の返事もしないので、多々良君も是非食いたいとも云わなかったのは吾輩にとって望外の幸福である。主人はやがて話頭を転じて、 「貓はどうでも好いが、著物をとられたので寒くていかん」と大おおいに銷沈しょうちんの體ていである。なるほど寒いはずである。昨日きのうまでは綿入を二枚重ねていたのに今日は袷あわせに半袖はんそでのシャツだけで、朝から運(yùn)動(dòng)もせず枯坐こざしたぎりであるから、不充分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へは少しも巡回して來(lái)ない。 「先生教師などをしておったちゃとうていあかんですばい。ちょっと泥棒に逢っても、すぐ困る――一丁いっちょう今から考を換かえて実業(yè)家にでもなんなさらんか」 「先生は実業(yè)家は嫌きらいだから、そんな事を言ったって駄目よ」 と細(xì)君が傍そばから多々良君に返事をする。細(xì)君は無(wú)論実業(yè)家になって貰いたいのである。 「先生學(xué)校を卒業(yè)して何年になんなさるか」 「今年で九年目でしょう」と細(xì)君は主人を顧かえりみる。主人はそうだとも、そうで無(wú)いとも云わない。 「九年立っても月給は上がらず。いくら勉強(qiáng)しても人は褒ほめちゃくれず、郎君ろうくん獨(dú)寂寞ひとりせきばくですたい」と中學(xué)時(shí)代で覚えた詩(shī)の句を細(xì)君のために朗吟すると、細(xì)君はちょっと分りかねたものだから返事をしない。 「教師は無(wú)論嫌きらいだが、実業(yè)家はなお嫌いだ」と主人は何が好きだか心の裏うちで考えているらしい。 「先生は何でも嫌なんだから……」 「嫌でないのは奧さんだけですか」と多々良君柄がらに似合わぬ冗談じょうだんを云う。 「一番嫌だ」主人の返事はもっとも簡(jiǎn)明である。細(xì)君は橫を向いてちょっと澄すましたが再び主人の方を見て、 「生きていらっしゃるのも御嫌おきらいなんでしょう」と充分主人を凹へこましたつもりで云う。 「あまり好いてはおらん」と存外呑気のんきな返事をする。これでは手のつけようがない。 「先生ちっと活溌かっぱつに散歩でもしなさらんと、からだを壊こわしてしまいますばい。――そうして実業(yè)家になんなさい。金なんか儲(chǔ)もうけるのは、ほんに造作ぞうさもない事でござります」 「少しも儲(chǔ)けもせん癖に」 「まだあなた、去年やっと會(huì)社へ這入はいったばかりですもの。それでも先生より貯蓄があります」 「どのくらい貯蓄したの?」と細(xì)君は熱心に聞く。 「もう五十円になります」 「一體あなたの月給はどのくらいなの」これも細(xì)君の質(zhì)問である。 「三十円ですたい。その內(nèi)を毎月五円宛ずつ會(huì)社の方で預(yù)って積んでおいて、いざと云う時(shí)にやります。――奧さん小遣銭で外濠線そとぼりせんの株を少し買いなさらんか、今から三四個(gè)月すると倍になります。ほんに少し金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」 「そんな御金があれば泥棒に逢ったって困りゃしないわ」 「それだから実業(yè)家に限ると云うんです。先生も法科でもやって會(huì)社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百円の収入はありますのに、惜しい事でござんしたな。――先生あの鈴木藤十郎と云う工學(xué)士を知ってなさるか」 「うん昨日きのう來(lái)た」 「そうでござんすか、せんだってある宴會(huì)で逢いました時(shí)先生の御話をしたら、そうか君は苦沙彌くしゃみ君のところの書生をしていたのか、僕も苦沙彌君とは昔むかし小石川の寺でいっしょに自炊をしておった事がある、今度行ったら宜よろしく云うてくれ、僕もその內(nèi)尋ねるからと云っていました」 「近頃東京へ來(lái)たそうだな」 「ええ今まで九州の炭坑におりましたが、こないだ東京詰づめになりました。なかなか旨うまいです。私わたしなぞにでも朋友のように話します。――先生あの男がいくら貰ってると思いなさる」 「知らん」 「月給が二百五十円で盆暮に配當(dāng)がつきますから、何でも平均四五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一狐裘いちこきゅうじゃ馬鹿気ておりますなあ」 「実際馬鹿気ているな」と主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間と異ことなるところはない。否困窮するだけに人一倍金が欲しいのかも知れない。多々良君は充分実業(yè)家の利益を吹聴ふいちょうしてもう云う事が無(wú)くなったものだから 「奧さん、先生のところへ水島寒月と云う人じんが來(lái)ますか」 「ええ、善くいらっしゃいます」 「どげんな人物ですか」 「大変學(xué)問の出來(lái)る方だそうです」 「好男子ですか」 「ホホホホ多々良さんくらいなものでしょう」 「そうですか、私わたしくらいなものですか」と多々良君真面目である。 「どうして寒月の名を知っているのかい」と主人が聞く。 「せんだって或る人から頼まれました。そんな事を聞くだけの価値のある人物でしょうか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構(gòu)えている。 「君よりよほどえらい男だ」 「そうでございますか、私わたしよりえらいですか」と笑いもせず怒おこりもせぬ。これが多々良君の特色である。 「近々きんきん博士になりますか」 「今論文を書いてるそうだ」 「やっぱり馬鹿ですな。博士論文をかくなんて、もう少し話せる人物かと思ったら」 「相変らず、えらい見識(shí)ですね」と細(xì)君が笑いながら云う。 「博士になったら、だれとかの娘をやるとかやらんとか云うていましたから、そんな馬鹿があろうか、娘を貰うために博士になるなんて、そんな人物にくれるより僕にくれる方がよほどましだと云ってやりました」 「だれに」 「私わたしに水島の事を聞いてくれと頼んだ男です」 「鈴木じゃないか」 「いいえ、あの人にゃ、まだそんな事は云い切りません。向うは大頭ですから」 「多々良さんは蔭弁慶かげべんけいね。うちへなんぞ來(lái)ちゃ大変威張っても鈴木さんなどの前へ出ると小さくなってるんでしょう」 「ええ。そうせんと、あぶないです」 「多々良、散歩をしようか」と突然主人が云う。先刻さっきから袷あわせ一枚であまり寒いので少し運(yùn)動(dòng)でもしたら暖かになるだろうと云う考から主人はこの先例のない動(dòng)議を呈出したのである。行き當(dāng)りばったりの多々良君は無(wú)論逡巡しゅんじゅんする訳がない。 「行きましょう。上野にしますか。芋坂いもざかへ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奧さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁を揮ふるってるうちに主人はもう帽子を被って沓脫くつぬぎへ下りる。 吾輩はまた少々休養(yǎng)を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、また尾行びこうする勇気もないからずっと略してその間あいだ休養(yǎng)せんければならん。休養(yǎng)は萬(wàn)物の旻天びんてんから要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務(wù)を有して蠢動(dòng)しゅんどうする者は、生息の義務(wù)を果すために休養(yǎng)を得ねばならぬ。もし神ありて汝なんじは働くために生れたり寢るために生れたるに非ずと云わば吾輩はこれに答えて云わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたり故に働くために休養(yǎng)を乞うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強(qiáng)漢ぼくきょうかんですら、時(shí)々は日曜以外に自弁休養(yǎng)をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令たとい貓といえども主人以上に休養(yǎng)を要するは勿論の事である。ただ先刻さっき多々良君が吾輩を目して休養(yǎng)以外に何等の能もない贅物ぜいぶつのごとくに罵ののしったのは少々気掛りである。とかく物象ぶっしょうにのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動(dòng)もないので、他を評(píng)価するのでも形骸以外に渉わたらんのは厄介である。何でも尻でも端折はしょって、汗でも出さないと働らいていないように考えている。達(dá)磨だるまと云う坊さんは足の腐るまで座禪をして澄ましていたと云うが、仮令たとい壁の隙すきから蔦つたが這い込んで大師の眼口を塞ふさぐまで動(dòng)かないにしろ、寢ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動(dòng)して、廓然無(wú)聖かくねんむしょうなどと乙な理窟を考え込んでいる。儒家にも靜坐の工夫と云うのがあるそうだ。これだって一室の中うちに閉居して安閑と躄いざりの修行をするのではない。脳中の活力は人一倍熾さかんに燃えている。ただ外見上は至極沈靜端粛の態(tài)ていであるから、天下の凡眼はこれらの知識(shí)巨匠をもって昏睡仮死こんすいかしの庸人ようじんと見做みなして無(wú)用の長(zhǎng)物とか穀潰ごくつぶしとか入らざる誹謗ひぼうの聲を立てるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、――しかも彼かの多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎橛かんしけつ同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、淺薄なる三平君に一も二もなく同意して、貓鍋ねこなべに故障を挾さしはさむ景色けしきのない事である。しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑けいべつするのも、あながち無(wú)理ではない。大聲は俚耳りじに入らず、陽(yáng)春白雪の詩(shī)には和するもの少なしの喩たとえも古い昔からある事だ。形體以外の活動(dòng)を見る能あたわざる者に向って己霊これいの光輝を見よと強(qiáng)しゆるは、坊主に髪を結(jié)いえと逼せまるがごとく、鮪まぐろに演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脫線を要求するがごとく、主人に辭職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものである。必竟ひっきょう無(wú)理な注文に過(guò)ぎん。しかしながら貓といえども社會(huì)的動(dòng)物である。社會(huì)的動(dòng)物である以上はいかに高く自みずから標(biāo)置するとも、或る程度までは社會(huì)と調(diào)和して行かねばならん。主人や細(xì)君や乃至ないし御おさん、三平連づれが吾輩を吾輩相當(dāng)に評(píng)価してくれんのは殘念ながら致し方がないとして、不明の結(jié)果皮を剝はいで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上のぼすような無(wú)分別をやられては由々ゆゆしき大事である。吾輩は頭をもって活動(dòng)すべき天命を受けてこの娑婆しゃばに出現(xiàn)したほどの古今來(lái)ここんらいの貓であれば、非常に大事な身體である。千金の子しは堂陲どうすいに坐せずとの諺ことわざもある事なれば、好んで超邁ちょうまいを宗そうとして、徒いたずらに吾身の危険を求むるのは単に自己の災(zāi)わざわいなるのみならず、また大いに天意に背そむく訳である。猛虎も動(dòng)物園に入れば糞豚ふんとんの隣りに居を占め、鴻雁こうがんも鳥屋に生擒いけどらるれば雛鶏すうけいと俎まないたを同おなじゅうす。庸人ようじんと相互あいごする以上は下くだって庸貓ようびょうと化せざるべからず。庸貓たらんとすれば鼠を捕とらざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極きめた。 せんだってじゅうから日本は露西亜ロシアと大戦爭(zhēng)をしているそうだ。吾輩は日本の貓だから無(wú)論日本贔負(fù)びいきである。出來(lái)得べくんば混成こんせい貓旅団ねこりょだんを組織して露西亜兵を引っ掻かいてやりたいと思うくらいである。かくまでに元?dú)萃ⅳΔ护い饰彷叅问陇扦ⅳ毪槭螭我获猡涠猡悉趣恧Δ趣工胍庵兢丹àⅳ欷?、寢ていても訳なく捕とれる。昔むかしある人當(dāng)時(shí)有名な禪師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、貓が鼠を覘ねらうようにさしゃれと答えたそうだ。貓が鼠をとるようにとは、かくさえすれば外はずれっこはござらぬと云う意味である。女賢さかしゅうしてと云う諺はあるが貓賢さかしゅうして鼠捕とり損そこなうと云う格言はまだ無(wú)いはずだ。して見ればいかに賢かしこい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風(fēng)に誘わるる花吹雪はなふぶきが臺(tái)所の腰障子の破れから飛び込んで手桶ておけの中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場(chǎng)を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線は勿論もちろんあまり広かろうはずがない。畳數(shù)にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺どうこがぴかぴかして、後うしろは羽目板の間まを二尺遺のこして吾輩の鮑貝あわびがいの所在地である。茶の間に近き六尺は膳椀ぜんわん皿小鉢さらこばちを入れる戸棚となって狹せまき臺(tái)所をいとど狹く仕切って、橫に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢すりばちが仰向あおむけに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木すりこぎが並んで懸か[#ルビの「か」は底本では「け」]けてある傍かたわらに火消壺だけが悄然しょうぜんと控ひかえている。真黒になった樽木たるきの交叉した真中から一本の自在じざいを下ろして、先へは平たい大きな籠かごをかける。その籠が時(shí)々風(fēng)に揺れて鷹揚(yáng)おうように動(dòng)いている。この籠は何のために釣るすのか、この家うちへ來(lái)たてには一向いっこう要領(lǐng)を得なかったが、貓の手の屆かぬためわざと食物をここへ入れると云う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じた。 これから作戦計(jì)畫だ。どこで鼠と戦爭(zhēng)するかと云えば無(wú)論鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜べんぎな地形だからと云って一人で待ち構(gòu)えていてはてんで戦爭(zhēng)にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から來(lái)るかなと臺(tái)所の真中に立って四方を見廻わす。何だか東郷大將のような心持がする。下女はさっき湯に行って戻って來(lái)こん。小供はとくに寢ている。主人は芋坂いもざかの団子を喰って帰って來(lái)て相変らず書斎に引き籠こもっている。細(xì)君は――細(xì)君は何をしているか知らない。大方居眠りをして山芋の夢(mèng)でも見ているのだろう。時(shí)々門前を人力じんりきが通るが、通り過(guò)ぎた後あとは一段と淋しい。わが決心と云い、わが意気と云い臺(tái)所の光景と云い、四辺しへんの寂寞せきばくと云い、全體の感じが悉ことごとく悲壯である。どうしても貓中ねこちゅうの東郷大將としか思われない。こう云う境界きょうがいに入ると物凄ものすごい內(nèi)に一種の愉快を覚えるのは誰(shuí)しも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が橫よこたわっているのを発見した。鼠と戦爭(zhēng)をするのは覚悟の前だから何疋來(lái)ても恐こわくはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を綜合そうごうして見ると鼠賊そぞくの逸出いっしゅつするのには三つの行路がある。彼れらがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ廻るに相違ない。その時(shí)は火消壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。あるいは溝みぞへ湯を抜く漆喰しっくいの穴より風(fēng)呂場(chǎng)を迂回うかいして勝手へ不意に飛び出すかも知れない。そうしたら釜の蓋ふたの上に陣取って眼の下に來(lái)た時(shí)上から飛び下りて一攫ひとつかみにする。それからとまたあたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形はんげつけいに喰い破られて、彼等の出入しゅつにゅうに便なるかの疑がある。鼻を付けて臭かいで見ると少々鼠臭くさい。もしここから吶喊とっかんして出たら、柱を楯たてにやり過(guò)ごしておいて、橫合からあっと爪をかける。もし天井から來(lái)たらと上を仰ぐと真黒な煤すすがランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際てぎわでは上のぼる事も、下くだる事も出來(lái)ん。まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒を解とく事にする。それにしても三方から攻撃される懸念けねんがある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕とるべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。さればと云って車屋の黒ごときものを助勢(shì)に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたら好かろう。どうしたら好かろうと考えて好い智慧ちえが出ない時(shí)は、そんな事は起る気遣きづかいはないと決めるのが一番安心を得る近道である。また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。まず世間を見渡して見給え。きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではないか、しかし聟殿むこどのは玉椿千代も八千代もなど、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が付かんからである。吾輩の場(chǎng)合でも三面攻撃は必ず起らぬと斷言すべき相當(dāng)の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は萬(wàn)物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと極きめる。 それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。三個(gè)の計(jì)略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自みずから明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶はんもんである。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風(fēng)呂場(chǎng)から現(xiàn)われる時(shí)はこれに対する計(jì)はかりごとがある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに極きめねばならぬとなると大おおいに當(dāng)惑する。東郷大將はバルチック艦隊(duì)が対馬海峽つしまかいきょうを通るか、津軽海峽つがるかいきょうへ出るか、あるいは遠(yuǎn)く宗谷海峽そうやかいきょうを廻るかについて大おおいに心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困卻の段実に御察し申す。吾輩は全體の狀況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。 吾輩がかく夢(mèng)中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子が開あいて御三おさんの顔がぬうと出る。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目よめでよく見えんのに、顔だけが著るしく強(qiáng)い色をして判然眸底ぼうていに落つるからである。御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜ゆうべに懲こりてか、早くから勝手の戸締とじまりをする。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う聲が聞える。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水えきすいの壯士を気取って、竜鳴りゅうめいを聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日きょうはステッキ、明日あすは何になるだろう。 夜はまだ淺い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前に一と休養(yǎng)を要する。 主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間らんまと云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。惜し気もなく散る彼岸桜ひがんざくらを誘うて、颯さっと吹き込む風(fēng)に驚ろいて眼を覚さますと、朧月おぼろづきさえいつの間まに差してか、竈へっついの影は斜めに揚(yáng)板あげいたの上にかかる。寢過(guò)ごしはせぬかと二三度耳を振って家內(nèi)の容子ようすを窺うかがうと、しんとして昨夜のごとく柱時(shí)計(jì)の音のみ聞える。もう鼠の出る時(shí)分だ。どこから出るだろう。 戸棚の中でことことと音がしだす。小皿の縁ふちを足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の橫へすくんで待っている。なかなか出て來(lái)る景色けしきはない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時(shí)々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側(cè)でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時(shí)々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠(yuǎn)のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向うに現(xiàn)在敵が暴行を逞たくましくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん隨分気の長(zhǎng)い話だ。鼠は旅順椀りょじゅんわんの中で盛に舞踏會(huì)を催うしている。せめて吾輩の這入はいれるだけ御三がこの戸を開けておけば善いのに、気の利かぬ山出しだ。 今度はへっついの影で吾輩の鮑貝あわびがいがことりと鳴る。敵はこの方面へも來(lái)たなと、そーっと忍び足で近寄ると手桶ておけの間から尻尾しっぽがちらと見えたぎり流しの下へ隠れてしまった。しばらくすると風(fēng)呂場(chǎng)でうがい茶碗が金盥かなだらいにかちりと當(dāng)る。今度は後方うしろだと振りむく途端に、五寸近くある大おおきな奴がひらりと歯磨の袋を落して椽えんの下へ馳かけ込む。逃がすものかと続いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠を捕とるのは思ったよりむずかしい者である。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。 吾輩が風(fēng)呂場(chǎng)へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、臺(tái)所の真中に頑張がんばっていると三方面共少々ずつ騒ぎ立てる。小癪こしゃくと云おうか、卑怯ひきょうと云おうかとうてい彼等は君子の敵でない。吾輩は十五六回はあちら、こちらと気を疲らし心しんを労つからして奔走努力して見たがついに一度も成功しない。殘念ではあるがかかる小人しょうじんを敵にしてはいかなる東郷大將も施ほどこすべき策がない。始めは勇気もあり敵愾心てきがいしんもあり悲壯と云う崇高な美感さえあったがついには面倒と馬鹿気ているのと眠いのと疲れたので臺(tái)所の真中へ坐ったなり動(dòng)かない事になった。しかし動(dòng)かんでも八方睨はっぽうにらみを極きめ込んでいれば敵は小人だから大した事は出來(lái)んのである。目ざす敵と思った奴が、存外けちな野郎だと、戦爭(zhēng)が名譽(yù)だと云う感じが消えて悪にくいと云う念だけ殘る。悪にくいと云う念を通り過(guò)すと張り合が抜けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ気の利きいた事は出來(lái)ないのだからと軽蔑けいべつの極きょく眠ねむたくなる。吾輩は以上の徑路をたどって、ついに眠くなった。吾輩は眠る。休養(yǎng)は敵中に在あっても必要である。 橫向に庇ひさしを向いて開いた引窓から、また花吹雪はなふぶきを一塊ひとかたまりなげ込んで、烈しき風(fēng)の吾を遶めぐると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出した者が、避くる間まもあらばこそ、風(fēng)を切って吾輩の左の耳へ喰いつく。これに続く黒い影は後うしろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾しっぽへぶら下がる。瞬またたく間の出來(lái)事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上はねあがる。満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が橫顔に懸る。護(hù)謨管ゴムかんのごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入る。屈竟くっきょうの手懸てがかりに、砕くだけよとばかり尾を啣くわえながら左右にふると、尾のみは前歯の間に殘って胴體は古新聞で張った壁に當(dāng)って、揚(yáng)板の上に跳はね返る。起き上がるところを隙間すきまなく乗のし掛かかれば、毬まりを蹴けたるごとく、吾輩の鼻づらを掠かすめて釣り段の縁ふちに足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。その中に月の光りが、大幅おおはばの帯を空くうに張るごとく橫に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。前足だけは首尾よく棚の縁ふちにかかったが後足あとあしは宙にもがいている。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢(shì)で喰い下っている。吾輩は危あやうい。前足を懸かけ易かえて足懸あしがかりを深くしようとする。懸け易える度に尻尾の重みで淺くなる。二三分にさんぶ滑れば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危うい。棚板を爪で掻かきむしる音ががりがりと聞える。これではならぬと左の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下った。自分と尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと廻わる。この時(shí)まで身動(dòng)きもせずに覘ねらいをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りる。吾輩の爪は一縷いちるのかかりを失う。三つの塊かたまりが一つとなって月の光を竪たてに切って下へ落ちる。次の段に乗せてあった摺鉢すりばちと、摺鉢の中の小桶こおけとジャムの空缶あきかんが同じく一塊ひとかたまりとなって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕みずがめの中、半分は板の間の上へ転がり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。 「泥棒!」と主人は胴間聲どうまごえを張り上げて寢室から飛び出して來(lái)る。見ると片手にはランプを提さげ、片手にはステッキを持って、寢ぼけ眼まなこよりは身分相応の炯々けいけいたる光を放っている。吾輩は鮑貝あわびがいの傍そばにおとなしくして蹲踞うずくまる。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無(wú)沙汰に「何だ誰(shuí)だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切はんきれほどに細(xì)くなった。