芥川龍之介《羅生門》講義(五)轉(zhuǎn)載&完結(jié)
一、正文
§「羅生門」と「高野聖」
????????極めて近代的な意匠をこらした「羅生門」を、それと一見対極にある小説と比べてみたい。それによって近代的なるものがより鮮明に照らし出されるのではないか。比較のために持ち出すのは、泉鏡花の「高野聖」である。芥川龍之介と泉鏡花は文學(xué)史的な位置づけも対照的といっていい。硯友社の中心作家、尾崎紅葉(一八六八―一九〇三)の死と入れ替わるかのように、紅葉より一歳年長の夏目漱石が小説を書き出し、江戸時(shí)代を引きずったかのような硯友社の文學(xué)とは対蹠的な新しい文學(xué)の潮流を作り出した。芥川はその漱石に連なる。一方、泉鏡花は尾崎紅葉の弟子として小説を書き始め、芥川が時(shí)代の表舞臺(tái)で活躍している時(shí)期に、いわばその裏側(cè)でせっせと自分の小説世界を繰り広げていた。江戸の面影がのこる路地裏のひっそりとした住まいで火鉢に手をあてながら書き続けたかのように。まったくかけ離れるかに見える二人であるが、実は接點(diǎn)はあって、芥川は鏡花全集の賛辭を書いているし、芥川の葬儀の席では泉鏡花が真情あふれた、そして名文とはこういうものをいうのかとうなるような弔辭を読んでいる。芥川はこれもまた資質(zhì)のうえでも文學(xué)のうえでも相い容れない志賀直哉を羨望していたとはよく言われるが、実は彼は泉鏡花に対してこそ自分には及びがたいという思いを抱いたのではなかったか。近代路線を疾走せざるをえなかった芥川にとって、黙々と前近代の小説を紡いでいる鏡花はまねたくてもまねられない存在だったと思われる。
「高野聖」は明治三三年(一九〇〇)に発表され、「羅生門」より十五年早い。どちらも二十代の時(shí)の作であり(泉鏡花は時(shí)に二十八歳)、二人にとって代表的な作品であるほかに共通する所はなく、むしろ差異ばかりが目立つ。何より大きな違いは、合理性の有無である?!噶_生門」には元の話もそうであるが、非合理的な部分がまったくない。そのために、死者の髮を抜くという、その行為自體は恐ろしいものであっても、得體の知れないものに觸れた空恐ろしさは感じられない。すべてが合理的に説明され、合理的に事が運(yùn)ぶのである。一方、「高野聖」は非合理性が話の根幹を作っている。妖しい女の手に撫でられることによってそこに通りかかった人がみな動(dòng)物に変えられてしまうのである。このありえない話を合理的に解釈することもできないわけではない。「上人」の話をすべて上人の作り話と解すれば、一気に合理的な物語に転じる。しかしそうしたら、物語のおもしろさも一気に消滅してしまう。読者は語り手の「私」と同じように上人の話を?qū)g際の體験として信じなければならない。つまり「高野聖」においては非合理性が物語の核心を作っている。近代小説はそれに先立つゴシックロマンスなどに濃厚な非合理性を排除したところに生まれたといっていい。非合理性を核とする「高野聖」はその意味でも前近代的な小説に屬する。
物語の結(jié)構(gòu)が前近代的であるのと呼応するかのように、「高野聖」はその文體も古風(fēng)である。豊富な語彙がちりばめられているが、その多くは古めかしい?!皋{り著いたのが名指の香取屋?!????のような體言止め、「ねぢねぢした厭な壯佼壯佼(わかもの)で?!工韦瑜Δ宋膜文┪菠蚴÷预筏皮筏蓼ρ预し?、いずれも近代以前の行文のなごりをとどめる。それに対して「羅生門」の文體は、百年近くを経た今読んでも古めかしさはほとんどない。そのまま通用するということは、見方を変えれば、芥川の文體以後、日本の小説の文體はそれによって確立した、それが定著して以後は大きな変化はない、と言うこともできる。
非合理の奇怪な內(nèi)容、古風(fēng)な文體、いずれも「高野聖」が前近代的な小説であることを示す顕著な特徴であるが、にもかかわらず決して色あせているわけではない。読者を引き込んで息もつがせずに読み耽らせてしまう小説の力をいまだに存分に備えているのは、何によるのだろうか。
それを解き明かすことは筆者の及ぶところでないが、その一つは物語を読み進(jìn)ませる駆動(dòng)力を備えていること。伏線を所々に設(shè)けながら、この先、何が起こるかに引かれ、最後に農(nóng)夫が謎解きをするまで、読み手は作者の思うままに操られる。しかもそこに至る道筋で、読者は「頭身の毛も太る」???(「羅生門」のことば)ようなぞっとする怖さと、ぞくぞくする好奇心を持続できるのである。あるいは話を展開していくこうした牽引力は、近代小説では求めないもので、物語的な特徴であるともいえる。
二つは「高野聖」の個(gè)々の描寫における鮮烈な印象。「羅生門」の方にも鴉が夕焼けの赤い空を背景に「胡麻をまいたように」????飛び回る光景、樓上に「黃いろい光」が「揺れながら映」????る光景など、ことに視覚的に鮮明な描寫がある。「高野聖」の方は山中で木から落ちてくる「山海鼠山海鼠(やまなまこ)」と呼ぶほどに巨大なひるが體にまといつく、觸覚に関わる描寫がある?!噶_生門」の視覚性優(yōu)位に比べて、原初的な感覚である觸覚を駆使することによって、「高野聖」では気味悪さが生々しく迫る。そして何より、山中の女の妖艶な姿態(tài)、彼女と夫婦関係にあることがほのめかされる癡呆の少年の異様な形象。自分の臍をいじるばかりで口もきけない異形の少年には、すさまじいばかりの印象を與えられる。
小説の語り口には「羅生門」にも「高野聖」にも工夫が凝らされている。しかしその工夫のありかたが同じでない?!噶_生門」には時(shí)に故意に作者を登場(chǎng)させることで、一方的に説き進(jìn)む物語的な話法から逸脫しようとしていたが、「高野聖」の仕掛けは語りが二重になっていることである。すなわち旅する「私」がたまたま同行した「旅僧」、すなわち「高野山に籍を置」いて各地を説教して歩く「高野聖」の體験談というかたちを取る。中心となる話はすべて旅僧の語ったことである。直接の話者とは別の人の語ったこととして敘述を展開するのは、唐代伝奇をはじめとして物語によく見られるが、しかし小説「高野聖」における語りの二重性は、伝統(tǒng)的なものというより、むしろ逆に近代的なものであるかも知れない。少なくともこの語りの裝置によって、內(nèi)容の非合理性にヴェールがかぶせられるのである。そして旅僧の語る話に引き込まれる「私」は、読者の立場(chǎng)を代行し、話を受け入れやすくしている。
「羅生門」は『今昔物語』の話を近代小説に仕立てるために、心の動(dòng)きとテーマを加えたと先に記したが、「高野聖」には登場(chǎng)人物の心理描寫も用意されたテーマもない。テーマを探そうという気にもならないほどに、物語自體のおもしろさに惹きつけられてしまうのである。こうして読者を魅了する「高野聖」を単なる物語に過ぎないとして遠(yuǎn)ざける見方もありうるだろう。ただこの作品をカウンターパートに置くことによって、日本の近代小説の性格が照らし出されるのではないだろうか。近代文學(xué)に必要な心理描寫、テーマをあえて加えない。この対蹠的な二作を並べてみると、心理描寫、テーマを備えた近代文學(xué)とは異質(zhì)の文學(xué)もありうることがわかり、近代文學(xué)への疑義が生じてしまうのである。
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§「羅生門」と「野火」「ひかりごけ」
「羅生門」の話を煎じ詰めれば、老婆が屍體の髮を抜く、それを見た下人が老婆の服を剝ぎ取る、といういわば悪の連鎖である。いずれも自分が生きていくために他者の身體の一部、ないし身體に附隨するものを奪う行為であり、それが連鎖することで「羅生門」が成立する。では他人の身體の一部を奪うことで生き延びようとする行為を突き詰めていくとどうなるか。他者の身體の一部を奪う行為の究極は、死者の肉體を食べること行き著く。自分の命をつなぐために人肉を食べるという、おぞましい行為である。その問題に向かい合った小説として、大岡昇平の「野火」と武田泰淳の「ひかりごけ」の二つを取り上げよう。いずれも戦後の作品であって「羅生門」と時(shí)代は隔たるが、題材の連続性という點(diǎn)で必ずしも唐突な比較ではないだろう。
「野火」は大岡昇平の戦爭體験に基づいているが、もちろん小説のなかの「私」は作者自身ではなく、精神病院に入れられた元兵士の手記というかたちを取る。章の一つは「狂人日記」と題されているが、「狂人日記」といえばまずゴーゴリの小説があり、そこから題名を取った魯迅の小説「狂人日記」がある。魯迅の「狂人日記」は周知のように人を食う身內(nèi)に囲まれ、自分も食われるのではないかとおののく男の恐怖が綴られ、「野火」と同じく食人肉のモチーフが中心となっている。共通するところはそれだけではなく、魯迅の「狂人日記」は友人の弟が病気の時(shí)に書いた日記を手に入れるという前書きがあり、大岡昇平の「野火」も初出では俘虜病院で知り合った肉を食べない奇妙な男に書かせた手記であるというかたちを取る。ただしのちにその冒頭部分は削って、末尾に主人公の男が精神病院で醫(yī)師の勧めによって書いた手記であることが明らかにされる。つまり魯迅も大岡昇平もともに精神に異常をきたした男の綴ったものとして、合理的な枠組みを與えている。それは泉鏡花「高野聖」がやはり「私」が旅の僧から聞いた話とする結(jié)構(gòu)をもつのと似通った工夫である。いわば異常な出來事に緩衝裝置としての役割を果たしている。
魯迅と大岡昇平とはこのように共通するところがあるが、しかし魯迅の場(chǎng)合、人を食らうことは中國の舊社會(huì)が個(gè)人としての人間を抹殺することの隠喩であって、「野火」が戦爭末期の極限狀況のなかで人の肉を食べることを直接の問題としているのとは異なるので、魯迅についてはこれ以上に取り上げない。
「野火」は病気のために軍営から追い出され、かといって病院でも受け入れてもらえず、食料も盡きてあてもないまま南の島を歩き続ける「私」の物語である。彷徨の途中で瀕死の將校に出會(huì)う。將校は「俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」といって、「私」に腕を見せる。彼がほどなく死ぬと、「私」はさんざん迷ったあげく、とうとう剣を抜いて死者の體に刃を入れようとする。
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その時(shí)変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。(『野火』?二十九?「手」)
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そして「私」は突然、何者かの「聲」を聞く。
「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむる勿れ」(『野火』?二十九?「手」)
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結(jié)局、「私」は死者の肉體を食べることを思いとどまる?!杆健工劋い柯暏仙瘠温暏扦ⅳ毪韦瑜Δ藭欷皮い?。そこに至るまでも「私」は何度か神の聲らしきものを聞くことがあり、また常に誰かに見られているような感覚を味わう。彼の行動(dòng)を見ている存在とはこれも神であることが示唆される。しかしながら「私」はもともとのクリスチャンであるとは設(shè)定されておらず、最後に精神病院に入った「私」が醫(yī)師に向かって「僕の神の観念は甚だ不完全なものですね」(『野火』?三十八?「再び野火に」) ? というように、かなり漠然としたものだ。それゆえ、彼が聞いたのは神の聲というよりも、人の深層にある倫理観が神の聲となって聞こえたと解することもできる。人肉を食らうという極限の悪に向かいかけたのを、自分のなかのもう一人の自分が押しとどめるのである。神の聲か自分の判斷かというところが、「野火」の記述は微妙で曖昧であるが、しかしもしいずれかに斷定して書かれたとしたら、この小説はわかりやすいが底が淺いものになってしまう。神か人かという二項(xiàng)対立ではおさまらないところに、人が生きるうえで指針とする何者かの存在が示唆される。キリスト教における絶対的な存在である神に直結(jié)できないとすれば、「野火」は日本的な精神風(fēng)土に基づいた小説と言えるかも知れない。
「羅生門」では盜人にならねば自分が餓死してしまうという二者択一に迷う下人のなかで、善と悪がせめぎ合う。決斷がつかない下人に「勇気」を與えたのは、老婆が屍體の髮を自分が生きるために抜いているという行為を目睹したことであった。つまり自分自身での判斷は停止して、他者の判斷、行為によって決めたのだった。老婆が屍體の髮を抜くことで下人は自分が同じことをしても許容されるかに思ったのである?!航裎粑镎Z』の原話では、老婆の衣、屍體の衣、老婆が取った屍體の髮もすべてを持ち去るのに対して、「羅生門」では老婆の衣だけを剝ぎ取って逃げるのは、善悪に悩んだ下人の「良心」のなごりでもあるし、悪の連鎖が重なることなくつながることをあらわしてもいる。老婆の服を奪い盜人になる方向に進(jìn)んだ下人と、死者の身體を食らうことをやめた「野火」の「私」とは、どちらも迷いながら反対の結(jié)果に向かう。「私」の方は自分自身の判斷によったのだけれども、もしそこに人肉を食べているもう一人の男がいたとしたら、「私」も下人のように躊躇を振り切って同じことをした可能性もある。逆に老婆の行為を見た下人が老婆に対する「憎悪」をさらに燃え立たせて、盜人になるより餓死がましだと考える可能性も排除はできない。そのように考えれば、下人と「私」の結(jié)果の違いも紙一重のものということになる。
そして実際、一時(shí)は思いとどまった「私」も、ほかの二人の兵士と合流して彼らが猿の肉と稱して、実は兵士を殺してその肉を食べているのを知ると、自分も気づかぬふりをしてその肉を食らう。最後にその仲間を撃ち殺したところで本人が書いた回想は終わっている。殺した仲間の肉は食べていないと「私」は思っている。
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食人肉の事件に題材を取った小説に武田泰淳の「ひかりごけ」(一九五四年)がある。これも複雑な構(gòu)成をもつ小説で、北海道を旅する「私」は村の「校長」に案內(nèi)されてひかりごけを見に行く。そしてかつてその地に漂流した船長が仲間の屍體を食べて生き殘った事件を聞かされる。「校長」はその異常なできごとをいとも軽々しく語るのだが、「私」は村の歴史を編纂した「S君」からさらに詳しく聞きただす。曖昧な記録しかのこらない事件に対して「S君」は小説のような推理を話す。そして最後には「私」がその事件をもとに作り上げた戯曲が置かれている。つまり語り手である「私」自身は、「野火」の「私」が人肉を食する當(dāng)事者であるのと違って傍観者にすぎないが、羅臼を旅する自分、村の二人の相い異なる話、そして自分で書いた戯曲、それらから成り立つというように、構(gòu)成がはなはだ入り組んでいる。穏やかな旅行者の見聞から書き出された小説が、最後に過激な內(nèi)容の戯曲を置くのは木に竹を接いだかに思われるが、しかし作者の言わんとすることを述べるためにはこうしたかたちを取らざるをえない、苦心の末にたどりついた構(gòu)成なのだと納得できる。
「ひかりごけ」とは羅臼の海に面した巖のくぼみに自生する苔の一種で、金緑色の光を発する天然記念物である。これを題名としているのは、人肉を食べた人間には首のうしろにひかりごけのような光の輪が浮かぶと言い伝えられていることによる。小説に付された戯曲は漂流した船員たちの飢餓を描く第一幕、一人生きのこった船長が裁かれる裁判の第二幕、その二つの幕から成る。裁判のなかで船長は人肉を食べた自分にだけはひかりごけのような光の輪が著いている、それが見えるはずだという。しかし検事にも弁護(hù)士にも裁判長にも傍聴する人々にもそれは見えない。逆に船長以外の人々の首にはみな光の輪が著いて、「おびただしき光の輪、密集してひしめく」(『ひかりごけ』第二幕?法廷の場(chǎng)) という書きで幕が下りる。
すなわち「ひかりごけ」では人肉を食べた行為を否定するのでなく、その人を裁く行為を糾弾しているのである。人肉を食べるという行為にはそうせざるをえない必然があり、それほどの狀況に追い込まれたこともない人々が、法的に悪として裁くことの偽善ぶりを告発する。裁く人々こそ加害者なのだと言おうとしているかのようだ。
「野火」は死を覚悟するような狀況で人肉を食べることへのためらいが、まわりの兵士たちがそれをしているのを見て、しだいに禁忌が薄れていき、自分も同じ行為をするに至るという経緯を描いている。食人肉を悪とすることは一貫していて、ただそれに対する罪悪感が希薄になっていくというにすぎない。「羅生門」も同じであって、下人が強(qiáng)奪の行為を悪とすることに変化はなく、悪と知りながらあえてするだけのことである?!噶_生門」も「野火」も悪に手を染める立場(chǎng)だけが描かれる。それに対して「ひかりごけ」は彼らの行為を悪とみなし自分は善であると信じ込んでいる人たちに批判を向けるのである。そのように見てくると、「羅生門」と「野火」との連続性は、「ひかりごけ」によって途切れ、前二者にはなかった観點(diǎn)が導(dǎo)入されたということができる。このようにして人間の善悪をめぐる小説は新しい展開を迎えたのである。
二、中文翻譯
§《羅生門》與《高野圣》
我想把極具近代匠心的《羅生門》與乍一看截然相反的小說進(jìn)行比較。難道不是由此更鮮明地照出近代的東西嗎?為了進(jìn)行比較,我將泉鏡花的《高野圣》拿出來。芥川龍之介和泉鏡花在文學(xué)史上的地位也可以說是截然相反。與硯友社的核心作家尾崎紅葉(1868—1903)的死相反,比紅葉年長一歲的夏目漱石開始了小說創(chuàng)作,創(chuàng)造了與江戶時(shí)代的硯友社文學(xué)截然相反的新文學(xué)潮流。了。芥川與漱石相連。另一方面,泉鏡花作為尾崎紅葉的弟子開始寫小說,在芥川活躍于時(shí)代舞臺(tái)的時(shí)期,泉鏡花在其背后孜孜不倦地展開著自己的小說世界。就像在保留著江戶風(fēng)貌的小巷里的僻靜住所,手放在火盆上繼續(xù)寫作一樣。看似相去甚遠(yuǎn)的兩個(gè)人,其實(shí)是有交集的,芥川寫了鏡花全集的贊詞,在芥川的葬禮上,泉鏡花讀了充滿真情的悼詞,并感嘆所謂名文就是這樣的東西???。人們常說芥川羨慕無論在資質(zhì)上還是在文學(xué)上都不相匹配的志賀直哉,其實(shí)他對(duì)泉鏡花才有自己難以企及的想法。對(duì)于不得不在近代路線上疾馳的芥川來說,默默譜寫著前近代小說的鏡花是想模仿也模仿不了的存在。
《高野圣》發(fā)表于明治33年(1900年),比《羅生門》早了十五年。都是二十多歲時(shí)的作品(泉鏡花當(dāng)時(shí)二十八歲),對(duì)兩人來說,除了都是具有代表性的作品之外,沒有什么共同之處,只有明顯的差異。最大的差異在于合理性的有無。《羅生門》中沒有任何不合理的地方,就像原來的故事一樣。為此,死者的發(fā)拔的,其行為本身是可怕的,也難以捉摸的東西提到了空恐ろし是感覺不到。一切都能得到合理的解釋,一切都能以合理的方式進(jìn)行。而在《高野圣》中,非合理性構(gòu)成了故事的基礎(chǔ)。在妖女手的撫摸下,所有路過的人都變成了動(dòng)物。也不是不能合理解釋這個(gè)不可能的故事。如果把“上人”的故事全部理解為上人編造的故事,就會(huì)一下子轉(zhuǎn)變成合理的故事。但這樣一來,故事的趣味也會(huì)一下子消失殆盡。讀者必須和講述者“我”一樣,相信上人的話作為實(shí)際體驗(yàn)。也就是說,在《高野圣》中,非合理性構(gòu)成了故事的核心。近代小說可以說是在排除了哥特羅曼史等小說中濃厚的非合理性的基礎(chǔ)上誕生的。以非合理性為核心的《高野圣》在這個(gè)意義上也屬于前近代的小說。
與故事結(jié)構(gòu)的前近代風(fēng)格相呼應(yīng),《高野圣》的文體也是古風(fēng)的。雖然有豐富的詞匯,但其中很多都很陳舊?!敖K于來到了著名的香取屋?!敝惖脑捳Z,“佼啊,佼啊,令人討厭。”像這樣省略文章末尾的說法,都保留著近代以前行文的痕跡。與此相對(duì),《羅生門》的文體即使在近百年后的今天讀來也幾乎沒有過時(shí)的感覺。如果換個(gè)角度來看,也可以說芥川的文體之后,日本小說的文體由此確立了下來,此后再無大的變化。
不合理的奇怪內(nèi)容、古板的文體,這些都是體現(xiàn)《高野圣》是前近代小說的顯著特征,但這并沒有褪色。小說之所以能吸引讀者,讓人欲罷不能,至今仍充分具備這種力量,靠的是什么呢?
要弄清楚這一點(diǎn),筆者是望塵莫及的,但其中之一就是具備讓故事繼續(xù)讀下去的驅(qū)動(dòng)力。在到處設(shè)置伏筆的同時(shí),讀者被接下來會(huì)發(fā)生的事情所牽著走,直到農(nóng)夫最后解謎,讀者都被作者的意志所操縱。而且,在到達(dá)這一階段的過程中,讀者還能保持“全身發(fā)?!?《羅生門》語)般的恐懼和強(qiáng)烈的好奇心?;蛘咭部梢哉f,展開故事的這種牽引力是近代小說所不追求的,是敘事性的特征。
二是對(duì)“高野圣”個(gè)人描寫的鮮明印象?!读_生門》中也有烏鴉在紅色晚霞的天空中“像撒了芝麻一樣”飛來飛去的景象,樓上“黃光”“搖曳著”的景象等,在視覺上有特別鮮明的描寫?!陡咭笆ァ穭t描寫了在山中從樹上掉下來的巨大的白晝,被稱為“山鼠”,糾纏在身上,與觸覺有關(guān)。與《羅生門》的視覺性優(yōu)勢(shì)相比,《高野圣》通過運(yùn)用原始感覺——觸覺,讓人感到恐怖。更重要的是,山中女人妖艷的姿態(tài),暗示與她有夫妻關(guān)系的癡呆少年的異樣形象。這個(gè)只會(huì)玩弄自己肚臍、不會(huì)說話的異形少年,給人留下了極其可怕的印象。
在小說的敘述方式上,《羅生門》和《高野圣》都下了功夫。但其方法卻不盡相同?!读_生門》有時(shí)會(huì)故意讓作者登場(chǎng),試圖擺脫一味地講述故事的敘事方式,而《高野圣》的手法則是雙重?cái)⑹?。即旅行中的“我”偶然同行的“旅僧”,即“在高野山定居”、在各地布道的“高野圣”的體驗(yàn)談。中心故事都是旅僧說的話。以與直接敘述者不同的人的故事展開敘述,這在以唐代傳奇為代表的故事中很常見,但小說《高野圣》中敘述者的雙重性,與其說是傳統(tǒng)的,不如說是近代的。也許吧。至少通過這個(gè)敘事裝置,給內(nèi)容的非合理性蒙上了一層面紗。而被旅僧講述的故事所吸引的“我”,代替了讀者的立場(chǎng),使其更容易接受。
前面說過,《羅生門》為了將《今昔物語》的故事改編成近代小說,添加了心理活動(dòng)和主題,而《高野圣》既沒有登場(chǎng)人物的心理描寫,也沒有預(yù)設(shè)的主題。被故事本身的趣味所吸引,甚至不想去尋找主題。也有觀點(diǎn)認(rèn)為,吸引讀者的“高野圣”只不過是一個(gè)故事而已。只是通過把這部作品放在柜臺(tái)上,或許能折射出日本近代小說的性格。近代文學(xué)所必需的心理描寫,不刻意添加主題。將這兩篇截然相反的作品放在一起看,就會(huì)發(fā)現(xiàn)也有可能存在與近代文學(xué)具有心理描寫和主題的不同性質(zhì)的文學(xué),從而對(duì)近代文學(xué)產(chǎn)生疑義。
§《羅生門》與《野火》《光之谷》
“羅生門”的故事,如果煎じ詰めれ老婆子,尸體發(fā)拔,看到它的仆人老婆子的衣服剝下來,采取的所謂邪惡的連鎖。無論哪一種行為,都是自己為了生存而剝奪他人身體的一部分,甚至是身體附帶的東西,在這種連鎖反應(yīng)的作用下,《羅生門》得以成立。那么,追究通過剝奪他人身體的一部分來茍延殘喘的行為會(huì)怎樣呢?剝奪他人身體一部分的行為,其終極結(jié)果就是吃死者的肉體。為了延續(xù)自己的生命而吃人肉,這是令人發(fā)指的行為。作為直面這個(gè)問題的小說,舉大岡升平的《野火》和武田泰淳的《光之家》兩篇吧。雖然都是戰(zhàn)后的作品,與《羅生門》時(shí)代不同,但從題材的連續(xù)性來看,未必是唐突的比較。
《野火》基于大岡升平的戰(zhàn)爭體驗(yàn),當(dāng)然,小說中的“我”并非作者本人,而是一名被送進(jìn)精神病院的退伍士兵的手記。其中一章的題目是《狂人日記》,說到《狂人日記》,首先想到的是果戈里的小說,然后是魯迅的小說《狂人日記》。眾所周知,魯迅的《狂人日記》描寫了一個(gè)男人被吃人的親人包圍,害怕自己也被吃掉的恐懼,和《野火》一樣,以食人肉為中心。共同點(diǎn)還不止于此,魯迅的《狂人日記》的序言是得到了朋友的弟弟生病時(shí)寫的日記,大岡升平的《野火》也是在俘虜醫(yī)院認(rèn)識(shí)的一個(gè)不吃肉的奇怪男人寫的手記。采取某種形式。只是后來刪去了開頭部分,在末尾明確寫了這是男主人公在精神病院根據(jù)醫(yī)生的建議寫的手記。也就是說,魯迅和大岡升平都認(rèn)為這是一位精神失常的男子所寫的作品,并給出了合理的框架。這與泉鏡花的《高野圣》同樣以“我”從旅僧那里聽到的故事為結(jié)構(gòu),是相似的。也就是說,它對(duì)異常事件起到了緩沖的作用。
魯迅和大岡升平有這樣的共通之處,但在魯迅那里,吃人是中國舊社會(huì)對(duì)個(gè)人的抹殺的隱喻,“野火”在戰(zhàn)爭末期的極限狀況下吃人的肉這與魯迅的直接問題有所不同,所以關(guān)于魯迅就不再多談了。
《野火》講述的是“我”因病被趕出軍營,醫(yī)院也不接收,食物也用盡,漫無目的地在南方島嶼上行走的故事。彷徨途中遇到瀕死的軍官。軍官說:“如果我死了,你可以吃這里?!辈⑾颉拔摇闭故臼直?。他死后,“我”猶豫再三,終于拔出劍,要將刀插入死者的身體。
這時(shí)發(fā)生了奇怪的事情。左手握住了我拿著劍的右手手腕。(《野火》·二十九·《手》)
然后“我”突然聽到了什么人的“聲音”。
“汝右手所為,勿使左手知也?!?《野火》·二十九·《手》)
最終,“我”打消了吃死者肉體的念頭?!拔摇甭牭降穆曇舯粚懙梅路鹗巧竦穆曇?。在此之前,“我”曾多次聽到神的聲音,并時(shí)常體會(huì)到被人注視的感覺。由此可見,看著他行動(dòng)的人就是神。但是“我”并沒有被設(shè)定為原本的基督教徒,最后進(jìn)入精神病院的“我”對(duì)醫(yī)生說:“我的神的觀念非常不完整?!?《野火》·三十八·《再次成為野火》)就像這樣,相當(dāng)模糊。因此,與其說他聽到的是神的聲音,還不如說是人深層的倫理觀成為神的聲音。面對(duì)吃人肉這種極限的惡,自己心中的另一個(gè)自己阻止了。是神的聲音還是自己的判斷,《野火》的記述微妙而曖昧,但如果是憑什么斷定寫出來的,這部小說就會(huì)變得淺顯易懂,但底子很淺。在不是神就是人的二元對(duì)立的情況下,還存在著某種人的生存指針。如果不能直接聯(lián)系基督教中絕對(duì)存在的神,那么《野火》或許可以說是一部基于日本精神風(fēng)土的小說。
在《羅生門》中,仆傭迷失在不做賊就會(huì)餓死自己的二選一中,善與惡相互斗爭。無法決斷家?guī)砹恕坝職狻钡睦掀抛?尸體的發(fā)為了生存超過自己目睹了事情的行為。也就是說,自己停止了判斷,而是通過他人的判斷和行為做出了決定。老婆子尸體的拔發(fā),仆人自己做同樣的事也