徒然草 第134段 高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの?吉田兼

高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの:高倉天皇を納骨した京都東山清閑寺(清水寺の南にある)の法華三昧堂の僧侶で律師の位の人。律師は僧正?僧都につぐ位。高倉天皇は平家最盛期に翻弄された第80代天皇。
御堂のつとめばかりにあひて:三昧堂の勤行にばかり參加していて、余技はしなかったので、「ありがたく覚えしか」というわけである。
賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり:賢いと言われる人でも、他人のことにばかり気がいっていて、自分のことは何も知らない、というような人がいるものだ。
すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし:やるべきことを知らなければ、それは知らないこととなんら違わない。
何ぞ、茲を思ふこと茲にあらざる:どうして、その事について反省しないのか、反省すべきだ、の意。
人に愛楽せられずして衆(zhòng)に交はるは恥なり:「愛楽<あいぎょう>」とは、愛されること?好まれること。愛されてもいないのに人前に出ること。
心おくれにして出で仕へ:精神が劣っているのに仕官して、。
無智にして大才に交はり:無知のくせに才能のある人と交わろうとしたり、。
不堪の蕓をもちて堪能の座に列り:<ふかんのげいをもちてかんのうのざにつらなり>と読む。「不堪の蕓」とは、不堪能の蕓能のことで、下手な蕓。にも拘らず堪能の人の中に入って、の意。
雪の頭を頂きて盛りなる人に並び:白髪を押して壯年の者と交わり、の意。
及ばざる事を望み:まして、屆かないことに望むをかけて、。
貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今こゝに來れりと、確かに知らざればなり:貪欲が止まないのは、命の終わりが接近していることを確として知らないからなのだ。
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