【木魚微劇場】《情書》巖井俊二作品

ラヴレター
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情書
參考: 南海出版公司, 角川文庫
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// 電影開頭的滑雪好像是生病的藤井樹, 不是渡邊博子. 寧靜, 感傷, 唯美
秋葉というのは樹の一番の親友である。そしてあの最後の登山のリーダーでもあった。崖がけ下したに落ちた樹を見捨てる決斷をしたのも彼だった。葬儀の日、秋葉とパーティーの仲間は樹の親族たちから參列を拒否された。あの時は誰もが感情的になっていた。

秋葉是阿樹(藤井樹)最好的朋友,也是最后那一次登山的領隊。阿樹掉下懸崖后,就是秋葉做出了“棄他而去”的決定。葬禮那天,阿樹的親戚們拒絕秋葉和隊員們前來吊唁。當時,每個人都很感情用事。

ミラーごしに安代を見ると、頭痛はどこにいったのかケロッとした顔で座っていた。

博子從反光鏡里看看安代。她坐在那兒,根本看不出頭痛的跡象。
「初戀の人の面影を追いかけるっていうでしょ? 男の人って」
「そうなんですか?」

“不是說男人會照初戀情人的相貌找女朋友嗎?”
“是這樣嗎?”

// 同一個演員
// 坂井泉水: 長得挺像我

もし安代の言うとおり國道の下敷きになっているのだとしたら決して屆かないはずである。何処にも屆くはずのない手紙。何処にも屆かないから意味があった。この世にはいない彼に宛てた手紙なのだから。
拝啓、藤井樹様。
お元気ですか? 私は元気です。
渡辺博子

如果照安代所說,那里已經(jīng)成為國道的路基,信是絕對寄不到那個地方的。這應該是一封哪兒都寄不到的信—正因為哪兒都寄不到才有意義。因為,這封信是寫給已經(jīng)不在人世的他的。
藤井樹:
你好嗎?我很好。
渡邊博子

秋葉はガラス作家だと自稱していたが、ふだんは問屋に卸すグラスや花瓶を作るのに追われて自分の作品にかかれる時間はほとんどなかった。

秋葉自稱是玻璃藝術家,平時卻忙著給批發(fā)商做批量的玻璃杯或花瓶什么的,幾乎沒有時間創(chuàng)作自己的作品。

はじめての教室で先生が出席を取った時、あたしと彼は藤井樹と呼ばれてほとんど同時に返事をしてしまったのです。次の瞬間、クラス中の視線とどよめきがふたりに集中して、もう恥ずかしかったのなんのって。

老師第一次在教室里點名,喊到“藤井樹”時,我和他幾乎同時答了“到”。接下來的瞬間,班里的視線和騷動全集中在我們身上,很讓人害臊。

// 將來找人幫忙還書

// 哈哈哈哈哈

// 惡作劇的男生在用身體語言表達: I like you

// 得知真相后的釋懷

// 男主角等這一刻等很久

// 追憶似水年華. 自己看不下去的書, 再說男主角并不是為了看這本而借的





// 想看的話, 去看原片吧...

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