《櫻之刻》重要選段:直哉與心鈴論美(05_02_5)

【直哉】「その前に、聞きたい事がある」
「在那之前,有件想問的事」
【心鈴】「なんでしょうか?」
「是什么呢?」
【直哉】「君は言った」
「你說」
【直哉】「凡庸な筆だと」
「“【這】是凡庸之筆”」
【直哉】「その反対はやはり非凡な筆かな?」
「它的反義詞果然還是非凡之筆嗎?」
【心鈴】「禪問答でもやりたいのでしょうか?」
「您是想做禪問答嗎?」
【直哉】「いや、そうじゃない」
「不,并非如此」
【直哉】「俺はあれからずっと考えていたんだよ……」
「我從那時起一直在思考啊……」
【直哉】「非凡は素晴らしいのだろうか……
どのぐらい非凡なら素晴らしいのだろう……」
「非凡是絕妙的嗎……
何種程度的非凡才是絕妙的呢……」
【心鈴】「あれからとは?」
「“從那時起”指的是?」
【直哉】「俺の運命がすべてひっくり返った瞬間からだよ」
「是從我的命運全部顛倒的瞬間起喲」
【直哉】「二つの向日葵」
「兩朵向日葵」
【直哉】「あの絵畫を見てから、俺はずっと考え続けた」
「看了那幅繪畫之后,我一直持續(xù)思考」
【直哉】「そしてこの場所に來て、無心に筆を動かした」
「然后來到這個地方,無心地動筆」
【心鈴】「無心? ただ考えずに、の間違いでは?」
「無心? 只是“不思不想”說錯了吧?」
【直哉】「そうかもしれないな」
「也許是這樣吧」
【直哉】「だが、そんな言葉に何の意味があるんだ?」
「但是,那樣的語詞有什么意義?」
【心鈴】「どういう事でしょうか?」
「是怎么一回事呢?」
【直哉】「無心も考え無しも、言葉によって指し示されたものでしかない」
「“無心”也好“無思無想”也罷,都只是被語詞指示的東西」
【直哉】「情動を指し示す言葉は限られている」
「指示情動的語詞是有限的」
【直哉】「もっとも知られたものならば“喜怒哀楽”。もちろんもっと多くの感情を表現する言葉がある」
「更為人所知的話那就是“喜怒哀樂”。當然還有更多表現感情的語詞」
【直哉】「人は元々あった感情に名前をつけたと思い込んでいる。だがそれは間違いだ」
「人們深以為【自己】給原本存在的感情起了名字。但這是個錯誤」
【心鈴】「文化圏によって感情を表す言葉は異なる。これは情動とは元から心にあるものでなく文化的に作られたものであるとも言われている」
「表達感情的詞語根據文化圈的不同而不同。這也被說成,所謂情動,不是原本就存在于心中的東西,而是被文化地建構的東西」
【直哉】「その通りだ。そもそも感情を言葉で記述出來るもので片付けるのならば、
絵畫などいらない」
「正是如此。說到底如果是把感情用語詞、用能夠記述的東西處理的話,
那根本不需要什么繪畫」
【直哉】「それでもその様な言葉は、日常生活、否、我々が生きる世界においては絶対に必要だ」
「盡管如此,那樣的語詞,在日常生活,不,我們生活的世界中是絕對必要的」
【直哉】「無くてはならないものだ」
「是不可或缺的東西」
【直哉】「だが、果たして、言葉によって先験的に決められた情動の形が、
蕓術においてどんな意味がある?」
「但是,究竟,被語詞先驗地決定的情動的形式,
在藝術上有怎樣的意義?」
【心鈴】「草薙直哉さんが言う理屈は分かります。ですが、それとこの絵畫の出來に因果関係は感じられません」
「草薙直哉先生說的道理我明白。但是,在它和這幅繪畫的質量之間,感覺不到因果關系」
【直哉】「それでいいんだよ」
「這樣就好喲」
【心鈴】「それでいい?」
「這樣就好?」
【直哉】「ある時、桜を見た」
「有一次,我看見了櫻花」
【直哉】「だいぶ昔の話だ」
「是很久之前的事情」
【直哉】「それまで俺は桜に対して何も思い入れが無かった」
「在那之前,我對櫻花沒有任何深情」
【直哉】「にもかかわらず、その時見た桜はたしかに違ったんだ」
「盡管如此,那時看見的櫻花的確是不一樣的」
【直哉】「そこには、いままでにない得も言えぬ感情があったんだよ」
「在那里,是有一種前所未有、無以言表的感情的啊」
【直哉】「それを、美しいとか、素晴らしいとか、言葉にする事は簡単だ」
「把它變成“美”啦“絕妙”啦之類的語詞很簡單」
【直哉】「だが、俺が感じたものはそうではなかった。
一番正しい言い方があるのなら“混亂”という感動だった」
「但是,我感覺到的東西并非如此。
如果有最正確的說法的話那就是“混亂”這種感動」
【心鈴】「その花だけの唯一性……。“この花性”とも言えるものですね」
「是那朵花獨有的唯一性……也可以說是“此花性”的東西呢」
【直哉】「ああ、まさに“その桜である”という特殊體験だ」
「嗯,正是“是那朵櫻花(being that?flower)”這種特殊體驗」
【直哉】「そして、その光景と衝撃は未だに覚えている」
「并且,我仍然記得那份光景和沖擊」
【直哉】「あの時の事をありありと思い出せる」
「能歷歷回想起那時的事情」
【直哉】「俺はあの混亂を再び味わうことが出來る」
「我能夠再度體味那份混亂」
【直哉】「と、誰でも考えてしまう」
「——誰都會這么認為」
【直哉】「だが違うんだよ」
「然而不是的啊」
【直哉】「あの時見た桜を、俺は二度と見る事は出來ない」
「那時看見的櫻花,我無法再次看見」
【直哉】「一度見た、もっとも美しい桜、最高の美を、我々は二度と見る事などできないんだ」
「看見過一次的,最美的櫻花,最高之美,我們是無法再次看見的」
【直哉】「二度と、我々は混亂した美を見る事が出來ない」
「我們無法再次看見混亂的美」
【直哉】「我々は混亂と共に訪れる真なる『美』を一度しか経験出來ない」
「我們只能經驗一次與混亂一同到訪的真正的“美”」
【直哉】「當たり前だ、二度目に見たその『美』は既に――
それは約束された美でしかない」
「這是當然的,第二次看見的那份“美”已經――
那只是被約定的美」
【直哉】「見る前から、約束された反復という美でしかない」
「只是從看見之前,就被約定的“重復”這種美」
【直哉】「人は言うだろう?!挨长欷悉猡盲趣饷坤筏ぁ堡猡韦坤取?/p>
「人們大概會說吧?!斑@是最美的”東西」
【直哉】「だがそれは、すでに言葉になった情動でしかない」
「但是,那只是已經變成了語詞的情動」
【直哉】「言葉となった感情は、反復可能だ」
「變?yōu)榱苏Z詞的感情,是可重復的」
【直哉】「反復可能の感動とは、約束された感動でしかない」
「所謂可重復的感動,只是被約定的感動」
【直哉】「約束された感動は、人を安寧させる」
「被約定的感動,會讓人安寧」
【直哉】「眼を楽しませる」
「會讓眼睛愉悅」
【直哉】「いや、魂も楽しませるだろう」
「不,也會讓靈魂愉悅吧」
【直哉】「だが、それではダメだ」
「但是,那樣是不行的」
【直哉】「少なくとも、俺はヤツの絵から、そんなものを受け取っていない」
「至少,我沒有從那家伙的畫中領受那種東西」
【直哉】「俺がヤツの絵から最後に受け取ったものは、もはや“混亂”という言葉ですら足りない」
「我從那家伙的畫中最后領受的東西,已經連“混亂”這個語詞都不夠用了」
【直哉】「俺の世界を変えるに十分なものだった……」
「是足以改變我的世界的東西……」
【直哉】「それを、俺はこの十年間で思い知ったんだよ」
「我是在這十年間認識到它的啊」
【直哉】「だから、君らが“凡庸でつまらない”というのは正しいんだ」
「所以,你們說【這】“凡庸無聊”是正確的」
【直哉】「俺は、非凡であろうと思わない」
「我不覺得【這】是非凡的」
【直哉】「名畫であろうと思わない」
「不覺得【這】是名畫」
【直哉】「ただ、俺は、あの絵畫に応えなければならない」
「只是,我必須回應那幅繪畫才行」
【直哉】「混亂無き作品では世界を変える事は出來ない」
「無混亂的作品無法改變世界」
【直哉】「ヤツが俺の世界を変えるほどの絵畫を生んだ様に、
俺も世界を改変するほどの絵畫を描かなければならない」
「就像那家伙孕育出了改變我的世界程度的繪畫一樣,
我也必須畫出改變世界程度的繪畫才行」