SixTONES萬(wàn)字訪談高地優(yōu)吾篇

髙地優(yōu)吾
SixTONES
自分の運(yùn)命を恨んだこともある。
だけど、“YOUはいるだけでいいんだよ”の言葉、
6人でいた日を信じられなかったことはない。
後悔した分のスタートは、“一生一緒”の運(yùn)命を加速させる。
「今の気分はどうですか?」「最高です!」
──もうすぐデビューから1年。今、どんなことを思う?
「そうですね。2020年はステイホーム()な期間も長(zhǎng)かったんで、自分を見つめ直す時(shí)間がいつも以上にあって。僕は自分の意思でオーディションを受けたわけじゃない。歌もダンスも得意じゃない。Jr.時(shí)代、何度も“アイドルに向いてない”って思ったし、何度も辭めようとも思った。そんな僕が、デビューさせていただき1年が経とうとしてる。すごい感慨深いです。もちろんスキル的な面は向上させなきゃいけない。ただ最近思い出したことの中に、昔から誰(shuí)かに楽しんでほしい、喜んでほしい、笑ってほしいって欲求がすごい強(qiáng)かったなってことがあって。デビューから1年、Jr.になったときから數(shù)えたら10年、今ようやく思えます。僕はアイドルに向いてるかもしれないって」
──“誰(shuí)かに喜んでほしい”って思うようになったのは、いつごろから?
「ホントちっちゃいころ。最初の夢(mèng)、初めてなりたいと思った仕事が大工さんなんですね。小學(xué)1年生かな、両親が家を建てて。家族でよく建築中の家を見に行ったんです。少しずつ出來(lái)上がっていく家を見て、親父も母親もうれしそうなのが、子どもながらにわかって。誰(shuí)かに喜んでもらえる大工さんってカッコ()いいな。自分も、誰(shuí)かに笑顔を與えられる人になりたいって」
──蕓能界に興味はあった?
「まったくなかった?!哎骏欹螗趣钦l(shuí)が好き?”って聞かれても答えられなかったし、あんまモテたいみたいな感覚もなくて。中學(xué)のときとか毎日、寢グセのまま學(xué)校に行って。できれば女のコと関わりたくないってタイプだったんで」
──バラエティー番組『スクール革命!』の新入生オーディションに履歴書を送ったのは友だちだったよね?
「はい。中學(xué)の卒業(yè)式が終わったくらいだったかな。中學(xué)時(shí)代のクラスメイトに“オーディションがあるから寫真撮らせて”って言われて。番組のこと知らなかったし、ジャニーズの知識(shí)もない。もう何を言ってんのかまったくわかんなかったけど、最終的に押しきられて。覚えてるなあ。寫真を撮られたとき、ほぼパジャマみたいな上下白のジャージで、しかも寢グセだった(笑)」
──ハハハハハ。
「何日かして、“一次審査に通りました”ってファックスが來(lái)て。でも二次審査の日程、ちょうど合格した高校のサッカー部の體験入部の日で。オーディションのことなんか完全に忘れてたら、當(dāng)日、朝一でクラスメイトが迎えに來(lái)て“ウソだろ!?”ってなった。で、また押しきられる形で二次審査に行くことになって、親父に連れられ會(huì)場(chǎng)に行ったんです」
──會(huì)場(chǎng)の雰囲気ってどうだった?
「スタジオでめっちゃ踴ってた、みんな。チョー気合入れて。俺はダンスなんか1回も踴ったことなかったし、そもそも受かりたいと思ってないから、スタジオの隅にあった螺旋階段の陰にずっと隠れてたんです?!霸绀瘯r(shí)間、過(guò)ぎろ!”って祈りながら。そしたら見知らぬおじさんが近づいてきて、“YOUはお父さんと來(lái)てたでしょ?”って聞いてきて。そのときはジャニーさんの存在を知らなかったから、“誰(shuí)だ、この人?”って思いながら“はい”って答えて」
──二次審査は通過(guò)しないと思った?
「もちろん。これでオーディションを受けるなんてことは人生で二度とないだろうなって。それなのに、家にまたファックスが送られて來(lái)て。後になってジャニーさんと話したんですけど、二次審査の日、エレベーターを降りたら俺と親父がいて、親子の雰囲気がすごいよかったから、“このコは二次審査を通したいな”って思ったらしくて。もしジャニーさんが次のエレベーターだったら、その場(chǎng)面に遭遇してないわけで。人生ってほんの數(shù)秒のちがいで変わるんだなって」
──その後も、本人の意思とは裏腹に次々と審査を通過(guò)していった。
「最後はダンス審査と視聴者投票ですってなって。そのダンス審査で俺にダンスを教えてくれたのが田中樹で」
──樹くんのこと、どう見えた?
「どうも見えないですよ。ただのちっちゃいコにしか(笑)」
──そして1300人を超える応募者の中から、髙地くんが選ばれる。
「スタジオに呼ばれ、番組で著る制服が置いてあって合格を告げられて。內(nèi)村(光良)さんに“今の気分はどうですか?”って聞かれ“最高です!”って満面の笑みで答えたんですけど、內(nèi)心は“最悪だ!”って思ってました(笑)。あの瞬間、俺のJr.歴が始まった」
人生で初めていただいたお仕事なんだから
──入所直後に中島健人、菊池風(fēng)磨、松村北斗からなるB.I.Shadowに加入。北斗くんの印象って?
「うーん、キラキラしてたな。すっごいジャニーズが好きなんだなってのが伝わってきた。ただ、入所から1年くらいって、忙しすぎて記憶があやふやな部分が多いんですよね」
──かなり忙しかったよね。入所1カ月後には中山優(yōu)馬 w/B.I.Shadowが結(jié)成され、『悪魔の戀』でCDデビュー()。すぐにJr.コンを開催。さらに山田涼介、知念侑李を加えたNYC boysのメンバーになり紅白にも出場(chǎng)してる。
「そりゃあ記憶もなくなるよ(笑)。でも入所直後のレコーディングのことはなんか覚えてるな。俺、カラオケすらほとんど行ったことなかったから、いきなり歌えって言われて戸惑って。機(jī)材の使い方から何から何までわからない。そんとき、風(fēng)磨が一緒にブースに入って一緒に歌ってくれたんだよね」
──髙地くん、エリートだったね。
「それが、ついていくのに精いっぱいでエリートかどうかなんてわかんなかった。CDを出せる価値もわかんない。Jr.はみんな出してんだろうなって思ってた。気づくのは何年かしてですね。Sexy ZoneがデビューしてB.I.Shadowが解散狀態(tài)になって、グループの控室がなくなったり、待遇に変化があって初めて気づいた。自分がエリートって呼ばれる部類のJr.だったんだって」
──辭めたいって思ったんでしょ?
「何度も思った。やっぱり入りたくて入ったわけじゃないって気持ちがどこかにあるから。ダンスにしても歌にしても、なんでこんなに怒られなくちゃいけないんだって思いがいつもあって。俺、Jr.の中で浮いてたな。少しでもいいポジションに立ちたい、デビューしたいってみんな必死なのに、俺は誰(shuí)もが望むポジションにいながら、やる気がないように見える。ダンスレッスン中に“帰れ!”って怒られてホントに帰ったことありますからね。イヤなヤツだって思われてたと思う。でも、怒られ続ける毎日、俺も苦しかったな」
──そうだったんだね。
「『スクール革命!』もひとりだけJr.なことが場(chǎng)ちがいな気がして。みんな気をつかってくれて“髙地先生”ってキャラをつけて、僕の居場(chǎng)所を作ろうとしてくれてた。ただ、そうしてもらえばもらうほど、“迷惑かけてんだ”って受け止めて余計(jì)口數(shù)が少なくなるって悪循環(huán)で。収録中、“何で自分はここにいるんだろう”ってよく思ってた」
──それでも続けた理由は?
「何度かジャニーさんに“辭めたい”って伝えたことがあって。そのたびに、“YOUはいるだけでいいんだよ”って言われ“じゃあ、います”って。でも一度、本當(dāng)にイヤになっちゃって両親に言ったんですよね?!挨胜螭前长蠚叭栅长螭胜伺椁欷胜い趣い堡胜い??もう耐えられない”って。そしたら言われたんです?!啊亥攻`ル革命!』のオーディションに合格してこの世界に入ったんだから、番組が終わるまでは続けなさい。あなたが人生で初めていただいたお仕事なんだから”って。本當(dāng)に失禮なんですけど、番組は続いて1年くらいだろうと勝手に思ってたんで、それならギリギリ耐えられるかなって。そしたら、全然終わらないどころか、視聴率がよくなっていって?!稗oめられねえなあ”って內(nèi)心思ってましたね」
──悩みを相談できる人はいた?
「風(fēng)磨には“『スクール革命!』が終わったら辭める”って宣言してた。あいつ、“わかった”って。あんときは健人と北斗には相談できなくて。ふたりは本當(dāng)にアイドルになるために生まれたというか、アイドルになるためにすべてをかけてた。バレバレだったんだろうけど、そんなふたりに“続けるつもりない”なんて言うのは迷惑だし失禮だなって。風(fēng)磨だけは、なんか同級(jí)生みたいっていうか、友だちのような感覚だったから本音を言えて」
俺は北斗とやっていきたい
──ただ、仕事は徐々に減っていった。
「少しずつ俺と北斗が呼ばれなくなったよね?!簑ith you』とか最初は4人で歌ってた曲も、健人と風(fēng)磨だけがフィーチャー()されていって。あのころの北斗、“どうせ俺なんか”って荒んでて、見てらんなかった。俺は長(zhǎng)く続けようと思ってなかったからメンタル的にそれほどダメージがなくて。持ち上げられたり、突き落とされたりするんだって思ったけど、“俺ってこういう人生なんだな”って変に達(dá)観してたというかね」
──最終的にSexy Zoneのデビューと同時(shí)にB.I.Shadowの活動(dòng)はなくなる。
「そうだね。Sexy Zoneのデビュー直前、ジャニーさんに“『ジャニーズJr.ランド』って番組が始まるけど、YOUも出たいでしょ?”って聞かれて。“出たい”って答えたら、“じゃあ、メンバーに入れとく”って言われて。何日かしてまた呼ばれたらジャニーさん、ホワイトボードに名前を書いてなんか悩んでたの。風(fēng)磨と健人、俺とあと何人かのJr.の名前があって。“この前言ってた番組に出るJr.?”って聞いたら“ちがう”って。で、“B.I.Shadowから松村だけ入ってないんだよね。どうしよう…”って、ひとり言みたいに言ってて。俺は何を思ったのかわかんないけど、何でだろうね、とっさに言葉が出たんすよ?!鞍长猡胜筏谴笳煞颏坤琛堡盲?。數(shù)日後、Sexy Zoneのデビュー発表があった。ホワイトボードにあった名前とメンバーが一緒だったから、あれはSexy Zoneのメンバーを選んでたのかもなって」
──そのこと北斗くんは知ってる?
「最近まで、ずっと北斗には言ってなかったですね。別に言うことじゃないなって。その後、また呼ばれて“YOUはこれからどうしたいの? ひとりでやっていきたい?”って聞かれたんで、そんときも、なんかとっさに“いや、俺は北斗とやっていきたい”って答えて」
──北斗くんと一緒にいることにこだわった理由って?
「わかんない。もちろんB.I.Shadowで一緒だったこともある。北斗、あのころは靜岡に住んでたからHey! Say! JUMPのコンサートにつくときとか、1週間くらいうちに泊まったりして。夢(mèng)とかいろいろなこと話した。あいつはジャニーズのこと、アイドル()のこと大好きで、デビューしたくて常に一生懸命だった。それが、同じグループから風(fēng)磨と健人だけがデビューする形になって自暴自棄っていうか、なんか見てて危なっかしかったんだよね。ひとりにしておけないって思ったのかな」
6人でやりたい。みんなを集めてくれない?
──再び注目を浴びるきっかけになったのが、ドラマ『私立バカレア()高?!护藪i擢されたことだったよね。
「突然呼び出されて、そこで後のSixTONESのメンバー6人が出會(huì)うというね。ただ、出演者ってテレビ局が決めてくれたんですけど、最初俺は選ばれてなかったらしくて。急遽、ジャニーさんが入れてくれたらしいんです。それを北斗が教えてくれた。北斗、“YOUの友だち入れておいたよ”ってジャニーさんに言われたって。ジャニーさん、俺が“北斗とやっていきたい”って言ったの覚えててくれたんだろうね?!氨倍筏趣浃盲皮い郡ぁ堡盲瓢长弗悭拴`さんに言ったことは伝えてないから、もし北斗がこの誌面を読んだら、“YOUの友だち入れておいたよ”って、そういう意味だったのかって気づくかもしれない(笑)」
──北斗くん知ってたと思うよ。この企畫に出たとき、髙地くんへのメッセージで“一生一緒だよ”って言ってたくらいだから。
「……そっか。なんか今はまだ答え合わせみたいなことしなくていいけど、いつか、例えばデビュー10周年とか20周年のタイミングで、お互いあのころどんなこと思ってたか、“じつはさ……”って笑い話ができたらいいな」
──髙地くんにとっては、バカレア組との出會(huì)いはどんな意味があった?
「めちゃくちゃ大きかった。初めて仕事を楽しいって心から思えたから。俺はアイドル()に向いてないってずっと思ってた。だけど、こいつらといるとなんか楽しい。青春の1ページじゃないけど、いつも6人で一緒にいた。買い物行って、メシ食いに行って、何するにも6人一緒で?!鞍长?人揃ったら、できないことなんかないよな!”って根拠のない自信が全員にあって」
──なんでそんなに6人は惹かれ合ったんだろう。
「なんなんでしょうね。みんな、それぞれ背負(fù)ってるものだったり、挫折だったり、心に傷を持った6人だったからかな。ただ理屈抜きでドラマの現(xiàn)場(chǎng)、めっちゃ楽しかったんですよ。6人でいるとがんばろうって気持ちに自然になったっていうか。不思議ですね」
──たしかに不思議だね。
「特にジェシーとはすごい仲よくなって。役柄的にふたりでひとつみたいな感じだったから、ずっと一緒にいた。撮影現(xiàn)場(chǎng)までふたりで電車を乗り継いで行ったりとかもよくあって。いろいろ語(yǔ)り合ったよね。だいたいバカ話なんだけど、時(shí)々マジメに將來(lái)のこと話したり。思い出すなあ、俺とジェシーが先に撮影が終わったけど、スタッフさんみんな忙しくて、どうやって帰ったらいいか誰(shuí)も教えてくれなくて。俺らふたり、30分くらい迷いながら駅まで歩いて“なんなんだよこの扱い!”“いつかデビューして見返してやろうぜ!”とか文句言い合って」
──ただ、6人での活動(dòng)は徐々に減っていき、北斗くんとジェシーくんの活動(dòng)が多くなっていく。複雑な思いもあったんじゃない?
「これも運(yùn)命なのかなって思ったかな。ただ、ジェシーとはずっとめちゃくちゃ仲がよかった。ジェシー、北斗とふたりのこともあったけど、ひとりで活動(dòng)する時(shí)期も、ほかのJr.と一緒のこともあって。あいつ、いっつも“なんかちがう。違和感がある”ってすげー言ってた。“バランス、勢(shì)い、雰囲気、全部あの6人だったからなんだって気づいた。6人が集まったときのエネルギーすごかったよね。誰(shuí)か欠けたらダメなんだ”って言ってたんですよね」
──再集結(jié)を提案したのがジェシーくん、みんなに聲をかけたのが髙地くんだったよね。
「うん。久しぶりに6人での撮影があって、撮影が終わってふたりで一緒に帰ってたら、“やっぱり6人でやりたい”ってジェシーがボソッと言ったんです。あいつすげーシャイで自分から切り出せないから“みんなを集めてくれないかな”ってお願(yuàn)いしてきて。俺は“本気だったらいいよ”って返事した。そしたら、いつもあんなにおとぼけキャラなのにマジメな顔で“本気だよ”って。すぐに俺が4人にメシ食おうって聲をかけてスケジュールを合わせて集まって。同世代があまりいなさそうな店がいいだろうと思って、ちょっと背伸びして予約したのが、渋谷のヒカリエ內(nèi)にあるウナギ屋さんだったんだよね」
──食事會(huì)、みんなの反応は?
「みんな乗り気だったよ。“もう一度、6人でステージに立ちたいね。ジャニーさんにお願(yuàn)いしてみよう”って。今でも覚えてる。ジェシーが、“思い立ったらすぐ行動(dòng)しない?”って言い出して、店內(nèi)で込み入った電話はできないから、俺とジェシーで11階のエントランスにあるソファ()に座ってジャニーさんに電話して。今から會(huì)えるよって言ってもらえたから、そのまま6人で會(huì)いに行って?!?曲でいい、6人でやりたい”ってお願(yuàn)いした。ジャニーさん、すごい親身に相談に乗ってくれてグループ名まで考えてくれてね。それから、グループ名を発表できるまで半年近くあったかな。クリエの舞臺(tái)で“グループ名決まりました。シックス?トーンズです”って発表して。その日、“シックス?トーンズの表記はどうする?”ってジャニーさんと話し合いになって、いきなりジャニーさんが“數(shù)字は入れたくない”って言い出したから、“じゃあどうすんの? もう発表しちゃったよ”って言ったら、“ixの文字を読まなきゃいいんだよ”って。で、次の日の公演で、改めて“SixTONESです”って発表させてもらった。ずっと止まってた6人の時(shí)間が、あの日、動(dòng)き出した」
SixTONESが最後のチャンスだ
──SixTONESの誕生は、髙地くんにとって大きな転機(jī)だったよね。
「すべてが変わった。ジャニーさんに“この6人でやりたい”ってお願(yuàn)いに行ったのって、俺のJr.歴の中で初めての決意表明だったというか。あの日、スイッチが入った。それまでお世話になったスタッフ、応援してくれたファン、本當(dāng)に申し訳ないんですけど、あの日から初めて怒濤の努力というか、あまり言ったことないですけど、初めて“やろう!”って心に決めた。もうハタチも過(guò)ぎてる。このグループが最後のチャンス()だって。歌、ダンス、本気で練習(xí)し始めて、アクロバットは佐久間(大介)くんをはじめ、いろんな人が教えてくれた。自費(fèi)でも習(xí)いに行って、バック転、バック宙までできるようになって。家のリビングのガラスに姿を映してダンスの練習(xí)したり。それまで家でジャニーズ関連のことをやるって一切なかったのに。そうだ、風(fēng)呂でずっとボイパの練習(xí)をやってて親に怒られたこともあったな。一番風(fēng)呂だったのにボイパの練習(xí)に夢(mèng)中になって時(shí)間を忘れて、母に“次の人が入れないでしょ!”って(笑)」
──本気で変わろうと思ったんだね。
「はい。ただ、もう後悔ばっかでした。なんであんなすごい環(huán)境にいたのに努力しなかったんだって。遅すぎるけど吸収できるもの全部しなきゃって?!亥攻`ル()革命!』でも貪欲にいこうって決めて、山田くんにキツめのツッコミをして、収録後“ごめんなさい!”って全力で謝りに行ったり(笑)。でも、ホントに大きな先輩たちで、僕が変わったことをきっかけに、山田くん、知念くん、(八乙女)光くん、3人はより仲よくしてくれた」
──ただ、SixTONESは結(jié)成と同時(shí)にブレイクできたわけじゃない。
「甘くないんですよ。舞臺(tái)『少年たち』を任せてもらえそうだったんですけど、SixTONESだけではお客さんを集められない。バカレア時(shí)代の人気はどこいっちゃったんだってくらい集められなかった。結(jié)局Snow Manとダブル主演という形になったらしくて。でも、Snow Manとは舞臺(tái)の経験値がちがいすぎて、もう毎日ボロクソに怒られて。ただケガの功名じゃないけど、SixTONESにもどうにか見せ場(chǎng)を作らなければってことでオリジナル曲をもらえて。それが『この星のHIKARI』だった。その後、『少年たち』は2年目、3年目と続き、地方公演もやらせていただけるようになって。同時(shí)に少しずつSixTONESの知名度や人気が上がっていった気がします。YouTube『ジャニーズJr.チャンネル』も始まり、かなり自由にやらせてもらえて、俺らのキャラがハマったというか、一気にブーストできた」
──2019年6月、ジャニーさんの病室でデビューを告げられたときは、どんなことを思った?
「鳥肌が立ったっていうか。ただ、事実を冷靜に受け止めることができたと思います。なんか、うん、すっげー冷靜でした。8月のデビュー発表も冷靜だったと思います。ただ、初めて『Imitation Rain/D.D.』のCDを手にしたときは、ちょっと震えた。CDにこだわらなくても、配信だったり時(shí)代に添ったアウトプットの形があるのかもって思ってたんです。でも、CDを手にしたら、形として手元に殘るってすごいな。俺たちを支えてくれているファンが、今同じものを手にしてるんだって思ったらこみ上げてくるものがあった」
──念願(yuàn)のデビュー、いろんな人が喜んでくれたよね。
「そうですね。デビュー発表直後に風(fēng)磨からメールが來(lái)てました?!挨幛扦趣?。でも、『スクール革命!』が終わったら辭めるんだろ?”って(笑)。風(fēng)磨はホント、しつこいヤツなんですけど、あのころ、もし風(fēng)磨がいなくて誰(shuí)にも相談できなかったら、ひとりで抱え込んでホントに苦しかったと思う。感謝してる。『スクール革命!』の共演者やスタッフの方もめちゃくちゃ喜んでくれて。新年會(huì)で“番組が終わったらJr.を辭めようと思ってました。続いてくれたおかげで、こうしてジャニーズとして新たなスタートラインに立つことができました”ってお禮を言ったら、內(nèi)村さんが“続けててよかった~”って笑いながら言ってくれて。スタッフさんも笑ってくれて」
──オーディションに履歴書を送った友だちも喜んでくれたんじゃない?
「はい。Jr.時(shí)代、めっちゃ謝られたんです。僕の人生をめちゃくちゃにしちゃったんじゃないかって。ネットで叩かれまくってることも知ってたんで。何度も何度も謝られて。でも今となっては、逆に僕が頭が上がんないです」
──両親も喜んでくれたでしょ?
「はい。ただ母親はカンが悪くて?!?月8日のチケット2枚用意できるから、親父と來(lái)ればいいんじゃん”って誘ったら、“なんでよ。せっかくの東京ドームなんだから妹と行く”って?!坝H父と來(lái)たほうがいいと思うけどな”って食い下がったんだけど聞く耳持たなくて。デビュー発表後、家に帰ったら、もう泣き出しそうな勢(shì)いで“ごめんなさい。お父さんと行けばよかった”って謝られました(笑)。親父も“聞いてない!”って夫婦ゲンカが勃発して、おめでたい夜が修羅場(chǎng)になったという。仲直りのために“デビューツアーは二人で來(lái)てね”って誘いました」
──Jr.歴10年、やっぱり長(zhǎng)かった?
「あっという間。10年経験した気がしないんです。スイッチが入ったのがSixTONESができてからってのが大きいかな。今も自分の中で、まだまだ足りねえなって思うことが多くて」
──じゃあ、Jr.に何かアドバイスを送るなら?
「何年も卑屈な態(tài)度でJr.やってた俺がアドバイスなんてできない(笑)。ただもし俺みたいに、自分が望んでここにいるわけじゃないって思ってる人がいるなら、流れに身を任せるのもひとつの手かなって思う。自分の運(yùn)命を信じてみる。そして、いつか本気でがんばりたいこと、本當(dāng)に大切な仲間を見つけたら、全力でぶつかる」
できたら嫌いにならないでね
──メンバーにメッセージ()を。まずはジェシー()くん。
「ジェシーへのメッセージはシンプルかな?!挨ⅳ稳?、聲をかけてくれてありがとう”。ジェシーの一聲がなかったらSixTONESは生まれなかった。今だから言えるけど、いつか“もう一度6人で”ってジェシーが言い出すんじゃないかって予感は少しあったんだよね。きっと心のどこかで言い出してほしいって願(yuàn)ってたんだと思う。ジェシーには、きっとこれからも助けられることが多いだろうね。SixTONESの核としてこれからも頼りにしてるよ」
──(森本)慎太郎くん。
「B.I.Shadowだったころ、慎太郎がJr.の真ん中にドンといてね。慎太郎が俺の家に來(lái)て遊んでたら急にいなくなって、みんなで探したら俺のベッドで寢てた。問(wèn)題児なのは今も変わらずで、好奇心が旺盛すぎて後先考えないから危なっかしい。ただ、その物怖じしないところが慎太郎のよさで、その明るさがグループを常にポジティブな方向に導(dǎo)いてる。だから頼りにしてるし、取り返しがつかない生放送以外ではノビノビやってほしいと思ってるよ(笑)」
──樹くん。
「いろいろ大変な時(shí)期、樹の感情の変化をとなりで見てきたからね。まあ慎太郎もだけど、SixTONESは闇に落ちかけたメンバー()が多い(笑)。MCはもちろんラップだって、今、樹が持っている武器は、SixTONESのために磨いたものが多いよね。グループに足りないものを見つけては、そのすべてを引き受けてくれた。樹の責(zé)任感がグループをひとつにしてくれてると思うよ」
──京本(大我)くん。
「大我は個(gè)のスキルが飛び抜けてる。成長(zhǎng)のための努力も厭わない。だからこそ何度か“グループを辭めたい”って相談、俺にしてきたよね。その気持ちよくわかったよ。やる気が表に見えにくいメンバーを見ると、“俺はこんなにがんばってんのに”って思ってしまうんだなって。相談されたとき、俺は引き止めたことないよね。いつも、“どんな決斷をしてもいい。でもひとつだけ覚えておいて。本気なのかわかりにくいヤツも確かにいる。だけど俺らは全員、SixTONESに賭けてるよ”って。なんでグループにとどまったかなんて俺は聞かない。今、大我がSixTONESにいてくれることがすべてだと思うから」
──最後に北斗くん。
「俺だけが知ってる北斗がいるし、きっと北斗だけが知ってる俺がいる。運(yùn)命の巡り合わせなのか何なのかわかんないけど、今、こうして一緒のグループにいて、一緒にデビューできたことがうれしい?!耙簧痪w”って言ってくれてありがとね。北斗が俺を嫌いになっても俺はずっとついていくから。でも、できたら嫌いにならないでね(笑)」
──リーダー()としてグループにおける自分の役割ってなんだと思う?
「いるだけ(笑)。メンバーにいらないって言われるまで、このグループに俺はこれからもいるよ」
──髙地くんがいなければまちがいなくSixTONESは誕生してなかった。ジャニーさんの“YOUはいるだけでいいんだよ”って言葉の真意、少しわかった気がするよ。
「俺を買いかぶりすぎ(笑)。いるだけっていうより、ようはメンバーみたいに特別なことができないだけだから。あ、でも、これだけキャラが濃いメンバーがそろうと、なんもしないほうが目立ってオイシイんだよね。そういうとこ、じつはしたたかだよ」
──じゃあ、個(gè)人の夢(mèng)を教えて。
「言うの恥ずかしいなあ。まあ言いますわ。ちゃんとしたやつ。俺、バラエティー番組が好きなんで、いつか年間番組出演ランキングに入りたい。あ、またこの人出てるって人いるじゃないですか。理由もなく呼ばれる甘い世界じゃないんで、呼ばれる人には呼ばれる理由がある。必要とされる理由が。視聴者の人に“こいつまたいるじゃん。でも、いいコメントするよな”って言われる存在になりたい。オールマイティーな人になって、いろんな人に必要とされるのが夢(mèng)です」
──SixTONESとしての夢(mèng)は?
「グループの目標(biāo)は作らないって決めてる。すべては夢(mèng)の過(guò)程じゃないけど、目の前のことをひとつずつがんばっていったら、“気づいたらドームできてたね”“國(guó)立もできてた”ってなりたいから。もちろん10年、20年、グループを続けていったら、きっといろんなことが変わっていく?!绑{地、こんな歌い方するようになったんだ”って細(xì)かなことから、“SixTONESは今度、こんなことやるんだ”みたいなことまで。デビュー5周年、10周年、いろんな変化をファンの人には楽しんでほしい。SixTONESの歴史を一緒に歩んでいただけたらって思います」
──そうだね。
「ただ、ひとつだけ絶対に変えたくないことがあって。SixTONESって、今でも楽屋で誰(shuí)かがオッパイって言うだけでチョー盛り上がるんです。いつまでも高校生みたいなノリで、くだらないことで笑い合える仲間でい続けたい。6人で一生一緒。それがたったひとつの夢(mèng)かもしれない」