【日語作文范文】今日主題:國際の相互理解について

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今天的主題是:國際の相互理解について,一起來看看吧~
*備注:粗體為錯誤,(→ )為修正。
優(yōu)秀范文
中國人にしか理解できない物事など存在するのだろうか?,F(xiàn)在の中國と外國との隔たりは、國際化になり(→し)つつある時代のためか。アメリカにも月はあるのか、という質(zhì)問には驚かされた。あまりにも井の中の蛙である。このように、主観的な観念で中國という自分自身が立つ視點から世界を考えることは相互理解の大きな妨げである。私たちは日常の中で、私は私で、他人は他人である、というように考えることがあり、これはもちろん大切なことだが、この考えを國際的に見てみると厄介な事になる。これがいわゆるカルチャーショックだと私は思う。
カルチャーショックを受けることは誰にでもあることだと思う。そこで大切な事は、柔軟な考え方が出來るかどうかだと思う。
しかし、國際化社會だから他國に対する知識だけが増え、視野が広くなりすぎた結(jié)果、母國に対しての関心が端に追いやられてもいけない。今、國際化するにつれて、海外を理解しようとするあまり、中國文化についての関心や知識が薄れていると(→ことが)問題になっている。昔ながらの建築物が次々と壊され高層ビルへと移り変わっていく。伝統(tǒng)文化を知らないためにそのことを説明できない人が増えている。中國人だというのに漢字の読み書きが出來ず、英語ではないと楽に生活が出來ない人がいる。私は実際にこのような人に會ったことがあるが、非常に謎であった。中國人であるにもかかわらず、中國についての知識が乏しく、その一方で、無駄にアメリカ式ではこうだとか嬉しそうに話していた。一體この人が存在しているはっきりとした立場はどこなのかと思った。母國の文化も何も知らずに尊重することなく、他國の文化を理解することは果たして可能なのだろうか。
豊かな(→で)國際的な相互理解を深めていくには、まず母國の文化を通して母國自體を理解し、尊重することが大切である。そのことに対しての視野を広げた上で、次に他國を柔軟な頭で理解するべきだと思う。それでこそ、真の相互理解が出來たと言えるのではないか。名言に「良い友人を得たけば、まず自分が良い人である必要がある」とあるように、良い相互理解をするには、自分の視野がどれほど広いかではなく、自分自身を、(→が)物事を尊重できる人にす(→な)ることが大切だと思う。すなわち、うわべだけの知識が多いことは実は視野が狹いのであって、自らを尊重することが本當(dāng)の意味での視野が広いということだ。これからの時代に必要なのは、このような姿勢が出來る(→姿勢をもったor見方ができる)人になる事だと思う。