【日語(yǔ)學(xué)碩】日本最早的物語(yǔ)文學(xué)——竹取物語(yǔ)

前言

『竹取物語(yǔ)』(たけとりものがたり)は、平安時(shí)代初期に成立した日本の物語(yǔ)。別稱《竹取の翁(おきな)》《かぐや姫の物語(yǔ)》《竹取翁物語(yǔ)》。成立年、作者ともに未詳。
竹取の翁(たけとりのおきな)が竹の中から得た娘、なよ竹のかぐや姫が、五人の貴公子の求婚に難題を出して失敗させ、天皇の召しにも応ぜず八月十五夜に月の世界に去るという奇譚。
『源氏物語(yǔ)』に「物語(yǔ)の出で來(lái)はじめの祖(おや)なる竹取の翁」とあるように、日本最古の物語(yǔ)といわれる。9世紀(jì)後半から10世紀(jì)前半頃に成立したとされ、かなによって書(shū)かれた最初期の物語(yǔ)の一つである。
成立「せいりつ」
成立時(shí)期?作者ともに未詳であるが、千年頃に書(shū)かれた平安文學(xué)の代表作「源氏物語(yǔ)」に竹取物語(yǔ)が登場(chǎng)することを踏まえると、大雑把に800?900年代に書(shū)かれた作品ということになります。作者は和?漢、仏教の知識(shí)をもった男性知識(shí)人であろうと推定され、成立時(shí)期は諸説あるが9世紀(jì)後半から10世紀(jì)の初めの間とみられる。
考點(diǎn)提示:
竹取物語(yǔ)的作者及具體創(chuàng)作時(shí)間不詳。但平安文學(xué)的代表作《源氏物語(yǔ)》中已經(jīng)有竹取物語(yǔ)的出場(chǎng),現(xiàn)學(xué)界一般認(rèn)為竹取物語(yǔ)的作者是具有和漢教養(yǎng)與佛教知識(shí)的男性知識(shí)階層,創(chuàng)作時(shí)間約為九世紀(jì)后半葉至十世紀(jì)初之間。

粗筋「あらすじ」
內(nèi)容は構(gòu)成上、かぐや姫の生い立ち、五人の貴公子と帝(みかど)の求婚、かぐや姫の昇天の三部からなる。
● かぐや姫の生い立ち
竹取物語(yǔ)は、以下の原文から始まる。とても有名な文なので、知っている人も多いかもしれない。
今は昔、竹取の翁(おきな)という者ありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろづのことにつかいけり。
【現(xiàn)代語(yǔ)訳】
その昔、竹取のおじいさんと呼ばれる者がいた。野や山に入っては竹を取り、いろんなことに使っていた。
ある日、翁が竹林にでかけると、光り輝く竹があった。不思議に思って近寄ってみると、中には三寸程の可愛(ài)らしい女の子が座っていた。翁の夫婦は自分たちの子供として大切に育てることにした。その後、竹の中に金を見(jiàn)つける日が続き、二人は豊かになっていった。翁が見(jiàn)つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで妙齢の娘になり、「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。
從前,有個(gè)老翁經(jīng)常到山中伐竹,有一天,老翁來(lái)到竹林,發(fā)現(xiàn)有一棵發(fā)光的竹子,覺(jué)得十分不可思議,走近一看,里面有一個(gè)三寸大小的可愛(ài)女孩。老翁夫婦將她當(dāng)作自己的孩子好好撫養(yǎng)。老翁自從得到了這孩子之后,每次去伐竹時(shí),都會(huì)發(fā)現(xiàn)竹筒中有許多黃金,于是老翁夫婦兩人的生活越來(lái)越富裕。老翁找到的孩子漸漸長(zhǎng)大,三個(gè)月后就長(zhǎng)成了妙齡少女,取名為“細(xì)竹輝夜姬”。

● 五人の貴公子と帝の求婚
かぐや姫のうわさを聞いて多くの男たちが求婚したが、なかでも石作皇子(いしづくりのみこ)、車(chē)持皇子(くらもちのみこ)、右大臣阿部御主人(あべのみうし)、大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)、中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)の五人は熱心であった。そこで姫はこの五人の貴公子に対してそれぞれ、仏の御石の鉢、蓬萊(ほうらい)の玉の枝、火鼠(ひねずみ)の裘(かわぎぬ)、竜(たつ)の首の珠(たま)、燕(つばくらめ)の子安貝(こやすがい)を持ってくるように難題を課す。五人は姫の要求にこたえようと苦心をするが、結(jié)局すべて失敗に終わる。
聽(tīng)到輝夜姬的傳聞,很多男人都向她求婚,其中石作皇子、車(chē)持皇子、右大臣阿部御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂五人總是持續(xù)不斷地來(lái)訪。輝夜姬提出讓這五位貴公子分別帶來(lái)佛前石缽、蓬萊的玉枝、火鼠裘、龍首珠、燕子子安貝的難題,五個(gè)人為了達(dá)到輝夜姬的要求煞費(fèi)苦心,但最終都以失敗告終。
最後に帝が姫を求めて勅使を遣わすが、かぐや姫に拒否された。帝が無(wú)理にかぐや姫を連れて行こうとすると、かぐや姫は消えてしまうので、諦めざるをえなかった。
最后,皇帝也派遣敕使來(lái)找輝夜姬,但被輝夜姬拒絕。于是皇帝直接到輝夜姬家要帶走輝夜姬,輝夜姬身形消失,影跡全無(wú),所以只能放棄。

● かぐや姫の昇天
八月の満月が近づくにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問(wèn)うと「自分はこの國(guó)の人ではなく月の都の人であって、十五日に帰らねばならない」という。
隨著八月滿月的臨近,輝夜姬哭得越來(lái)越厲害,對(duì)老翁說(shuō)道:“我其實(shí)并不是這世間的人,而是月之都的人,這個(gè)月的十五日,我的故國(guó)的人們將要來(lái)迎接我。這是非去不可的?!?/p>
最後にかぐや姫は不死の薬と手紙を殘して、八月十五夜、天人に迎えられて月の世界へ昇天してしまう。
最后,輝夜姬留下了不死藥和信件,在八月十五夜被天人迎接,升天到月之世界。


流れ「ながれ」
竹取物語(yǔ)は作り物語(yǔ)の源である。竹取物語(yǔ)のような神話や伝説の流れを汲む虛構(gòu)性?伝奇性の強(qiáng)い物語(yǔ)を作り物語(yǔ)と呼び、特に伝奇性要素の強(qiáng)い作品は伝奇物語(yǔ)とも呼ぶ。この系統(tǒng)には宇津保物語(yǔ)、落窪物語(yǔ)などがある。
『竹取物語(yǔ)』は通稱であり、平安時(shí)代から室町時(shí)代の文學(xué)作品には次のように呼ばれていた。
● 平安時(shí)代
>『竹取の翁』 (『源氏物語(yǔ)』?絵合巻)
>『かぐや姫の物語(yǔ)』 (同?蓬生巻)
● 鎌倉(cāng)時(shí)代
>『竹取』 (『無(wú)名草子』)
>『たけとり』 (『風(fēng)葉和歌集』)
● 室町時(shí)代
>『竹取翁』 (『河海抄』)
考點(diǎn)提示:
竹取物語(yǔ)是虛構(gòu)物語(yǔ)的開(kāi)端。像竹取物語(yǔ)這樣繼承于神話、傳說(shuō),虛構(gòu)性、傳奇性強(qiáng)的故事被稱為虛構(gòu)物語(yǔ),特別是傳奇性要素強(qiáng)的作品也被稱為傳奇物語(yǔ)。這個(gè)系統(tǒng)還有后來(lái)的宇津保物語(yǔ)、落洼物語(yǔ)等作品。

意義「いぎ」
竹取物語(yǔ)は日本現(xiàn)存する最古の物語(yǔ)である。同じ平安時(shí)代に書(shū)かれた『源氏物語(yǔ)』「絵合」の巻には「物語(yǔ)の出(い)で來(lái)(き)はじめの祖(おや)なる竹取の翁」とあり、當(dāng)時(shí)すでに初期の仮名(かな)物語(yǔ)の代表作品とみなされていた。
求婚難題談にみられる社會(huì)風(fēng)刺、昇天の段における人間の愛(ài)情生活に対する理解などによって、個(gè)性的な文學(xué)作品となっており、仮名文學(xué)の祖でもある。
考點(diǎn)提示:
在與竹取物語(yǔ)同時(shí)代(平安時(shí)代)的文學(xué)作品《源氏物語(yǔ)?繪合卷》中,有“作為物語(yǔ)產(chǎn)生之祖的竹取翁(這里的“竹取翁”指竹取物語(yǔ))”(物語(yǔ)の出で來(lái)はじめの祖なる竹取の翁)的描述,證明在當(dāng)時(shí)(平安時(shí)代)竹取物語(yǔ)已經(jīng)被認(rèn)為是初期假名物語(yǔ)的代表作。
考點(diǎn)歸納
1.日本傳奇物語(yǔ)的開(kāi)端是竹取物語(yǔ)。
2.日本第一部以假名書(shū)寫(xiě)的文學(xué)作品是《竹取物語(yǔ)》。
3.被《源氏物語(yǔ)》稱贊為“物語(yǔ)產(chǎn)生之祖(物語(yǔ)の出で來(lái)はじめの祖)”的文學(xué)作品是《竹取物語(yǔ)》。
4.請(qǐng)簡(jiǎn)要介紹竹取物語(yǔ)。
竹取物語(yǔ)是日本最古老的物語(yǔ)文學(xué)作品,創(chuàng)作于平安時(shí)代初期,別稱《竹取の翁》《かぐや姫の物語(yǔ)》《竹取翁物語(yǔ)》等。作者及具體創(chuàng)作時(shí)間不詳。學(xué)界一般認(rèn)為竹取物語(yǔ)的作者是具有和漢教養(yǎng)與佛教知識(shí)的男性知識(shí)階層,創(chuàng)作時(shí)間約為九世紀(jì)后半葉至十世紀(jì)初之間。講述了被竹取翁從竹子中帶回家的女孩——細(xì)竹輝夜姬給五位貴公子的求婚出難題使之失敗,并拒絕天皇的召令,于八月十五夜升天至月之世界的傳奇故事,是日本傳奇物語(yǔ)的開(kāi)端,也是日本第一部以假名書(shū)寫(xiě)的文學(xué)作品。