【翻譯練習】人間失格 選段翻譯練習
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「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈(しょうちん)して、ダメになり、笑う聲にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂亂になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辭林という本に依ればね、可哀そうに。僕にも、その気持わかるがね」
“‘錢盡緣斷‘的解釋其實是反的,說的并不是男人沒錢了就會被女人拋棄。而是男人要是沒錢,就會意識消沉、缺乏自信,終日渾渾噩噩、愁眉苦臉,最后破罐子破摔,發(fā)了瘋似的要把女人甩掉。字典里就是這么解釋的。聽著真可憐,我理解這種心情?!?/p>
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惜しいという気持ではありませんでした。自分には、もともと所有慾というものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持はあっても、その所有権を敢然と主張し、人と爭うほどの気力が無いのでした。のちに、自分は、自分の內(nèi)縁の妻が犯されるのを、黙って見ていた事さえあったほどなのです。
我一點都不心疼。本來我自己就沒有什么占有欲。就算暗地里有些不甘,我也不敢站出來宣誓主權(quán)和他人發(fā)生沖突。之后,我的妻子被人侵犯,我也只是沉默地看著。
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自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友情」というものを、いちども実感した事が無く、堀木のような遊び友達は別として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往來などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、めまいするほどの不快な戦慄に襲われる有様で、人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於(お)いては欠けているところがあるようでした。(もっとも、自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています)そのような自分に、所謂「親友」など出來る筈は無く、そのうえ自分には、「訪問(ヴィジット)」の能力さえ無かったのです。他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地獄の門以上に薄気味わるく、その門の奧には、おそろしい竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、誇張でなしに、実感せられていたのです。
誰とも、附き合いが無い。どこへも、訪ねて行けない。?
雖然我現(xiàn)在受大家的歡迎,但是從來沒有體驗過“友情”。堀木這樣的酒肉朋友就另當別論。和人所有的交往我都只感到痛苦,為了緩解痛苦又要拼命地扮丑,反而弄得精疲力盡。即便在街上看到和熟人相似的面孔,也會心頭一驚,然后渾身不安地戰(zhàn)栗。雖然我知道自己是被人喜歡的,但我缺少愛他人的能力(但是,我對這個世界上的人到底有沒有“愛”的能力抱有深深的疑問)。因而我是不可能有所謂的“好朋友”的,而且我連去別人家“拜訪”的能力都沒有。對我來說,他人家的門要比神曲中的地獄之門還要恐怖,在那門的深處,盤踞著惡龍般的怪獸要把人生吞活剝。我不是在夸張,這的確是我切身感受到的。
我和誰也不想來往,哪里也不想去。
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世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて來たような気がしていました。個人と個人の爭いで、しかも、その場の爭いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを稱(とな)えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋(オーシャン)は世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し當っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて來たのです。?
我自己也隱約察覺到了,這個世界就是人與人爭斗的斗獸場,要當場決出勝負,并且必須要贏。人是絕不會屈服于其他人的,就連奴隸都會以奴隸那卑微的方式進行反擊。因而人類的生存之道除了立馬一決勝負外,絕無他法。雖然人們滿口的仁義道德,但實際上最終考慮的都是自己。要踩在一個一個人的頭上往上爬。世間的隱晦是人類的復(fù)雜。因而深不可測的海洋不是世界而是人類。想到這兒,我多少從對世界深?;糜鞍愕目謶种薪饷摿顺鰜?,不再像以前那樣,凡事謹小慎微、惶恐不安,而是變得厚顏無恥、隨機應(yīng)變了。
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自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳(ひゃくにちぜき)の黴菌(ばいきん)が何十萬、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十萬、床屋には禿頭(とくとう)病の黴菌が何十萬、省線の吊皮(つりかわ)には疥癬(かいせん)の蟲がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ蟲の幼蟲やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が體內(nèi)を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科學の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十萬もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科學的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科學の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。
我對這個世界越來越放下了戒心。我開始覺得這個世界沒那么恐怖。之前讓我害怕的都是些,春風里有幾十萬百日咳的病菌,澡堂里有幾十萬致人眼瞎的病毒,理發(fā)店里有幾十萬讓人禿頭的細菌,電車吊環(huán)上長著的幾十萬疥癬的蟲子。還有生魚片、烤牛肉和烤豬肉里面肯定藏著絳蟲的幼蟲、跳蚤和蟲卵什么的。光腳走路的時候,腳會踩到玻璃碎片。碎片會從腳底鉆入體內(nèi),在體內(nèi)四處亂竄,甚至可能刺破眼球?qū)е率?。這些所謂“科學的迷信”讓我恐懼。確實,有成千上萬的細菌在漂浮、在蠕動,這在“科學”上來說是正確無疑的,但是我發(fā)現(xiàn),只要不去想、不去擔心這些事,那它們不過是和我毫無關(guān)系的,很快就會消失的“科學幽靈”。
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さすがにその商人は、その後やっては來ませんでしたが、自分には、どうしてだか、その商人に対する憎悪よりも、さいしょに見つけたすぐその時に大きい咳ばらいも何もせず、そのまま自分に知らせにまた屋上に引返して來た堀木に対する憎しみと怒りが、眠られぬ夜などにむらむら起って呻(うめ)きました。
ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲慘。
神に問う。信頼は罪なりや。
ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨシ子の無垢(むく)の信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思われていたのです。それが一夜で、黃色い汚水に変ってしまいました。見よ、ヨシ子は、その夜から自分の一顰(いっぴん)一笑にさえ気を遣うようになりました。
那個商人果然沒有再來,但不知道為什么,我更恨堀木,我恨他發(fā)現(xiàn)這齷齪事時沒有大聲咳嗽、他什么都沒有做就這樣悄悄地回樓頂告訴我。我恨他!這股憎恨和憤怒,在不能安寢的夜晚不斷翻滾呻吟。
沒有什么原不原諒的事。良子過于信賴他人,連絲毫的懷疑都沒有。也正是因此,她才會如此悲慘。
我問神。信賴是一種罪過嗎?
良子被人玷污很讓我愧疚,但良子的信賴被傷害更是在我心中種下了苦澀的種子,之后不斷長大,讓我痛不欲生。像我這種畏畏縮縮、只會看他人臉色、連對他人的信任都出現(xiàn)裂痕的人,良子純潔的信賴,如同青蔥的瀑布般沖刷我的心靈,但一夜之后,卻被玷污成黃色的污水??窗?,良子從那天晚上開始,連自己的一顰一笑都小心翼翼地藏起來了。
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無垢の信頼心は、罪なりや。
唯一のたのみの美質(zhì)にさえ、疑惑を抱き、自分は、もはや何もかも、わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールだけになりました。自分の顔の表情は極度にいやしくなり、朝から焼酎を飲み、歯がぼろぼろに欠けて、漫畫もほとんど猥畫(わいが)に近いものを畫くようになりました。いいえ、はっきり言います。自分はその頃から、春畫のコピイをして密売しました。焼酎を買うお金がほしかったのです。いつも自分から視線をはずしておろおろしているヨシ子を見ると、こいつは全く警戒を知らぬ女だったから、あの商人といちどだけでは無かったのではなかろうか、また、堀木は? いや、或いは自分の知らない人とも? と疑惑は疑惑を生み、さりとて思い切ってそれを問い正す勇気も無く、れいの不安と恐怖にのたうち廻る思いで、ただ焼酎を飲んで酔っては、わずかに卑屈な誘導(dǎo)訊問(じんもん)みたいなものをおっかなびっくり試み、內(nèi)心おろかしく一喜一憂し、うわべは、やたらにお道化て、そうして、それから、ヨシ子にいまわしい地獄の愛撫(あいぶ)を加え、泥のように眠りこけるのでした。
?
純粹的信任是罪啊。
連最值得托付的美好品質(zhì)我都抱有疑惑,這世間所有的一切都讓我如墜云霧,我現(xiàn)在唯一能依靠的只有酒。早上一醒來我就開始喝燒酒,我表情變得猥瑣,牙齒蠟黃殘缺,漫畫也畫的很下流。好吧,我還是說得更清楚些。從那時候起,我就開始偷偷賣春宮圖。我需要錢買酒。我發(fā)現(xiàn)良子總是把視線從我身上移開,一臉的不知所措。這娘們完全不懂得戒備。說不定和那個商人發(fā)生過不止一次,或者和堀木?不可能,或者是和我不認識的人?疑惑中又產(chǎn)生疑惑,但我又沒有勇氣去問清楚,只能和以前一樣在不安和恐懼中徘徊,只有喝酒,把自己喝醉了后再低三下四地旁敲側(cè)擊地詢問。表面是沒有分寸地說笑,內(nèi)心卻是白癡似的又憂又喜。然后,施虐般的對良子瘋狂的愛撫,爛泥一樣的沉沉睡去。
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不幸。この世には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っても過言ではないでしょうが、しかし、その人たちの不幸は、所謂世間に対して堂々と抗議が出來、また「世間」もその人たちの抗議を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言いかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆(あき)れかえるに違いないし、自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自(おのずか)らどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具體策など無いのです。
不幸。這個世界上,有各種各樣不幸的人,不對,是所有人都是不幸。但是,他們的不幸,可以堂堂正正地向所謂的世界抗議,而“世界”也很容易理解他們的抗議并施予同情。但是,我的不幸都是由自己的罪惡造成的,所以沒法向任何人抗議,而且我支支吾吾地想說一句抗議的話,不僅是比目魚、世上的所有人,居然都能說出來。我愕然了。我到底是世俗所說的“任性”,還是太懦弱,連我自己也不知道是什么,反正我就像是一團罪惡的集合體,只會越來越不幸,而且沒有任何阻止的辦法。