【歌詞翻譯+注解】夏の肖像(夏的畫像) / ヨルシカ(專輯「幻燈」收錄曲)

夏の肖像
夏的畫像
ヨルシカ
YORUSHIKA
專輯名:幻燈
原作:《草木塔》/ 種田山頭火
副歌 S0
だからもっと踴るように
所以呀 再來跳一支舞吧
ほろりほろり落ちるように
悠悠蕩蕩 有如一片片落下
さよならは花咲くように
惜別之語 彷如再見花開
それは夏の木漏れ日のよう
又如夏葉間悠悠落盡的陽光
主歌 A1
寂しい雨上がり、花を見つけて
雨過冷冷清清,偶見一花開
ぽっかり空いたような貴方の心
驀然空了一塊般你漂浮的心
(*注:「雨上がり」指雨后;「ぽっかり」既有“飄浮”,也有“突然裂開口子”的意思,此處指偶然發(fā)現(xiàn)花時(shí)心中空落落,或是被美好的事物刺痛的感覺。)
少しだけ歩こうか 風(fēng)の吹く間に
趁著風(fēng)兒吹,再朝前走一段吧
草のそよげば何となく誰かを待つ
野草輕搖曳,也不知盼著誰來
(*注:此句化用種田山頭火的俳句『草のそよげば何となく人を待つ』,出自『草木塔』中的「雑草風(fēng)景」。)
主歌 B1
忘れるたびに増やすことが悲しいのでしょう
每一忘卻 心上就添一空白 怎教人不傷心呢?
副歌 S1
だからもっと踴るように
所以呀 再來跳一支舞吧
ほろりほろり落ちるように
悠悠蕩蕩 有如一片片落下
さよならは花咲くように
惜別之語 彷如再見花開
それは それは
那又如……那又如
だからもっと踴るように
事已至此 便隨風(fēng)而舞吧
あぁ僕らずっと一つじゃないの
啊 我們不是從來都一心同體嗎
涙拭けば雨のように
你淚拭去 便如雨落
それは夏の木漏れ日のよう
又如夏葉間的陽光飄飄灑灑
木漏れ日のよう
紛紛落盡一般
主歌 A2
貴方の中には何があるのかい
在你之中 究竟有著什么呢?
僕の心には何を描くのかい
又在我心之中 畫了什么呢??
少しだけ歩こうか 雨の降る間に
趁著雨未停,再朝前走一段吧
その後ろ姿もしぐれてゆくか
背影漸遠(yuǎn)去,伴時(shí)雨忽現(xiàn)忽隱
(*注:此句化用種田山頭火的俳句『うしろすがたのしぐれてゆくか』,出自『草木塔』中的「鉢の子」,前有題記“昭和六年,我努力在熊本安頓下來,但做不到,只能又踏上行腳之路?!保?/span>
主歌 B2
忘れることが苦しい、それも正しいのでしょう
忘卻是件痛苦事,也是件合乎于理的尋常事吧
副歌 S2
言葉もっと遊ぶように
任憑言語 閑無事 空消遣
ほろりほろり落ちる夕陽
紛紛揚(yáng)揚(yáng) 有如夕陽落紅
五月雨が花火のように
五月淫雨 來又去 似花焰
それは それは
那又是……那又是
去ればぱっと晴れる陽気
一經(jīng)離去 天便驟然放晴
あなたを待っている、火のように
等待著你,等待著似火一般
燃える雲(yún)、茜のように
燃燒的云,彷如血見愁
(*注:此句化用種田山頭火的俳句『あなたを待つてぬる火のよう燃える』,出自『草木塔』中的「雑草風(fēng)景」。)
それは風(fēng)のお祭りのよう
又如風(fēng)兒的云中祭典般
(*注:「茜」指“茜草,血見愁”,為多年生草本,葉子呈綠色,根莖呈暗紅色;「風(fēng)祭り」是為了保護(hù)農(nóng)作物免受風(fēng)害,向風(fēng)神祈禱不要讓風(fēng)吹得過于猛烈的農(nóng)耕儀式,歌詞把「風(fēng)祭り」拆成「風(fēng)」和「お祭り」,從“人的儀式”變成了“風(fēng)的儀式”,將黃昏時(shí)燒紅的云解釋為風(fēng)兒在云上的祈禱儀式,因而滿是祭典或廟會(huì)的茜色空氣。)
主歌 B3
あの日の空を思う胸が苦しいのでしょう
想起那一日的天空 胸口就揪起一陣苦痛呢
(*注:此條僅為個(gè)人猜想。此句或指「藍(lán)二乗」中「この目覆う藍(lán)二乗」——被淚水遮住眼瞼不忍去看一眼的耀眼藍(lán)天;又或指「ラプンツェル(長發(fā)公主)」中「春を待つ胸が苦しいのだ、苦し紛れの縹だ」——等待春天的胸口很是難受,令人痛苦不已的淺藍(lán)。)
副歌 S3
だからもっと踴るように
所以呀 再來跳一支舞吧
ほろりほろり落ちるように
悠悠蕩蕩 有如一片片落下
さよならは花咲くように
惜別之語 彷如再見花開
それは それは
那又如……那又如
だからもっと踴るように
事已至此 便隨風(fēng)而舞吧
あぁ僕らずっと一つじゃないの
啊 我們不是從來都一心同體嗎
涙吹けば雨模様に
你淚落 便如雨非雨
それは夏の木漏れ日のよう
又如夏葉間悠悠蕩蕩的陽光
木漏れ日のよう
一片一片落不盡
幻燈
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