AKB48 村山彩?!笢丐省癆KB48劇場”は一番やる気がみなぎる場所」
デビュー11年目。AKB48の13期生で「シアターの女神」とも稱される村山彩希が、初のソロ寫真集『村山彩希1st寫真集 普通が好き』を出版した。沖縄や東京、そしてグループの聖地“AKB48劇場”でも撮影に臨んだ作品には、彼女の願いが凝縮されている。メンバー?岡田奈々の撮影カットも収録されている本作の撮影秘話やこれまでのキャリア、影響を受けた卒業(yè)生とのエピソードなど、活動への思いと共に聞いた。
目指したのは「変なアイドル寫真集」。メンバー?岡田奈々が撮影したこだわりカットも
――2011年12月に“AKB48劇場”でデビューしてから11年目。1stソロ寫真集『村山彩希1st寫真集 普通が好き』の出版のお話を聞いた時は、何を思いましたか?
村山彩希(以下、村山) “AKB48人生”の中で自分が寫真集を出す未來を想像していなかったので「本當(dāng)に!?」と思いました。寫真集は、卒業(yè)記念に出すイメージが強くて、大きな節(jié)目であったり、何かきっかけがないと出せないと思っていたんです。予想外で「何もないこのタイミングでいいんですか?」と思いました。

――タイトルは『普通が好き』ですが、寫真集內(nèi)のロングインタビューでは「変なアイドル寫真集」を目指していたと明かしていましたね。
村山 タイトルは(総合プロデューサーの)秋元(康)先生が考えてくださった10通りの候補の中から選びました。秋元先生も、寫真集の完成版を見て『普通が好き』とタイトルを付けるあたり変な人だなって(笑)。でも、私のちょっと変わった活動の仕方を汲み取ってくれて、うれしかったです。作品を通して「変な子」と思ってもらいたかったので、アイドル寫真集ならではの「白い水著に晴れた空や?!工趣い盲骏氓趣蠝pらして、作り込んだ世界観のカットを増やしていただきました。
――先述のロングインタビューで「カメラを向けられることがあまり得意ではなくて」と明かしていたのも、意外でした。
村山 カメラで撮られるのが好きじゃないので「大丈夫ですか?」と、不安な気持ちも強かったです。グラビア撮影は経験してきましたけど、結(jié)局、恥ずかしさが勝つんです。でも、ソロ寫真集のおかげで自分を客観視できるようになりました。これまでは「自分がかわいいか。かわいくないか」で判斷していましたけど、「自分をどう見せたいか」と考えながら、撮影現(xiàn)場で自分のカットをモニターで1枚ずつ確認(rèn)できるようになりました。

――撮影に向けた體づくりなど、どのような準(zhǔn)備をしていったのでしょうか?
村山 エステサロンに通いました。バスケ部出身でしたし、普段から歌って踴っているので體格がガッチリしているんですよ。でも、理想の女性像ではなかったので、やわらかい印象の“大人のマシュマロボディー”を目指すために、卒業(yè)生のみいちゃん(峯岸みなみ)や先輩のゆきりん(柏木由紀(jì))さんに「體格にコンプレックスがあるんですけど、どうやってメンテナンスしてますか?」と相談して、エステサロンを紹介してもらいました。エステサロンでは、食べものやストレッチ、入浴法のアドバイスもいただきましたけど、日頃のケアは自分との戦いだったので、大変さもありました。
――努力の成果を発揮した沖縄のロケで印象的だったことは?
村山 海の撮影では、空や雲(yún)が紫がかったピンクに染まっていて、非日常な光景が素敵でした。カメラマンの桑島(智輝)さんが「撮影で沖縄へ行くことは多いけど、こんなにきれいな夕日のもとで撮ったことはない」とおっしゃっていたのが印象的で、そこで撮影したカットはどれもお気に入りです。あと、スコールで撮影が中斷したあと、虹が出て水に反射する自分を?qū)懁筏繉懻妞鈿荬巳毪盲皮い蓼?。通常版の裏表紙に採用されていて、自然が味方してくれたようでうれしかったです。

――都內(nèi)での撮影で、気に入ったカットは?
村山 公園の近くで、メンバーの岡田奈々ちゃんが撮ってくれたカット(寫真集內(nèi)のコーナー「Nana’s Camera」に収録)です。コーナーのカットは、奈々ちゃんに「この道がいい」「あの場所がいい」と提案してもらいながら、街中を練り歩いて撮影しました。浴衣姿も披露していますが、シチュエーションはすべて奈々ちゃんのこだわりです(笑)。
――カーテン越しで“謎のメンバー”に後ろから手をかけられているカットもありますが、この方もひょっとして…とは思いました(笑)。
村山 ファンのみなさんに「誰なんだろう…」と想像してもらえるかと思って、答えは言わずに一生におわせようと思います(笑)。
――(笑)。都內(nèi)では、AKB48劇場でも撮影されましたよね。やはり、特別な思い入れが?
村山 寫真集が決まってすぐに「劇場の寫真は入れたい」と思いました。カメラを向けられると身構(gòu)えてしまうので、公演中で知らぬ間に撮られている自分の表情が一番好きなんです。ファンのみなさんから「靜止畫があんまり映えない」と言われることが多く、髪の毛やスカートの躍動感がある、たまたま撮れたカットのほうが映えるみたいで?!袱长螭时砬椁颏筏皮い毪螭馈工?、発見する楽しさを味わってもらいたいです。
姉と母親をきっかけにAKB48へ加入。學(xué)業(yè)との両立を支えてくれた中學(xué)時代の友達(dá)
――ここからは、キャリアを振り返っていただきます。まず、AKB48のオーディションを受けた経緯を教えてください。
村山 3人姉妹の末っ子で、昔からお姉ちゃんのマネごとをするのが大好きだったんです。習(xí)い事や塾も「お姉ちゃんと一緒に通いたい」と言うほどで、そうしたなかで、お姉ちゃんをマネしてAKB48の振りコピをしていたんです。3人姉妹なので、ノースリーブス(卒業(yè)生の小嶋陽菜、高橋みなみ、峯岸みなみによるユニット)さんもマネして(笑)。姉妹そろって子役も少しかじっていたんですけど、母親がその延長で、AKB48のオーディションへ応募したのが加入へのきっかけでした。


――オーディション合格後、中學(xué)2年生でAKB48のメンバーに。生活もガラッと変わったかと思います。
村山 中學(xué)時代は、3年間ずっと同じクラスだった同級生に救われていました。グループ加入後は早退も多く、所屬していたバスケ部に參加しづらくなってしまったことから、人間関係も環(huán)境も変わっていきました。今も覚えていますけど、席替えがあったことを知らずに登校して「自分の席がなくなっちゃった!」と大號泣した事件もあって…。
――環(huán)境の変化がよく伝わってくるエピソードですね。
村山 機の両サイドに荷物を引っかけるフックがあるじゃないですか。そこに自分のものではないものがかかっていて「待って…」と思って。あと、機の落書きも目印にしていたんですけど、それもなくなっていたんです?!袱膜い怂饯蠈W(xué)校に『來るな』となっちゃったんだ。部活もちゃんと參加できていないし、みんなからも見放されちゃったんだ…」と思って、大號泣しました(苦笑)。

――その時も友達(dá)が救ってくれたんですね。
村山 なぐさめてくれました。環(huán)境の変化で、そうしたささいな會話ができる友達(dá)がいないとパニックになるほど人間関係におびえていた時期もありましたけど、その子が見捨てないでいてくれたことに救われていました。友達(dá)はバスケ部の部長も務(wù)めていて、グループ加入後はたまに朝練へ參加するほどになってしまった私を卒業(yè)まで在籍させてくれたし、恵まれた環(huán)境だったなと思います。
――高校ではまた、環(huán)境も変わったのでしょうか?
村山 最初は「普通高校に通いながら、アイドルの活動と両立したい」と思っていたので、1年生の時だけ女子校に通っていました。でも、一から友達(dá)を作ったり、勉強と両立したりするのは想像以上に難しくて、2年生で通信制高校に転校しました。結(jié)果として、AKB48の活動へ専念するきっかけになって。じつは、私たちの世代は同じキャリアをたどったメンバーも多いんです。でも、今の高校生メンバーは普通高校と日頃の活動を両立している子たちも多いし、すごいなと尊敬しています。
活動の姿勢を教えてくれた2人の先輩?!弗伐ⅴ咯`の女神」が劇場へ立ち続ける理由
――劇場公演出演回數(shù)1000回を達(dá)成し「シアターの女神」とも稱される村山さん。デビューから11年目、活動を続けてこられた理由は?
村山 歌って踴るのが好きでしたし、あとは、劇場があるからですね。昔から誰かの影響を受けることが多くて、劇場が好きになったのは一緒にステージへ立っていた卒業(yè)生のちぃちゃん(4期生?中田ちさと)がきっかけでした。私のなかでは、初めて劇場への思いを打ち明けてくれた先輩だったんです。ちぃちゃんから「私は劇場が大好きで。だから、ずっと出演したいし、後輩のみんなにも背中で見せていたつもりなんだけど、後輩のみんなに上手く伝わっていなかった。私が見せていても、熱意がなかったら伝わらないんだよね…」と本音を明かしてくれた時に「私はちぃちゃんの背中を見ていますよ」と思って、劇場へ本腰を入れるようになりました。


――先輩から後輩へ意思が継がれるのは、歴史あるAKB48ならではだと思います。
村山 チーム4でキャプテンを務(wù)めていた卒業(yè)生のみいちゃん(峯岸みなみ)の存在も大きかったです。でも、同じチームの一員として活動していた當(dāng)時は苦手な先輩でした??挚sする気持ちもありましたし、私が反抗期だったので素直に頼れなかったんです。存在を改めて感じるようになったのは、みいちゃんがチーム4を離れて、のちに私がチーム4のキャプテンへ就任した時でした。自分が自然と目指していたキャプテン像はみいちゃんだったと気がついたし、後輩の私たちにしてくれていたことへの難しさを痛感するにつれて、好きになっていきました。
――同じ立場になって、初めて同じ景色が見えたんですね。
村山 今ではだいぶ先輩になりましたけど、私にもできないことはあるし、後輩のみんなに頼りたい時もあるんです。でも、みいちゃんはその気持ちを押し殺しながら、頑張ってくれていたんだなと思って。公演のMCで一人ひとりにトークの出番を設(shè)けていたし、そうした気配りができる人間性に気がついた時に、先輩というより人として好きになりました。
――アイドルとしての活動で、やりがいを感じる瞬間は?
村山 やっぱり、劇場に立っている時です。自分でもよく言葉で表せないほど好きなんです。パフォーマンスに納得がいかない時もあるし、何が完璧か分からなくて迷う時もありますけど、常に課題が見えてくるのも楽しくて。コツコツ努力を重ねて、自分が納得したものを提供できるのも好きですし、自分なりに一番やる気がみなぎる場所です。

――寫真集內(nèi)のロングインタビューで「自分は劇場でしか100%の調(diào)整ができない」と語っていましたが、劇場へかける思いが十分に伝わってくる発言でした。
村山 アットホームで、ファンのみなさんが溫かく見守ってくださる場所なので。自分が弱っている日であっても、ステージに立つと気持ちを切り替えられるんです。毎回、同じパフォーマンスということはなくて、日ごとの自分の感情やメンバーの気迫によって、思ってもいない表現(xiàn)ができる公演もあります。
――最後、進(jìn)路を検討するティーンに向けて、夢を葉えるためのアドバイスをいただければ。
村山 他人との関係性を大事にしてほしいです。私はAKB48へ加入してから、色々な人に影響を受けてきました。自分だけで「進(jìn)路を決めないと」とか「夢を葉えないと」と考えるより、他人と意見を交換し合うほうが気づけることもたくさんあります??激à蚩冥槌訾筏皮撙品证毪长趣猡ⅳ辘蓼工贰⑺摔卧挙銖姢摔胜毪长趣舛啶い韦?、自分1人で決めつけずに學(xué)校生活を過ごしてほしいなと思います。