古城舊址/民居/墓地群……。探索由自然與人類和諧共生的“沖繩和琉球建筑”
伝統(tǒng)的民家やグスク(城)の遺構(gòu)、樋川(湧水)、フクギの防風(fēng)林など、沖縄の風(fēng)土ならではの人口環(huán)境を「建築」と捉えた注目の書籍『沖縄と琉球の建築|Timeless Landscape3』。企畫?編集を擔(dān)當(dāng)した富井雄太郎さんが取材を通して出會(huì)った、その魅力を解説する。
《沖繩與琉球建筑 | Timeless Landscape 3》是一本將沖繩特有的風(fēng)土環(huán)境視為“建筑”的書,例如傳統(tǒng)民居、城池遺跡、涌泉、菲島福木防風(fēng)林等,值得一讀。負(fù)責(zé)策劃和編輯的富井裕太郎先生將分享他在采訪中的所見所聞及其魅力。
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?垣花樋川

沖縄本島南部に位置する<垣花樋川>(かきのはなひーじゃー)。
“垣花樋川”位于沖繩本島南部。
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2021年1月、叢書『Timeless Landscape3』第3巻のため沖縄現(xiàn)地でのロケハンが始まった。事前に建築寫真の第一人者である小川重雄さんと何度かの対話や、文獻(xiàn)による下調(diào)べなどはしていたものの、具體的には白紙からのスタートだった。
2021年1月,《Timeless Landscape3》系列叢書第三冊(cè)沖繩采風(fēng)工作啟動(dòng)。這之前,盡管與著名建筑攝影師小川重雄進(jìn)行了多次交談,也研究了各類文獻(xiàn),但具體采風(fēng)內(nèi)容還是白紙一張。
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那覇空港に1人で降りたち、レンタカーでまずは<仲村渠樋川>(なかんだかりひーじゃー)へ向かう。「樋川(ひーじゃー)」とは、沖縄に數(shù)多くある湧水のことで、主に琉球石灰?guī)rなどを使いながら、地元の人々の創(chuàng)意工夫によって整備された共同の水場(chǎng)である。上水道が整備される以前は、住居と共に生活に欠かせない構(gòu)築物だった。
獨(dú)自落地那霸機(jī)場(chǎng),然后租車前往“仲村渠樋川”(讀音:nakanndakari hi-ja-)。“樋川”是指在沖繩涌現(xiàn)的眾多泉水,是當(dāng)?shù)厝艘粤鹎蚴規(guī)r為主,以巧思妙想加以開發(fā)利用的公共蓄水池。在上水道供水系統(tǒng)沒有完善之前,這種飲水站和房屋住所一樣,是人們生活所不可或缺的構(gòu)筑物。
(備注:1. 上水道是一種供水的設(shè)施,由水廠、輸水管道、配水管道、供水管道組成。是供應(yīng)城市、居住區(qū)、工業(yè)、交通、農(nóng)業(yè)、建筑及軍事等各個(gè)部門用水的工程系統(tǒng)。它必須滿足用水戶在水量、水質(zhì)、水壓方面的用水要求,同時(shí)常擔(dān)負(fù)起消防用水的任務(wù)。
2. 建筑物通稱建筑,一般指供人們進(jìn)行生產(chǎn)、生活或其他活動(dòng)的房屋或場(chǎng)所。例如,工業(yè)建筑、民用建筑、農(nóng)業(yè)建筑和園林建筑等。 構(gòu)筑物一般指人們不直接在內(nèi)進(jìn)行生產(chǎn)和生活活動(dòng)的場(chǎng)所。例如,水塔,煙囪,棧橋,堤壩,蓄水池等。)
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沖縄本島の特に南部には山という山がなく、豊富な雨もすぐに海へと流れて行ってしまうため、島で生きる人間にとって利用可能な水は貴重だ。1945年の沖縄戦の幾多の証言でも、水への渇望はよく觸れられる。
沖繩本島,特別是南部,沒有高山,充沛的雨水會(huì)迅速流入大海,所以可用水對(duì)于生活在島嶼上的人們來說是極其寶貴的。1945 年沖繩戰(zhàn)役的許多證詞中經(jīng)常提及對(duì)水的渴望。
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<仲村渠樋川>は樋川の代表格であり、建築関係の本でもしばしば取り上げられていた??崭郅檐嚖?時(shí)間弱、付近に著くも曲がるべきところを通り過ぎてしまったらしく、道に迷っているなかでたまたま辿り著いたのが<垣花樋川>(かきのはなひーじゃー)だった。
“仲村渠樋川”是樋川的代表,經(jīng)常出現(xiàn)在與建筑相關(guān)的書籍中。從機(jī)場(chǎng)開車過來不到1個(gè)小時(shí),拐了個(gè)彎就迷路了,但也因此偶遇了“垣花樋川”。

<垣花樋川>。水の道と水場(chǎng)が琉球石灰?guī)rでつくられている。寫真右側(cè)には水の溜まりと木かげの小さなベンチが見える。
“垣花樋川”。水道和蓄水池由琉球石灰?guī)r制作而成。在照片的右側(cè),還可以看到一個(gè)蓄水池和樹蔭下的小長(zhǎng)凳。
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そこは天國(guó)のような場(chǎng)所だった。方々から滾々(こんこん)と水が湧き、心地よい音を立てながら斜面を流れ落ち、小さな溜まりをつくっている。靜かな水面は空を映し、眼下には海が見える。大気が雲(yún)となって雨になり、大地に浸透した水が地層で濾過され、急斜面の途中であるこの地上に露出し、また海へ戻っていく。そうした大きな循環(huán)が感じられる。ふんだんに湧くこの<垣花樋川>の水は、周囲の畑でも活用されている。2017年7月撮影のため再訪した際は、水遊びをする子供たちで賑わっていた。
這個(gè)地方猶如天堂。 水從四面八方涌出,順著斜坡流下,發(fā)出悅耳的聲音,形成一個(gè)個(gè)小水潭。 低頭,平靜的水面倒映著天空,抬眼即是大海。大氣化云成雨,滲入大地的水經(jīng)地層過濾,淌過斜坡,又流回大海。 在這里可以感受到這一循環(huán)。 垣花樋川豐富的水源也被用于周邊的農(nóng)田。 2017年7月再次造訪拍攝時(shí),這里擠滿了戲水的孩子。
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遠(yuǎn)藤慧による<垣花樋川>のドローイング?,F(xiàn)地で実測(cè)して制作された。
遠(yuǎn)藤慧通過實(shí)地測(cè)量繪制而成的“垣花樋川”。
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琉球石灰?guī)rを加工してつくられた細(xì)い樋(とい)、同じく石で矩形(くけい、直方形のこと)が象られた水場(chǎng)、木かげに置かれた小さなべんちなど、人間の僅かな工作と介入によって豊かな場(chǎng)所が生まれている。
琉球石灰?guī)r加工而成的細(xì)水溝,長(zhǎng)方形的石頭水坑,樹蔭下的小長(zhǎng)凳等,通過最細(xì)微的人為干預(yù),創(chuàng)造了豐富的空間。
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後から思えば、この美しく、普通の意味では建築とは見なされない<垣花樋川>に偶然出會(huì)ったことで、『沖縄と琉球の建築|Timeless Landscape3』の方向性は決定づけられた。人間が生きられるところは地上のごく表面であり、小さく限られている。そこにつくられた環(huán)境は些細(xì)だが、だからこその創(chuàng)意工夫があり、尊い。そのような自然の中での人間の営為、構(gòu)築おすべてを「建築」と捉えてみようと。
回想起來,我是遇到了這個(gè)不是一般意義上的美麗建筑<垣花樋川>,才決定了《沖繩和琉球的建筑|Timeless Landscape 3》的內(nèi)容方向。人類能夠生存的地方就是地球的表面,而且僅限于一個(gè)很小的區(qū)域。在這個(gè)小區(qū)域里創(chuàng)造的環(huán)境是微不足道的,但正因如此,它才獨(dú)具匠心,彌足珍貴。我決定將自然界中所有的人類行為及其構(gòu)筑的環(huán)境都視為“建筑”。
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?中城城跡

<中城城跡>(なかぐすくじょうあと)の一の郭。獨(dú)特の曲面を持った石垣。
“中城城跡”的第一城墻。具有獨(dú)特曲面的石墻。
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グスク(城)の遺構(gòu)であり、「琉球王國(guó)のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されているうちのひとつ。14世紀(jì)中頃より築城。標(biāo)高約160メートルの高臺(tái)にあり、第二次世界大戦の被害が少なかったために、オリジナルの狀態(tài)が最もよく殘っているとされる。
中城城跡是一座城的遺跡,是“琉球王國(guó)城郭及相關(guān)財(cái)產(chǎn)”下的世界遺產(chǎn)之一,建于14世紀(jì)中葉。據(jù)說其原貌保存得最好是因?yàn)樗挥诤0渭s160米的小山上,在二戰(zhàn)期間幾乎沒有受到破壞。
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ここでは優(yōu)雅なカーブを描く石垣に注目したい。同じ石灰?guī)rに分類される大理石とは違い、肌理が荒い琉球石灰?guī)rが、異なる複數(shù)の方法で積まれている。たとえば、一の郭と三の郭を見比べてみよう。前者は四角く整形された石を水平に目地が通るように積んだ「布積み」(豆腐積みとも呼ばれる)で、後者は多角形の石が噛み合わされた「亀甲亂積み」(相方積み)だ。
在這里,我注意到了石墻的優(yōu)雅曲線。與同樣被歸類為石灰?guī)r的大理石不同,質(zhì)地粗糙的琉球石灰?guī)r被以不同的方式堆積成城墻。例如,讓我們來比較一下第一城墻和第三城墻。 前者是將方形石塊水平疊放,使接縫貫通的“布砌”(也稱為豆腐砌),后者是將多邊形石塊交錯(cuò)排列的“龜甲砌”(也稱為搭檔砌)。
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琉球石灰?guī)rは、沖縄では古くから建材として樋川や石垣、玉陵(たまうどぅん)などの、道の石畳などに用いられてきた?,F(xiàn)在でも、石垣や墓などの建材として使われたり、道路舗裝のためのアスファルトに混ぜる骨材にもなっている。
在沖繩,自古以來,琉球石灰?guī)r就被用作排水溝、河道、石墻、玉陵等陵墓和石板路面的建筑材料。 即使是現(xiàn)在,它也被用作石墻和墳?zāi)沟慕ㄖ牧?,也被用作與瀝青混合的攙料,用于鋪路。
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三の郭。「布積み」の一の郭と異なり、「亀甲亂積み」(相方積み)による石垣。
第三城墻。和第一城墻的“布砌”不同,第三城墻是屬于“龜甲砌”(也稱為搭檔砌)。
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決定版と言える素晴らしい解説文を寄せていただいた建築史家?青井哲人さんによれば、海のサンゴ礁は、長(zhǎng)い時(shí)間軸からみれば石灰?guī)rの形成プロセスのさなかにある。琉球石灰?guī)rとは「生物起源のゴツゴツした細(xì)かな空隙だらけの巖石。それは繊細(xì)な細(xì)工はまったく不向き」であるが、「人々がそこに暮らし、遺體を葬り、楔や鑿を打ち、切り出した石を積むとき、彼らに何かを觸発し続けてきたに違いない」(青井哲人「古代なき島々の造形―石灰?guī)r段丘からの構(gòu)築」、『沖縄と琉球の建築|Timeless Landscapes 3』 millegraph, 2022年)。
根據(jù)建筑歷史學(xué)家青井哲人的權(quán)威評(píng)論,從較長(zhǎng)的時(shí)間軸來看,海中的珊瑚礁正處于石灰?guī)r形成的過程中。 琉球石灰?guī)r是“一種生物起源的巖石,充滿了凹凸不平的細(xì)微空隙。完全不適合用于精致的工藝?!?“人們?cè)谀抢锷睿眯ㄗ雍丸徸油诰蚵裨徇z體的洞窟時(shí),堆積起來的巖石無疑激發(fā)了他們的靈感?!保ㄇ嗑苋?,《非古代島嶼的形成:石灰?guī)r斜坡的建造》;《沖繩和琉球 | Timeless Landscapes 3》,millegraph,2022)。
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グスク內(nèi)には祭祀の場(chǎng)である御嶽があり、水を取るための井戸があり、鍛冶屋の跡などもあり、多くの機(jī)能をもった複合施設(shè)であったことも重要だ。ここでもまた、自然環(huán)境に介入し、活用していく人間の営みに想像が及ぶ。削られ、積まれ、構(gòu)築された環(huán)境の素材となったのが、長(zhǎng)い時(shí)間をかけて生成された琉球石灰?guī)rである。
城內(nèi)有多功能的復(fù)合設(shè)施的遺跡,包括舉行儀式的御岳、水井和鐵匠鋪等,這些都是很重要的資料。 通過這些遺跡,人們可以再次想象以前的人們是如何干預(yù)自然環(huán)境并加以利用的。 歷經(jīng)漫長(zhǎng)歲月形成的琉球石灰?guī)r,經(jīng)過雕琢、堆砌、建造,成為人類生活環(huán)境的素材。
【備注:御岳,是古代琉球國(guó)的一種宗教設(shè)施,也叫“腰當(dāng)森”(ウタキ)“、“拜山(拝み山)”等。御岳是對(duì)琉球第二尚氏王朝指定的琉球神道圣域的總稱。在琉球不同地方對(duì)“御岳”的稱呼不同,沖繩本島及其附近的島嶼上稱之為“Utaki(うたき)”,宮古地區(qū)稱之為“Suku(すく)”,八重山地區(qū)則稱作“On(おん)”(近年來逐漸傾向于發(fā)音為“Utaki”)。】
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?中村家住宅

<中村家住宅>の中庭。正面に見えるのは高倉。
圖為<中村家住宅>的中庭。圖正中的是高床倉。
(備注:高床倉:儲(chǔ)存谷物的倉庫)
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ウフヤ(母屋)の一番座(客間)から、中庭の方を見る。左にあるのが北東側(cè)の庭。ふたつの庭が光を反射し、室內(nèi)を明るくする。
在ウフヤ(主屋)的第一個(gè)間房(客房)可以到中庭。 房間左邊是東北側(cè)的花園。兩個(gè)花園為房間引入自然光線。
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平面図のドローイング。室內(nèi)は石垣、フクギ、地形に包まれるようにある。
手繪平面圖。屋子被石墻、菲島福木、地基所包圍。
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斷面図のドローイング。傾斜地に埋め込まれ、石垣やフクギ、ヒンプンに守られている。
手繪截面圖。 房屋嵌在傾斜的土地上,由石墻、菲島福木、屏風(fēng)墻包圍著。
(備注:ヒンプン Hinpun,是沖繩民居院子進(jìn)門處的屏風(fēng)墻,有保護(hù)家庭,禁止直行的惡魔入侵之意。進(jìn)入時(shí),只能繞著屏風(fēng)墻從左邊進(jìn)屋,因?yàn)橛疫厱r(shí)留給神的。出門則相反。)
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琉球の伝統(tǒng)的な民家の代表が〈中村家住宅〉だ。中城城跡から徒歩10分ほどのところにある。18世紀(jì)中頃につくられたと言われており、石垣の構(gòu)えからして堂々たる風(fēng)格があり、力強(qiáng)い。その內(nèi)側(cè)には、防風(fēng)を擔(dān)うフクギ、魔除けであり目隠しでもある石積みのヒンプン、石が敷き詰められた中庭、庇の下の雨端(あまはじ)、縁が段階的に內(nèi)部を包む。環(huán)境を整えるいくつもの層に囲われているからこそ、室內(nèi)の開放が成り立つ。
<中村住宅>是琉球傳統(tǒng)民居的代表。 從中城城跡步行約10分鐘即可到達(dá)。據(jù)說建于18世紀(jì)中葉,石墻氣勢(shì)磅礴。住宅被層層包裹,石墻內(nèi)側(cè)種著菲島福木作為防風(fēng)林;防風(fēng)林內(nèi)側(cè)又是用石頭堆砌的屏風(fēng)墻,既是護(hù)身符又可以遮擋外面的視線;屏風(fēng)墻內(nèi)是用石頭鋪成的中庭;主屋屋檐下還有雨緣。正是利用環(huán)境形成層層的包裹,才使房間的開放性成為可能。
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<中村家住宅>の正面左側(cè)にあったフクギは、老齢化と蟲食いによって倒木の恐れがあったため、2022年7月に伐採(cǎi)されてしまった。フクギは成長(zhǎng)が遅く、この寫真のような狀態(tài)になるには10年以上の時(shí)間がかかるそうだ。
<中村家住宅>正面左側(cè)的菲島福木因老化和蟲害,于2022年7月被砍掉。 福木生長(zhǎng)緩慢,需要10多年才能達(dá)到這張照片所展示的狀態(tài)。
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前面道路から見るフクギと立派な石垣。撮影は2021年7月。
從面前的道路看到的壯觀石墻和福木。 拍攝于 2021 年 7 月。
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屋根にはもちろんシンボリックに魔除けのシーサーが置かれているが、琉球赤瓦の本瓦葺きにも著目したい。他の地域で見られる本瓦葺きに比べ、丸瓦の背が高く、接著する漆喰も分厚いのが特徴だ。また、屋根にある空気の取入れ口によって小屋裏(屋根と天井の間)が暑くならないようになっている。
當(dāng)然,屋頂放著獅象,有辟邪的寓意。還注意到了琉球紅瓦屋頂。與其他地區(qū)看到的傳統(tǒng)瓦屋面相比,圓形瓦片呈高拱形,銜接的灰泥也就需要摸得更厚。此外,屋頂?shù)倪M(jìn)氣口可以使閣樓(屋頂和天花板之間)保持涼爽。

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亜熱帯気候を生きるための知恵が形になっているのが〈中村家住宅〉だ。
<中村家住宅>是在亞熱帶氣候中生活的智慧產(chǎn)物。
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?浦野墓地群

日本最西端?與那國(guó)島の海際にある浦野墓地群。
位于日本最西端的與那國(guó)島海岸的浦野墓地群。
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沖縄県の範(fàn)囲は広く、石垣島や宮古島などを含む先島諸島まで含まれる。撮影は與那國(guó)島まで足を伸ばして敢行された。日本の最西端?與那國(guó)島は沖縄本島から500kmほどの距離にあり、臺(tái)灣の方がはるかに近い。人口1,742人(2022年12月末時(shí)點(diǎn))の島の中心であり、最も大きな集落である祖納(そない)の北東側(cè)には、〈浦野墓地群〉が広がっている。
沖繩縣幅員遼闊,南至包含了石垣島和宮古島的先島諸島。 圖片是在與那國(guó)島旅行時(shí)拍的。 日本最西端的與那國(guó)島距離沖繩本島約500公里,距離臺(tái)灣更近些。在擁有 1,742 人口(截至 2022 年 12 月底)的島嶼中心,<浦野墓地群>位于最大聚居地祖納的東北側(cè),占地面積廣闊。
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「亀甲墓」という本州とは異なる形式の大きな墓が海際の一帯に並び、まるで集落のような風(fēng)景を生み出している。與那國(guó)島では慣習(xí)的に、死者を埋葬するのではなく崖の下などに安置する「風(fēng)葬(崖葬)」が行われており、いわゆる墓や墓地はしばらくなかったため、浦野墓地群の歴史はそう長(zhǎng)くない。ただ、この死者の家々は、大地に埋め込まれた遺跡のようにも見える。
與本州不同的被稱為“龜甲墳”的大型墳?zāi)寡刂0杜帕?,形成了村莊般的景觀。在與那國(guó)島,習(xí)慣上不埋葬逝者,而是將死者安置在懸崖下,稱為“風(fēng)葬(崖葬)”。因?yàn)檫@種所謂的墓或者墓地形成的時(shí)間還不算長(zhǎng),所以<浦野墓地群>的歷史也并不算久遠(yuǎn)。 然而,這些死者的房屋看起來就像是埋在地下的廢墟。
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巖に埋め込まれたような大きな墓。
埋在巖石中的大墳?zāi)埂?/p>
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集落のような死者の家々。
一座座墓就像逝者的聚居點(diǎn)。
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沖縄では生と死の世界がはっきりと隔てられていないように感じる。大きな亀甲墓はいたるところで目にすることになる。沖縄の墓參りは、亀甲墓手前の墓庭に食事や酒などを持ち込み、まるでピクニックのように行われるとも聞く。街を歩いていると、祖先崇拝の場(chǎng)所が原初とされる御嶽(うたき)にもふと出くわす。
在沖繩,感覺生與死的界限并不分明。大型龜甲墳隨處可見。聽說沖繩的掃墓就像野餐,人們會(huì)帶著食物和酒到龜甲墳前拜祭。走街串巷時(shí),會(huì)偶遇到據(jù)說是祖先祭祀場(chǎng)所的御岳。
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死者を生者の集落に近接したこのような美しい場(chǎng)所に祀ることについて、 かつて司馬遼太郎はこのように記した。「與那國(guó)島では、幽明の界(さかい)がなく、死者もまたこの地上とおなじ明るさの、あるいは地上以上にあかるいこのような海風(fēng)の吹きわたる臺(tái)上で暮らすのである?!埂航值坤颏妞?6 沖縄?先島への道』(朝日新聞社、初版1975年)
司馬良太郎曾在書中寫到:將逝者供奉在如此美麗的地方,又離生者的聚居地如此之近。 “在與那國(guó)島,沒有鬼域,連逝者都生活在一個(gè)和地球一樣明亮,甚至比地球更明亮的臺(tái)上,享受海風(fēng)的吹拂?!薄督值缆?6 沖繩?通往先島的路》(朝日新聞,1975 年第一版)
日文摘自:February 6, 2023 | Architecture, Culture, Travel | casabrutus.com | photo_Shigeo Ogawa???ilustration_Kei Endo text_Yutaro Tomii editor_Rie Nishikawa
中文翻譯:蟲子的<。)#)))≦