【日本小3道德】34#“豆沙面包之日”~木村安兵衛(wèi)·英三郎
「アンパンの日」~木村安兵衛(wèi)·英三郎
(“豆沙面包之日”~木村安兵衛(wèi)·英三郎)
四月四日は「アンパンの日」です。なぜ、そうなったのでしょう。
(4月4日是“豆沙面包之日”。為什么這天被定為豆沙面包之日呢?)
今から百五十年くらい昔のこと。日本では、長い間続いた侍がおさめる社會が終わりました。そして、洋食、洋服、郵便の仕組みや鉄道など、外國から様々なものが入ってきたのです。世の中がどんどん変わる中、侍のほとんどは仕事がなくなり、とても困っていました。木村安兵衛(wèi)もその一人。五十才の安兵衛(wèi)は、この頃、初めてパンを食べました。
(迄今約150年前,日本長期由武士統(tǒng)治的社會結(jié)束了。然后,西餐、西服、郵政和鐵路等,從國外傳來了各種各樣的東西。隨著社會漸漸變化,大多數(shù)武士沒了工作,非常困擾。木村安兵衛(wèi)也是其中一人。50歲的安兵衛(wèi)這時(shí)第一次吃面包。)
(美味しい。この美味しさを広めたい。ぜひ、皆に食べてもらいたい。)
(好美味。想將這份美味推廣出去。想讓大家都嘗嘗。)
安兵衛(wèi)は、パン屋になろうと決め、人が沢山いる東京にお店を作ります。息子の英三郎と夜明け前から一生懸命にパンを焼きました。けれども、あまり売れません。しかも、僅か九か月で、お店が火事に遭って全部焼けてしまうのです。
(安兵衛(wèi)決定開面包店,在人很多的東京開店。他和兒子英三郎一起在天亮之前就拼命烤著面包。然而,基本賣不掉。而且,僅僅九個(gè)月,店就遭到火災(zāi),全部燒毀了。)
安兵衛(wèi)たちは、東京の別のところにお店を開きました。そして、美味しいパンになるように味の工夫もしました。すると、近くにあった大きな施設(shè)が毎日のお晝ご飯に安兵衛(wèi)たちのお店のパンを出すようになったり、パンが體にも良いと言う話が広まったりしたおかげで、どんどん売れ出しました。
(安兵衛(wèi)他們在東京的其它地方開了店。然后,為了做出美味的面包,還在味道上下了工夫。于是,附近的很大的設(shè)施每天午飯都供應(yīng)安兵衛(wèi)他們店里的面包,還推廣說面包對身體好,為此,面包漸漸能賣出去了。)
ところが、二年後、再び火事に遭い、お店もかまどもパンを作る粉も全部焼けてしまいます。力なく焼け跡を見ていた安兵衛(wèi)たちに、「安兵衛(wèi)さんたちのパンがまた食べたいよ。」と、何人もの人が聲をかけてくれました。(ありがたい。こんなことで、負(fù)けるわけにはいかない。)安兵衛(wèi)たちは、仮のお店を開きました。そして、(もっと日本人の口に合うパンを作ろう。)と考えて、今までになかった新しいパンを作ることにも挑戦しました。
(然而,兩年后,再次遭遇火災(zāi),店和爐灶以及面包粉全部燒毀了。好幾人對無力地看著火災(zāi)后的廢墟的安兵衛(wèi)他們說道:“還想再吃到你們的面包啊?!卑脖l(wèi)他們覺得很高興。不能因?yàn)檫@種事認(rèn)輸。他們開了臨時(shí)的店。然后考慮著要做更加合日本人胃口的面包,還挑戰(zhàn)制作了迄今為止所沒有的新的面包。)
まずは、ふわふわのパンを作ろうとしたのです。しかし、なかなかふっくらしません。色々なやり方で何度も何度も作り直して、ようやく成功です。更に、(このパンに何か入れたらもっと美味しいのではないか。饅頭のようにあんこを入れたらどうだろう。)と、あんこを包んで焼いてみました。パンの香りと口に広がる甘さ……。ついに出來ました。「アンパン」の誕生です。二回目の火事から二年、新しく出來たお店で売り出すと、よく売れました。
(首先,要做出蓬松柔軟的面包。然而,怎么都蓬松不起來。他們用了很多方法重新制作了多次,終于成功了。然后,他們想道在面包里加入什么的話會更加美味嗎?像饅頭一樣加入紅豆餡如何?于是,試著用面包包裹著豆沙餡烤了一下。面包的芳香與在口中彌漫的甜味……終于做出來了?!岸股趁姘闭Q生了。將豆沙面包放在距離第二次火災(zāi)后的兩年的新店中賣,賣得很好。)
當(dāng)時(shí)、天皇陛下に仕える人が、このアンパンの美味しさを知って思い付きました。
(當(dāng)時(shí),侍奉天皇陛下的人想到了豆沙面包的美味。)
「今度、お花見をなさる時(shí)の、お茶菓子にしよう?!?/p>
(“下次賞花的時(shí)候,把豆沙面包當(dāng)成茶點(diǎn)吧?!?/span>)
一八七五年(明治八年)四月四日、お花見に合わせて桜の花の塩漬けをのせたアンパンは、とても美味しいと喜ばれ、天皇陛下のお?dú)荬巳毪辘趣胜辘蓼筏?。このことが、アンパンの評判をますます高め、沢山の人がパンの美味しさを知るようになったのです。後に、この日が「アンパンの日」となりました。
(1875年(明治8年)4月4日,配合著賞花的鹽漬櫻花餡面包非常美味,天皇陛下很高興,該面包受到了天皇的喜愛。此事愈發(fā)提高了豆沙面包的名氣,很多人都知道了面包的美味。此后,這天被定為了“豆沙面包之日”。)
アンパンの中には、あんこだけでなく安兵衛(wèi)たちの思いも詰まっているのですね。
(豆沙面包之中,不只是豆沙餡,還塞滿了安兵衛(wèi)他們的心思。)

