徒然草 第66段 岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に、?吉田兼好 日文念書

岡本関白殿:近衛(wèi)家平(1282~1324)の通稱。1313年に関白。
鳥一雙を添へて:「鳥」は「雉子」で、 「一雙」は一つがいのこと。
御鷹飼、下毛野武勝に仰せられたりけるに:<おんたかがいしもつけのたけかつ>。この男は、この時(shí)期には鷹飼擔(dān)當(dāng)だったようだが、近衛(wèi)関白家の隨身で、後に院の召次所<めしつぎどころ>の長(zhǎng)<おさ>となったことが記録されているという。 一文は、今をさかりと咲いている紅梅の枝を切ってきて、それに雉子の一つがいを結(jié)びつけて持參せよと、岡本関白が命じた、の意。 なお、「御鷹飼」は、鷹狩に使う鷹を飼育し、鷹狩に隨行する下級(jí)役人。
花に鳥付くる術(shù)、知り候はず。一枝に二つ付くる事も、存知し候はず:武勝の回答、「満開の梅の枝に鳥を結(jié)びつけることなど知りません。まして、一枝に2羽結(jié)びつけることなども知りませんよ」。
膳部に尋ねられ:家平が 自家の料理人にどうすればよいか尋ねたのである。結(jié)果は、みんな知らないと答えたのであろう。他の人々もみな知らないと答えたようだ。
さらば、己れが思はんやうに付けて參らせよ:「(ならば仕方がない。)お前の流儀で雉子1羽を付けて持參致せ」と家平は再度武勝に命じた。
柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く:これは、「鳥柴」(<としば>と読む。鷹狩りの獲物を人に贈(zèng)るとき、その鳥を結(jié)びつけた木。初めは柴につけたが、のち季節(jié)に応じて松?梅?桜?楓(かえで)などの枝を用いた。鳥付け柴。とりしばとも(『大字林』より))のことで、柴(雑木)の枝でも梅の枝でも、蕾が付いていても花が散ってしまっていても構(gòu)わない、木の枝に鳥をくっつける、というのである。ただ、武勝は、上段に言うように「紅梅の花咲いている枝に、しかも二羽つけてこい」と言われるから、知らないと答えたのである。
返し刀五分に切る:枝の切り口を三角形 (Vの字)になるように切り口を整えること。
付くる枝、踏まする枝あり:雉子の頭を「付ける枝」と、雉子の「腳が付く」枝の二つが必要。
しゞら藤の割らぬにて、二所付くべし:「しゞら藤」はツヅラフジの別名。割らない藤のつるで、用意した木の枝の二箇所で止めるようにするとよい。
藤の先は、ひうち羽の長(zhǎng)に比べて切りて、牛の角のやうに撓むべし:その藤のつるの先は、鷹のひうち羽根のたけと同じに切って、牛の角のように曲げるがよい?!袱窑Δ劣稹工?、鷹の最下部の羽。
中門より振舞ひて參る:中門から大いに威厳をつけて入っていくのがよい。
大砌の石を伝ひて:「大砌」は<おおみぎり>と読む。砌は軒下や階下の石畳のこと。上記で作った鳥の飾と鷹を肩のかけて、石畳の上を雪の朝歩いていくのである。
あまおほひの毛を少しかなぐり散らして:「あまおおいの毛」とは、鳥の風(fēng)切り羽の根元を覆っている短い羽毛のこと。これをむしり取って、それを雪の上に散らしておく。これは、後述のように鷹が雉子を捕まえるときには「よわ腰(鳥の體の細(xì)くなった部分)」を捕まえるので、そこの毛を雪の上に飛び散らせる。このようにカムフラージュするとよいというのであろう 。
二棟の御所の高欄に寄せ掛く:「二棟の御所」は御所の寢殿に接した小部屋を言う。そこの廊下の欄干にこの持參した置物を立て掛けるのである。
祿を出ださるれば、肩に掛けて、拝して退く:「祿」は祝儀として下賜される品で、これは衣類なので、祿を呉れたらそれを肩にかけて上體を倒して禮をする、というのだ。
鷹はよわ腰を取る事なれば、御鷹の取りたるよしなるべし:鷹が小鳥を捕まえるときには、鋭い爪で鳥のくびれた部分(ここを腰と言った)を捕まえるのが習(xí)性だから、「あまおほひの毛を散らす」のは、上述のように、主人の鷹が取った鳥で作ったものですとカムフラージュするためである。
伊勢(shì)物語(yǔ)に見えたり:『伊勢(shì)物語(yǔ)』98段にこの元ネタとなった記事がある。ある男が、主君のために雉子を進(jìn)呈し、それを結(jié)わえた梅の枝には花が咲いていた。季節(jié)は長(zhǎng)月だから花が咲くわけも無(wú)く、もとより造 花のごまかしだが、そのゴマすりが成功する話。