徒然草 第70段 元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、?吉田兼好 日文念書(shū)

元応の清暑堂の御遊に:<げんおうのせいしょどうのぎょゆうに>と読む。「元応」は後 醍醐天皇の元応年間(1319~1321)のこと?!盖迨钐茫激护い筏绀嗓Γ尽工稀⑵桨簿─未髢?nèi)裏の9つあったコンサートホール(舞楽院)の一つ。こ の段の主題は、後鳥(niǎo)羽天皇のの祝賀コンサートが行われた折の事件。
玄上は失せにし比:「玄上<げんじょう>」は琵琶の名器 のことで、この頃盜難に遭って宮中に無(wú)かった。後日、知らない間に戻っていたと言う。
菊亭大臣:<きくていのおとど>は、藤原兼孝(~1339)。右大臣、太政大臣を歴任。當(dāng)代きっての琵琶の名手と言われた。この話題の主人公。
牧馬を弾じ給ひけるに:菊亭大臣が「牧馬<ぼくば>」を使って演奏したのだが、その時(shí)、?!改榴R」は琵琶の玄上と並ぶ名器。
先づ柱を探られたりければ、一つ落ちにけり:「柱」は琵琶の弦の端點(diǎn)を決めるための臺(tái)狀をした木の楔。これを調(diào)律のために探っていたら、名器の柱が外れてしまったのだろう。
御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ:菊亭大臣は懐に「そくい」(=米粒をすり潰して作った糊)を持っていたので、それで接著したのだが、多分、落ちた「柱」を琵琶の胴に接著したということであろう。
神供の參る程によく干て:演奏に先立って神事が執(zhí)り行われ 、お供え物がつぎつぎと供えられている間に、糊がすっかり乾いていたので、。問(wèn)題なく演奏を終えたのであった。ところが、??。
いかなる意趣かありけん:文章が倒置されている。後の文に先立って推論がなされているのだが、以下の女には 「意趣(=含むところ)」があったのであろうか、の意。
物見(jiàn)ける衣被の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ:演奏の終了後、このコンサートを聴きにきていた、「衣被<かずき>」を被った女が寄ってきて、糊をはがして元のように「柱」を壊していった?!敢卤弧工?、中世の女が両手で顔を隠すために使った(日よけの意味もあったのだろう)單衣の小袖のこと。