第五章 不要為攻守的選擇找借口
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第五章 不要為攻守的選擇找借口
心靈和靈魂的力量
麻將是一種攻守平衡非常重要的游戲,任何時(shí)候都是進(jìn)攻一邊倒的策略是無(wú)法取勝的,而總是在對(duì)手立直后完全棄和也是同樣無(wú)法取勝的。什么時(shí)候攻到什么程度,什么時(shí)候如何防守,這是我們多年來(lái)學(xué)習(xí)的東西,但無(wú)論我們多么有經(jīng)驗(yàn),都有可能偏離重心,做出錯(cuò)誤的判斷。
這么一想,我再次認(rèn)識(shí)到保持一定的精神力的重要性和難度。大家應(yīng)該都明白了吧,過(guò)去的大多數(shù)失敗都是由內(nèi)心的軟弱造成的。
因此,考慮到這一點(diǎn),讓我們來(lái)看看下面的手牌。

這一手牌本身是相當(dāng)好的,如果能很好地使用寶牌的話高打點(diǎn)也是可以預(yù)見(jiàn)的,問(wèn)題在于南家的立直。

首先可以看作是好形的面子手吧,最終手切的兩張餅子是預(yù)料到會(huì)自摸赤寶牌,還是已經(jīng)被編入手牌中了呢?但無(wú)論如何,它們都是可怕的。
我在這里摸到的是6s。如果沒(méi)有任何限制的話,當(dāng)然可以切掉,但是面對(duì)立直而言是很難切掉的。沒(méi)有辦法, 只好把餅子的搭子拆掉先看看情況。這或許也是大多數(shù)人的做法。
那么如果是這樣呢?

這里已經(jīng)是寶牌對(duì)子的一向聽(tīng),即使碰到了先制立直,打出餅子未免也太弱了。是切出6s,還是預(yù)想到567的三色變化而切出9s,這是一個(gè)見(jiàn)仁見(jiàn)智的問(wèn)題,但似乎無(wú)論如何都會(huì)打出索子。
和前一手牌的差別就只有寶牌形成了對(duì)子而已,單從形狀上來(lái)說(shuō),這副牌可能更糟糕。出現(xiàn)這種不同打法的情況是為什么呢?因?yàn)榇蠹叶荚趯ふ抑С执蚺频睦碛伞Q句話說(shuō),我想要一個(gè)輸了比賽我可以接受的借口。寶牌如果形成對(duì)子的話還可以,但是要是拿到前一副手牌就沒(méi)有值得繼續(xù)推進(jìn)的好處了。
這就是弱者之心所在。
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開(kāi)拓未來(lái)的力量
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但凡事都要看想法。
簡(jiǎn)單地、盡可能簡(jiǎn)單地思考會(huì)怎樣呢?“對(duì)方有5成以上是等4p7p吧。不,差不多都是這樣了吧。如果是這樣的話,等到寶牌單騎就能一決勝負(fù)了,這邊也是等4p7p的話就是同聽(tīng)。并不是說(shuō)因?yàn)檎驹谇懊婢鸵欢ㄒ陪|。”
這里的關(guān)鍵是能否把這手牌當(dāng)成勝負(fù)手。誠(chéng)然,只有一張寶牌浮牌,但它不會(huì)摸成重疊的對(duì)子的理由哪里都沒(méi)有,而且我認(rèn)為先用7s8s填補(bǔ)手牌,再打?qū)毰屏⒅币泊笥锌赡馨伞?/span>
雖然我這么說(shuō),但還是有很多人會(huì)那樣子想吧。
那如果是下面這手牌會(huì)怎樣呢?

即使是這樣的牌也還是害怕一發(fā),總之先打南吧(可能會(huì)通過(guò)吧)。明明是能看到倍滿的機(jī)會(huì)嗎?你能以這樣的姿勢(shì)從一開(kāi)始就成為top嗎?
那這個(gè)呢!

國(guó)士無(wú)雙的一向聽(tīng),5s是莊家現(xiàn)物,先不說(shuō)先切哪一個(gè),反正這是要一決勝負(fù)的吧?!
雖然有點(diǎn)繞來(lái)繞去,但我到底想說(shuō)什么呢?對(duì)于輸贏的事,盡量保持積極的思考比較好。打麻將贏不了的人,在同樣的地方原地踏步的傾向很強(qiáng)。
不想放銃的想法比什么都重要,所以很多時(shí)候往往會(huì)錯(cuò)過(guò)了制勝點(diǎn)。重要的是如何獲得優(yōu)勢(shì)以取得領(lǐng)先,但他們忽略了這一部分,想棄戰(zhàn)而逃。這樣的話,前面的景色是絕對(duì)看不到的。
“如果徑直往前走的話……”對(duì)于每次都這么說(shuō)的人而言,那么下次去看看吧,充滿希望的未來(lái)可能正在等待著。
一邊躲避放銃一邊取勝什么的是根本不可能的事情。
第5話 攻守の選択に口実を求めるな
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心魂の強(qiáng)弱
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麻雀は攻守のバランスが非常に大切なゲームである。
いつでも攻め一辺倒という打ち手は勝てないし、相手のリーチを受けていつもベタオリの打ち手もやっぱり勝てない。
どういうときにどこまで攻めて、どういうときにどう守るか。 これを我々は何年もの歳月をかけて身につけていくわけだが、どんなに経験を積んだ者であっても軸がブレたり?duì)顩r判斷を誤ることがある。
そう考えると精神狀態(tài)を一定に保つことの大切さ、そして難しさを再認(rèn)識(shí)させられる。
皆さんもおわかりであろう。
過(guò)去の敗戦のほとんどが心の弱さからくるものであるということを。
ではそれをふまえ以下の手牌をご覧いただこう。
東1局北家8巡目の手牌、

手牌自體はかなりのものだ。
ドラを上手く使い切ることができれば高打點(diǎn)も見(jiàn)込める。 問(wèn)題は南家のリーチである。

まず好形のメンツ手と見(jiàn)ていいだろう。最終2枚のピンズ手出しが赤引きを見(jiàn)越したものか、 それとも既に組み込まれているのか、いずれにせよ怖さを物語(yǔ)る。
そこに持ってきたのが 6s だ。
何の制約もなければ當(dāng)然ツモ切りとなるが、さすがにリーチには切り辛い。仕方がないからピンズのターツを外して様子見(jiàn)。これが大方の出方といったところだろうか。
ではこれならどうか。

こちらは既にドラがトイツのイーシャンテン。いくら先行リーチが入っているとはいえピンズ払いはあまりに弱すぎる。
6s 切りとなるのか、567の三色変化まで見(jiàn)越して 9s 切りとなるかは意見(jiàn)の分かれるところだが、いずれソーズを打ち出していくことにはなりそうだ。
前の手牌との差はドラがトイツであることくらいのもので、形だけでいえばこちらの方が悪くもあるのにである。
それは何故か。
皆が皆、打牌に対して背中を押してくれる理由を求めているからだ。
言い換えれば勝負(fù)に負(fù)けたときに納得できる口実が欲しいのである。ドラがトイツならまだしも前の手牌からでは押すだけのメリットがない。
これが気持ちの弱い打ち手の行き著くところだろう。
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未來(lái)を切り開(kāi)く力
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だが物事というのは何事も考え方次第である。
シンプルに、できるだけシンプルに考えるとどうなっていくか。
「相手の5割以上は 4p7p 待ちだろ。いや、もうほとんどそれじゃないか。そうと決まればドラの単騎待ちになったって勝負(fù)できるな。こっちも 4p7p なら同テン。 前に出たからといって放銃すると決まったわけじゃない」
要はこの手牌を勝負(fù)手と捉えるかどうかなのである。
確かにドラは1枚浮いたっきりだがこれが重ならないという理由はどこにもないし、先に 7s8s が埋まってドラ切りのリーチを打つのも大いにアリだと思うのだ。
そうは言われても、という方もたくさんいるだろう。
ではこんな手ならどうか。

これでも一発が怖くてとりあえず 南 を打ちますか(たぶん通るだろうけどさ)。
倍満も見(jiàn)えるチャンスなのに? ハナからそんな姿勢(shì)でトップがとれますか?
じゃあこれならどうだ!

國(guó)士無(wú)雙のイーシャンテンで、 5s は親の現(xiàn)物で持ってたんだって。
どっちを先に切るのかは別にしてもさすがにこれなら勝負(fù)するでしょ?!
少し回りくどくなったが、結(jié)局私は何が言いたいか。勝負(fù)事はできるだけポジティブな思考を持っていたほうがいいということである。今ひとつ麻雀で勝ち切れないという人は同じようなところで足踏みしてしまう傾向が強(qiáng)いのだ。
放銃したくないという思いが何より勝ってしまうから、勝負(fù)所を逸することも多い。 肝心なことはトップをとるためにどうやって有利な展開(kāi)に持っていくかなのに、そこの部分をおろそかにして戦いに背を向けたがる。
これではその先の景色というものが絶対に見(jiàn)えてこない。
「真っ直ぐ行っておけば???」
毎度こう言っている人に、じゃあ今度は行ってみましょうか。希望に満ち溢れた未來(lái)が待っているかもしれませんよ。
放銃を避けながら勝とうだなんて土臺(tái)無(wú)理な話なんですから。