續(xù) 襲色目和重色目(上)
◆襲色目(春夏秋冬)

春襲色目(農(nóng)歷1月~3月)?
?
表里重色目在“襲色目和重色目”。(前篇)

紅梅匂(曇花院殿)?

柳櫻(曇花院殿)?

樺櫻(曇花院殿)?

櫻躑躅(曇花院殿)?

躑躅(曇花院殿)?

山吹匂(滿(mǎn)佐須計(jì))
?
夏襲色目(農(nóng)歷4月~6月)
?
藤襲(滿(mǎn)佐須計(jì))

藤重(曇花院殿)?

花橘(滿(mǎn)佐須計(jì))?

卯花(滿(mǎn)佐須計(jì))?

牡丹(滿(mǎn)佐須計(jì))

秋天的襲色目(農(nóng)歷7月~9月)
?
若楓(滿(mǎn)佐須計(jì))?

薄(滿(mǎn)佐須計(jì))?

女郎花(滿(mǎn)佐須計(jì))?

龍膽(曇花院殿)?

菊重(曇花院殿)

冬襲色目(農(nóng)歷10月~12月)
?
楓紅葉(曇花院殿)?

黃櫨紅葉(曇花院)?

移菊(曇花院殿)?

紅薄樣(曇花院殿)?

梅襲(滿(mǎn)佐須計(jì))?

梅重(曇花院殿)

四季通用襲色目
?
松重(曇花院殿)?

紫村濃(曇花院殿)?

紅匂(Xiong1)(滿(mǎn)佐須計(jì))?

柳襲(滿(mǎn)佐須計(jì))?

蘇芳匂(滿(mǎn)佐須計(jì))

“繪”為右袖口下部。
?
曇花院殿是“曇花院殿裝束抄” 滿(mǎn)佐須計(jì)是“滿(mǎn)佐須計(jì)裝束抄”。
?
http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/mac/6.htm
曇花院殿裝束抄 聖秀尼宮 (?-?) 1530年代頃成立
https://kotobank.jp/word/満佐須計(jì)裝束抄-1595048
満佐須計(jì)裝束抄 まさすけしょうぞくしょう?平安時(shí)代末期、安元(あんげん)(1175~77)ごろと考えられているが、源雅亮(まさすけ)が著した書(shū)物。「雅亮裝束抄」とも書(shū)かれる。ここでいう裝束は、その本來(lái)の意で、調(diào)度、服裝などの裝備、組合せについて具體的に説明している。三巻よりなり、一巻は調(diào)度とその室禮(しつらい)。二巻は束帯をはじめとして禮服(らいふく)その他男子の服裝。三巻は狩衣(かりぎぬ)?奴袴(ぬばかま)と女房裝束、その襲(かさね)の色について述べている。平安時(shí)代後期の調(diào)度、服裝を研究するうえで重要な資料である。[高田倭男]

満佐須計(jì)裝束抄?。h字変換バージョン)
除上述以外的襲色目 櫻重 山吹 菖蒲 花橘 里菊 紅楓 雪下紅梅 紫薄樣,請(qǐng)?jiān)凇癦IPANGU (日 本)平安朝 十二單 繪等”中確認(rèn)。




“滿(mǎn)佐須計(jì)服裝抄”的作者是源雅亮 平安時(shí)代后期的男性。
“曇花院殿裝束抄”的作者是圣秀尼宮 室町時(shí)代后期的女性。
?
https://kotobank.jp/word/源雅亮-1113126
みなもとの-まさすけ?-? 平安時(shí)代後期の官吏,有職(ゆうそく)家。 醍醐(だいご)源氏。源雅職の子。藤原頼長(zhǎng)に近侍した。有職書(shū)「雅亮(満佐須計(jì))裝束抄」をのこす?;屎髮m少進(jìn)をへて仁安(にんあん)4年(1169)伊賀守(いがのかみ)。
http://shinden.boo.jp/wiki/曇華院
(どんげいん)は、京都府京都市右京區(qū)嵯峨にある臨済宗の尼門(mén)跡寺院。本尊は十一面観音。臨済宗単立。鹿王院の南にある。曇華院門(mén)跡。竹御所。曇華院宮墓地は大徳寺養(yǎng)徳院內(nèi)にある。
滿(mǎn)佐須計(jì)是——→五衣+單 曇花院殿是——→表衣+五衣~六衣+單 的搭配。
?
從豪華絢爛的風(fēng)雅(雅)的巔峰期藤原道長(zhǎng)^_^1的時(shí)代(時(shí))的十二單色彩搭配的世界到源雅亮約100年后,圣秀尼宮約400年后記載的文獻(xiàn)資料,不確定反映了什么程度的道長(zhǎng)的時(shí)代(時(shí))之色。
色隨世,世隨色,每時(shí)每刻變樣。不變的是人心模樣(樣子)和感受心音(聲)(根)。

染色、編織技術(shù)的提高比 藤原道長(zhǎng) 的時(shí)代(時(shí))進(jìn)步了很多,源雅亮的時(shí)候帝父掌握實(shí)權(quán)的院政時(shí)代(時(shí)),武力(武士)開(kāi)始崛起的時(shí)代(時(shí)),另一方面,圣秀尼宮的時(shí)候是各地方、地域分權(quán)時(shí)代,與戰(zhàn)國(guó)之世、道長(zhǎng)時(shí)代相比,兩時(shí)代經(jīng)濟(jì)和財(cái)政基礎(chǔ)都非常脆弱的時(shí)代。
感謝兩位盡力為后世留下文獻(xiàn)。
關(guān)于梅襲(重)和藤襲(重),兩者的色彩搭配不同,櫻襲(重)是一樣的。





我們的設(shè)計(jì)師,不知為何感受到了女性曇花院殿的搭配。
與曇花院殿約500年的時(shí)間流逝,女性同士有著心靈相通的方。???。
作為襲色目的文獻(xiàn)資料,據(jù)說(shuō)在曇花院殿約50年前的一條兼良^5在“女官飾抄^6”上寫(xiě)下襲色目的說(shuō)明書(shū),我們偏巧這里不明。確認(rèn)后通知。

5 http://paipu.eshizuoka.jp/e70745.html 一條兼良[いちじょうかねら]〔かねよしとも〕14021481室町中期の政治家?學(xué)者。関白太政大臣。有職故実ゆうそくこじつ?古典に通じた當(dāng)代隨一の學(xué)者。著「花鳥(niǎo)余情」「古今集童蒙抄」「樵談治要しようだんちよう」「東斎隨筆」「尺素往來(lái)せきそおうらい」など。"かねよし"

タイトル: 女官飾抄 著者: 一條, 兼良(1402-1481)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539054
女官飾抄 出版者 あきの屋金楽 寫(xiě) 出版年月日 文政4 [1821] 請(qǐng)求記號(hào) 847-63 書(shū)誌ID(國(guó)立國(guó)會(huì)図書(shū)館オンラインへのリンク)
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00011392
女官飾抄 レコードID RB00011392 出版年 1722
◆關(guān)于枕草子^2的衣裝(服)的各種 來(lái)自清少納言的感覺(jué) 三卷本、能因本

<首先,清少納言^3各自講述段>

“唐衣是 赤色。

藤。

夏天是二藍(lán)。

秋天是枯野?!?/p>
“女表著是薄色。

葡萄染。

萌黃。

櫻。

紅梅。

全部都是淺色的。”
?
“汗衫是 春是躑躅 。(zhi2 zhu2)

夏是青朽葉 。

朽葉 ?!?/p>
“織物是 紫。

白色。

紅梅等,比較顯眼?!?/p>
“綾^7紋是 葵^8。 ?片喰(can1)紋(酢漿草)^9(cu4 jiang1 cao3)。霰(xian4)地^10?!?/p>
雑草として踏まれても枯れない力強(qiáng)い生命力から家紋として用いられ、もっとも歴史のある家紋の一つに。 使用家 冷泉、新田、肥田、中沢、多賀、赤田、平尾、長(zhǎng)宗我部、宇喜多、森川、松平、酒井、竹內(nèi)、大館、山田、成瀬など 使用地域 大阪、兵庫(kù)、京都、滋賀 https://irohakamon.com/kamon/katabami/#:~:text=片喰紋%20(かたばみ)%20について,植物紋%20片喰は多年草のカタバミの葉をかたどった家紋%E3%80%82%20夜に葉を閉じた姿が葉が食いちぎられたように見(jiàn)えることから「片喰」と名付けられた%E3%80%82 ?
“裳是 大海?!?/p>
?
*汗衫^4是 除汗用的麻單衣。

*大海是緣于以海、湖,海邊、湖畔景色的松、千鳥(niǎo)、波等柄(花樣)。(海賦文^11)

<參淑景舍^12春宮^13給事等段>

しげいしゃ平安京內(nèi)裏五舎 (昭陽(yáng),淑景,飛香,凝華,襲芳) の一つ。內(nèi)裏の北東隅に位置し,北の淑景北舎,南の昭陽(yáng)舎と並び,渡り廊で通じていた。広さは5間4面で,後宮の住居として使用されたが,ときには摂政の直盧 (ちょくろ) にあてられたこともある。東の前庭にきりの木を植えていたので,一名,桐壺ともいわれた。 https://kotobank.jp/word/淑景舎-72913

★中宮定子^14

https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/52124/
中宮定子 ~清少納言が憧れた才色兼?zhèn)浃尾排?br>https://kotobank.jp/word/定子中宮-1371306
定子中宮 ていしちゅうぐう【藤原定子】より平安中期の一條天皇の皇后。內(nèi)大臣藤原道隆の女,母は高階貴子。990年(正暦1)1月一條天皇の內(nèi)裏に入って,女御となり,10月5日中宮となる。995年(長(zhǎng)徳1)道隆が死に,翌年兄の伊周,隆家らが花山院の輿に矢を射かけるという事件によって失腳すると,定子も出家したが,天皇の寵は変わらず,その後に敦康親王,修子內(nèi)親王を生んだ。999年11月に道長(zhǎng)の女の彰子(上東門(mén)院)が入內(nèi)して女御となり,翌年2月中宮となったため,定子は皇后となった。




“紅梅固紋,浮紋的御衣,紅打垂御衣,三重上只疊奉上,《紅梅化為濃衣?,F(xiàn)在紅梅不應(yīng)該穿著。距萌黃等多少時(shí)候。沒(méi)到變紅”,唯喜事給(賜)。奉上御衣,最終配合御貌,良人也優(yōu)雅?!?/p>
?
★高階貴子^15(定子、淑景舍之母)
“上是白色御衣,僅貼身紅兩件,女房之裳?!?/p>
★淑景舍(桐壺)^16(中宮定子之妹)
“紅梅數(shù)件濃變薄,濃文御衣,稍淺的蘇枋^17織物袿,萌黃固紋若御衣奉上,持扇隱給?!?/p>
帝の寵愛(ài)を受けた更衣の女性。 光源氏を産むも、3年後に亡くなる。 https://bungakubu.com/gennjimonogatari-kiritsubo/ 【淑景舎】より…平安宮內(nèi)裏五舎(飛香,凝花,襲芳,昭陽(yáng),淑景舎)の一つ。庭に桐を植えたので桐壺(きりつぼ)とも稱(chēng)する。內(nèi)裏の北東隅で,昭陽(yáng)(しようよう)舎の北,宣耀(せんよう)殿の東に位置する。https://kotobank.jp/word/桐壺-480324
定子(紅梅、紅) 定子(紅梅、紫) 定子(櫻、紅)?

貴子(白、紅)?

淑景舍(萌黃、紅梅)
?
清少納言所寫(xiě)的“枕草子”沒(méi)有句點(diǎn)(號(hào))。
在某個(gè)時(shí)代(時(shí)),某位替換句讀點(diǎn)(標(biāo)點(diǎn)符號(hào))、一部分漢字,重復(fù)寫(xiě)本(抄本),為流傳到當(dāng)世的“枕草子”。
因此可能與清少納言所描寫(xiě)的“情景”有所不同,將這里的“文章”的句點(diǎn)直接成“繪”,就如上所述。
這段的故事,(知道的人請(qǐng)?zhí)^(guò)。)定子之妹淑景舍(后來(lái)的三條天皇的夫人之一)來(lái)到定子(一條天皇^18的夫人之一)居住的地方的場(chǎng)面。

(980―1011)第66代天皇(在位986~1011)。円融(えんゆう)天皇第1皇子。母は藤原兼家(かねいえ)の女(むすめ)、東三條院詮子(せんし)。諱(いみな)は懐仁(やすひと)。984年(永観2)花山(かざん)天皇の皇太子となり、986年(寛和2)7歳で即位。1011年(寛弘8)病を得て出家するまで在位25年。 https://kotobank.jp/word/一條天皇-31314?
是那個(gè)時(shí)候的fashion(御召物)。
定子正與少納言述說(shuō)fashion。
時(shí)間是二月十日(農(nóng)歷)正月結(jié)束,櫻(不是染井吉野^_^19而是山櫻^20)的季節(jié)三月之間。


她正與少納言說(shuō)如下話。
《紅梅色袷(Jia2)(袿)(GUI1)的下著深紫色最好,很棒啊?!纺墙M合是“定子(紅梅·紫)”。
《現(xiàn)在不是紅梅色的袷(袿)吧,就先取櫻色衣時(shí)髦?!范ㄗ?櫻、紅)。
希望大家的瀏覽器能確認(rèn)紅梅色和櫻花色的顏色差異。
櫻色比紅梅色的赤味強(qiáng)很多。?
(未完待續(xù))
【四五言的個(gè)人空間-嗶哩嗶哩】?https://b23.tv/A3cZdoV
*僅供參考
文、圖 bing
http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/mac/9.htm 続 襲色目と重色目
https://kobun.weblio.jp/content/にやあらむ?。健扦ⅳ恧Δ·胜辘郡痢喽à沃鷦?dòng)詞「なり」の連用形「に」+係助詞「や」+ラ変補(bǔ)助動(dòng)詞「あり」の未然形+推量の助動(dòng)詞「む」の連體形
https://www.weblio.jp/content/おばば お‐ばば【▽御祖=母/▽御▽婆】読み方:おばば 祖母または老年の女性を親しんでいう語(yǔ)。?おじじ。
https://www.weblio.jp/content/ニンマリ ニンマリ 別表記:にんまり?満足げに微笑むさま。內(nèi)心で満ち足りている様子の表情。にんまり[副](スル)満足したときなどに、聲を出さないで笑いを浮かべるさま?!杆蓟螭嗓辘耸陇\(yùn)んで—(と)する」

【襲色目和重色目(終)-嗶哩嗶哩】 https://b23.tv/4gHRi3X
http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/mac/7.htm?襲色目と重色目
http://www.kariginu.jp/kikata/5-1.htm 色彩と色目
https://costume.iz2.or.jp/column/530.html 秋の七草シリーズ
https://costume.iz2.or.jp/color/?色彩と文様 重色目|文様|染め色|織物の種類(lèi)



https://kotobank.jp/word/源氏香の図-258149 ?げんじこう【源氏香】 の 図(ず)?源氏香の答えを表わす個(gè)々の図形、また、その総體。五つの香に対応する五本の縦線の上部を、同香と思う場(chǎng)合には接続するという方法によりできる五二図を、桐壺と夢(mèng)浮橋の二帖を除いた「源氏物語(yǔ)」の各帖に配したもの。例えば、「若紫」の図式は、右から見(jiàn)て第一、二が同香、第三、四が別種の同香。第五香はそれらと異種であることを示す。単に「香の図」ともいう?!?/span>隨筆?夏山雑談(1741)〕
紋所の名。源氏香の花散里と初音の図をかたどったもの。

所與 [しょよ]?[shoyo]?①?https://dict.hjenglish.com/jp/jc/所與?
1.所與,給予(物)。被給予,亦指被給予之物。為一般人所承認(rèn)的事實(shí)、原理。(與えられること。また、そのもの。一般に、研究などの出発點(diǎn)として異議なく受け取られる事実?原理。與件。)
2.前提條件。與件。哲學(xué)上,指不經(jīng)過(guò)思維而直接體驗(yàn)到的意識(shí)內(nèi)容。(〔哲〕思惟によって加工されない直接的な意識(shí)內(nèi)容。感覚所與を意味することが多い。與件。)
所與の條件に基づき共用帯域を有効に利用する。?
基于被給予的條件,可以有效利用共用波段范圍。
それは所與の條件のもとで得る結(jié)論だ。?
那是在前提條件下得出的結(jié)論。

https://kotobank.jp/word/満佐須計(jì)裝束抄-1595048 満佐須計(jì)裝束抄 まさすけしょうぞくしょう 平安時(shí)代末期、安元(あんげん)(1175~77)ごろと考えられているが、源雅亮(まさすけ)が著した書(shū)物?!秆帕裂b束抄」とも書(shū)かれる。ここでいう裝束は、その本來(lái)の意で、調(diào)度、服裝などの裝備、組合せについて具體的に説明している。三巻よりなり、一巻は調(diào)度とその室禮(しつらい)。二巻は束帯をはじめとして禮服(らいふく)その他男子の服裝。三巻は狩衣(かりぎぬ)?奴袴(ぬばかま)と女房裝束、その襲(かさね)の色について述べている。平安時(shí)代後期の調(diào)度、服裝を研究するうえで重要な資料である。
http://www.kariginu.jp/monjo/monjo26.doc 満佐須計(jì)裝束抄 (漢字変換バージョン)
https://ja.unionpedia.org/満佐須計(jì)裝束抄 満佐須計(jì)裝束抄(雅亮裝束抄)(まさすけしょうぞくしょう)は、平安時(shí)代末期に成立した仮名文の平安裝束の有職故実書(shū)。作者は源雅亮?!笢鹤繇氂?jì)」の表記は「まさすけ」という仮名の字母を萬(wàn)葉仮名で表記したに過(guò)ぎない。 鎌倉(cāng)時(shí)代の『後照念院殿裝束抄』には『雅抄』として引用があり、室町時(shí)代中期の『蛙鈔』には『徳大寺家裝束抄』として引用がある。これらの內(nèi)容はいずれも流布の3巻本に含まれている。特に後者には3巻本にもある亮行の裏書(shū)の引用も含まれている。.
源 雅亮(みなもと の まさすけ)は平安時(shí)代後期の貴族、有職家。甲斐守?源雅職の子。従五位下?伊賀守。.
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2607836 2巻

『白』は無(wú)彩色で、黒の対語(yǔ)であり、色を區(qū)別するための最初の言葉として使われました。最古の歴史書(shū)『古事記』でも、『黒』『赤』『青』とならんで『白』が登場(chǎng)しています。
古代の日本人にとって、白は純真無(wú)垢 じゅんしんむくで潔白を表し、神事に関係ある神聖な色として特別な存在でした。この伝統(tǒng)は現(xiàn)在に至るも変わっていません。
また近代においても武士の切 腹時(shí)の白裝束や、喪服の色が『白』であるように、『白』はそれだけ神聖で清らかな禁忌の色だったのです。
そのため、特別な場(chǎng)合をのぞき、あまり『白』の衣服を身につけませんでした。
白い衣服が一般的になったのは西洋文化を取り入れた明治以降です。喪の色も徐々に黒に変わっていきました。

『濃色』は『深紫 こきむらさき』の別名で、対色は『薄色 うすいろ』、こちらは『淺紫 あさむらさき』の別名です。
また、この2色のちょうど中間に『半色 はしたいろ』という色もあり、濃い薄いといった修飾語(yǔ)だけで色名となっているのは、それだけ『紫』が我が國(guó)では特別な色だからでしょう。
例えば、和歌で「むらさきの」は「匂う(美しく輝くの意)」にかかる枕詞でした。
“清少納言”も『枕草子』の中で「すべてなにもなにも、紫なるものは、めでたくこそあれ?;à怍椁饧垽??!工茸悉蚪~賛してています。
余談ですが、平安時(shí)代の女房裝束の打袴 うちばかまの色は、本式が『紅』の紅袴(緋袴)で、若年は『濃色』でした。








*僅供參考
文、圖 bing
【四五言的個(gè)人空間-嗶哩嗶哩】?https://b23.tv/A3cZdoV