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【青空文庫】太宰治 斜陽(七)

2023-01-11 20:00 作者:木下丸子君  | 我要投稿

對應(yīng)時(shí)間軸:5:04:36~5:37:50

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 直治の遺書。

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 姉さん。

 だめだ。さきに行くよ。

 僕(ぼく)は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。

 生きていたい人だけは、生きるがよい。

 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。

 僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな當(dāng)り前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。

 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強(qiáng)く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪では無いと思うんです。

 僕は、僕という草は、この世の空気と陽(ひ)の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて來たのも、これでも、精一ぱいだったのです。

 僕は高等學(xué)校へはいって、僕の育って來た階級と全くちがう階級に育って來た強(qiáng)くたくましい草の友人と、はじめて附(つ)き合い、その勢いに押され、負(fù)けまいとして、麻薬を用い、半狂亂になって抵抗しました。それから兵隊(duì)になって、やはりそこでも、生きる最後の手段として阿片(アヘン)を用いました。姉さんには僕のこんな気持、わからねえだろうな。

 僕は下品になりたかった。強(qiáng)く、いや強(qiáng)暴になりたかった。そうして、それが、所謂(いわゆる)民衆(zhòng)の友になり得る唯一(ゆいいつ)の道だと思ったのです。お酒くらいでは、とても駄目だったんです。いつも、くらくら目まいをしていなければならなかったんです。そのためには、麻薬以外になかったのです。僕は、家を忘れなければならない。父の血に反抗しなければならない。母の優(yōu)しさを、拒否しなければならない。姉に冷たくしなければならない。そうでなければ、あの民衆(zhòng)の部屋にはいる入場券が得られないと思っていたんです。

 僕は下品になりました。下品な言葉づかいをするようになりました。けれども、それは半分は、いや、六十パーセントは、哀れな附け焼刃でした。へたな小細(xì)工でした。民衆(zhòng)にとって、僕はやはり、キザったらしく乙(おつ)にすました気づまりの男でした。彼等は僕と、しんから打ち解けて遊んでくれはしないのです。しかし、また、いまさら捨てたサロンに帰ることも出來ません。いまでは僕の下品は、たとい六十パーセントは人工の附け焼刃でも、しかし、あとの四十パーセントは、ほんものの下品になっているのです。僕はあの、所謂上流サロンの鼻持ちならないお上品さには、ゲロが出そうで、一刻も我慢できなくなっていますし、また、あのおえらがたとか、お?dú)s々とか稱せられている人たちも、僕のお行儀の悪さに呆(あき)れてすぐさま放逐するでしょう。捨てた世界に帰ることも出來ず、民衆(zhòng)からは悪意に満ちたクソていねいの傍聴席を與えられているだけなんです。

 いつの世でも、僕のような謂(い)わば生活力が弱くて、欠陥のある草は、思想もクソも無いただおのずから消滅するだけの運(yùn)命のものなのかも知れませんが、しかし、僕にも、少しは言いぶんがあるのです。とても僕には生きにくい、事情を感じているんです。

 人間は、みな、同じものだ。

 これは、いったい、思想でしょうか。僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも哲學(xué)者でも蕓術(shù)家でも無いように思います。民衆(zhòng)の酒場からわいて出た言葉です。蛆(うじ)がわくように、いつのまにやら、誰が言い出したともなく、もくもく湧(わ)いて出て、全世界を覆(おお)い、世界を気まずいものにしました。

 この不思議な言葉は、民主々義とも、またマルキシズムとも、全然無関係のものなのです。それは、かならず、酒場に於(お)いて醜男(ぶおとこ)が美男子に向って投げつけた言葉です。ただの、イライラです。嫉妬(しっと)です。思想でも何でも、ありゃしないんです。

 けれども、その酒場のやきもちの怒聲が、へんに思想めいた顔つきをして民衆(zhòng)のあいだを練り歩き、民主々義ともマルキシズムとも全然、無関係の言葉の筈なのに、いつのまにやら、その政治思想や経済思想にからみつき、奇妙に下劣なあんばいにしてしまったのです。メフィストだって、こんな無茶な放言を、思想とすりかえるなんて蕓當(dāng)は、さすがに良心に恥じて、躊躇(ちゅうちょ)したかも知れません。

 人間は、みな、同じものだ。

 なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時(shí)に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは、働く者の優(yōu)位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。民主々義は、個(gè)人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。ただ、牛太郎だけがそれを言う?!袱丐?、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか」

 なぜ、同じだと言うのか。優(yōu)(すぐ)れている、と言えないのか。奴隷(どれい)根性の復(fù)讐(ふくしゅう)。

 けれども、この言葉は、実に猥(わい)せつで、不気味で、ひとは互いにおびえ、あらゆる思想が姦(かん)せられ、努力は嘲笑(ちょうしょう)せられ、幸福は否定せられ、美貌(びぼう)はけがされ、栄光は引きずりおろされ、所謂「世紀(jì)の不安」は、この不思議な一語からはっしていると僕は思っているんです。

 イヤな言葉だと思いながら、僕もやはりこの言葉に脅迫せられ、おびえて震えて、何を仕様としてもてれくさく、絶えず不安で、ドキドキして身の置きどころが無く、いっそ酒や麻薬の目まいに依(よ)って、つかのまの落ちつきを得たくて、そうして、めちゃくちゃになりました。

 弱いのでしょう。どこか一つ重大な欠陥のある草なのでしょう。また、何かとそんな小理窟(こりくつ)を並べたって、なあに、もともと遊びが好きなのさ、なまけ者の、助平の、身勝手な快楽児なのさ、とれいの牛太郎がせせら笑って言うかも知れません。そうして、僕はそう言われても、いままでは、ただてれて、あいまいに首肯していましたが、しかし、僕も死ぬに當(dāng)って、一言、抗議めいた事を言って置きたい。

 姉さん。

 信じて下さい。

 僕は、遊んでも少しも楽しくなかったのです??鞓Sのイムポテンツなのかも知れません。僕はただ、貴族という自身の影法師から離れたくて、狂い、遊び、荒(すさ)んでいました。

 姉さん。

 いったい、僕たちに罪があるのでしょうか。貴族に生れたのは、僕たちの罪でしょうか。ただ、その家に生れただけに、僕たちは、永遠(yuǎn)に、たとえばユダの身內(nèi)の者みたいに、恐縮し、謝罪し、はにかんで生きていなければならない。

 僕は、もっと早く死ぬべきだった。しかし、たった一つ、ママの愛情。それを思うと、死ねなかった。人間は、自由に生きる権利を持っていると同時(shí)に、いつでも勝手に死ねる権利も持っているのだけれども、しかし、「母」の生きているあいだは、その死の権利は留保されなければならないと僕は考えているんです。それは同時(shí)に、「母」をも殺してしまう事になるのですから。

 いまはもう、僕が死んでも、からだを悪くするほど悲しむひともいないし、いいえ、姉さん、僕は知っているんです、僕を失ったあなたたちの悲しみはどの程度のものだか、いいえ、虛飾の感傷はよしましょう、あなたたちは、僕の死を知ったら、きっとお泣きになるでしょうが、しかし、僕の生きている苦しみと、そうしてそのイヤな生(ヴィ)から完全に解放される僕のよろこびを思ってみて下さったら、あなたたちのその悲しみは、次第に打ち消されて行く事と存じます。

 僕の自殺を非難し、あくまでも生き伸びるべきであった、と僕になんの助力も與えず口先だけで、したり顔に批判するひとは、陛下に菓物屋(くだものや)をおひらきなさるよう平気でおすすめ出來るほどの大偉人にちがいございませぬ。

 姉さん。

 僕は、死んだほうがいいんです。僕には、所謂、生活能力が無いんです。お金の事で、人と爭う力が無いんです。僕は、人にたかる事さえ出來ないんです。上原さんと遊んでも、僕のぶんのお勘定は、いつも僕が払って來ました。上原さんは、それを貴族のケチくさいプライドだと言って、とてもいやがっていましたが、しかし、僕は、プライドで支払うのではなくて、上原さんのお仕事で得たお金で、僕がつまらなく飲み食いして、女を抱くなど、おそろしくて、とても出來ないのです。上原さんのお仕事を尊敬しているから、と簡単に言い切ってしまっても、ウソで、僕にも本當(dāng)は、はっきりわかっていないんです。ただ、ひとのごちそうになるのが、そらおそろしいんです。殊(こと)にも、そのひとご自身の腕一本で得たお金で、ごちそうになるのは、つらくて、心苦しくて、たまらないんです。

 そうしてただもう、自分の家からお金や品物を持ち出して、ママやあなたを悲しませ、僕自身も、少しも楽しくなく、出版業(yè)など計(jì)畫したのも、ただ、てれかくしのお體裁で、実はちっとも本気で無かったのです。本気でやってみたところで、ひとのごちそうにさえなれないような男が、金もうけなんて、とてもとても出來やしないのは、いくら僕が愚かでも、それくらいの事には気附いています。

 姉さん。

 僕たちは、貧乏になってしまいました。生きて在るうちは、ひとにごちそうしたいと思っていたのに、もう、ひとのごちそうにならなければ生きて行けなくなりました。

 姉さん。

 この上、僕は、なぜ生きていなければならねえのかね? もう、だめなんだ。僕は、死にます。らくに死ねる薬があるんです。兵隊(duì)の時(shí)に、手にいれて置いたのです。

 姉さんは美しく、(僕は美しい母と姉を誇りにしていました)そうして、賢明だから、僕は姉さんの事に就(つ)いては、なんにも心配していませぬ。心配などする資格さえ僕には有りません。どろぼうが被害者の身の上を思いやるみたいなもので、赤面するばかりです。きっと姉さんは、結(jié)婚なさって、子供が出來て、夫にたよって生き抜いて行くのではないかと僕は、思っているんです。

 姉さん。

 僕に、一つ、秘密があるんです。

 永いこと、秘めに秘めて、戦地にいても、そのひとの事を思いつめて、そのひとの夢を見て、目がさめて、泣きべそをかいた事も幾度あったか知れません。

 そのひとの名は、とても誰にも、口がくさっても言われないんです。僕は、いま死ぬのだから、せめて、姉さんにだけでも、はっきり言って置こうか、と思いましたが、やっぱり、どうにもおそろしくて、その名を言うことが出來ません。

 でも、僕は、その秘密を、絶対秘密のまま、とうとうこの世で誰にも打ち明けず、胸の奧に蔵して死んだならば、僕のからだが火葬にされても、胸の裏だけが生臭く焼け殘るような気がして、不安でたまらないので、姉さんにだけ、遠(yuǎn)まわしに、ぼんやり、フィクションみたいにして教えて置きます。フィクション、といっても、しかし、姉さんは、きっとすぐその相手のひとは誰だか、お?dú)莞饯摔胜牍Qです。フィクションというよりは、ただ、仮名を用いる程度のごまかしなのですから。

 姉さんは、ご存じかな?

 姉さんはそのひとをご存じの筈ですが、しかし、おそらく、逢った事は無いでしょう。そのひとは、姉さんよりも、少し年上です。一重瞼(ひとえまぶた)で、目尻(めじり)が吊(つ)り上って、髪にパーマネントなどかけた事が無く、いつも強(qiáng)く、ひっつめ髪、とでもいうのかしら、そんな地味な髪形で、そうして、とても貧しい服裝で、けれどもだらしない恰好(かっこう)ではなくて、いつもきちんと著附けて、清潔です。そのひとは、戦後あたらしいタッチの畫をつぎつぎと発表して急に有名になった或る中年の洋畫家の奧さんで、その洋畫家の行いは、たいへん亂暴ですさんだものなのに、その奧さんは平気を裝って、いつも優(yōu)しく微笑(ほほえ)んで暮しているのです。

 僕は立ち上って、

「それでは、おいとま致します」

 そのひとも立ち上って、何の警戒も無く、僕の傍に歩み寄って、僕の顔を見上げ、

「なぜ?」

 と普通の音聲で言い、本當(dāng)に不審のように少し小首をかしげて、しばらく僕の眼を見つづけていました。そうして、そのひとの眼に、何の邪心も虛飾も無く、僕は女のひとと視線が合えば、うろたえて視線をはずしてしまうたちなのですが、その時(shí)だけは、みじんも含羞(はにかみ)を感じないで、二人の顔が一尺くらいの間隔で、六十秒もそれ以上もとてもいい気持で、そのひとの瞳(ひとみ)を見つめて、それからつい微笑んでしまって、

「でも、……」

「すぐ帰りますわよ」

 と、やはり、まじめな顔をして言います。

 正直、とは、こんな感じの表情を言うのではないかしら、とふと思いました。それは修身教科書くさい、いかめしい徳ではなくて、正直という言葉で表現(xiàn)せられた本來の徳は、こんな可愛らしいものではなかったのかしら、と考えました。

「またまいります」

「そう」

 はじめから終りまで、すべてみな何でもない會(huì)話です。僕が、或る夏の日の午後、その洋畫家のアパートをたずねて行って、洋畫家は不在で、けれどもすぐ帰る筈ですから、おあがりになってお待ちになったら? という奧さんの言葉に従って、部屋にあがって、三十分ばかり雑誌など読んで、帰って來そうも無かったから、立ち上って、おいとました、それだけの事だったのですが、僕は、その日のその時(shí)の、そのひとの瞳に、くるしい戀をしちゃったのです。

 高貴、とでも言ったらいいのかしら。僕の周囲の貴族の中には、ママはとにかく、あんな無警戒な「正直」な眼の表情の出來る人は、ひとりもいなかった事だけは斷言できます。

 それから僕は、或る冬の夕方、そのひとのプロフィルに打たれた事があります。やはり、その洋畫家のアパートで、洋畫家の相手をさせられて、炬燵(こたつ)にはいって朝から酒を飲み、洋畫家と共に、日本の所謂(いわゆる)文化人たちをクソミソに言い合って笑いころげ、やがて洋畫家は倒れて大鼾(おおいびき)をかいて眠り、僕も橫になってうとうとしていたら、ふわと毛布がかかり、僕は薄目をあけて見たら、東京の冬の夕空は水色に澄んで、奧さんはお嬢さんを抱いてアパートの窓縁に、何事も無さそうにして腰をかけ、奧さんの端正なプロフィルが、水色の遠(yuǎn)い夕空をバックにして、あのルネッサンスの頃のプロフィルの畫のようにあざやかに輪郭が區(qū)切られ浮んで、僕にそっと毛布をかけて下さった親切は、それは何の色気でも無く、慾(よく)でも無く、ああ、ヒュウマニティという言葉はこんな時(shí)にこそ使用されて蘇生(そせい)する言葉なのではなかろうか、ひとの當(dāng)然の侘(わ)びしい思いやりとして、ほとんど無意識みたいになされたもののように、絵とそっくりの靜かな気配で、遠(yuǎn)くを眺(なが)めていらっしゃった。

 僕は眼をつぶって、こいしく、こがれて狂うような気持ちになり、瞼(まぶた)の裏から涙があふれ出て、毛布を頭から引かぶってしまいました。

 姉さん。

 僕がその洋畫家のところに遊びに行ったのは、それは、さいしょはその洋畫家の作品の特異なタッチと、その底に秘められた熱狂的なパッションに、酔わされたせいでありましたが、しかし、附き合いの深くなるにつれて、そのひとの無教養(yǎng)、出鱈目(でたらめ)、きたならしさに興覚めて、そうして、それと反比例して、そのひとの奧さんの心情の美しさにひかれ、いいえ、正しい愛情のひとがこいしくて、したわしくて、奧さんの姿を一目見たくて、あの洋畫家の家へ遊びに行くようになりました。

 あの洋畫家の作品に、多少でも、蕓術(shù)の高貴なにおい、とでもいったようなものが現(xiàn)れているとすれば、それは、奧さんの優(yōu)しい心の反映ではなかろうかとさえ、僕はいまでは考えているんです。

 その洋畫家は、僕はいまこそ、感じたままをはっきり言いますが、ただ大酒飲みで遊び好きの、巧妙な商人なのです。遊ぶ金がほしさに、ただ出鱈目にカンヴァスに絵具をぬたくって、流行の勢いに乗り、もったい振(ぶ)って高く売っているのです。あのひとの持っているのは、田舎者の図々(ずうずう)しさ、馬鹿(ばか)な自信、ずるい商才、それだけなんです。

 おそらくあのひとは、他のひとの絵は、外國人の絵でも日本人の絵でも、なんにもわかっていないでしょう。おまけに、自分の畫いている絵も、何の事やらご自身わかっていないでしょう。ただ遊興のための金がほしさに、無我夢中で絵具をカンヴァスにぬたくっているだけなんです。

 そうして、さらに驚くべき事は、あのひとはご自身のそんな出鱈目に、何の疑いも、羞恥(しゅうち)も、恐怖も、お持ちになっていないらしいという事です。

 ただもう、お得意なんです。何せ、自分で畫いた絵が自分でわからぬというひとなのですから、他人の仕事のよさなどわかる筈が無く、いやもう、けなす事、けなす事。

 つまり、あのひとのデカダン生活は、口では何のかのと苦しそうな事を言っていますけれども、その実は、馬鹿な田舎者が、かねてあこがれの都に出て、かれ自身にも意外なくらいの成功をしたので有頂天になって遊びまわっているだけなんです。

 いつか僕が、

「友人がみな怠けて遊んでいる時(shí)、自分ひとりだけ勉強(qiáng)するのは、てれくさくて、おそろしくて、とてもだめだから、ちっとも遊びたくなくても、自分も仲間入りして遊ぶ」

 と言ったら、その中年の洋畫家は、

「へえ? それが貴族気質(zhì)(かたぎ)というものかね、いやらしい。僕は、ひとが遊んでいるのを見ると、自分も遊ばなければ、損だ、と思って大いに遊ぶね」

 と答えて平然たるものでしたが、僕はその時(shí)、その洋畫家を、しんから軽蔑(けいべつ)しました。このひとの放埒(ほうらつ)には苦悩が無い。むしろ、馬鹿遊びを自慢にしている。ほんものの阿呆(あほう)の快楽児。

 けれども、この洋畫家の悪口を、この上さまざまに述べ立てても、姉さんには関係の無い事ですし、また僕もいま死ぬるに當(dāng)って、やはりあのひととの永いつき合いを思い、なつかしく、もう一度逢(あ)って遊びたい衝動(dòng)をこそ感じますが、憎い気はちっとも無いのですし、あのひとだって淋しがりの、とてもいいところをたくさん持っているひとなのですから、もう何も言いません。

 ただ、僕は姉さんに、僕がそのひとの奧さんにこがれて、うろうろして、つらかったという事だけを知っていただいたらいいのです。だから、姉さんはそれを知っても、別段、誰かにその事を訴え、弟の生前の思いをとげさせてやるとか何とか、そんなキザなおせっかいなどなさる必要は絶対に無いのですし、姉さんおひとりだけが知って、そうして、こっそり、ああ、そうか、と思って下さったらそれでいいんです。なおまた慾を言えば、こんな僕の恥ずかしい告白に依(よ)って、せめて姉さんだけでも、僕のこれまでの生命(いのち)の苦しさを、さらに深くわかって下さったら、とても僕は、うれしく思います。

 僕はいつか、奧さんと、手を握り合った夢を見ました。そうして奧さんも、やはりずっと以前から僕を好きだったのだという事を知り、夢から醒(さ)めても、僕の手のひらに奧さんの指のあたたかさが殘っていて、僕はもう、これだけで満足して、あきらめなければなるまいと思いました。道徳がおそろしかったのではなく、僕にはあの半気違いの、いや、ほとんど狂人と言ってもいいあの洋畫家が、おそろしくてならないのでした。あきらめようと思い、胸の火をほかへ向けようとして、手當(dāng)り次第、さすがのあの洋畫家も或(あ)る夜しかめつらをしたくらいひどく、滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にいろんな女と遊び狂いました。何とかして、奧さんの幻から離れ、忘れ、なんでもなくなりたかったんです。けれども、だめ。僕は、結(jié)局、ひとりの女にしか、戀の出來ないたちの男なんです。僕は、はっきり言えます。僕は、奧さんの他(ほか)の女友達(dá)を、いちどでも、美しいとか、いじらしいとか感じた事が無いんです。

 姉さん。

 死ぬ前に、たった一度だけ書かせて下さい。

 ……スガちゃん。

 その奧さんの名前です。

 僕がきのう、ちっとも好きでもないダンサア(この女には、本質(zhì)的な馬鹿なところがあります)それを連れて、山荘へ來たのは、けれども、まさかけさ死のうと思って、やって來たのではなかったのです。いつか、近いうちに必ず死ぬ気でいたのですが、でも、きのう、女を連れて山荘へ來たのは、女に旅行をせがまれ、僕も東京で遊ぶのに疲れて、この馬鹿な女と二、三日、山荘で休むのもわるくないと考え、姉さんには少し工合(ぐあ)いが悪かったけど、とにかくここへ一緒にやって來てみたら、姉さんは東京のお友達(dá)のところへ出掛け、その時(shí)ふと、僕は死ぬなら今だ、と思ったのです。

 僕は昔から、西片町のあの家の奧の座敷で死にたいと思っていました。街路や原っぱで死んで、彌次馬(やじうま)たちに死骸(しがい)をいじくり廻されるのは、何としても、いやだったんです。けれども、西片町のあの家は人手に渡り、いまではやはりこの山荘で死ぬよりほかは無かろうと思っていたのですが、でも、僕の自殺をさいしょに発見するのは姉さんで、そうして姉さんは、その時(shí)どんなに驚愕(きょうがく)し恐怖するだろうと思えば、姉さんと二人きりの夜に自殺するのは気が重くて、とても出來そうも無かったのです。

 それが、まあ、何というチャンス。姉さんがいなくて、そのかわり、頗(すこぶ)る鈍物のダンサアが、僕の自殺の発見者になってくれる。

 昨夜、ふたりでお酒を飲み、女のひとを二階の洋間に寢かせ、僕ひとりママの亡くなった下のお座敷に蒲団(ふとん)をひいて、そうして、このみじめな手記にとりかかりました。

 姉さん。

 僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。

 結(jié)局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんですから。

 それから、一つ、とてもてれくさいお願(yuàn)いがあります。ママのかたみの麻の著物。あれを姉さんが、直治が來年の夏に著るようにと縫い直して下さったでしょう。あの著物を、僕の棺にいれて下さい。僕、著たかったんです。

 夜が明けて來ました。永いこと苦労をおかけしました。

 さようなら。

 ゆうべのお酒の酔いは、すっかり醒めています。僕は、素面(しらふ)で死ぬんです。

 もういちど、さようなら。

 姉さん。

 僕は、貴族です。

【青空文庫】太宰治 斜陽(七)的評論 (共 條)

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