徒然草 第19段 折節(jié)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。?吉田兼好 日文念書

折節(jié)の移り変るこそ :季節(jié)の変化すること。それが面白いというのが、この段の主旨。
「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど :『拾遺集』巻9の歌「春はただ花のひとえに咲くばかりもののあわれは秋ぞまされる」などを引用。引き続いて、それもそうだが、心浮き立つということで言えば、春の景色だと、追加している。
花もやうやうけしきだつほどこそあれ:桜のつぼみが膨らんで、開花の準(zhǔn)備を整え終わった程の時期。
花橘は名にこそ負(fù)へれ:「さつき待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(『古今集』巻3)などの歌をイメージしている。橘の花こそ、この季節(jié)を表す有名なものなのだ 。
梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ:「梅が香に昔をとへば春の月こたへぬ影ぞ袖にうつれる」(『新古今集』巻1)を引用。戀の記憶でもよみがえるのか?。
灌仏の比:<かんぶつのころ>と読む。灌仏は4月8日、釈迦の誕生日。甘茶を仏像に注いで祝福した。
祭の比:上賀茂、下賀茂神社の春の大祭り。
六月祓:祓いは、諸人の罪やけがれをはらい清めるため、宮中や神社で行われる神事。六月を夏越(なごし)の祓(はらえ)?夏祓と呼んだ(『大字林』より)。
とり集めたる事は、秋のみぞ多かる:さまざまなもののあわれは、秋は多い。
野分の朝こそをかしけれ:野分は臺風(fēng)。臺風(fēng)一過の朝は風(fēng)情がある。野分については『源氏物語』や『枕草子』などにもさかんに書かれているので、ここで書かなくてもいいようなものだが、腹ふくれる想いがするのでやはり書かないではいられないこと、どうせこの書き物はすぐに破り捨てるのだから書かないわけにはいかないと、この文の直後に言い訳をしている 。
筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて:筆のおもむくままにつまらない慰めごとを、。。
御仏名、荷前の使立つなどぞ:<おぶつみょう、のさきのつかいたつなどぞ>と読む?!赣鶃柮工?、三世諸仏の名を読み上げて一年の罪障を払う行事。清涼殿で行った?!负汕啊工?、平安時代、諸國から貢ぎ物として奉られた初物。これを伊勢神宮をはじめ諸陵墓に奉った。その使いの出発の情報 。
公事ども繁く:「公事」が多くある。
追儺より四方拝に続くこそ面白けれ:<ついなよりしほうはいにつづく??>と読む?!缸穬工稀⒋螭撙饯我工诵肖铯欷氤ⅳ文曛行惺陇我?。鬼に扮(ふん)した舎人(とねり)を殿上人らが桃の弓、葦の矢、桃の杖(つえ)で追いかけて逃走させる。中國の風(fēng)習(xí)が文武天皇の時代に日本に伝わったものという。江戸時代の初めには廃絶したが、各地の社寺や民間には節(jié)分の行事として今も伝わり、豆まきをする。鬼やらい。鬼追い。鬼打ち。また、「四方拝」は、一月一日の早朝に行われる皇室祭祀(さいし)。天皇が清涼殿の東庭に出て、屬星(ぞくしよう)?天地四方?山陵を拝し、五穀豊穣?天下太平を祈る。明治以降は神嘉殿で、皇大神宮?豊受大神宮?四方の神々を拝することに改められた。
足を空に惑ふが:足が地に著かないぐらい走りまわっている人々が、。