SixTONES萬字訪談田中樹篇

田中 樹
〔SixTONES〕
きっとどこかで會(huì)えるって信じてる
──ようやく10000字インタビューの取材が再開できるね。その間、『TrackONE–IMPACT-』ができなくなるなど大変なことも多かったんじゃ?
「デビューコンサートだし、何よりツアー途中までやっていたから余計(jì)に悔しいよね。本當(dāng)に靜岡、北海道で會(huì)えるのを楽しみにしていた人たちに申し訳ない。でも、誰も悪くないことだからね。皆が行きたかったって思ってくれるように、俺らもやりたかったよ。ただ俺らの中で、まだツアーは終わってないんだよね。永遠(yuǎn)にできなくなったわけじゃないし、きっとまたどこかで會(huì)えるって信じてる」
──10000字の再開を願(yuàn)う読者の聲も編集部にたくさん屆いたよ。
「期待度が上がってよかった(笑)。意外とよかったこともあったりするんすよね。もちろんマイナス面が大きすぎるけど、プラスだってゼロじゃない。発売が遅れたセカンドシングル『NAVIGATOR』がデビューからちょうど半年後にリリースされることになったのも、巡り合わせのようなものを感じるしさ。會(huì)えなかった時(shí)間が愛を育むなんていうしね。會(huì)えなかった時(shí)間、自粛していた期間があったから、大切な人は誰かってこともよりわかったりしたはずだから」
──じゃあ、さっそくインタビューを始めるけど、家族のこと大好きだよね?
「そうっすね。めっちゃあったかい家族なんで。ただ、いろいろうちは普通じゃないっていうか。この時(shí)代に5人も子ども育てるって大変だったはずで。いろんな面で楽じゃなかったと思う。だから、家族には感謝してもしきれない」
──樹くんは、5人兄弟の四男。
「はい。兄弟が多かったからか、人の反応を想像するの昔からめっちゃ得意で。小さいころから空気を読んでない感を出すのがうまかったんすよね。例えば、家族でお菓子を食べてて最後の1個(gè)が殘ったりすると、延々と気をつかい合って譲り合いが始まったりするじゃないですか。そんなとき、俺は無邪気で無神経なふりして食べちゃうみたいな。気をつかわせてるって思わせた瞬間、相手はより気をつかうでしょ。それがイヤで。だったら“こいつはしょうがないヤツだ”ってなったほうが、みんな気をつかわなくて済むから」
──小さいころの夢(mèng)ってなんだった?
「ガキのときは単純だったんで、なんか急にカッコよく見えて近所のスーパーの店員になりたかったり、醫(yī)者のマンガを読んで醫(yī)者になりたいとか、そういうレベルの夢(mèng)や憧れはありましたけど、現(xiàn)実として思い描いてた夢(mèng)ってのは特になかったですね」
──野球、サッカー、陸上、水泳、バスケ……スポーツもたくさんやってたよね。
「うーん、今思えば、どの競(jìng)技もどこか心から楽しいとは思ってなかったかな。この競(jìng)技のプロになりたいと思ったこともなかったし」
──ジャニーズに入ったのも憧れからではなく、お母さんが知らないうちに履歴書を送ってたんだよね?
「そう。とはいえ俺は目立ちたがりでもあったから、まんざらでもないというか(笑)。チヤホヤされんじゃないか、テレビ出られるんじゃないかとか、そういう感覚でした。(菊池)風(fēng)磨や(中島)健人とオーディションが一緒で。風(fēng)磨は家のファックスが壊れてたらしくて、事務(wù)所からの連絡(luò)を受け取るのが遅れ、入所は俺のほうが1週間早くなるというね(笑)」
──Jr.の活動(dòng)はどうだった?
「最初は楽しくなかったです。ホント、部活みたいな感覚というか。部活自體はたいして好きじゃないけど、その後の部員同士で遊ぶのが楽しいみたいな」
──入所直後、Hey! Say! JUMPのコンサートに出演してるよね。
「そこで(森本)慎太郎やきょも(京本大我)に出會(huì)ってるんすよね。ふたりがピンクの衣裝著てたのをボンヤリ覚えてる。あー、でもコンサート自體は、すげーイヤだったな。入りたてで何もできない。踴りも歌も。このとき、ラップもやらされたんだけど當(dāng)然ヘタクソで。できもしないのに、ステージに立つのがイヤで、すげー恥ずかしかった。仕事が楽しくなったのはホント最近です(笑)」
──同世代のJr.の友だちが多かったのが続けられた理由だったんだね。
「ですね。家に遊びに來たり、誰かの家に遊びに行ったり。子どもだったんで、1対1よりも、みんなで遊んでました。ジェシーともよく遊んだ。ジェシーとはHip Hop JUMPを組んだときに出會(huì)ったのかな。ジェシーは口數(shù)少なかったんで、最初に會(huì)ったときの印象が薄いんすよね。遊んでても、思いっきり笑うこともなくて。ジェシーなりに何か考えてたんだと思います。Hip Hop JUMPで後輩と組まされたことに劣等感みたいなものがあったんじゃないかな。みんなと一緒にいても、楽しくないみたいな空気を出すことも多くて」
──入所3年目の2011年、同期だった風(fēng)磨くん、中島くんらがSexy Zoneとしてデビューしたよね。
「めちゃくちゃ悔しかった。もちろん俺よりB.I. Shadowだった(松村)北斗や髙地(優(yōu)吾)のほうが悔しかったはずだけど。俺はあのとき、グループに入れそうな予感も予兆もまったくなかった。だから、なんで入れなかったんだってことより、“なんであいつらのほうが先なんだよ”って悔しさだったな。正直、感覚的にはずっと“俺はジャニーさんがデビューさせたいって思うタイプじゃないな”ってのは感じてたから、ムリだろうなってどっかで思ってた。それでもすげー悔しかったんだよね」
高校卒業(yè)したら事務(wù)所を辭めよう
──その翌年、のちにSixTONESを結(jié)成することになる6人でドラマ『私立バカレア高校』に出演する。
「楽しかったよね。北斗、きょもは學(xué)校も一緒だったから一緒に撮影に行ったりして、學(xué)校生活とドラマがリンクしてたっていうか。ドラマが終わっても『SUMMARY』のメイン公演を6人でやらせてもらって。何か男子高校生の青春っていうか、とにかく6人で用もないのにずっと一緒にいて。腹減ってないのに、とりあえずラーメン屋行って、くだらねー話で笑い合って。何か、こんな日々がずーっと続くような気がしてた」
──『私立バカレア高?!护嫌钞嫽猡丹欷?。大阪での舞臺(tái)挨拶を終えた帰りの新幹線のエピソード、有名だよね。
「あー、3人シートを向かい合わせにして6人でずっとしゃべってたってやつね。バカレア組は作品のために集まったメンバーだったから、この6人で活動(dòng)するのは二度とないみたいな気がしてね。気づいたら、牛すき弁當(dāng)を食べながら6人で泣いてるっていうね」
──実際その後、バカレア組6人での活動(dòng)は減っていった。
「ジェシーと北斗、殘りの4人みたいになったよね?;冥筏い堡伞⒒冥筏胜い栅辘筏匹廿楗廿椁筏皮郡?。4人で“殘り物”ってグループチャット作って連絡(luò)取り合ったりもして。ただ、自虐的だったけど悲壯感みたいなものがあったわけじゃない。確かに6人でやった仕事は楽しかったけど、バカレア組というくくりに執(zhí)著していたわけじゃなくて。まだまだ全員テングだったしギラギラしてた?!亥啸欹ⅰ护顺訾郡长趣恰ⅳ饯欷兢熘趣猡ⅳ?。“いけるだろ、俺!”って、6人それぞれ思ってたと思うんだよね」
──「もう一度6人で」という思いはあった?
「あったよ。ただ、“もうムリだろうな”って。俺は1度、踏んぎりつけなきゃって心の中であきらめた」
──その後、SixTONESが結(jié)成されるまでの期間は、樹くんにとってどんな時(shí)間だった?
「俺の人生をグラフで表すなら、バカレア後からSixTONESができるまでの2年間は、人生でいちばんガーンって落ち込んだ期間かな。それこそ不貞腐れてたし、仕事も楽しくなかったしね。意地でも成り上がってやるって思ったり、なんで仕事を続けてんだろうってモチベーションを失いかけたりもして、揺れてた時(shí)期でもあった。ただ、事務(wù)所を“高校卒業(yè)したら辭めよう”とか、“二十歳になったら辭めよう”って頭では考えるんだけど、決斷しきれずにいた感じかな」
髙地が預(yù)かったジェシーからの伝言
──どん底にいた樹くんを救ってくれたのは?
「メンバーの5人ですね。SixTONESが結(jié)成されたことが大きい」
──グループ結(jié)成のきっかけは、ジェシーくんだったんでしょ?
「うん。Jr.カレンダーを6人で撮影することになって。ホント、シャイなジェシーらしいんだけど、突然、“ジェシーから伝言がある”って、なぜか髙地が言ってきたんだよね?!挨蓼?人でやろう”って。そこからは急展開。6人でジャニーさんに直談判したら、グループを結(jié)成してSixTONESって名前までつけてもらえて」
──狀況が一気に好転していったんだ。
「そうでもない。きっとほかのメンバーも、“もう一度6人で”って望んでたし、SixTONES結(jié)成はうれしかった。ただグループが結(jié)成されたからといって、最初から“絶対デビューしようぜ!”みたいなノリにはならなくて。最初の1、2年はギクシャクしてたかな」
──それはなんで?
「まだ腹をくくりきれてなかったんだろうね。そもそも、6人の意志でバラバラになったわけじゃない。この6人には未來がないって誰かが判斷した結(jié)果バラバラになったと思ってたから。このグループで本當(dāng)にいけんのかって猜疑心がぬぐいきれなくて。ある意味、バカレアがトラウマになってんすよね。散々“デビューにいちばん近い”っ言われ続けたのにデビューできなかった?!挨饯螭剩度摔猡盲ぜ蓼盲拼笳煞颏胜韦俊堡盲?。ちょうど全員二十歳くらいで、歩むべき道を決めるべきタイミングでもあったから、最初はSixTONESにすべてを賭けきれずに手探りだった。6人でやりたい。ただ、この先に何が待っているのか見えなくて怖かったんだよね」
──「絶対デビューできる!」って言うメンバーはいなかった?
「誰も口にしなかったな?!哎钎鹰濠`できんのかな?”とか、俺ら集まったら意外とマイナスな話が多かったっすね?!哎钎鹰濠`できる”って口に出すこと自體が怖かったというか。マジで集まったらグチや文句が多かった。だって最初、ホント味方がいなかったからね。當(dāng)時(shí)、別のグループのファンから“SixTONESはマイク持たせてもらって恵まれてんじゃん”みたいな聲も聞こえてきたんすけど、メンバーになったら俺たちの狀況痛いほどわかるよって思ってた。マジで味方がいなかったからさ」
──そうだったんだ。
「ただそれも當(dāng)然で。俺らの素行に問題があったんですよ?!荷佶椤护艘卵bじゃなくて私服で出たり、スタッフの制止を振りきってトリプルアンコールに出てったり。バカレアのトラウマで、みんなやさぐれて、大人に対して不信感が強(qiáng)くて。アドバイスがアドバイスじゃなく命令に聞こえたんですよね。従ってもデビューできなかっただろって絶えず反発して。そんなんで味方なんかできっこない。まちがってたと思うよ。ただ、それでも必死だったのが伝わったのか、わかってくれる大人がポツポツ現(xiàn)れて。少しずつ味方が増えていったんですよね」
──樹くんが、SixTONESに賭けようって腹をくくれたのは、いつ?
「俺はグループが結(jié)成されたときに腹をくくったつもりでいたけど、それはSixTONESに人生賭けたというより、この世界でやっていくって決心だったんだなって思う。結(jié)成2年目くらいかな。少しずつファンの人に認(rèn)知してもらったり、大人の味方が増え始めて、“あ、これいける。死ぬほどがんばればデビューできるかも”って思えたとき、本當(dāng)の意味で腹をくくれたんだと思う。SixTONESに人生賭けよう。すべてを賭けようって」
──実際にデビューの予感がしたのは、いつごろ?
「意外と思わなかったです。先のことを考える暇がなくなったって言ったほうが正しいかな。少しずつ仕事がもらえるようになって、それこそ『ジャニーズJr.チャンネル』が始まったり。やらなければいけないことが増えていったんで」
──2019年になると多くのファンはSixTONESのデビュー決定の発表があるのではと期待したよね?!篊HANGE THE ERA -201ix-』の5月1日、大阪城ホールでの公演。アンコール後にマイクを持って何かを言いたげだったように見えたけど?
「……あれは。今はまだ全部の答え合わせをしなくてもいいかな。それぞれの解釈でいいと思うよ。まあ“みんなまたね”って言おうと思ったら、ほかのメンバーが先に言っちゃったから別のコメントを考えてたってことにしておいてよ」
──じゃあ、ついに昨年6月、ジャニーさんの病室でデビューを伝えられた瞬間、どんなことを思った?
「當(dāng)たり前ですけど、いちばん大きな感情はうれしい。デビューは通過點(diǎn)、必ず通らなければいけないポイントだと思ってたし、これからの道のりのほうがきっと険しい。それでも、やっぱり最初に思ったのはうれしいでした」
──同時(shí)デビューすることになったSnow Manに対しては?
「もちろん、競(jìng)い合っていかなきゃいけないライバルです。ただ、俺はどうしても仲間、兄貴って感覚が強(qiáng)いんですよね。やっぱねえ、あんだけ一緒にいたし思い入れがあるんすよ。Snow Manの仕事は、だいたいチェックしてるし。元カノのインスタ見ちゃうみたいな感じ(笑)。Snow Manが大きいライブ決まったりしたら、まずは“見に行きてえ!”って思うだろうし、がんばれって思うな」
──じゃあ、『TrackONE –IMPACT-』の橫浜アリーナでのコンサート、Jr.として最後のステージはどうだった? ダブルアンコール後、みんなで手をつないで、“俺たちがジャニーズJr.!”って叫んだときの気持ちを教えて。
「あの円陣、きょもが、“最後のわがままいい?”って言い出してやったんだよね。ほかのメンバーがやろうって言い出すのとはちょっとちがうというか。あのステージは、なんか卒業(yè)式みたいだった。卒業(yè)する寂しさもあるし、新たな一歩を踏み出す高揚(yáng)感もある。ただ、あの円陣の瞬間、ひとつだけ俺は後悔があって」
──後悔?
「ジャニーズJr.の価値や地位を高めること、もっとできたんじゃないかなって。俺はジャニーズJr.であることを誇りに思ってたから。だから今のJr.にも胸を張ってほしい。世間からはJr.っていうとデビュー組のバックダンサーみたいに見られることもあるかもしれない。でも、実際ジャニーズJr.になることも、Jr.でい続けることもすごいことだから。最初はJr.であることどころか、アイドルであることを恥ずかしがってた俺が何を言ってんだって話なんだけどさ(笑)」
ざまあみろ!俺たちはデビューした!
──1月22日にリリースされたデビュー?シングル『Imitation Rain/D.D.』は、初週売上男性アーティスト歴代1位となる132?8萬枚で初登場(chǎng)1位を獲得。KAT-TUNの『Real Face』以來14年ぶりとなるデビュー?シングルの上半期1位獲得など多くの記録を樹立したよね。
「もちろん喜びと感謝が、いちばんデカかった。でも、俺はほかのメンバーとちがって性格悪いんで言っちゃっていいですか!? 俺は“ざまあみろ!”とも思ったよ」
──ざまあみろ?
「俺ら、皆が想像する以上にボロクソ言われてきたんで?!哎钎鹰濠`なんて絶対ムリだ”って散々言われた。でも、あんたらがバカにして鼻で笑っても俺はデビューできるって信じた。メンバーも俺のせいで散々言われた?!疤镏肖い毳哎氅`プで大丈夫なのか?”って。それでも5人は離れないどころか、俺を守り続けてくれた。その結(jié)果がこれだ! 俺たち6人はデビューした! 記録も作った! “ざまあみろ!”って。大人げないですけど、今もその精神っていうか。俺や俺の仲間をどうこう言ってたヤツら、全員後悔させてやる、見返してやるってのがモチベーションのひとつなんですよね」
──じゃあ、信じ続けてくれたメンバーに、今伝えたいメッセージはある?
「メンバーに!? 特にないよ。そういうの個(gè)人的に言うから(笑)」
──じゃあ、メンバーそれぞれとのエピソードを教えてよ。まずは北斗くん。
「うーん、今、北斗とはメンバーの誰よりも仕事の話をしますね。MCについてグループ內(nèi)で、今日はあれ話そう、これ話そうって事前に決めないんですけど、北斗とだけは時(shí)間配分とか細(xì)かく決めてる。仕事に関して、これどうしようって相談されたり、いちばん連攜取り合ってます」
──北斗くん、樹くんとしか話せない時(shí)期があったって言ってたよ。それっていつごろのこと?
「わかんないし、興味ない(笑)。俺は人とのつき合いって、今は誰と誰の関係がちょっとこじれてるとかって気にしない。だから何? 俺には関係ないしってタイプ。俺とそいつが築いてきた関係がある。それはほかの何かには邪魔されない。北斗がメンバーとしゃべりづらいってときがあったのかもしんないけど、俺は別にどうも思わない。北斗対俺。あいつが心を閉ざしてるって感じた瞬間は、俺には一切ないよ」
──次に京本くん。
「きょもは高校2年のときに転入してきて席が前と後ろで。俺、友だちは多かったけど、素でいられる人ってあんまいなかったから、きょもといる時(shí)間は、すごい楽だったな。屋上で授業(yè)サボったり、宿題忘れてふたりで怒られたり、ろくな思い出はないけど(笑)。そのころから、きょもはいい意味で俺の思考とは、まったくちがう人だった。何もかも真逆。これはメンバー全員に言えるけど、きょもを信頼してるしリスペクトしてるから、言ってることを理解はできないけど、きょもが導(dǎo)き出す結(jié)論には納得できる。こいつにだったら賭けてみようって思えるから」
──次は慎太郎くん。
「ガキんときからホントずっと遊んでたからなあ。プライベートで遊んだ時(shí)間は一番長いだろうね。何だろうなあ。なんか合うんすよね。男臭くて。でも、きっと多くの人は慎太郎を誤解してて、メンバーでいちばん繊細(xì)なのは北斗じゃなくて、俺は慎太郎だと思ってる。なんかねえすっげー純粋だし、いろんなことに敏感なんだよね。じつは気にしいで。今、その繊細(xì)さがグループとして良い方向にだけ作用してるんですけど、あんまムリしすぎんなよって思うかな」
──髙地くんは?
「髙地とはね、使う駅が一緒だったんで、ふたりで舞臺(tái)終わりに高架下の中華屋によく行ったのが思い出。髙地は聞き役に回ることが多いっていうか、聞き上手。ジェシーが“もう一度6人で”って伝言を、ほかの誰かじゃなくて髙地に託した理由もなんとなくわかる。あと俺ら全員での誕生日プレゼント交換ってしないようにしてるんだけど、俺と髙地だけは毎年やってんだよね。もう何年前かなあ!? 髙地と“このクルマが欲しいんだよね”って雑談してたら、あいつ覚えてて、そのクルマのミニカーを誕生日プレゼントでくれたのが始まり(笑)。それ以來、お互いふざけたテキトーなプレゼントを贈(zèng)り合ってる。で、“誕生日なんだから、今日くらいはメシおごれよ”ってラーメンとか食べに行く。髙地とふたりでいる時(shí)間、俺、なんか好きなんすよね」
──最後にジェシーくん。
「出會(huì)ったころから、口ベタだしシャイなのは変わんないすね。でも、誰がどう見てもSixTONESのセンターはジェシー。今、グループの大事なことはメンバーで話し合いをしても、最後は全部ジェシーが決めてるし、決めさせてる。俺らはちっぽけなプライドが邪魔して、“もう一度6人で”って切り出せなかった。でもジェシーはそれを言った。正直、最初はSixTONESとしての未來に疑心暗鬼だったけど、あいつは最初からSixTONESを信じた。今だって、みんなSixTONESのこと大好きだけど、その気持ちはあいつがいちばん強(qiáng)いと思う。だから、このグループの舵を取る権利も義務(wù)もジェシーにあると思ってる。ある意味、俺はずっとジェシーの補(bǔ)佐でいようって思ってるかな」
関係ないじゃん。YOUはYOUだよ
──樹くんはメンバーだけじゃない、先輩にも後輩にも好かれてるイメージがあるよ。
「俺とか風(fēng)磨は先輩に好かれないタイプなんすけどね。昔から仲いい後輩は、Princeとか、Travis Japanの宮近海斗、中村海人とかかな。まあ、おまえら俺を慕うなんてバカだな、もっといい先輩はたくさんいるだろって思うけど(笑)。そうはいっても、かわいいんすよね。後輩スキルが高いっすよ。ほどよく懐に入ってくる感じとか。King & Princeがデビューして、絶対あいつらのほうが稼いでんのに、俺、カニのコース料理とかごちそうしましたからね。巖橋(玄樹)が二十歳になったお祝いはフグに連れてったんですけど、なぜか神宮寺(勇太)と宮近も來て。鍋を頼んだら、俺は一切れしか食べなかったのに、支払いはウン萬払いでしたね」
──ハハハハハ。先輩や同期は誰と仲がいい?
「また込み入った話になるけど、いろいろあったとき、俺から距離を取るってのが、賢い選択だったと思うんだよね。実際離れていった人もいたし。だけど、河合(郁人)くん、桐山(照史)、二階堂(高嗣)くん、風(fēng)磨、もちろんメンバーは離れるどころか一歩踏み込んで“大丈夫だぞ”って言ってくれた。今、親しくさせてもらってるのは、あのとき、手を差し伸べてくれた人たちばっかです。當(dāng)たり前ですけど、愛情をかけてもらった人には愛情がわくんです。ここまで來んのにいちばん愛情をかけてくれたのは親だし、兄弟だし。この事務(wù)所に入っていちばん愛情を注いでくれたのはメンバーであり、ファンであり、ジャニーさんで。辭めるべきかなって悩んでるとき、ジャニーさんが“関係ないじゃん。YOUはYOUだよ”って言ってくれたこと忘れられない。俺は愛情をかけてくれた人に、少なくとも注いでもらった分だけの愛を返したいから、それ以外の人にかまっている時(shí)間も余裕も義理もないというかね」
──もっとも愛情を注いでくれたのが両親だよね。デビュー、喜んでくれたんじゃない?
「もちろん。だけど、秘密にしてたのにデビュー決定を発表する前に感づいてたらしいんすよ。ふたりともしたたかなんで、前からママには“樹がデビューしたら銀座で買い物させてね”って冗談っぽく言われてたし、デビューが決まったら急にパパはクルマを買って半額請(qǐng)求されたりとかさ(笑)」
──ハハハハハ。
「俺がジャニーズに入ってから仕事に関して親に“がんばれよ”以外のこと言われたことって1度しかないんですよね。俺が高3のときだね。まあいろいろあって、俺、初めて高校をずる休みしたんです。精神的にキツくて。俺自身ショックだったし、クラスメイトどころか先生だって俺が弟なこと知ってる。行けなかったんすよね。周囲からなんて言われるだろうって考えたら。次の日、さすがに行かなきゃと思って玄関を出るタイミングでママに、“辭めたかったら辭めていいんだよ”って、ひと言だけ言われた。それ言われて心が軽くなったよ。同時(shí)に気をつかう俺の性格から“あ、これ辭めらんねえな”って(笑)。その1度だけ。親に、仕事のことについて何か言われたのは」
──樹くん自身は今、どう思ってる?
「Jr.になった瞬間、高い下駄を履かせてもらって。その後、足を引っ張ったなんて思ってるかもしれないけど、そんなハンデなんかより最初にもらったアドバンテージがよっぽどデカイ。気にしてないというより、感謝しかないかな。まあ、“辭めたら終わり。俺は絶対辭めない”ってムリして乗り越える必要のない壁を乗り越えてきた気もするけどね(笑)」
──以前のインタビューで、「辭めたら終わり、俺は絶対辭めないと決めてた」って言ってたもんね。
「當(dāng)然、それぞれの人生だから、どんな道を選んだっていい。でも、“人生何度だってやり直せる”なんて言葉は、俺には何かを極めることを放棄した弱蟲の戯れ言にしか聞こえない。俺たちグループはいろいろあったけど、もちろんそれは、ほかのグループやJr.にもあったはずで。うまくいかないときだって、わかってもらえないことだってある。俺は“辭めようと思う”って報(bào)告されたことも何度もあって。そのたびに俺はずっと“おまえらバカだ!”って言い続けた。たとえ今、納得できないことがあったとしても、辭めなければ、いずれやりたいようにできるようになる可能性は殘される。でも、辭めたら積み上げてきたもの、すべてが無になるんだぞって。そう言い続けても、引き止められなかった仲間を俺は大勢(shì)見てるからね」
ファンとメンバー、皆でTeam SixTONES
──デビューから半年が経過。これから個(gè)人的にかなえたい夢(mèng)はある?
「?jìng)€(gè)人的には音楽を追求したいかな。いつか一時(shí)の流行じゃない、ブームじゃなくて文化になるような、スタンダードな音楽を作れたらって思う」
──ずっと努力は嫌いだって言い続けてるけど、入所直後のラップと比較するまでもなく、樹くんが、今日までどれだけ努力してるかわかるよ。
「今だって努力は嫌いっすよ(笑)。ラップは趣味なんで。趣味を仕事としてやらせてもらってるだけ。好きなものにかける時(shí)間も熱も努力とは呼ばないと思うんですよね。必死じゃなくて夢(mèng)中っていうか。好きなことをやってるだけだからさ」
──じゃあ、グループの夢(mèng)は?
「通過點(diǎn)として、これとこれとこれは絶対に成し遂げようってものはあります。そこへたどり著くための計(jì)算もしてます。でもゴールはない。SixTONESが目指すのは、スターになるってことだから。何がスターか、スターをどう定義するかって曖昧じゃないですか。だからゴールを明確に設(shè)定できない。ただ、あくまで本業(yè)はアイドルだから、ベースは歌って踴ること。そこは絶えずスケールアップさせていきたい」
──最後に樹くんの10000字インタビューを、心待ちにしていた読者にメッセージを。
「よく言うんですけど、俺はファンをファンだと思っていないというか。ステージに立つ人と、それを応援する人って感覚じゃないんだよね。Team SixTONESってよく言うんですけど、SixTONESへの愛情を持った人が、それぞれ自分ができることをやって、グループを大きくしていくってイメージなんだよね。俺らができることは俺らがやる。俺らができないことはファンが、スタッフがやる。結(jié)果、SixTONESが大きくなっていく。メンバーとファンの関係はSixTONESに愛情を注ぐという點(diǎn)においてフェアであり対等だと思ってる。もちろん去年はデビューしたら、テンポよくポンポンとステップアップしていけると思ってた。でも、コロナという予想外のことが起こって、頭の中のシナリオ通りにはいかなくなった。でも、これをピンチだとは思わない。エンターテインメントはなくならないし、だってそもそも俺らは、ファンのみんな以外に誰にも期待されないところから始まってるからね。きっと、Team SixTONESなら、このグループを、今まで見たことないスターにできるって信じてる」