麻將Pro的分娩(上)(文:淺見真紀(jì))
原文:https://note.com/asamimaki/n/n11a9ff694fe2
日期:2020年11月21日
【はじめに】【說在前面】
ちょうど一年ほど前、出産をした。
物心ついた頃から自分は安産型だと思い込んでいたが、実際は陣痛も長く、分娩室滯在時間も長く、陣痛促進剤を使っての吸引分娩となったので驚いた。
いや、もはやなぜ自分が安産型だと思っていたのか、過去の自分に一番驚いている。
剛好是在一年前左右,我生下了孩子。自我懂事以來我就以為自己是安產(chǎn)型,但現(xiàn)實是我經(jīng)歷了長期的陣痛,在分娩室逗留的時間也很長,甚至用上了催產(chǎn)素來進行吸引產(chǎn),這讓我十分震驚。不對,如今我為什么認(rèn)為自己是安產(chǎn)型這件事讓以前的我最為震驚。
安産型だと思い込んでいたとは言ったが、皆さんご存知の通り私はそこまで馬鹿でも夢見がちでもない。
痛いのは嫌だ。
昭和人間の母親を説得して、無痛分娩を予定していた。だって痛いの嫌だもーーん。
雖然我說我認(rèn)為自己是安產(chǎn)型,但眾所周知我還沒有笨到那種地步,也不是愛做白日夢的人。我很怕痛。所以我說服了充滿昭和精神的母親好讓自己做無痛分娩,因為我很怕痛?。?!
私が通っていた産院は、週末に麻酔科醫(yī)が勤務(wù)していないとのことで、無痛分娩を希望する場合は絶対に平日に入院、そして計畫出産しなければならなかった。
我所進入的婦產(chǎn)醫(yī)院,他們的麻醉醫(yī)生在周末是不上班的,所以要是我需要做無痛分娩的話就必須在平日入院,然后必須做好生育計劃。
しかし私は入院予定だった日より前に、しかも週末に陣痛が來てしまい、
無痛分娩でなく普通分娩になったのだ。
地獄。
但是我在準(zhǔn)備正式入院前的日子,而且是周末的時候就感受到了陣痛,結(jié)果我趕不上無痛分娩,而轉(zhuǎn)成了普通分娩。這就是地獄吧。
二度と経験しないかもしれないので、覚書のためここに出産の記録を記す。子を産む予定のある人もない人も、気が向いたら読んでみてほしい。
或許這種體驗沒有第二次了,在此我給自己分娩的過程做下了筆記。無論是否有要孩子的打算,希望對此有興趣的各位能讀一讀。
出産はひとつの大きなドラマである。
分娩就是一場大型連續(xù)劇。
【兆候 ?出産まであと4日】【征兆——距離分娩還有4天】
2019年11月6日水曜
2019年11月6日 星期三
里帰り出産のため、予定日1ヶ月前から埼玉にある実家に帰省していた。
由于我希望回家生孩子,所以我在預(yù)產(chǎn)期1個月前回到了在埼玉的老家。
妊娠前より13キロ増えた身體を揺らしながら、いつものように妊婦検診へ。
子宮口がまだカッチコチです、と言われる。
そう言われましても、と思う。
我搖晃著比妊娠前增長了13kg的身體,和往常一樣去做定期產(chǎn)檢。醫(yī)生說我的子宮口還是非常緊繃,我心想“就算你這么說我也……”
たくさん散歩をするなどして體を動かすと子宮口は開きやすいと言われている。當(dāng)時真っ最中だった最高位決定戦や雀王決定戦をラジオとして聞きながら毎日の様に1時間以上散歩していたのにも関わらず、
わたしの子宮口はシラフ時の新津代表の口の様に閉じまくっていた様だ。
産院へはいつも、最寄りからひと駅電車に乗って通っていたのだが、仕方がないのでこの日はえっちらおっちらと50分歩いて帰宅した。
人們說通過經(jīng)常散步等方式來活動筋骨,能讓子宮口更為弛緩。我打開當(dāng)時正如火如荼的最高位決定戰(zhàn)和雀王決定戰(zhàn),當(dāng)做是廣播一樣,每天一邊收聽一邊散步最少1小時。但即便如此,我的子宮口就如同平時的新津代表的嘴一樣緊閉。平時我都是從最近的車站坐電車去醫(yī)院,但這天沒辦法,只能負(fù)重走了50分鐘回家。
この日の夜、今まで感じたことのない腹痛に見舞われる。しかも10分間隔である。
穴が開くほど読んだ産院から渡された入院の準(zhǔn)備のしおりには、10分間隔で陣痛が來たら出産のサインと書いてあった。
しかしながら一方で毎晩毎晩読み漁ったあらゆるサイトからの情報によると、
「陣痛がきて産院に電話しても、大體『まだなので我慢してください』と言われる」
とか
「産院に直接行っても『まだ産まれないので帰ってください』と言われる」
などと記されていた。
這一天晚上,我感受到了前所未有的腹痛,而且每10分鐘就來一次。我打開醫(yī)院給我的,由于反復(fù)翻看而殘破不堪的入院準(zhǔn)備小冊子,上面寫著10分鐘間隔的陣痛是即將分娩的信號。但是另一方面我每晚都在瀏覽的網(wǎng)站上面給我的情報卻是“就算感到陣痛,給醫(yī)院打電話時大概都會回答‘時候未到,請等一等’”,又或者是“我直接去醫(yī)院,被醫(yī)生以還沒到可以分娩的狀態(tài)為由拒絕而回家”。
その経験談を読んでいた私は、きっとこれはまだ陣痛ではなく前駆陣痛(※出産時に起きる本陣痛ではなく、その一段階前に起きる痛みの少ない陣痛)とかいうやつなのだろうと當(dāng)たりをつけて、ただただ耐えていた。
讀過了別人分享的經(jīng)驗,我覺得這就是所謂的產(chǎn)前陣痛(并非分娩時產(chǎn)生的真正陣痛,而是在前一階段產(chǎn)生的疼痛程度較低的陣痛),所以我想忍一忍就過去了。
しかしこれが、「ぐぁああああ」という聲が漏れてしまうくらい痛い。
體をよじらせながらも
「我慢できる痛みは前駆陣痛!これは前駆陣痛!前駆陣痛??!」
というフレーズを脳內(nèi)で繰り返し、耐え忍ぶ。
但這份痛楚不禁讓我“呱啊啊啊啊”地叫了出來。我一邊扭動著身體一邊在腦內(nèi)重復(fù)著“這種痛楚我忍得??!這是產(chǎn)前陣痛!產(chǎn)前陣痛!”這樣的句子,一邊忍受著。
もしかしたら実はこれは陣痛なのに前駆陣痛と思い込んでしまっているだけで、このまま産まれてしまうのではないかと不安になってしまうくらい痛かった。
もし産まれそうになった場合は家中のタオルとありったけのお湯があればなんとかなるだろうとぼやけた頭で考えていたものだ。イメージは戦時中の出産だ。
お湯は蛇口をひねれば出てくる。
時代に感謝である。
但這真的很痛,痛到我都覺得當(dāng)時的我只是以為自己正遭受產(chǎn)前陣痛,說不定下一秒就要開始分娩了。要是我快要分娩了,光靠家里面的毛巾和應(yīng)有盡有的熱水就能挺過去吧,這樣的想法在我腦海里閃過,仿佛是我在戰(zhàn)爭年代中分娩一樣。但現(xiàn)在的熱水只要打開水龍頭就會出來了,感謝這個時代。
わたしの母は看護師で産科も経験があるのだが、その母が
「産む時の痛みはそんなもんじゃないから。」
と冷たい言葉でわたしをいなしてくるものだから、痛みと悲しみで狂いそうになりながらろくに眠れないまま朝を迎えた。
我的母親是護士,也在婦產(chǎn)科工作過。但這樣的母親卻對我說“分娩時的痛苦可不止這種程度哦。”,被如此冰冷的話語打發(fā)了的我沉浸在在痛苦與悲傷之中,從而即將失去理智,直至清晨也無法入眠。
【母娘 ?出産まであと3日】【母親與女兒——距離分娩還有3天】
2019年11月7日木曜
2019年11月7日 星期四
朝になると10分間隔の痛みはいつのまにか終わっていて、2時間ほどの睡眠をとることができた。痛みのない時間に出來るだけ食べられるものを食べた。
少しほっとしているとまたすぐ10分間隔の痛みに襲われ、ほぼ布団から出られない一日を過ごした。
5時間続く10分間隔の痛み、その後おさまって1時間程睡眠。
すぐにまた襲ってくる痛みの嵐…。
清晨時刻,10分鐘間隔的陣痛不知不覺地結(jié)束了,我因而獲得了兩個小時的睡眠,在沒有痛楚的時間里盡可能吃點能吃的東西。但僅稍微放松了一會,10分鐘間隔的陣痛又再度襲來,我這一天基本都是在被窩里度過的。10分鐘間隔的陣痛持續(xù)了5小時,緩下來之后我又睡了1小時左右,之后又是如暴風(fēng)雨般的陣痛襲來……
つらすぎる。はよ産まれてくれ。
ダラダラしてんじゃないよ。
なかなか産まれてこないくせに思わせぶりなことをしてくる我が子に苛立ちさえおぼえていた。
あまりの痛みで生気が無くなってきている私を見てか、この日は母が添い寢をしてくれ、夜通し腰をさすってくれた。
母と並んで寢たのはいつぶりかわからないし、本當(dāng)に助かったし感激したが、痛すぎてその感謝をつたえるエネルギーも殘っていなかった。
太痛苦了。你倒是給我趕緊出來啊。不要拖拖拉拉的。這么久都出不來還讓我滿懷期待,我對自己的孩子有點感到不爽。大概是看到我因為痛苦而毫無生氣的樣子,這一天母親特意陪我入睡,還整晚幫我揉腰。我不太記得上次跟母親同床而眠是什么時候了,我真的很感謝她的幫助,但我已經(jīng)痛苦到?jīng)]有能量去給他道謝了。
たしか朝「ありがとう」って言ったけど。
殘ってたわエネルギー。
但我好像第二天早上給她說了聲謝謝。我還是保存了點能量的。
【夫婦 ?出産まであと2日】【夫婦——距離分娩還有2天】
2019年11月8日金曜
2019年11月8日 星期五
前述のように里帰り出産のため実家に帰っていた私だが、毎週末は夫が実家に泊まりにきてくれていた。精神的に安定していられたのは夫がこの週一の訪問を続けてくれていたからだと思う。
上文提到我回老家生孩子了,而每周末我的丈夫(橘哲也,協(xié)會Pro)都會住在我老家。我的精神能穩(wěn)定下來,大概是因為丈夫持續(xù)每周來老家探望我吧。
この日も変わらず朝から痛みと戦う一日だった。
仕事終わりにこちらに向かう予定の夫には、前駆陣痛がもう2日も続いていることは伝えていて、
「來てくれても相手できないかもしれないけど、わたしはただ痛がってるだけだと思うけど來てくれ」
とお願いした。
その晩、夫はわたしの隣でずっと腰をさすってくれていた。
這一天也是一樣,我和陣痛戰(zhàn)斗了一整天。對于完成工作準(zhǔn)備前來的丈夫,我告訴他我的產(chǎn)前陣痛已經(jīng)持續(xù)兩天了。“我現(xiàn)在正處于痛苦之中,就算你來了我可能也沒空理你,但還是請你過來一下?!蔽疫@么和丈夫請求道。那天晚上,丈夫一直在我身邊為我揉腰。
…と思ったらわりとすぐ寢やがった。
……我本想這么說,但他居然沒多久就睡了。
まあしょうがない。寢やがれ。
算了,那你就睡吧。
【道程 ?出産まであと1日】【歷程——距離分娩還有1天】
2019年11月9日土曜
2019年11月9日 星期六
この日の夕方は入院前最後の検診の予定だった。
入院予定日は11月12日。
本來這天傍晚是要做入院前最后的產(chǎn)檢,而計劃入院的日子是11月12日。
出産に向け、子宮口が柔らかくなっているか、開きそうかどうかをみてもらう手筈であった。
この日もここ3日と同じ様に前駆陣痛が続いていたが、少し痛みが和らいだ午前10時頃トイレに行くと、出血しているのがわかった。
臨近出產(chǎn),本來是要檢查一下我的子宮口是否有所弛緩,能否張開。包含今天在內(nèi)連續(xù)三天,產(chǎn)前陣痛都在持續(xù)著。趁著陣痛緩和的間隙,上午10點我去了趟廁所,然后我發(fā)現(xiàn)了我有出血的跡象。
これがおしるしというものか?。。。。?!
原來這就是分娩信號嗎?。。。。?!
わたしの直感が「産まれる…!」と叫んでいる。
我的直感正對著我大喊“要分娩了…!”
これまでも少しばかりの出血はあったのだが、この日の出血は今までより量が多く、しっかりと、ハッキリと「血」であった。
直感を信じ、動けるうちにとすぐシャワーを浴びた。
その後産院に電話をすると、入院準(zhǔn)備をしてすぐ來るように言われた。
夫に車を運転してもらい、産院に向かったのだが車中でまた痛みに襲われた。腹が痛すぎてシートベルトが出來ない。この日わたしはシートベルト無しで公道を走った。
國よ許してくれ。
在此之前我也有少量的出血情況,但今天的出血量比以往來得還要多,非常確切的,明顯的“血液”。我選擇相信自己的直感,趁著還能活動立刻去洗了個澡。然后給醫(yī)院打去電話,醫(yī)院讓我趕緊前來辦入院手續(xù)。丈夫開車載我過去醫(yī)院的途中,我再次被痛楚侵襲。那一天我由于過度的腹痛而無法系上安全帶,而我保持這種狀態(tài)疾馳在公路上。
國家啊,請原諒我吧。