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日語《我是貓》第七章

2023-02-14 13:50 作者:日本異文化  | 我要投稿

七 吾輩は近頃運動を始めた。貓の癖に運動なんて利きいた風(fēng)だと一概に冷罵れいばし去る手合てあいにちょっと申し聞けるが、そう云いう人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寢るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人ぶじこれきにんとか稱となえて、懐手ふところでをして座布団ざぶとんから腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名譽と脂下やにさがって暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠こもって當(dāng)分霞を食くらえのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神國へ伝染しした輓近ばんきんの病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、當(dāng)年とって一歳だから人間がこんな病気に罹かかり出した當(dāng)時の有様は記憶に存しておらん、のみならずその砌みぎりは浮世の風(fēng)中かざなかにふわついておらなかったに相違ないが、貓の一年は人間の十年に懸かけ合うと云ってもよろしい。吾等の壽命は人間より二倍も三倍も短いに係かかわらず、その短日月の間に貓一疋の発達は十分仕つかまつるところをもって推論すると、人間の年月と貓の星霜せいそうを同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬ごびゅうである。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。主人の第三女などは數(shù)え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寢小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない。世を憂い時を憤いきどおる吾輩などに較くらべると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養(yǎng)の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたって毫ごうも驚くに足りない。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間のろまに極きまっている。人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々ようよう運動の功能を吹聴ふいちょうしたり、海水浴の利益を喋々ちょうちょうして大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何疋びきおるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして醫(yī)者にかかった試ためしがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだが利きかなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去こうきょを、落ちると唱となえ、人間の寂滅じゃくめつをごねると號している。洋行をして印度洋を橫斷した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だ。いくら往復(fù)したって一匹も波の上に今呼吸いきを引き取った――呼吸いきではいかん、魚の事だから潮しおを引き取ったと云わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々びょうびょうたる、あの漫々まんまんたる、大海たいかいを日となく夜となく続けざまに石炭を焚たいて探さがしてあるいても古往今來こんらい一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う斷案はすぐに下す事が出來る。それならなぜ魚がそんなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかる後のちに知らざるなりで、訳わけはない。すぐ分る。全く潮水しおみずを呑んで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著けんちょである。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル?リチャード?ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席そくせき全快と大袈裟おおげさな広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。貓といえども相當(dāng)の時機が到著すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。但ただし今はいけない。物には時機がある。御維新前ごいっしんまえの日本人が海水浴の功能を味わう事が出來ずに死んだごとく、今日こんにちの貓はいまだ裸體で海の中へ飛び込むべき機會に遭遇そうぐうしておらん。せいては事を仕損しそんずる、今日のように築地つきじへ打っちゃられに行った貓が無事に帰宅せん間は無暗むやみに飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等貓輩の機能が狂瀾怒濤きょうらんどとうに対して適當(dāng)の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば貓が死んだと云う代りに貓が上がったと云う語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴は出來ん。 海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取り極きめた。どうも二十世紀(jì)の今日こんにち運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出來んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助おりすけと笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做みなされている。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変化する。吾輩の眼玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品隲ひんしつとくると真逆まっさかさまにひっくり返る。ひっくり返っても差さし支つかえはない。物には両面がある、両端りょうたんがある。両端を叩たたいて黒白こくびゃくの変化を同一物の上に起こすところが人間の融通のきくところである。方寸を逆さかさまにして見ると寸方となるところに愛嬌あいきょうがある。天あまの橋立はしだてを股倉またぐらから覗のぞいて見るとまた格別な趣おもむきが出る。セクスピヤも千古萬古セクスピヤではつまらない。偶たまには股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩しないだろう。だから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往來をあるき廻ったって一向いっこう不思議はない。ただ貓が運動するのを利きいた風(fēng)だなどと笑いさえしなければよい。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審を抱いだく者があるかも知れんから一応説明しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出來ん。だからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買う訳わけに行かない。この二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文いちもんいらず器械なしと名づくべき種類に屬する者と思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいは鮪まぐろの切身を啣くわえて馳かけ出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力學(xué)的に運動させて、地球の引力に順したがって、大地を橫行するのは、あまり単簡たんかんで興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖を汚けがす者だろうと思う。勿論もちろんただの運動でもある刺激の下もとにはやらんとは限らん。鰹節(jié)競爭かつぶしきょうそう、鮭探しゃけさがしなどは結(jié)構(gòu)だがこれは肝心かんじんの対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然さくぜんとして沒趣味なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か蕓のある運動がして見たい。吾輩はいろいろ考えた。臺所の廂ひさしから家根やねに飛び上がる方、家根の天辺てっぺんにある梅花形ばいかがたの瓦かわらの上に四本足で立つ術(shù)、物干竿ものほしざおを渡る事――これはとうてい成功しない、竹がつるつる滑すべって爪が立たない。後うしろから不意に小供に飛びつく事、――これはすこぶる興味のある運動の一ひとつだが滅多めったにやるとひどい目に逢うから、高々たかだか月に三度くらいしか試みない。紙袋かんぶくろを頭へかぶせらるる事――これは苦しいばかりではなはだ興味の乏とぼしい方法である。ことに人間の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引き掻かく事、――これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かない。これらは吾輩のいわゆる舊式運動なる者である。新式のうちにはなかなか興味の深いのがある。第一に蟷螂狩とうろうがり。――蟷螂狩りは鼠狩ねずみがりほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない。夏の半なかばから秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂かまきりをさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作ぞうさもない。さて見付け出した蟷螂君の傍そばへはっと風(fēng)を切って馳かけて行く。するとすわこそと云う身構(gòu)みがまえをして鎌首をふり上げる。蟷螂でもなかなか健気けなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い。振り上げた鎌首を右の前足でちょっと參る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり橫へ曲る。この時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分ある。ところを一足いっそく飛びに君きみの後うしろへ廻って今度は背面から君の羽根を軽かろく引き掻かく。あの羽根は平生大事に畳たたんであるが、引き掻き方が烈はげしいと、ぱっと亂れて中から吉野紙のような薄色の下著があらわれる。君は夏でも御苦労千萬に二枚重ねで乙おつに極きまっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構(gòu)えて見える。先方がいつまでもこの態(tài)度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本參る。これだけ參ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出す。それを我無灑落がむしゃらに向ってくるのはよほど無教育な野蠻的蟷螂である。もし相手がこの野蠻な振舞をやると、向って來たところを覘ねらいすまして、いやと云うほど張り付けてやる。大概は二三尺飛ばされる者である。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくる。蟷螂君かまきりくんはまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げ惑まどうのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根を振ふるって一大活躍を試みる事がある。元來蟷螂の羽根は彼の首と調(diào)和して、すこぶる細(xì)長く出來上がったものだが、聞いて見ると全く裝飾用だそうで、人間の英語、仏語、獨逸語ドイツごのごとく毫ごうも実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない。名前は活躍だが事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだから仕方がない。御免蒙ごめんこうむってたちまち前面へ馳かけ抜ける。君は惰性で急廻転が出來ないからやはりやむを得ず前進してくる。その鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたまま仆たおれる。その上をうんと前足で抑おさえて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまた抑える。七擒七縦しちきんしちしょう孔明こうめいの軍略で攻めつける。約三十分この順序を繰り返して、身動きも出來なくなったところを見すましてちょっと口へ啣くわえて振って見る。それからまた吐き出す。今度は地面の上へ寢たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるところをまた抑えつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまう。ついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまり旨うまい物ではない。そうして滋養(yǎng)分も存外少ないようである。蟷螂狩とうろうがりに次いで蟬取せみとりと云う運動をやる。単に蟬と云ったところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎あぶらやろう、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蟬にも油蟬、みんみん、おしいつくつくがある。油蟬はしつこくて行いかん。みんみんは橫風(fēng)おうふうで困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て來ない。八やつ口くちの綻ほころびから秋風(fēng)あきかぜが斷わりなしに膚はだを撫なでてはっくしょ風(fēng)邪かぜを引いたと云う頃熾さかんに尾を掉ふり立ててなく。善よく鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと貓にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初はこいつを取る。これを稱して蟬取り運動と云う。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蟬と名のつく以上は、地面の上に転ころがってはおらん。地面の上に落ちているものには必ず蟻ありがついている。吾輩の取るのはこの蟻の領(lǐng)分に寢転んでいる奴ではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕とらえるのである。これもついでだから博學(xué)なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蟬の研究上少なからざる関係があると思う。人間の貓に優(yōu)まさるところはこんなところに存するので、人間の自みずから誇る點もまたかような點にあるのだから、今即答が出來ないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蟬取り運動上はどっちにしても差さし支つかえはない。ただ聲をしるべに木を上のぼって行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の數(shù)學(xué)的智識から判斷して見て人間には負(fù)けないつもりである。しかし木登りに至っては大分だいぶ吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫ばっそんたる人間にもなかなか侮あなどるべからざる手合てあいがいる。元來が引力に逆らっての無理な事業(yè)だから出來なくても別段の恥辱ちじょくとは思わんけれども、蟬取り運動上には少なからざる不便を與える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蟬は飛ぶものである。蟷螂君かまきりくんと違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何の択えらむところなしと云う悲運に際會する事がないとも限らん。最後に時々蟬から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼を覘ねらってしょぐってくるようだ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際まぎわに溺いばりを仕つかまつるのは一體どう云う心理的狀態(tài)の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊いかの墨を吐き、ベランメーの刺物ほりものを見せ、主人が羅甸語ラテンごを弄する類たぐいと同じ綱目こうもくに入るべき事項となる。これも蟬學(xué)上忽ゆるかせにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蟬のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐ちんぷだからやはり集注にする。――蟬のもっとも集注するのは青桐あおぎりである。漢名を梧桐ごとうと號するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆団扇うちわくらいな大おおきさであるから、彼等が生おい重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蟬取り運動の妨害になる。聲はすれども姿は見えずと云う俗謡ぞくようはとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩は仕方がないからただ聲を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉ふたまたになっているから、ここで一休息ひとやすみして葉裏から蟬の所在地を探偵する。もっともここまで來るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない。真似をする點において蟬は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す。漸々ようよう二叉ふたまたに到著する時分には満樹寂せきとして片聲へんせいをとどめざる事がある。かつてここまで登って來て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蟬気せみけがないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと、叉またの上に陣取って第二の機會を待ち合せていたら、いつの間まにか眠くなって、つい黒甜郷裡こくてんきょうりに遊んだ。おやと思って眼が醒さめたら、二叉の黒甜郷裡こくてんきょうりから庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登る度に一つは取って來る。ただ興味の薄い事には樹の上で口に啣くわえてしまわなくてはならん。だから下へ持って來て吐き出す時は大方おおかた死んでいる。いくらじゃらしても引っ掻かいても確然たる手答がない。蟬取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君くんが一生懸命に尻尾しっぽを延ばしたり縮ちぢましたりしているところを、わっと前足で抑おさえる時にある。この時つくつく君くんは悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦橫無盡に振う。その早い事、美事なる事は言語道斷、実に蟬世界の一偉観である。余はつくつく君を抑える度たびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術(shù)的演蕓を見せてもらう。それがいやになるとご免を蒙こうむって口の內(nèi)へ頬張ほおばってしまう。蟬によると口の內(nèi)へ這入はいってまで演蕓をつづけているのがある。蟬取りの次にやる運動は松滑まつすべりである。これは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蟬取りは蟬を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両者の差である。元來松は常磐ときわにて最明寺さいみょうじの御馳走ごちそうをしてから以來今日こんにちに至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない。手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない。――換言すれば爪懸つまがかりのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成いっきかせいに馳かけ上あがる。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一は上のぼったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見りょうけんでは、どうせ降りるのだから下向したむきに馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間違ってる。君等は義経が鵯越ひよどりごえを落おとしたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから貓なんぞは無論下した向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽蔑けいべつするものではない。貓の爪はどっちへ向いて生はえていると思う。みんな後うしろへ折れている。それだから鳶口とびぐちのように物をかけて引き寄せる事は出來るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元來地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹の巓いただきに留とどまるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちる。しかし手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。これ即すなわち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思ったほどの事ではない。落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩ゆるめて降りなければならない。即すなわちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前ぜん申す通り皆後うしろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力は悉ことごとく、落ちる勢に逆さからって利用出來る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる。実に見易みやすき道理である。しかるにまた身を逆さかにして義経流に松の木越ごえをやって見給え。爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の體量を持ち答える事は出來なくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企くわだてた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越ひよどりごえはむずかしい。貓のうちでこの蕓が出來る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を稱して松滑りと云うのである。最後に垣巡かきめぐりについて一言いちげんする。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。椽側(cè)えんがわと平行している一片いっぺんは八九間もあろう。左右は雙方共四間に過ぎん。今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやり損そこなう事もままあるが、首尾よく行くとお慰なぐさみになる。ことに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜べんぎがある。今日は出來がよかったので朝から晝までに三返べんやって見たが、やるたびにうまくなる。うまくなる度たびに面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほど巡まわりかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで來て、一間ばかり向うに列を正してとまった。これは推參な奴だ。人の運動の妨さまたげをする、ことにどこの烏だか籍せきもない分在ぶんざいで、人の塀へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおい除のきたまえと聲をかけた。真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭を眺ながめている。三羽目は嘴くちばしを垣根の竹で拭ふいている。何か食って來たに違ない。吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予ゆうよを與えて、垣の上に立っていた。烏は通稱を勘左衛(wèi)門と云うそうだが、なるほど勘左衛(wèi)門だ。吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き出した。すると真先の勘左衛(wèi)門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけである。この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛(wèi)門などを相手にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退のくのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。従って気に入ればいつまでも逗留とうりゅうするだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分だいぶ労つかれている。いわんや綱渡りにも劣らざる蕓當(dāng)兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出來んのに、こんな黒裝束くろしょうぞくが、三個も前途を遮さえぎっては容易ならざる不都合だ。いよいよとなれば自みずから運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人體にんていである??谧欷沥肖筏窑膜思猡趣螭盲坪韦坤旃筏皮螭挨螁櫎猡Δ纷婴搐韦瑜Δ?。どうせ質(zhì)たちのいい奴でないには極きまっている。退卻が安全だろう、あまり深入りをして萬一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向ひだりむけをした烏が阿呆あほうと云った。次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧ごていねいにも阿呆阿呆と二聲叫んだ。いかに溫厚なる吾輩でもこれは看過かんか出來ない。第一自己の邸內(nèi)で烏輩からすはいに侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら體面に係わる。決して退卻は出來ない。諺ことわざにも烏合うごうの衆(zhòng)と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸を據(jù)すえて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪かんしゃくに障さわる。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、殘念な事にはいくら怒おこっても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒せんぽうを去る事約五六寸の距離まで來てもう一息だと思うと、勘左衛(wèi)門は申し合せたように、いきなり羽搏はばたきをして一二尺飛び上がった。その風(fēng)が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外はずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上から嘴くちばしを揃そろえて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨にらめつけてやったが一向いっこう利きかない。背を丸くして、少々唸うなったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記號も何等の反応を呈出しない??激à埔姢毪葻o理のないところだ。吾輩は今まで彼等を貓として取り扱っていた。それが悪るい。貓ならこのくらいやればたしかに応こたえるのだが生憎あいにく相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業(yè)家が主人苦沙彌くしゃみ先生を圧倒しようとあせるごとく、西行さいぎょうに銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞ふんをひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側(cè)へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすと行いかぬ者で、からだ全體が何となく緊しまりがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない。毛穴から染しみ出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏あぶらのようにねばり付く。背中せなかがむずむずする。汗でむずむずするのと蚤のみが這はってむずむずするのは判然と區(qū)別が出來る??冥螌盲胜閲yかむ事も出來る、足の達する領(lǐng)分は引き掻かく事も心得にあるが、脊髄せきずいの縦に通う真中と來たら自分の及ぶ限かぎりでない。こう云う時には人間を見懸けて矢鱈やたらにこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術(shù)を行うか、二者その一を択えらばんと不愉快で安眠も出來兼ねる。人間は愚ぐなものであるから、貓なで聲で――貓なで聲は人間の吾輩に対して出す聲だ。吾輩を目安めやすにして考えれば貓なで聲ではない、なでられ聲である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫なでられ聲で膝の傍そばへ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わが為なすままに任せるのみか折々は頭さえ撫なでてくれるものだ。しかるに近來吾輩の毛中もうちゅうにのみと號する一種の寄生蟲が繁殖したので滅多めったに寄り添うと、必ず頸筋くびすじを持って向うへ拋ほうり出される。わずかに眼に入いるか入いらぬか、取るにも足らぬ蟲のために愛想あいそをつかしたと見える。手を翻ひるがえせば雨、手を覆くつがえせば雲(yún)とはこの事だ。高がのみの千疋びきや二千疋でよくまあこんなに現(xiàn)金な真似が出來たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一條にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変がぜんひょうへんしたので、いくら癢かゆくても人力を利用する事は出來ん。だから第二の方法によって松皮しょうひ摩擦法まさつほうをやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって參ろうかとまた椽側(cè)えんがわから降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いた。と云うのはほかでもない。松には脂やにがある。この脂やにたるすこぶる執(zhí)著心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延まんえんする。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊たんぱくを愛する茶人的貓ちゃじんてきねこである。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執(zhí)念深しゅうねんぶかい奴は大嫌だ。たとい天下の美貓びみょうといえどもご免蒙る。いわんや松脂まつやににおいてをやだ。車屋の黒の両眼から北風(fēng)に乗じて流れる目糞と択えらぶところなき身分をもって、この淡灰色たんかいしょくの毛衣けごろもを大だいなしにするとは怪けしからん。少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣きづかいはない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるに極きまっている。こんな無分別な頓癡奇とんちきを相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出來んとなるとはなはだ心細(xì)い。今において一工夫ひとくふうしておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結(jié)果病気に罹かかるかも知れない。何か分別はあるまいかなと、後あと足あしを折って思案したが、ふと思い出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸シャボンをもって飄然ひょうぜんといずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧もうろうたる顔色がんしょくが少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦むさくるしい男にこのくらいな影響を與えるなら吾輩にはもう少し利目ききめがあるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、萬一病気に罹かかって一歳何なんが月げつで夭折ようせつするような事があっては天下の蒼生そうせいに対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひま潰つぶしに案出した洗湯せんとうなるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだから碌ろくなものでないには極きまっているがこの際の事だから試しに這入はいって見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だ。しかし人間が自己のために設(shè)備した浴場へ異類の貓を入れるだけの洪量こうりょうがあるだろうか。これが疑問である。主人がすまして這入はいるくらいのところだから、よもや吾輩を斷わる事もなかろうけれども萬一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先ひとまず容子ようすを見に行くに越した事はない。見た上でこれならよいと當(dāng)りが付いたら、手拭を啣くわえて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた上でのそのそと洗湯へ出掛けた。 橫町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立きつりつして先から薄い煙を吐いている。これ即すなわち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯ひきょうとか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出來ぬものが嫉妬しっと半分に囃はやし立てる繰くり言ごとである。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養(yǎng)成方ほうの第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀(jì)の貓だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑けいべつしてはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪まつまきが山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴さかなを食ったり、獣けものを食ったりいろいろの悪あくもの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように墮落したのは不憫ふびんである。行き當(dāng)りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中を覗のぞくとがんがらがんのがあんと物靜かである。その向側(cè)むこうがわで何かしきりに人間の聲がする。いわゆる洗湯はこの聲の発する辺へんに相違ないと斷定したから、松薪と石炭の間に出來てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓ガラスまどがあって、そのそとに丸い小桶こおけが三角形即すなわちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千萬だろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒りょうとした。小桶の南側(cè)は四五尺の間あいだ板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂おあつらえの上等である。よろしいと云いながらひらりと身を躍おどらすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、未いまだ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至ないし四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風(fēng)呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目しにめに逢あわなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観きかんはまたとあるまい。 何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするを憚はばかるほどの奇観だ。この硝子窓ガラスまどの中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸體である。臺灣の生蕃せいばんである。二十世紀(jì)のアダムである。そもそも衣裝いしょうの歴史を繙ひもとけば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服裝で持ってるのだ。十八世紀(jì)の頃大英國バスの溫泉場においてボー?ナッシが厳重な規(guī)則を制定した時などは浴場內(nèi)で男女共肩から足まで著物でかくしたくらいである。今を去る事六十年前ぜんこれも英國の去る都で図案學(xué)校を設(shè)立した事がある。図案學(xué)校の事であるから、裸體畫、裸體像の模寫、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって當(dāng)局者を初め學(xué)校の職員が大困卻をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが當(dāng)時の貴婦人方の考によると人間は服裝の動物である。皮を著た猿の子分ではないと思っていた。人間として著物をつけないのは象の鼻なきがごとく、學(xué)校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本體を失しっしている。いやしくも本體を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令たとい模寫模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳である。でありますから妾等しょうらは出席御斷わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両國を通じて一種の裝飾品である。米舂こめつきにもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化裝道具けしょうどうぐである。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布くろぬのを三十五反八分七はちぶんのしち買って來て例の獣類の人間にことごとく著物をきせた。失禮があってはならんと念に念を入れて顔まで著物をきせた。かようにしてようやくの事滯とどこおりなく式をすましたと云う話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸體畫裸體畫と云ってしきりに裸體を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生れてから今日こんにちに至るまで一日も裸體になった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸體は希臘ギリシャ、羅馬ローマの遺風(fēng)が文蕓復(fù)興時代の淫靡いんびの風(fēng)ふうに誘われてから流行はやりだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常ふだんから裸體を見做みなれていたのだから、これをもって風(fēng)教上の利害の関係があるなどとは毫ごうも思い及ばなかったのだろうが北歐は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから獨逸ドイツや英吉利イギリスで裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから著物をきる。みんなが著物をきれば人間は服裝の動物になる。一たび服裝の動物となった後のちに、突然裸體動物に出逢えば人間とは認(rèn)めない、獣けだものと思う。それだから歐洲人ことに北方の歐洲人は裸體畫、裸體像をもって獣として取り扱っていいのである。貓に劣る獣と認(rèn)定していいのである。美しい? 美しくても構(gòu)わんから、美しい獣と見做みなせばいいのである。こう云うと西洋婦人の禮服を見たかと云うものもあるかも知れないが、貓の事だから西洋婦人の禮服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを禮服と稱しているそうだ。怪けしからん事だ。十四世紀(jì)頃までは彼等の出いで立たちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の著るものを著ておった。それがなぜこんな下等な軽術(shù)師かるわざし流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風(fēng)態(tài)をして夜間だけは得々とくとくたるにも係わらず內(nèi)心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の禮服なるものは一種の頓珍漢的とんちんかんてき作用さようによって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。それが口惜くやしければ日中にっちゅうでも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸體信者だってその通りだ。それほど裸體がいいものなら娘を裸體にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出來ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう?,F(xiàn)にこの不合理極まる禮服を著て威張って帝國ホテルなどへ出懸でかけるではないか。その因縁いんねんを?qū)い亭毪群韦摔猡胜?。ただ西洋人がきるから、著ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう。長いものには捲まかれろ、強いものには折れろ、重いものには圧おされろと、そうれろ盡しでは気が利きかんではないか。気が利きかんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。學(xué)問といえどもその通りだがこれは服裝に関係がない事だから以下略とする。 衣服はかくのごとく人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云うくらい重要な條件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を著けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物ばけものに邂逅かいこうしたようだ。化物でも全體が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構(gòu)わんが、それでは人間自身が大おおいに困卻する事になるばかりだ。その昔むかし自然は人間を平等なるものに製造して世の中に拋ほうり出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸あかはだかである。もし人間の本性ほんせいが平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐かいがない。骨を折った結(jié)果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消たまげる物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股さるまたを発明してすぐさまこれを穿はいて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日こんにちの車夫の先祖である。単簡たんかんなる猿股を発明するのに十年の長日月を費ついやしたのはいささか異いな感もあるが、それは今日から古代に溯さかのぼって身を蒙昧もうまいの世界に置いて斷定した結(jié)論と云うもので、その當(dāng)時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」という三みつ子ごにでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧ちえには出來過ぎると云わねばなるまい。さあ猿股が出來ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に橫行濶歩かっぽするのを憎らしいと思って負(fù)けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明した。すると猿股の勢力は頓とみに衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋、生薬屋きぐすりや、呉服屋は皆この大発明家の末流ばつりゅうである。猿股期、羽織期の後あとに來るのが袴期はかまきである。これは、何だ羽織の癖にと癇癪かんしゃくを起した化物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種屬である。かように化物共がわれもわれもと異いを衒てらい新しんを競きそって、ついには燕つばめの尾にかたどった畸形きけいまで出現(xiàn)したが、退いてその由來を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目でたらめに、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝こってさまざまの新形しんがたとなったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りに被かぶっているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出來る。それはほかでもない。自然は真空を忌いむごとく、人間は平等を嫌うと云う事だ。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけ纏まとう今日において、この本質(zhì)の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿彌もくあみの公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名稱を甘んじても帰る事は到底出來ない。帰った連中を開明人かいめいじんの目から見れば化物である。仮令たとい世界何億萬の人口を挙あげて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競爭が始まる。著物をつけて競爭が出來なければ化物なりで競爭をやる。赤裸あかはだかは赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この點から見ても衣服はとうてい脫ぐ事は出來ないものになっている。 しかるに今吾輩が眼下がんかに見下みおろした人間の一団體は、この脫ぐべからざる猿股も羽織も乃至ないし袴はかまもことごとく棚の上に上げて、無遠(yuǎn)慮にも本來の狂態(tài)を衆(zhòng)目環(huán)視しゅうもくかんしの裡うちに露出して平々然へいへいぜんと談笑を縦ほしいままにしている。吾輩が先刻さっき一大奇観と云ったのはこの事である。吾輩は文明の諸君子のためにここに謹(jǐn)つつしんでその一般を紹介するの栄を有する。 何だかごちゃごちゃしていて何なにから記述していいか分らない。化物のやる事には規(guī)律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽ゆぶねから述べよう。湯槽だか何だか分らないが、大方おおかた湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、長ながさは一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入はいっている。何でも薬湯くすりゆとか號するのだそうで、石灰いしばいを溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏あぶらぎって、重た気げに濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易かえないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由よしだがこれまたもって透明、瑩徹えいてつなどとは誓って申されない。天水桶てんすいおけを攪かき混まぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これからが化物の記述だ。大分だいぶ骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若造わかぞうが二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いい慰なぐさみだ。雙方共色の黒い點において間然かんぜんするところなきまでに発達している。この化物は大分だいぶ逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫なで廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える?!袱坤盲皮长巫螭畏饯坤肌工孔蠓韦丹悉い畏饯蛑袱埂!袱饯长袱坤ⅳ?。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺を叩たたいて見せると、金さんは「そりゃ疝気せんきだあね」と云った。ところへ二十五六の薄い髯ひげを生はやした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いていた石鹸シャボンが垢あかと共に浮きあがる。鉄気かなけのある水を透すかして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭の禿はげた爺さんが五分刈を捕とらえて何か弁じている。雙方共頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者には葉かなわないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結(jié)構(gòu)だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御維新前ごいっしんまえ牛込に曲淵まがりぶちと云う旗本はたもとがあって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよ。それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったか分らない。事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながら槽ふねから上あがる。髯ひげを生はやしている男は雲(yún)母きららのようなものを自分の廻りに蒔まき散らしながら獨ひとりでにやにや笑っていた。入れ代って飛び込んで來たのは普通一般の化物とは違って背中せなかに模様畫をほり付けている。巖見重太郎いわみじゅうたろうが大刀だいとうを振り翳かざして蟒うわばみを退治たいじるところのようだが、惜しい事に未まだ竣功しゅんこうの期に達せんので、蟒はどこにも見えない。従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒べらぼうに溫ぬるいや」と云った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色けしきとも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶あいさつをする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く?!袱嗓Δ筏郡ⅳ袱悚螭袱悚螭盲坤椁汀埂袱袱悚螭袱悚螭肖辘袱悚亭ā埂袱饯Δ?、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、頭ずが高たけえんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「本當(dāng)によ。あれで一いっぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町しろかねちょうにも古い人が亡なくなってね、今じゃ桶屋おけやの元さんと煉瓦屋れんがやの大將と親方ぐれえな者だあな。こちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから來たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どう云うもんか人に好かれねえ。人が交際つきあわねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。 天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入おおいりで、湯の中に人が這入はいってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適當(dāng)である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々ゆうゆうかんかんたる物で、先刻さっきから這入るものはあるが出る物は一人もない。こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽おけの中を見渡すと、左の隅に圧おしつけられて苦沙彌先生が真赤まっかになってすくんでいる??砂Г铯い饯Δ苏lか路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色けしきも見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だ。なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気ゆけにあがるがと主思しゅうおもいの吾輩は窓の棚たなから少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちと利きき過ぎるようだ、どうも背中せなかの方から熱い奴がじりじり湧わいてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた?!袱胜ⅳ摔长欷沥绀Δ嗓いぜ訙pです。薬湯はこのくらいでないと利ききません。わたしの國なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一體この湯は何に利くんでしょう」と手拭を畳たたんで凸凹頭でこぼこあたまをかくした男が一同に聞いて見る?!袱い恧い恧胜猡韦死蓼工?。何でもいいてえんだからね。豪気ごうぎだあね」と云ったのは瘠やせた黃瓜きゅうりのような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ?!杆aを入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等きょうなどは這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨ふくれ返った男である。これは多分垢肥あかぶとりだろう?!革嫟螭扦饫蓼筏绀Δ工趣嗓长椁椁胜いS色い聲を出す者がある。「冷ひえた後あとなどは一杯飲んで寢ると、奇體きたいに小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た聲か分らない。 湯槽ゆぶねの方はこれぐらいにして板間いたまを見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んで各おのおの勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っている。その中にもっとも驚ろくべきのは仰向あおむけに寢て、高い明あかり取とりを眺ながめているのと、腹這はらばいになって、溝みぞの中を覗のぞき込んでいる両アダムである。これはよほど閑ひまなアダムと見える。坊主が石壁を向いてしゃがんでいると後うしろから、小坊主がしきりに肩を叩たたいている。これは師弟の関係上三介さんすけの代理を務(wù)つとめるのであろう。本當(dāng)の三介もいる。風(fēng)邪かぜを引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを著て、小判形こばんなりの桶おけからざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股に呉絽ごろの垢擦あかすりを挾はさんでいる。こちらの方では小桶こおけを慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸シャボンを使え使えと云いながらしきりに長談議をしている。何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外國から渡ったもんだね。昔は斬り合いばかりさ。外國は卑怯だからね、それであんなものが出來たんだ。どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外國のようだ。和唐內(nèi)わとうないの時にゃ無かったね。和唐內(nèi)はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷えぞから満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変學(xué)がくのできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。それでその義経のむすこが大明たいみんを攻めたんだが大明じゃ困るから、三代將軍へ使をよこして三千人の兵隊を借かしてくれろと云うと、三代様さんだいさまがそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか云ったっけ。――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎じょろうを見せたんだがね。その女郎に出來た子が和唐內(nèi)さ。それから國へ帰って見ると大明は國賊に亡ぼされていた?!购韦蛟皮Δ韦丹盲绚攴证椁胜?。その後うしろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物はれものか何かで苦しんでいると見える。その橫に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌しゃべってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中せなかが見える。尻の中から寒竹かんちくを押し込んだように背骨せぼねの節(jié)が歴々ありありと出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤く爛ただれて周囲まわりに膿うみをもっているのもある。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際てぎわにはその一斑いっぱんさえ形容する事が出來ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易へきえきしていると入口の方に淺黃木綿あさぎもめんの著物をきた七十ばかりの坊主がぬっと見あらわれた。坊主は恭うやうやしくこれらの裸體の化物に一禮して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩ごゆっくり――どうぞ白い湯へ出たり這入はいったりして、ゆるりと御あったまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐內(nèi)は「愛嬌あいきょうものだね。あれでなくては商買しょうばいは出來ないよ」と大おおいに爺さんを激賞した。吾輩は突然この異いな爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを?qū)熼Tに観察する事にした。爺さんはやがて今上あがり立たての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴を揚あげてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐こわい? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだからたちまち機鋒きほうを転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋おうみやへ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。あの戸の潛くぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行いんだげな。御巡おまわりさんか夜番でも見えたものであろう」と大おおいに泥棒の無謀を憫笑びんしょうしたがまた一人を捉つらまえて「はいはい御寒う。あなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。 しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中うちから消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな聲を出すものがある。見ると紛まぎれもなき苦沙彌先生である。主人の聲の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいた。これは正まさしく熱湯の中うちに長時間のあいだ我慢をして浸つかっておったため逆上ぎゃくじょうしたに相違ないと咄嗟とっさの際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為せいなら咎とがむる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間聲どうまごえを出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意気なまいき書生を相手に大人気おとなげもない喧嘩を始めたのである?!袱猡盲认陇?、おれの小桶に湯が這入はいっていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒號をただ逆上の結(jié)果とばかり判斷する必要はない。萬人のうちに一人くらいは高山彥九郎たかやまひこくろうが山賊を叱しっしたようだくらいに解釈してくれるかも知れん。當(dāng)人自身もそのつもりでやった芝居かも分らんが、相手が山賊をもって自みずからおらん以上は予期する結(jié)果は出て來ないに極きまっている。書生は後うしろを振り返って「僕はもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態(tài)度と云い言語と云い、山賊として罵ののしり返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っているはずだ。しかし主人の怒號は書生の席そのものが不平なのではない、先刻さっきからこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、利きいた風(fēng)の事ばかり併ならべていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの點に立腹したものと見える。だから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人の桶おけへ汚ない水をぴちゃぴちゃ跳はねかす奴があるか」と喝かっし去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快哉かいさいを呼んだが、學(xué)校教員たる主人の言動としては穏おだやかならぬ事と思うた。元來主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたき殻がら見たようにかさかさしてしかもいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山を超こえる時に、路の真中に當(dāng)って大きな巖があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな巖へ醋すをかけて火を焚たいて、柔かにしておいて、それから鋸のこぎりでこの大巖を蒲鉾かまぼこのように切って滯とどこおりなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんな利目ききめのある薬湯へ煮うだるほど這入はいっても少しも功能のない男はやはり醋をかけて火炙ひあぶりにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て來て、何十年かかったって主人の頑固がんこは癒なおりっこない。この湯槽ゆぶねに浮いているもの、この流しにごろごろしているものは文明の人間に必要な服裝を脫ぎ棄てる化物の団體であるから、無論常規(guī)常道をもって律する訳にはいかん。何をしたって構(gòu)わない。肺の所に胃が陣取って、和唐內(nèi)が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかし一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息せいそくする娑婆しゃばへ出たのだ、文明に必要なる著物をきるのだ。従って人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいるところは敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、當(dāng)人はこれから歓言愉色かんげんゆしょく、円転滑脫えんてんかつだつの世界に逆戻りをしようと云う間際まぎわである。その間際ですらかくのごとく頑固がんこであるなら、この頑固は本人にとって牢ろうとして抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯正きょうせいする事は出來まい。この病気を癒なおす方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職して貰う事即すなわちこれなり。免職になれば融通の利きかぬ主人の事だからきっと路頭に迷うに極きまってる。路頭に迷う結(jié)果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠(yuǎn)因になるのである。主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌だいきらいである。死なない程度において病気と云う一種の贅沢ぜいたくがしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞと嚇おどかせば臆病なる主人の事だからびりびりと悸ふるえ上がるに相違ない。この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでの事さ。 いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはない。一飯いっぱん君恩を重んずと云う詩人もある事だから貓だって主人の身の上を思わない事はあるまい。気の毒だと云う念が胸一杯になったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠おこたっていると、突然白い湯槽ゆぶねの方面に向って口々に罵ののしる聲が聞える。ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狹い柘榴口ざくろぐちに一寸いっすんの余地もないくらいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り亂れて動いている。折から初秋はつあきの日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立て籠こめる。かの化物の犇ひしめく様さまがその間から朦朧もうろうと見える。熱い熱いと云う聲が吾輩の耳を貫つらぬいて左右へ抜けるように頭の中で亂れ合う。その聲には黃なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互に畳かさなりかかって一種名狀すべからざる音響を浴場內(nèi)に漲みなぎらす。ただ混雑と迷亂とを形容するに適した聲と云うのみで、ほかには何の役にも立たない聲である。吾輩は茫然ぼうぜんとしてこの光景に魅入みいられたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーと云う聲が混亂の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬと云う點まで張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返している群むれの中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼の身みの丈たけを見ると他ほかの先生方よりはたしかに三寸くらいは高い。のみならず顔から髯ひげが生はえているのか髯の中に顔が同居しているのか分らない赤つらを反そり返して、日盛りに破われ鐘がねをつくような聲を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この聲とこの顔ばかりは、かの紛々ふんぷんと縺もつれ合う群衆(zhòng)の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全體がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁とうりょうだ。と思って見ていると湯槽ゆぶねの後うしろでおーいと答えたものがある。おやとまたもそちらに眸ひとみをそらすと、暗憺あんたんとして物色も出來ぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三介さんすけが砕けよと一塊ひとかたまりの石炭を竈かまどの中に投げ入れるのが見えた。竈の蓋ふたをくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴るときに、三介の半面がぱっと明るくなる。同時に三介の後うしろにある煉瓦れんがの壁が暗やみを通して燃えるごとく光った。吾輩は少々物凄ものすごくなったから早々そうそう窓から飛び下りて家いえに帰る。帰りながらも考えた。羽織を脫ぎ、猿股を脫ぎ、袴はかまを脫いで平等になろうと力つとめる赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て來て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。 帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐ばんさんを食っている。吾輩が椽側(cè)えんがわから上がるのを見て、のんきな貓だなあ、今頃どこをあるいているんだろうと云った。膳の上を見ると、銭ぜにのない癖に二三品御菜おかずをならべている。そのうちに肴さかなの焼いたのが一疋ぴきある。これは何と稱する肴か知らんが、何でも昨日きのうあたり御臺場おだいば近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして殘喘ざんぜんを保たもつ方がよほど結(jié)構(gòu)だ。こう考えて膳の傍そばに坐って、隙すきがあったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく裝よそおっていた。こんな裝い方を知らないものはとうていうまい肴は食えないと諦あきらめなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないと云う顔付をして箸はしを置いた。正面に控ひかえたる妻君はこれまた無言のまま箸の上下じょうげに運動する様子、主人の両顎りょうがくの離合開闔りごうかいこうの具合を熱心に研究している。 「おい、その貓の頭をちょっと撲ぶって見ろ」と主人は突然細(xì)君に請求した。 「撲てば、どうするんですか」 「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」 こうですかと細(xì)君は平手ひらてで吾輩の頭をちょっと敲たたく。痛くも何ともない。 「鳴かんじゃないか」 「ええ」 「もう一返ぺんやって見ろ」 「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細(xì)君また平手でぽかと參まいる。やはり何ともないから、じっとしていた。しかしその何のためたるやは智慮深き吾輩には頓とんと了解し難い。これが了解出來れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろだから、撲つ細(xì)君も困るし、撲たれる吾輩も困る。主人は二度まで思い通りにならんので、少々焦じれ気味ぎみで「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」と云った。 細(xì)君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出來るのだ。主人はかくのごとく愚物ぐぶつだから厭いやになる。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手?jǐn)?shù)てすうはしなくてもすむし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのだ。ただ打ぶって見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでない。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事だ。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの隨意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千萬だ。他人の人格を重んぜんと云うものだ。貓を馬鹿にしている。主人の蛇蝎だかつのごとく嫌う金田君ならやりそうな事だが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかし実のところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡猾こうかつの極きょくに出いでたのではない。つまり智慧ちえの足りないところから湧わいた孑孑ぼうふらのようなものと思惟しいする。飯を食えば腹が張るに極きまっている。切れば血が出るに極っている。殺せば死ぬに極まっている。それだから打ぶてば鳴くに極っていると速斷をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅てんぷらを食えば必ず下痢げりする事になる。月給をもらえば必ず出勤する事になる。書物を読めば必ずえらくなる事になる。必ずそうなっては少し困る人が出來てくる。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚みなされては貓と生れた甲斐かいがない。まず腹の中でこれだけ主人を凹へこましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった。 すると主人は細(xì)君に向って「今鳴いた、にゃあと云う聲は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。 細(xì)君はあまり突然な問なので、何にも云わない。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元來この主人は近所合壁きんじょがっぺき有名な変人で現(xiàn)にある人はたしかに神経病だとまで斷言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中の奴が神経病だと頑張がんばっている。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか號して彼等を豚々ぶたぶたと呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こう云う男だからこんな奇問を細(xì)君に対むかって呈出するのも、主人に取っては朝食前あさめしまえの小事件かも知れないが、聞く方から云わせるとちょっと神経病に近い人の云いそうな事だ。だから細(xì)君は煙けむに捲まかれた気味で何とも云わない。吾輩は無論何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな聲で 「おい」と呼びかけた。 細(xì)君は吃驚びっくりして「はい」と答えた。 「そのはいは感投詞か副詞か、どっちだ」 「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」 「いいものか、これが現(xiàn)に國語家の頭脳を支配している大問題だ」 「あらまあ、貓の鳴き聲がですか、いやな事ねえ。だって、貓の鳴き聲は日本語じゃあないじゃありませんか」 「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」 「そう」と細(xì)君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない?!袱饯欷?、どっちだか分ったんですか」 「重要な問題だからそう急には分らんさ」と例の肴さかなをむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚と芋いものにころばしを食う?!袱长欷想啶坤省埂袱à啶扦搐钉螭埂埂袱栅蟆工却筝X蔑だいけいべつの調(diào)子をもって飲み込んだ?!妇皮颏猡σ槐嫟猡Α工缺丹氦虺訾?。 「今夜はなかなかあがるのね。もう大分だいぶ赤くなっていらっしゃいますよ」 「飲むとも――御前世界で一番長い字を知ってるか」 「ええ、前さきの関白太政大臣でしょう」 「それは名前だ。長い字を知ってるか」 「字って橫文字ですか」 「うん」 「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」 「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」 「ええ。そうしたら御飯ですよ」 「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字だ」 「出鱈目でたらめでしょう」 「出鱈目なものか、希臘語ギリシャごだ」 「何という字なの、日本語にすれば」 「意味はしらん。ただ綴つづりだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」 他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗むやみにのむ。平生なら豬口ちょこに二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも隨分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸やけひばしのようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細(xì)君はあまりの事に 「もう御よしになったら、いいでしょう??啶筏い肖辘扦工铩工瓤唷─摔摔筏ゎ啢颏工搿? 「なに苦しくってもこれから少し稽古するんだ。大町桂月おおまちけいげつが飲めと云った」 「桂月って何です」さすがの桂月も細(xì)君に逢っては一文いちもんの価値もない。 「桂月は現(xiàn)今一流の批評家だ。それが飲めと云うのだからいいに極きまっているさ」 「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事ですわ」 「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」 「なおわるいじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……」 「道楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」 「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始められちゃあ大変ですよ」 「大変だと云うならよしてやるから、その代りもう少し夫おっとを大事にして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」 「これが精一杯のところですよ」 「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が這入はいり次第やる事にして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜よ豚肉三片みきれと塩焼の頭を頂戴した。

日語《我是貓》第七章的評論 (共 條)

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