第九章 從經(jīng)驗(yàn)引導(dǎo)下選擇的交叉點(diǎn)
※版權(quán)說明:譯者本人僅對本書進(jìn)行漢化翻譯,漢化內(nèi)容中的所有被譯話語,僅代表譯者本人的立場。原書一切版權(quán)均歸佐々木壽人所有。未經(jīng)授權(quán)允許,嚴(yán)禁轉(zhuǎn)載。

第九章 從經(jīng)驗(yàn)引導(dǎo)下選擇的交叉點(diǎn)
?
從經(jīng)驗(yàn)中汲取教訓(xùn)
?
那是我在聯(lián)盟頻道上觀看一場A2聯(lián)賽轉(zhuǎn)播的時(shí)候的事,擔(dān)任實(shí)況轉(zhuǎn)播的山田浩之和擔(dān)任解說的望月雅繼進(jìn)行了一場題為“麻將有模板嗎”的對話。也許只有我一個人會覺得有點(diǎn)居酒屋的段子,但這種漫不經(jīng)心的對話卻意外地有趣。這次談話的重點(diǎn)是,有沒有在配牌、摸牌的流向,以及和牌(或放銃)的經(jīng)過完全相同或相近的情況。
說白了,將這種東西數(shù)據(jù)化是沒有意義的(我當(dāng)然做不到),不過,至少在我看來,打麻將是有規(guī)律可循的,而且記住它們很重要。站在岔路口的時(shí)候,自己到底該往哪邊走,依靠的終究是過去的經(jīng)驗(yàn)。
請看下面的手牌,這是東一局西家第五巡的手牌。

現(xiàn)在5s雖說是暗刻了,但剩下的牌形狀都相當(dāng)糟糕。而且環(huán)顧全場,1m和1p各被切了一張。
我的選擇是打4p,做斷幺的路還有很長的路要走,如果寶牌是2s的話,大概很多人會這么打吧。但是這一巡,北家打出了第二張1p。這不是靠副露就能解決的問題,自然也只能作罷。

1p完全斷絕,1m被切出1枚,3p在場上沒人打過。莊家碰過2m的狀況。
然后在第8巡,如上圖6所示,我摸到了3s并聽牌了。在任何人的河牌中,3p還沒有被打出,但1p已經(jīng)沒有了,1m是被切了一枚的狀況。然而,在這途中,有來自莊家碰出的2m。
在這里該怎么打呢?從結(jié)果來看,我打出了2p立直。雖然只剩一枚,但目標(biāo)還是1m。我覺得憑枚數(shù)等待3p的做法太靠猜測,不適合這種局面。
?
無悔的選擇
?
以前,我也有遇到過與此完全相同的局面,那是一場名為“天空麻將”的電視對局,我是起家的,依次是猿川真壽、森山茂和、小島武夫。

在比賽開始時(shí),我的手牌如第6巡的全體牌譜所示的形狀變成了一向聽。
打出的牌的選項(xiàng)有2s和8p兩種,但考慮到餅子的上位以后可能會越來越安全,加上看起來的張數(shù)也很多,我決定打8p。第七巡時(shí)小島老師在場上切了第2張1s,我也連續(xù)摸切了5巡。
然后迎來了第十二巡,正如我所料,要對剩下聽牌的方向進(jìn)行選擇。

如果要選擇雙碰的話就只剩下1枚9p,但此時(shí)場上已經(jīng)切出3枚8p了。我的直覺是接受雙碰的立直,然而在現(xiàn)實(shí)中,我無法屈服于自己的直覺,最終打出等待作為生牌的邊3s的立直。然后結(jié)果就是被小島老師追了上來并自摸了。

不管我選擇哪一邊都不會和到牌,那也還好。但要是在這之前,我抓到了9p,里寶牌是7s就意味著我能有2600ALL的自摸和牌。
“我明白了,這才是聽牌路線?!敝庇X上是以9p為目標(biāo),而且自摸和牌的話點(diǎn)數(shù)就會跳上去,作為理由這就足夠了。
讓我們回到打牌的話題?;谠陔娨晫种械氖。疫@次打出了像碎片一樣的雙碰立直,但這次無論我怎么選擇都沒能和到牌。不是每場比賽都有和牌,這也是沒辦法的事。
問題在于如何做出不后悔的選擇,如果有目標(biāo)就瞄準(zhǔn)它,選擇的標(biāo)準(zhǔn)簡單就好。
第9話 経験から導(dǎo)く選択の岐路
?
経験からの導(dǎo)き
?
連盟チャンネルでA2のリーグ戦配信を観ていたときのこと。
実況の山田浩之と解説の望月雅継さんとの間で、「麻雀にパターンのようなものがあるか」なる會話がなされていた。
どことなく居酒屋ネタっぽいなぁと感じたのは私だけかもしれないが、こういう何気ない會話というのが意外に面白かったりする。
この話の趣旨としては、配牌、ツモの流れ、そしてアガリ(または放銃)までの経緯が全く同じか、それに近いケースはあるかというものである。
はっきり言ってこんなものを數(shù)値化することに意味はない(もちろんあたしにゃあできまへん)。
ただ、少なくとも私は麻雀にパターンというものはあると思うし、それを覚えておくことも大切であると思っている。
岐路に立たされたとき、自分がどちらに進(jìn)むかの拠り所となるのは、結(jié)局過去の経験だからである。
以下の手牌をご覧頂きたい。
東1局西家5巡目の手牌である。

今 5s が暗刻になったとは言え、殘りはかなり悪形だ。しかも場を見渡せば、 1m と 1p がそれぞれ1枚ずつ切られている。
私の取った選択は打 4p。
タンヤオに向かうにも遠(yuǎn)いし、ドラが 2s とあればまぁおそらくそう打つ人が多いだろう。
だがこの巡、北家から2枚目の 1p が打たれる。食ってどうにかなるものでもないから、當(dāng)然これは見送るしかない。

そして8巡目、上の図6のように 3s を引いてテンパイした。
3p はまだ誰の河にも捨てられていないが、 1p は既に枯れ、1m は1枚切れという狀況である。
ただ、道中で親から 2m のボンが入っている。
ここでどう打つか。
結(jié)果から記せば、私は打 2p のリーチとした。
たとえ1枚しかなかろうが、狙いはやはり 1m だからである。枚數(shù)を頼りに 3p 待ちに受けるのはあまりにあてずっぽうで、この局面には合っていないように思えたのだ。
?
後悔しない選択
?
以前、これと全く同じような局面があった。
天空麻雀というテレビ対局でのことだった。
私は起家で以下、猿川真壽、森山茂和さん、小島武夫さんという並びだった。

その開局、私の手牌は6巡目に全體牌譜の形でイーシャンテンとなった。
打牌の選択肢としては 2s か 8p の2種というところだが、ビンズの上目が後々安くなっていきそうなことと見た目の枚數(shù)から、 私は打 8p と構(gòu)えた。7巡目小島さんが場に2枚目の 1s を切り、私も5巡の間ツモ切りが続いた。
そして迎えた12巡目、やはりと言うべきか選択の殘る方でテンパイした。

シャンポンに取るなら殘りは 9p 1枚だが、この時(shí)點(diǎn)で 8p が3枚切れという狀況である。
直感ではシャンポンに受けてのリーチ。だが実際はその直感に身を委ねることができず、 生牌であるペン 3s 待ちでのリーチとしてしまった。
そして結(jié)果は小島さんに追っかけられてのツモられ。

どちらに受けてもアガリがなかったのならまだいい。
しかしこの直前、私は 9p を引いている。裏ドラが 7s ということは、2600オールのツモアガリがあったということだ。
「そうか、點(diǎn)パネ路線があったな」
直感では 9p 狙い、そしてツモアガれば點(diǎn)が跳ねる。 理由としてはこれで十分である。
手牌に話を戻そう。
テレビ対局での失敗を元に、私は片割れのシャンポンリーチを打った。だが今度はどう受けてもアガリはなかった。
全ての局にアガリがあるわけではないから、それは仕方がない。
ただ問題は後悔しない選択をするということにある。
狙い目があるならそれに照準(zhǔn)を合わせる。
選択の基準(zhǔn)など、シンプルでいいのである。