【日本中學歷史】3#華夏文明的發(fā)展

古代までの日本(古代為止的日本)
1節(jié) 世界の古代文明と宗教のおこり(世界古代文明與宗教起源)
3.中國文明の発展(華夏文明的發(fā)展)
中國文明の発生(華夏文明的發(fā)生)
中國では、紀元前4000年より前に、黃河の中·下流域で粟などを、長江の下流域で稲を栽培する農(nóng)耕文明が生まれました。紀元前16世紀頃になると、黃河の流域に殷と言う國がおこり、この國では、優(yōu)れた青銅器や、漢字の基になった甲骨文字が作られました。(中國在紀元前4000年以前農(nóng)耕文明誕生,在黃河的中下游流域栽培谷子等,在長江的下游流域栽培稻子。到了紀元前16世紀左右,黃河流域出現(xiàn)了殷,殷制造了優(yōu)質的青銅器,并創(chuàng)造了奠定了漢字基礎的甲骨文。)
殷は、紀元前11世紀には周によって滅ぼされました。やがて周の支配力は次第に弱まり、多くの國々が爭う戦亂の時代になりました(春秋·戦國時代、紀元前8世紀から紀元前3世紀)。國々はそれぞれ國の力を強めようとしたため、鉄製の兵器や農(nóng)具が広まり、農(nóng)業(yè)や商業(yè)が発達しました。また紀元前6世紀頃には孔子が現(xiàn)れ、家族の道徳が社會を安定させる本であり、支配者は仁(思いやりの心)と禮(正しい行い)を基本にした政治をするべきだとする儒學(儒教)を説くなど、新しい思想も生まれました。(殷在紀元前11世紀被周所滅。隨著周的統(tǒng)治力漸漸衰退,開始了眾多國家戰(zhàn)亂的時代(春秋戰(zhàn)國時期,紀元前8世紀到紀元前3世紀)。各國為了增強國力,鐵制兵器和農(nóng)具傳播,農(nóng)業(yè)和商業(yè)發(fā)展。此外,紀元前6世紀左右,孔子出現(xiàn),提倡了家德是社會安定的根本,以及統(tǒng)治者在統(tǒng)治時應當以仁(仁愛之心)禮(品行端正)為基本的儒學(儒教)等新思想。)
統(tǒng)一帝國の成立(實現(xiàn)帝國統(tǒng)一)
紀元前3世紀には、秦の王が中國を統(tǒng)一する帝國を造り上げ、初めて「皇帝」と名乗りました(始皇帝)。秦は、文字や長さや重さ、容積の基準、貨幣を統(tǒng)一し、また、北方の遊牧民の侵入を防ぐために萬里の長城を築きました。しかし、厳しい政治に対する反亂が広がり、統(tǒng)一して僅か15年で滅びました。(紀元前3世紀,秦王一統(tǒng)中國,首個以“皇帝”自稱(始皇帝)。秦國統(tǒng)一了文字、長度、重量、容積的基準、貨幣,并且,為了防止北方的游牧民入侵,建造了萬里長城。然而,對于嚴厲統(tǒng)治的叛亂擴大,秦國統(tǒng)一了僅僅15年便滅亡了。)
かわって中國を統(tǒng)一した漢は、紀元前2世紀の武帝の時には、朝鮮半島に楽浪郡などを設け、中央アジアも支配下に入れて大帝國になりました。このため、「シルクロード(絹の道)」を通って、中國から絹織物などが西方にもたらされ、西方からは馬やぶどう、インドでおこった仏教などが中國に伝わりました。漢の時代には儒學が國の教えになって広がり、紙も発明されました。(接著統(tǒng)一中國的漢在紀元前2世紀的漢武帝的時期,在朝鮮半島設立了樂浪郡等,中亞也被納入統(tǒng)治之下,成為了大帝國。因此,通過絲綢之路,中國將絲織品等物帶到西方,西方將馬、葡萄、印度起源的佛教等傳到了中國。漢朝將儒學作為國學傳播,還發(fā)明了紙。)
一方、朝鮮半島北部からその北にかけての地域では、紀元前後になると、小國を統(tǒng)一した高句麗が起こりました。(一方面,朝鮮半島北部朝北的地域,在紀元前后,出現(xiàn)了統(tǒng)一了小國的高句麗。)
