【中日對譯】辺城(二)/邊城(二)


邊城/辺城(へんじょう)
? ???沈従文 作 /李 耀 訳
●『辺城』の言葉は沈従文が壯年期に使った言葉、最も美しい言葉である。どの文も「膨らんでいて」豊満で、水分をたっぷり含んでおり、酸いも甘いもちょうど適度で、まるで一籠の新たに摘んだ煙臺メノウサクランボのようである。(汪曾祺)
●《邊城》的語言是沈從文盛年的語言,最好的語言。每一句都是“鼓立”飽滿,充滿水分,酸甜合度,像一籃新摘的煙臺瑪瑙櫻桃。(汪曾祺)
二
女の子の母親、すなわち老船頭の一人娘は、十五年前に、ある茶峒駐屯の軍人と掛け合いで山歌を歌い交わすうちに馴染みになったのち、その忠厚な父親に隠れて密かにいかがわしい関係があった。子を宿してしまったのち、結(jié)婚もできそうにないし、この駐屯兵は彼女と約束をして一緒に下流へ逃げて行こうと思った。だが逃走の行為という點から見れば、一人は軍人の責任に違背してしまうことになり、一人は必ず孤獨な父親から離れざるを得ないことになるのだ。あれこれ考えたあげく、駐屯兵は、彼女には遠く逃げる勇気がないのを見て取ったし、自分も軍人としての名譽を毀損するわけにはいかないので、一緒に生きていこうにも連れ合いようがない以上、いっそ一緒に死んでいってしまうほうは、當然阻止できる人がいないはずだ、と心に思って、先に服毒自殺した。しかし女の方は、お腹の中の一塊肉を心にかけて、心を鬼にすることができず、しばらくは自分の主張を打ち出すことはできなかった。
女孩子的母親,老船夫的獨生女,十五年前同一個茶峒軍人唱歌相熟后,很秘密的背著那忠厚爸爸發(fā)生了曖昧關(guān)系。有了小孩子后,結(jié)婚不成,這屯戍軍士便想約了她一同向下游逃去。但從逃走的行為上看來,一個違悖了軍人的責任,一個卻必得離開孤獨的父親。經(jīng)過一番考慮后,屯戍兵見她無遠走勇氣,自己也不便毀去作軍人的名譽,就心想:一同去生既無法聚首,一同去死應(yīng)當無人可以阻攔,首先服了毒。女的卻關(guān)心腹中的一塊肉,不忍心,拿不出主張。
事柄はもう既に渡し守の父親に知られたが、父親は重みのあるような字句は一つも加えていず、ただこの事柄は聞き知ったこともなかったことにしただけで、なおもいたって平靜に日々を過ごしていった。娘は一方では慙愧ざんきの心を抱いていながら、もう一方では憐憫の情を抱いていて、なおも父親のそばに付き添っていたが、しかしお腹の中の子を生み落としてから、冷たい水の渓川に行ってひたすら同穴の契りのために入水して死んでいってしまった。不思議なことに一種の近似した奇跡の中で、この遺児は既に成長して大人になって、転瞬の間に十三歳にもなった。住居を挾んで向かい合った両山には篁たかむらの竹が多く、翠色も人に迫って來るばかりだったから、老船頭は隨意にその一つの身近な字義を取って、この可哀相な幼い孤児に「翠翠」という名をつけた。
事情業(yè)已為作渡船夫的父親知道,父親卻不加上一個有分量的字眼兒,只作為并不聽到過這事情一樣,仍然把日子很平靜的過下去。女兒一面懷了羞慚,一面卻懷了憐憫,仍守在父親身邊,待到腹中小孩生下后,卻到溪邊故意吃了許多冷水死去了。在一種近于奇跡中,這遺孤居然已長大成人,一轉(zhuǎn)眼間便十三歲了。為了住處兩山多篁竹,翠色逼人而來,老船夫隨便給這可憐的孤雛,拾取了一個近身的名字,叫作“翠翠”。
翠翠は風雨と日光の中に育まれてきたので、皮膚がまっ黒に日焼けしていて、目に觸れるのが皆青山に緑水なので、雙眸は清らかで澄んでいて水晶のようだった。大自然に育まれ、かつ教化されて、彼女は人間が天真活発で、何もかもが如何にも厳然として一小獣のようだった。その上、人もそれほど利口で、山羗キョン(四つ目鹿)のように、これまで殘忍な事に思い及んだこともなく、気をもんだこともなく、そして向かっ腹を立てたこともなかった。
翠翠在風日里長養(yǎng)著,故把皮膚變得黑黑的,觸目為青山綠水,故眸子清明如水晶。自然既長養(yǎng)她、且教育她,為人天真活潑,處處儼然如一只小獸物。人又那么乖,如山頭黃麂一樣,從不想到殘忍事情,從不發(fā)愁,從不動氣。
日ごろ、渡し舟の上でも見知らぬ人がどこか自分に意を注ぐところがあるのに出會った時には、彼女はすぐさま炯々けいけいたる眼光でその見知らぬ人を見據(jù)えて、いつでも足を踏み出して山深く逃げ込むことができるような顔つきをしており、だがその人に機心などがないことがはっきりわかってくると、すぐにまた悠揚迫らず水辺でのびのびと遊び興じているのだった。
平時在渡船上遇陌生人對她有所注意時,便把光光的眼睛瞅著那陌生人,做成隨時皆可舉步逃入深山的神氣,但明白了人無機心后,就又從從容容的在水邊玩耍了。
老船頭は、晴雨にかかわらず、必ず舳先で舟の番をしているのだった。渡しを渡る人がいる時には、少々腰を曲げて、竹竿につけたとも綱を両手でたぐりながら、渡し舟を小渓を橫切って向こう岸へ渡した。ある時は、倦み疲れていて、渓川に臨んだ大石の上に橫になって眠ってしまったが、そんな時に、向こう岸で手を振って渡しを叫んでいる人がいると、翠翠は祖父を呼び起こさずに、すぐに舟に跳び下りて、非常にすばしこく祖父の代わりに、道行く人を渓川の対岸に渡した。すべて皆てきぱきしていて玄人らしく、これまで事をしくじったことはなかった。
老船夫不論晴雨,必守在船頭。有人過渡時,便略彎著腰,兩手緣引了竹纜,把船橫渡過小溪。有時疲倦了,躺在臨溪大石上睡著了,人在隔岸招手喊過渡,翠翠不讓祖父起身,就跳下船去,很敏捷的替祖父把路人渡過溪,一切皆溜刷在行,從不誤事。
またある時は、祖父と赤犬とともに舟の上にいて、渡しをする時に祖父とともに手を動かして綱を引っぱった。そして舟がまさに岸に近づこうとしていて、祖父がちょうど乗客に向かって「ちょい待ち、ちょい待ち」と注意している時に、今度はその赤犬が、すぐに舟の綱を口に銜くわえ、真っ先に一っ飛びで岸の上に飛び移り、さらにまた、いかにも厳然とした態(tài)度をして、どうすれば職分を盡くせるのかをよく心得ているかのように、舟の綱をしっかりと銜えたまま、舟を引いて岸に著けるのだった。
有時又和祖父黃狗一同在船上,過渡時和祖父一同動手,船將近岸邊,祖父正向客人招呼:“慢點,慢點”時,那只黃狗便口銜繩子,最先一躍而上,且儼然懂得如何方為盡職似的,把船繩緊銜著拖船攏岸。
(つづく)

END