徒然草 第107段 女の物言ひかけたる返事、?吉田兼好 日文念書

女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ:女性が言ったことに対 して、間髪を入れずに、當(dāng)意即妙に返答できる男というものは滅多に無(wú)いものだ、の意。
しれたる女房ども、若き男達(dá)の參らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに:いたずら好きな女房たちが、院にやってくる若い男たちに、「ホトトギスの聲を聞きましたか}と尋ねて、その反応を試したことがあった。
數(shù)ならぬ身は、え聞き候はず:取るに足らないような私などにはよく聞こえません、と答えました。これは、「音せぬは待つ人からか郭公たれ教へけむ數(shù)ならぬ身を」(源俊頼『続古今集』巻17)を引用しての返答。実に當(dāng)意即妙である。
堀川內(nèi)大臣殿:堀河具守(1249~1316)內(nèi)大臣を歴任。
これは難なし。數(shù)ならぬ身、むつかし:堀河內(nèi)大臣のはどうという難の無(wú)い答えだが、大納言の方はわずらわしい答えだ。
女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ:「おほしたつ」は養(yǎng)育すること。 男子は、女性に笑われないように育てなくてはいけない。
浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ參らせさせ給ひける故に:浄土寺の前の関白は、九條師教(~1320)。安喜門院はその祖母で後堀川天皇の皇后藤原有子。彼女がちゃんと養(yǎng)育したから、言葉遣いなどが良かった。
山階左大臣殿:西園寺実雄。
あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ:身分の低い女性であっても、彼女らに 見られるのはどうも恥ずかしくて、気を使う。
女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ:この世に女性がいなかったら、誰(shuí)も 裝束や衣冠束帯に気をつかったりなぞしなくなるであろう。
女の性は皆ひがめり:女というもののサガははみな偏見の多いもので、 の意。
人我の相深く:我執(zhí)が深く 。
用意あるかと見れば:何か心に深く思うところでもあるかと思えば、(無(wú)いが次に用意されている表現(xiàn))。
深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば:深く考えをめぐらしている點(diǎn)では男より優(yōu)れているかと思えば。
その心に隨ひてよく思はれん事は、心憂かるべし:女性の心に追隨してよく思われようなどと思うのは、うっとうしいことであろう。
もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん:それでももし賢女というものがあったらば、それもどうも親しみにくく、面白いものでもなかろう。
たゞ、迷ひを主としてかれに隨ふ時(shí)、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり:もっぱら迷妄のままに女性と付き合っていくというのであれば、やさしくも、楽しくもあろうというものだ。