徒然草 第11段 神無月のころ、栗棲野といふ所を過ぎて、?吉田兼好 日文念書

神無月のころ:<かんなづき、かむなづき、かみさりづき>と読む。10月。語源については、全國から神々が出雲(yún)大社に集まるため、諸國に神がいなくなる月の意からという俗説が古くから行われている。別に、新米で酒をかもす「醸成月(かみなしづき)」、あるいは雷の鳴らない「雷無月(かみなしづき)」の意ともいわれるが、「な」は「の」の意で、神を祭る月すなわち「神の月」の意とする説が有力(『大字林』より)。
栗棲野といふ所を過ぎて:<く るすの>。京都市東山區(qū)山科の市街中央部。
心ぼそく住みなしたる庵あり:ひっそりと閑に住んでいる人がいた?!感膜埭饯贰工人激Δ韦献髡撙畏饯扦ⅳ盲?、住んでいる當(dāng)人ではない。
懸樋の雫ならでは:懸樋 <かけひ>の雫<しずく>以外には。懸樋は地上に掛け渡す水の通路。竹や杉材などで作る。
つゆおとなふものなし:ほとんど 音を出すものとて無かった。
閼伽棚に菊?紅葉など折り散らしたる:閼伽棚<あかだな>は、仏具や花などを仏様に供える祭壇。方丈記第三段參照。
かくてもあられけるよとあはれに見るほどに:このようにも閑に 住んでいることだなぁと感じ入って見てみると、の意。
柑子の木:<こうじのき>と読む。ミカン科の小高木。果実は 小粒で濃い黃色、酸味が強(qiáng)い。日本で古くから栽培され、現(xiàn)在は山陰地方から北陸地方にみられる。こうじみかん(『大字林』より)。
少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか:柑子の実が盜まれないように囲いをした情景は、世捨て人と思って共感していた作者をがっかりさせたのである。だから、興が冷めてしまって、この木さえ無かったらよかったのにと思った、というのである。
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