【GPT機(jī)翻】戰(zhàn)國小町苦勞譚 (戦國小町苦労譚)- 164 [千五百七十七年 六月上旬]
書名 戰(zhàn)國小町苦勞譚
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作者: 夾竹桃
原作:http://ncode.syosetu.com/n8406bm/
翻譯工具:ChatGPT
*機(jī)器輸出的翻譯結(jié)果UP未做任何修正,僅供試閱。標(biāo)題章節(jié)號(hào)為原翻譯版的順延。*
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千五百七十七年 六月上旬(*原文網(wǎng)頁序列號(hào) - 188)
遠(yuǎn)藤(えんどう)基信(もとのぶ)にとって信長との會(huì)談は白晝夢(mèng)のようであった。まるで地に足が著いておらず、夢(mèng)心地のままに彼は信長直筆の約定書を手に帰途に就いている。
對(duì)于遠(yuǎn)藤基信來說,與信長的會(huì)談就像是白天做的夢(mèng)。他感覺自己沒有腳踏實(shí)地,一邊迷迷糊糊地拿著信長親筆簽署的協(xié)議書回家了。
事前に得ていた情報(bào)では信長と謁見すること自體が難しく、仮に機(jī)會(huì)を與えられたとしても不興を買えば中座されることもあるという話であった。
事先得到的信息表明與信長會(huì)面本身就很困難,即使有機(jī)會(huì)也可能會(huì)因?yàn)橐鸩粷M而中途離開。
しかし、基信に至っては晝餐(ちゅうさん)をともにするという破格の厚遇を受けてすらいた。まさに『瓢簞(ひょうたん)から駒(こま)』であったのだろう。
然而,基信甚至得到了與他共進(jìn)午餐的非同尋常的優(yōu)待。這確實(shí)是“得到了好處而不得其因”的情況。
(これが尾張……これが天下人の暮らし……そしてその全てを統(tǒng)べる織田様なのか)
(這就是尾張……這就是天下人的生活……以及掌控這一切的織田大人嗎)
信長と會(huì)食をするという機(jī)會(huì)に恵まれた基信は、日ノ本の常識(shí)から隔絶した信長と尾張の在り様に畏怖を抱いた。
在與信長共進(jìn)晚餐的機(jī)會(huì)中,基信感到敬畏,因?yàn)樾砰L和尾張地區(qū)的情況脫離了日本的常規(guī)。
極度の緊張下にあった基信は、供された食事の味など感じる余裕すら無かった。
基信處于極度緊張的狀態(tài),甚至沒有感受到提供的食物的味道。
それでも調(diào)度一つ、食器や什器に至るまでの全てが高度に研ぎ澄まされたものであることが感じられた?;扭仙窠Uを張り詰め、信長や同席していた靜子に倣って食事を取ることに腐心し、醜態(tài)を曬さないようにすることで精一杯であった。
即便如此,從餐具到器具,所有物品都經(jīng)過高度精磨,可以感到完美的細(xì)節(jié)。基信緊張不安,努力和信長以及同席的靜子一起用餐,竭盡全力避免出現(xiàn)丑態(tài)。
恐らくは當(dāng)代一流の料理が供されていたのだろうが、味はおろか香りや色あいですら曖昧(あいまい)模糊(もこ)としており記憶に殘っていない。
恐怕當(dāng)時(shí)提供的是一流的菜肴,但味道、香味和顏色都不清晰,甚至無法記憶。
「誰もが羨(うらや)むような豪華な一席だったが……わしは二度と御免被(こうむ)る。あれならば面を伏して意見を申せる謁見の方が心やすらかでいられよう」
“雖然那是一個(gè)讓每個(gè)人都羨慕的豪華席,但我再也不想?yún)⒓恿恕H绻颐嫦蛳路奖磉_(dá)我的看法,像朝見那樣,那我的內(nèi)心會(huì)更加安寧?!?/p>
信長は警護(hù)の兵はおろか、小姓すら伴っておらずに無防備であった。そんな彼に刃を向けられるかと問われれば否である。
信長沒有任何警衛(wèi),甚至沒有隨從,非常無防備。如果問是否會(huì)有人指向他的刀劍,那么是否定的。
基信から見た信長は近寄りがたい程の威光を纏っており、敵意を抱いた瞬間に己の首と胴が離れているであろう事は想像に難くない。
據(jù)基信描述,信長身上散發(fā)著不可接近的威儀,一旦產(chǎn)生敵意,想必立刻會(huì)失去頭顱和軀體,這一點(diǎn)想象起來都難以想象。
「ともあれ、何とかお役目は果たせた。問題は、人質(zhì)か……」
“無論如何,任務(wù)總算是完成了。問題是,人質(zhì)呢……”
そう呟いた基信は大きなため息を吐いた。彼が手にした約定書には、伊達(dá)家が恭順の証として人質(zhì)を差し出すことが明記されている。
“基信嘀咕著,嘆了口氣。他手中的協(xié)議書清楚地寫著,伊達(dá)家必須交出人質(zhì)作為順從的證明。”
順當(dāng)にいけば人質(zhì)として差し出すのは嫡子である梵天丸(ぼんてんまる)(後の伊達(dá)政宗)となるのだが、元服したばかりで伊達(dá)(だて)藤次郎(とうじろう)政宗(まさむね)と名を改めた彼には性格に少々難があった。
順利的話,作為人質(zhì)交出去的將會(huì)是正統(tǒng)繼承人梵天丸(后來的伊達(dá)政宗),但他剛剛成年禮并改名為伊達(dá)藤次郎政宗,性格有些問題。
「心根は真っすぐなのだが……しかし、危うい……」
“心根是筆直的,但是危險(xiǎn)……”
政宗の性格は竹を割ったように素直であり、少々向こう見ずなところはあるものの概ね問題ない。しかし、人質(zhì)として他家に預(yù)けるにあたって致命的な問題があった。
政宗的個(gè)性非常坦率,就像劈竹子一樣直率。雖然有些魯莽,但總體上沒有太大問題。然而,將他作為人質(zhì)交給他人家庭時(shí),存在致命性問題。
それは素直さ故か、思ったことを直ぐに口に出してしまうことである。伊達(dá)家の內(nèi)部であれば何ら問題ないのだが、信長や靜子に対して失言をしてしまえば外交問題となってしまうのだ。
這是因?yàn)樗奶孤?,?huì)立即把想法說出口。在伊達(dá)家的內(nèi)部沒有問題,但如果對(duì)信長和靜子失言就會(huì)成為外交問題。
他の候補(bǔ)として次男である小次郎を差し出すという方法も無いではないのだが、長男である政宗が病を得て隻眼になって以降、実母の義姫は弟の小次郎のみを可愛がるようになっているため難しい。
作為其他候選人,可以考慮提出二兒子小次郎,但是自長男政宗得病成為獨(dú)眼后,母親義姬開始喜歡弟弟小次郎,因此情況變得很困難。
「いずれにせよ、まずは殿にご報(bào)告した上で勘案せねば」
無論如何,首先應(yīng)該向殿下報(bào)告并加以考慮。
自分一人では結(jié)論が出ないと判斷した基信は、一路奧羽(おうう)を目指して帰路を急いだ。
判斷不能獨(dú)自得出結(jié)論的基信,匆匆返回了奧羽地區(qū)。
伊達(dá)家の一件が片付いた靜子は、一軍を率いて上洛し京屋敷へと身を落ちつけていた。靜子が尾張に籠っていると、如何に朝廷の使者といえど彼女と接觸するのは容易ではない。
處理完伊達(dá)家事件后,靜子率領(lǐng)一軍前往京都的宅邸安頓下來。當(dāng)靜子在尾張藏身時(shí),即使是朝廷的使者也很難與她接觸。
朝廷が靜子に対して三顧の禮を取ったのではなく、靜子が朝廷の命を拝領(lǐng)した形式にしたいと言う思惑があった。
朝廷不是主動(dòng)向靜子三顧禮,而是有靜子想以接受朝廷命令的形式為自己謀求利益的打算。
つまり朝廷の面子を保つため、靜子は上京して使者を待っているのだ。既に信長と密約を交わしているため、対外的なポーズに過ぎないのだが信長は呆れながらも彼らに便宜を図るよう靜子に命じていた。
換句話說,為了保持朝廷的面子,靜子前往京都等待使者。雖然這只是對(duì)外的姿態(tài),因?yàn)樗麄円呀?jīng)與信長達(dá)成了秘密協(xié)議,不過信長仍然命令靜子照顧他們,盡管他對(duì)此感到失望。
「ようこそ義姉上(あねうえ)、ご機(jī)嫌麗しゅうございます」
"歡迎姐姐,您好心情美麗。"
朝廷と接觸する機(jī)會(huì)を更に増やすべく、靜子は近衛(wèi)邸に滯在している。早速前久(さきひさ)と會(huì)談を持とうとしたのだが、厄介な相手につかまってしまった。
為了進(jìn)一步增加與朝廷接觸的機(jī)會(huì),靜子留在近衛(wèi)邸。她立即試圖與前久會(huì)談,但卻被一個(gè)麻煩的對(duì)手纏住了。
靜子を義姉と呼ぶ少年の名は近衛(wèi)(このえ)信伊(のぶただ)という。前久の実子であり、史実に於いて関白相論(かんぱくそうろん)と呼ばれる朝廷內(nèi)の人事抗?fàn)帳蛞黏长?、秀吉が公?くぎょう)を差し置いて関白に就任する口実を與えてしまった。
稱呼靜子為義姐的少年名叫近衛(wèi)信伊。他是前久的親生兒子,在歷史上引發(fā)了被稱為關(guān)白相論的宮廷內(nèi)人事斗爭(zhēng),為秀吉提供了越過公卿就任關(guān)白的口實(shí)。
これにより七百年にも亙って維持してきた摂関家の伝統(tǒng)を一夜にして潰したとして公家社會(huì)から孤立し、やがて心を病み酒浸りになった挙句に薨去(こうきょ)した人物である。
據(jù)說這個(gè)人在一夜之間摧毀了攝政家族700年的傳統(tǒng),因此從公家社會(huì)中孤立起來,最終導(dǎo)致心理崩潰并過度飲酒,最終去世。
今世に於いても當(dāng)初は前久の後を継いで関白を目指していたのだが、そんな彼の興味を惹き付けてやまない人物がいた。
如今,他起初繼承前久的位置,立志成為關(guān)白,但有一個(gè)吸引他注意力的人。
「此度はまことにおめでとう存じます」
「此度はまことにおめでとう存じます」的簡體中文翻譯為:“此時(shí)此刻,我真心誠意地祝賀您?!?/p>
「……念のために伺いますが、何が目出度いのでしょう?」
「……為了確認(rèn),我問一問,究竟什么是喜慶的事情?」。
「それは勿論、義姉上が久々に御出陣されることについてでございます」
“當(dāng)然,這是關(guān)于姐夫夫人長時(shí)間未出戰(zhàn)即將出戰(zhàn)的事情?!?/p>
きらきらと目を輝かせて斷言する信伊に靜子は嘆息するしかなかった。信伊は幼少より父である前久について地方で暮らしていたため、公家よりも武家の人間と付き合うことが多かった。
信伊目光炯炯地肯定地說著,靜子只能嘆息。信伊從小就跟隨父親前久生活在鄉(xiāng)下,與武家人交往比與公家人更多。
その方向性は前久が信長と昵懇(じっこん)の間柄になって以降、更に顕著になっていく。そんな中で前久から猶子(ゆうし)として靜子を紹介され、立身出世の見本市であるかのような彼女の生き様に強(qiáng)い憧れを抱くようになった。
那個(gè)方向性是自前久成為信長的熟人之后更加明顯。在這樣的情況下,前久向她介紹了靜子作為收養(yǎng)孩子,并對(duì)她那種充滿成功奮斗的生活方式產(chǎn)生了濃厚的憧憬。
「私自身が出陣するような事態(tài)は喜ばしくないのですが……まあ良いでしょう。義父上をお待たせする訳にも參りません、一緒に來ますか?」
“雖然我自己出征這樣的情況并不令人高興……但好吧。我不能讓我的岳父等太久,你和我一起來嗎?”
「是非に! 父上からは同席の許可を頂いておりまする。お供いたします!」
「一定要同行!已經(jīng)得到了父親的允許。我會(huì)陪同您的!」
信伊の言葉に靜子は軽く眩暈(めまい)がする思いであった。前久の私室に向かう道中、靜子は信伊から質(zhì)問攻めにあっていた。
信伊的話讓靜子感到頭暈?zāi)垦!T谇叭ゾ弥乃饺朔康穆飞?,靜子一直遭受信伊的質(zhì)問。
信伊がただの子供であったならば、微笑ましいで済む話なのだが、彼は僅か十二歳という年齢にかかわらず既に多方面に対して大人顔負(fù)けの才を発揮している天才であった。
如果信伊只是一個(gè)普通的孩子,這可能只會(huì)是一個(gè)令人微笑的故事,但是盡管他只有十二歲,他已經(jīng)展現(xiàn)了成人所具備的才華,并且在多個(gè)領(lǐng)域都是天才。
それゆえに彼の質(zhì)問は微に入り細(xì)を穿つものであり、靜子をして返答に苦心させられるため、靜子は會(huì)談前から疲労感を覚えていた。
因此他的問題非常仔細(xì),讓靜子陷入苦思冥想的困境,所以靜子在會(huì)議之前就感到了疲倦。
(今は軍事に傾倒しているけれど、これでいて書道に和歌、絵畫に音曲(おんぎょく)といった文化面にも優(yōu)れた才を示すんだから天才って殘酷だよね)
(雖然現(xiàn)在偏愛軍事,但仍展現(xiàn)出在書道、和歌、繪畫和音樂等文化領(lǐng)域方面都擁有卓越才能,這就是所謂的天才殘酷之處)
史実に於いて信伊は「寛永の三筆」に數(shù)えられるほど書道の才を示した。因みに殘る二人は本阿彌(ほんあみ)光悅(こうえつ)と、松花堂(しょうかどう)昭乗(しょうじょう)である。
歷史上,信伊展示了卓越的書法才華,被稱為“寬永三筆”之一。其余兩人為本阿彌光悅和松花堂昭乘。
彼ら三人は平安時(shí)代などの古筆より、新しい書法へと昇華させた。これにより日本の書道史は記録よりも表現(xiàn)を重視した、近世書道の幕開けを迎えたとまで言われるようになっている。
他們?nèi)齻€(gè)人把平安時(shí)代以及其他古代的書法從一種新的書法方法昇華了出來。因此,日本的書法歷史開始更加注重表現(xiàn)而非記錄,這被稱為近代書法的開端。
現(xiàn)時(shí)點(diǎn)に於いてすら書道の才を遺憾なく発揮しているのだが、本人にしてみれば手慰みでしかない。更には靜子のような一時(shí)代を切り開ける存在を目標(biāo)に掲げているため、目指すところが高すぎて他者からの評(píng)価を頑として受け付けない。
目前,他已經(jīng)完全展現(xiàn)了他的書法天賦,但對(duì)他本人來說,這只是一種慰籍。此外,他的目標(biāo)是成為像靜子一樣開創(chuàng)一個(gè)時(shí)代的存在,因此他的目標(biāo)太高,不愿意接受他人的評(píng)價(jià)。
彼の悪意無き態(tài)度によって筆を折った人間はかなりの數(shù)に上っていた。
他們因他無惡意的態(tài)度而停止寫作的人數(shù)相當(dāng)多。
「お疲れのようだな、靜子殿」
似乎有點(diǎn)累了,靜子殿。
靜子を室內(nèi)に招くなり、開口一番前久は靜子を労った。彼女が疲労している原因は、彼女に付いて回っている己の息子にあることは明らかである。
請(qǐng)勿邀請(qǐng)靜子進(jìn)入屋內(nèi)。前久一開口便關(guān)心靜子。她的疲勞原因顯然是因?yàn)樗膬鹤右恢备谒磉叀?/p>
「やり取りを交わす度に、質(zhì)問がより高度になっていくので參ります」
每次交流,問題都會(huì)變得更加高級(jí),令人頭疼。
「ほどほどであしらってくれれば構(gòu)わぬよ。さて、此度の件について認(rèn)識(shí)をすり合わせよう」
“只要適可而止地處理就行了。那么,我們來協(xié)調(diào)一下這個(gè)問題的認(rèn)識(shí)吧?!?/p>
前久が居住まいを正し、靜子と信伊もこれに倣った。とはいえ事前に情報(bào)を共有しているため、認(rèn)識(shí)に齟齬(そご)が無いかを確認(rèn)し合うことが主である。
之前,久和正式居住,靜子和信伊也效仿了他。不過,因?yàn)樗麄兪孪裙蚕砹诵畔?,所以主要是相互確認(rèn)沒有任何認(rèn)知上的偏差。
「今回の一件、裏で手を引いていたのは九條、二條、一條家辺りでしょう?」
“這次事件背后操縱的可能是九條家、二條家、一條家等人吧?”
一切の躊躇(ちゅうちょ)なく信伊が爆弾発言を投下する。既に裏が取れているため、間違ってはいないのだが明け透けに発言するところが迂闊だと靜子はため息を吐いた。
信伊毫不猶豫地投下了炸彈言論。雖然這已經(jīng)被證實(shí)是正確的,但靜子還是為他果斷的發(fā)言而嘆息。
「すみませぬ。既に口にしてしまった以上、重ねてお訊ねしますが間違っておりましょうや?」
"不好意思,請(qǐng)?jiān)俅_認(rèn)一下,我已經(jīng)說出口了,但是可能是錯(cuò)誤的。"
「(直感のみで本質(zhì)を摑む、天才の怖さだね)いえ、合っています。鷹司(たかつかさ)家は我ら側(cè)に立っていますので、殘り三家のいずれか、悪くするとその全てが結(jié)託して畫策したのでしょうね」
「只憑直覺抓住本質(zhì),真是天才的恐怖啊?!?「不,你說得對(duì)。因?yàn)辁椝炯艺驹谖覀冞@一邊,所以剩下的三家中,如果有誰做得不好的話,它們可能會(huì)聯(lián)合起來策劃陰謀?!?/p>
「お前は正解を見出しても、そこに至る背景を押さえておらぬ様子。それでは正鵠を射たところで足を掬われるぞ」
即便你找到了正確的答案,但并不了解到達(dá)該答案的背景,那么即使命中正骨,也會(huì)被絆倒。
「はっ! 申し訳ございません」
"哈!非常抱歉"
前久から叱責(zé)を受けて信伊は項(xiàng)垂(うなだ)れた。天才であるが故に余人には理解しえない結(jié)論に至るのだが、何故そこに至るかの過程を説明できないのでは寶の持ち腐れとなる。
從前起,信伊就被指責(zé)得低頭不語。由于擁有天賦,他能夠得出其他人無法理解的結(jié)論,但如果無法解釋到達(dá)那個(gè)點(diǎn)的過程,那就會(huì)浪費(fèi)天賦。
世の大多數(shù)は凡人であり、結(jié)局のところ凡人に理解し得ない論理の飛躍が世に受け入れられることは無いと前久は説いたのだ。
大多數(shù)人都是凡人,無法理解凡人無法領(lǐng)會(huì)的邏輯躍遷,前久曾闡述這一點(diǎn),這種邏輯是不可能被接受的。
「失敗は若人の特権です。この失敗を糧(かて)に次に活かせば良いのです」
"失敗是年輕人的特權(quán)。如果能從這次失敗中學(xué)到東西,就能利用它在下一步中。"
「義姉上!」
"義姐上!"
「何故失敗したのか反省しないまま進(jìn)むのはいけません。貴方はそこを怠りがちなので、努々(ゆめゆめ)忘れないようにしなさい」
“不可以繼續(xù)前進(jìn)而不反省失敗的原因。你經(jīng)常在這方面偷懶,所以務(wù)必不要忘記?!?/p>
憧れの靜子が助け舟を出してくれたと勢(shì)い込んで顔を上げるが、そんな信伊に靜子は容赦なく現(xiàn)実を突きつけた。
仰起頭來,由于憧憬的靜子給了他援手,他感到非常興奮,但靜子無情地讓他面對(duì)現(xiàn)實(shí)。
「うう……義姉上が厳しい」
"唉......義姐姐很嚴(yán)厲"
「厳しいぐらいで丁度良いのです。確かに教如の背後には例の三家がいると思われます。財(cái)力的にも権力的にも朝廷主導(dǎo)の和睦に反対する勢(shì)力を、あれだけの數(shù)、囲い込める余裕が他にはありませんからね」
“嚴(yán)苛到適當(dāng)?shù)某潭日谩4_實(shí),我認(rèn)為在教如的背后有著那三家勢(shì)力。從財(cái)力和權(quán)力上來看,沒有其他能夠包容那么多反對(duì)朝廷主導(dǎo)和談的力量。"
追い詰められた教如であっても、流石に勝算なしであのような暴挙には出まい。これに関しては靜子も前久も考えを同じにしている。
即使被追逼到了絕路,教如也不可能毫無勝算地采取那樣的暴舉。靜子和前久對(duì)此也持有同樣的看法。
今回の騒動(dòng)に於いて、まず本願(yuàn)寺を占拠できるほどの僧兵たちを養(yǎng)えるだけの勢(shì)力と言えば限られており、消去法的にも件(くだん)の三家に絞られてくる。
在這次事件中,僅有少數(shù)具備能夠占領(lǐng)本愿寺的僧兵并養(yǎng)活他們的實(shí)力??梢酝ㄟ^消去法來鎖定相關(guān)的三家。
そもそも現(xiàn)時(shí)點(diǎn)で朝廷の威光は武家が持つ武力を背景に成り立っている。己が寄って立つ土臺(tái)を攻撃するなど自殺行為でしかないのだが、それでも武家の朝廷介入を排除せんと強(qiáng)行できる者となれば片手で足りる。
首先,目前朝廷的威望是建立在武力強(qiáng)大的武家背景上的。攻擊自己的支撐者只會(huì)是自殺行為,但如果有人堅(jiān)持要排除武家對(duì)朝廷的干涉,也只需要片手即可做到。
同じく宗教関連で仏家の関與も考慮したのだが、世の景気が上向いているときは宗教の求心力は失なわれるため早々に候補(bǔ)から外れた。
考慮到同樣涉及宗教,但當(dāng)經(jīng)濟(jì)形勢(shì)好轉(zhuǎn)時(shí),由于宗教的凝聚力下降,佛教家被早早排除在候選人之外。
「例の御三家ですが、密偵を放って調(diào)べたところ面白いように証拠が集まりました」
“關(guān)于那三大家族,我們派出密探進(jìn)行調(diào)查,收集了很多證據(jù),非常有意思。”
「それらは何処(いずこ)に?」
"它們?cè)谀睦铮?#34;
「現(xiàn)物の寫真を撮って証拠を保全した後、元の場(chǎng)所に戻しておきました。その後、寫真を元に精巧な贋物(にせもの)を作り、完成次第順次本物とすり替えております。八割方終わっていますが、あと少し時(shí)間を頂ければ全てが手許に揃うでしょう。寫真自體がそれほど知られていないため、証拠能力を疑われては面白くありませんからね」
「拍攝現(xiàn)場(chǎng)照片以保全證據(jù)后,將其放回原處。隨后,以照片為基礎(chǔ)制作精美的仿制品,并逐步完成真?zhèn)翁鎿Q。已完成大部分,只需要再稍等片刻即可全部完成。由于照片本身并不為人所知,因此不能被懷疑其證據(jù)能力?!?/p>
靜子はそういうと小姓に合図して重量感のある木箱を持ってこさせた。靜子は木箱の中より、何枚かの書狀を取り出すと前久に差し出す。
靜子這樣說著,便向侍從示意讓他拿來一個(gè)有重量的木箱。靜子從木箱里取出幾封書信,遞給了前久。
受け取った前久はそれらをざっと流し見て、相手を攻撃するに足る証拠として十分であると確信できた。
接到前久大致瀏覽了這些內(nèi)容,確信它們足以作為攻擊對(duì)方的充分證據(jù)。
「血判狀か?;イい搜Y切る可能性を排除しきれぬ辺りが、利害のみで結(jié)びついている輩の泣き処よな」
"這是血誓嗎?那些只因利益結(jié)合在一起而無法完全排除背叛可能性的人是可悲的。"
「お陰で証拠集めが楽でした。しかし、まんまと踴らされている教如も哀れですが、このように稚拙な絵図で自作自演を企むとは……」
"多虧了這個(gè),證據(jù)收集變得輕松了。但是,被成功愚弄的教如也很可悲,使用如此幼稚的手法自導(dǎo)自演……"
「自作自演ですか?」
「自作自演ですか?」 translates to "你自導(dǎo)自演的嗎?" in Simplified Chinese.
「そうです。武家による日ノ本統(tǒng)一が気に入らぬ御様子で、朝廷の威光は衰えぬと世に知らしめるために畫策したようですね。明らかに時(shí)流が読めていない上に、仮に成功したとて後が続かないのでは意味が無いでしょう」
“是的??雌饋硭幌矚g武家統(tǒng)一日本,為了展示朝廷的權(quán)威,策劃了這個(gè)。顯然他沒有讀懂時(shí)代潮流,即使成功也沒有后續(xù),這是沒有意義的?!?/p>
現(xiàn)時(shí)點(diǎn)に於いて信長に反抗する公家は限られている。信長は決して朝廷を蔑(ないがし)ろにしておらず、朝廷の権威を盛り立てた上で共存の方針を打ち出している。
目前,反抗信長的官員數(shù)量有限。信長并不鄙視朝廷,而是在維護(hù)朝廷的權(quán)威之上提出了共存的方針。
実質(zhì)的に信長が朝廷の運(yùn)営に経済面で巨額を出資している以上、彼の意向を無視できないのは仕方ないのだが、それを良しとしない者は一定數(shù)存在する。
實(shí)際上,既然信長在經(jīng)濟(jì)上向朝廷投資了巨額資金,他的意圖是不容忽視的,但仍然有一定數(shù)量的人不認(rèn)為這是好事。
かつての栄光を忘れられず、感情的に信長の臺(tái)頭を面白く思わない公家達(dá)が結(jié)託したのが今回の騒動(dòng)だ。
曾經(jīng)的輝煌令公家們無法忘懷,他們?cè)谇楦猩戏锤行砰L崛起,這次騷動(dòng)就是他們的聯(lián)合行動(dòng)。
とは言え武力で信長に敵うはずもなく、経済的にも比べるのも烏滸(おこ)がましい程に差が存在する。そんな信長の面目を潰すべく考え出された苦肉の策が、織田家と本願(yuàn)寺との和睦を潰すことであった。
然而,盡管如此,豐臣秀吉沒有武力超過信長的能力,而且在經(jīng)濟(jì)上也存在著巨大的鴻溝。為了破壞信長的名聲,他們?cè)O(shè)法采用了激烈的措施,即摧毀織田家和本願(yuàn)寺的休戰(zhàn)協(xié)議。
その後、おっとり刀で駆けつけて問題を解決して見せることで恩を売る、所謂(いわゆる)マッチポンプを畫策したというのが今回の本質(zhì)である。成功すれば信長の影響力を幾らか削げるかもしれないが、根本的な構(gòu)造改革に寄與しない愚策であった。
后來,通過用沉著的態(tài)度趕來解決問題,以期獲取恩惠,那就是今天所謂的“名為投桶者自扇耳光”,這是本次事件的核心。如果成功,可能會(huì)稍微削弱信長的影響力,但這是一項(xiàng)不會(huì)為根本性結(jié)構(gòu)改革做出貢獻(xiàn)的愚蠢計(jì)劃。
「教如を焚きつけて本願(yuàn)寺を乗っ取り、その後公家主導(dǎo)にて官軍を編成して教如を本願(yuàn)寺から追い払う。首謀者たる教如自身は口封じとして始末すれば後腐れもないという手筈だったのでしょうね。どうにも牢人が思うように集まらないようで、未だに討伐軍を編成できないようですが」
"教如被點(diǎn)燃,控制了本愿寺,然后以官家主導(dǎo)組建了官軍,將教如驅(qū)逐出本愿寺。教如作為首謀者,他本人將被消滅,以防后患。看起來牢犯無法如預(yù)期般聚集,尚無法組成討伐軍。"
「集まらないのは自明なのだが、京に籠っているとそこまで世情に疎(うと)くなるものか」
“雖然不集結(jié)也是自明的,但在京城里閉門造車會(huì)讓人變得疏遠(yuǎn)世情。”
前久はそう呟くと、靜子をチラリと見やった。近畿から中部地方にかけての一帯では、牢人を集めて軍を編成しようなどとは夢(mèng)物語に等しい。
之前久這樣嘀咕著,掃了一眼靜子。在近畿到中部地區(qū)的一帶,收集犯人組織軍隊(duì)這樣的事情也只能是白日做夢(mèng)。
何故なら織田領(lǐng)が全世界を見渡しても類を見ないほどの勢(shì)いで土地開発を行っており、土木工事用の重機(jī)が導(dǎo)入されてはいるものの人足の需要は引きを切らない。
因?yàn)榭椞镱I(lǐng)土開發(fā)的勢(shì)頭在全世界范圍內(nèi)都是無與倫比的,盡管引進(jìn)了土木工程機(jī)械,但對(duì)人力的需求卻沒有減少。
更には出稼ぎ労働者に対する福利厚生も充実しており、利息の無い前借りとして衣食住を整える支度金も渡されるため、周辺地域は言うに及ばず遠(yuǎn)地よりの出稼ぎ労働者が押し寄せている狀況だ。
此外,富有福利保障的外來務(wù)工人員,可獲得無息預(yù)支的衣食住支援金,并成為周邊地區(qū)甚至遠(yuǎn)方的外來務(wù)工人員涌入的情況。
牢人として命懸けで戦うよりも、安全な肉體労働で安定した賃金を得る方が良い。そう考える者が多いため、どうしても大金が即座に必要という狀況でも無い限り牢人のような不安定な生活を好むものは少ない。
作為牢房里的人,與其冒著生命危險(xiǎn)戰(zhàn)斗,還不如通過安全的肉體勞動(dòng)獲得穩(wěn)定的工資。因?yàn)樵S多人都這樣想,所以在不是迫切需要大筆錢的情況下,很少有人像牢房里的人那樣喜歡不穩(wěn)定的生活。
「今ごろは教如も焦っているでしょう。予定では例の三家による息の掛かった官軍と適當(dāng)に戦って敗走し、後は隠遁(いんとん)生活を保障して貰う手筈だったのでしょうからね」
「現(xiàn)在教如也應(yīng)該很焦急了吧。按計(jì)劃,他們應(yīng)該是和三家的官軍展開激烈的戰(zhàn)斗,然后落敗逃跑,最后保障隱居生活?!?/p>
「全てが裏目に出て八方塞がり、焦らぬ道理がない。今ごろ必死になって神仏頼みをしておるだろうよ。信仰が試されるというものだ」
“所有的事都出現(xiàn)了困難,陷入了困境,沒有放慢速度的理由?,F(xiàn)在,他們可能會(huì)絕望地祈求神明的幫助。這是信仰得到考驗(yàn)的時(shí)刻?!?/p>
「間者に拠れば『私には神仏の加護(hù)があり、敵の矢も鉄砲も當(dāng)たらない』と嘯(うそぶ)いているようです。門徒が信じているかは判りませんが、折角なので教如の言葉を利用させて貰いましょう」
“根據(jù)間諜的說法,他在吹噓自己有神佛的庇護(hù),敵人的箭和槍都無法擊中他。雖然不知道門徒是否相信,但既然有機(jī)會(huì),就讓我們借用教如的話來利用他們?!?/p>
「ふふ。いつになく悪い顔をしておるな、教如も判斷を誤ったものよ」
“呵呵。你現(xiàn)在臉色這么糟糕,教如也是誤判了啊?!?/p>
前久は靜子の言に薄く微笑みながら相槌を打つ。すっかり溫くなってしまったお茶を一口啜(すす)ると、物憂(ものう)げに呟いた。
之前的久輕笑著點(diǎn)頭,對(duì)靜子的話語做出應(yīng)答。他一口喝下已經(jīng)冷了的茶,沉思著低語道。
「思えば教如も哀れなものよ。あ奴は最期まで周囲に利用され流され続けた人生を送るのだろう。己だけが自分の意思を貫いていると信じているのが余計(jì)に哀れでならぬ」
“回想起來,教如真是可憐之人。她的一生都被周圍的人利用和操縱著,直到最后。而她卻仍然認(rèn)為自己是唯一堅(jiān)持自己的意志的人,讓人不禁感到哀憐?!?/p>
靜子は前久に対朝廷工作費(fèi)用を渡すと、上京(かみぎょう)にある自身の京屋敷へと移動(dòng)した。彼女はそこでゆっくりと體を休めた後、間者から報(bào)告を受けたり様々な指示を出したりしてから再び近衛(wèi)邸へと戻る。
靜子將對(duì)朝廷的工作經(jīng)費(fèi)交給了前久,并搬到了位于上京的自己的京屋敷。在那里,她休息了一段時(shí)間,接收了間諜的報(bào)告并發(fā)布了各種指示,然后再次返回近衛(wèi)家。
靜子の京屋敷では彼女直屬の兵が周囲を警備しているため、たとえ朝廷からの使者であろうとも事前に通告の無い者は面會(huì)できない。朝廷としてはあくまでも前久主體であり、靜子はそのおまけという位置づけを貫かねばならないため勅使(ちょくし)を立てたり、先觸れを遣わせたりすることも出來ないのだ。
靜子的京屋敷由她的直屬士兵守衛(wèi),即使是來自朝廷的使者,如果沒有事先通告就無法見面。朝廷始終以前久為主,靜子必須維持其附帶地位,因此無法派遣勅使或使者進(jìn)行接觸。
面倒だとは思いつつも、靜子は朝廷の面子を保つため接觸を図り易い近衛(wèi)邸に極力滯在するようにしている。そしてついに朝廷より勅使が遣わされ、前久に本願(yuàn)寺鎮(zhèn)撫(ちんぶ)の命が下された。
盡管覺得有些麻煩,靜子為維護(hù)朝廷的面子而盡可能地待在易于接觸的近衛(wèi)邸。最終,朝廷派遣了勅使,并下達(dá)了鎮(zhèn)撫本愿寺的命令。
「私から靜子殿に依頼する分には、朝廷として関與しないという姿勢(shì)を貫くのだろうな。全く迂遠(yuǎn)(うえん)なことだ」
“如果是我向靜子殿發(fā)出請(qǐng)求,他們可能會(huì)堅(jiān)持不讓朝廷介入,這真是一件非常愚蠢的事情。”
建前が重要視される公家社會(huì)の柵(しがらみ)に苦笑しつつ前久は肩を竦(すく)めた。朝廷としては関白である前久を官軍の総大將とし、前久の裁量によって靜子を動(dòng)かす事を暗に認(rèn)めている。
前久苦笑著對(duì)公家社會(huì)重視形式的束縛聳了聳肩。朝廷認(rèn)可了將前久作為關(guān)白并讓他擔(dān)任官軍總指揮,間接承認(rèn)前久可以動(dòng)用靜子來掌握局面。
しかし、前久もただでは利用されてやらない。今回の官軍編成にあたって、動(dòng)員する顔ぶれは前久に一任するとの言質(zhì)を得ている。朝廷としては靜子を官軍に引き入れるための方便として使えという思惑なのだが、これは朝廷の名の下に誰であろうと(??????)動(dòng)員できる事を意味する。
然而,前久不會(huì)無償利用。他已經(jīng)獲得了一個(gè)承諾,在組織這次官軍編隊(duì)時(shí),調(diào)動(dòng)人員的選擇將由前久獨(dú)自負(fù)責(zé)。朝廷的意圖是利用這個(gè)機(jī)會(huì)將靜子引入官軍中,但這實(shí)際上意味著朝廷可以動(dòng)員任何人來參加這個(gè)行動(dòng)。
腹に一物を抱えながら笑みを浮かべた前久は、入念に下準(zhǔn)備を進(jìn)めた。數(shù)日後、上京の一角に黒山の人だかりが出來ていた。本願(yuàn)寺教如を征伐する官軍が出陣すると知らされ、皆が一目見ようと集まった結(jié)果であった。
腹中懷著不可告人之物,前久露出了微笑,并認(rèn)真地準(zhǔn)備著。數(shù)日后,在京城的一個(gè)角落,人群中涌現(xiàn)出黑山的身影。他們聚集在一起,想要一睹征討本愿寺教如的官軍的盛況。
織田家の勢(shì)力下に組み込まれて以來、京では武家の甲冑姿を目にする機(jī)會(huì)が増えた。逆に公家の正裝である束帯(そくたい)(公家の男子が身に纏う衣裝)は滅多に見られないため、物珍しさから見物人が増えたという経緯がある。
自從被納入織田家的勢(shì)力范圍以來,京都看到武士甲胄的機(jī)會(huì)不斷增加。相反,束帶(公家男子穿的裝束)這種公家正裝很少見,因此因?yàn)樾迈r感吸引了更多的觀光者觀看。
公家達(dá)も京の民たちから注目を集めると思ってか、皆がめいめいに気合を入れて束帯を著こなしている。目にも鮮やかな衣裝が並ぶ中、一際目立つ存在があった。
公家們也注重京都的民眾的關(guān)注,每個(gè)人都穿著束帶,充滿斗志。在這些鮮艷的服裝中,有一個(gè)明顯突出的存在。
五摂家筆頭である近衛(wèi)家の家紋『近衛(wèi)牡丹』が染め抜かれた旗を棚引かせ、周囲のそれと比べても一層華美な束帯を身に纏った少年の姿がある。
五攝家之首的近衛(wèi)家家徽“近衛(wèi)牡丹”染制旗幟垂掛,身著比周圍更加華美的束帶的少年顯得格外華麗。
一般の公家に付く護(hù)衛(wèi)は數(shù)名なのだが、その少年の周囲には完全武裝の武士が數(shù)十名も配され、貓の子一匹近寄る隙すら無い有様だった。その物々しい雰囲気に威圧され、他の公家からは遠(yuǎn)巻きに眺められる様子を見て、信伊は嘆息した。
一般的公家護(hù)衛(wèi)只有幾個(gè)人,但那個(gè)少年周圍卻有十幾名全副武裝的武士護(hù)衛(wèi),連只貓都無法靠近。信伊被這股強(qiáng)烈的氛圍所壓倒,看著其他公家望而卻步,只得嘆息。
「見世物にでもなっている気分です」
“我感覺自己像是成了一件展品?!?/p>
「仕方ありませんよ、此度の官軍を率いるのは貴方なのですから。警備が物々しいのは當(dāng)然です。官軍の総大將が京で討たれたなどとあっては、近衛(wèi)家末代までの恥になりますからね」
“無可奈何,由于您率領(lǐng)官軍,所以嚴(yán)格檢查是必要的。如果官軍的總司令在京城被擊敗,那將成為近衛(wèi)家族的恥辱,一直持續(xù)到末代。”
「重々承知しておりまする。しかし義姉上、何もその様な古めかしい衣裝を選ばれずとも……」
“我已經(jīng)深刻意識(shí)到了。但是,既然您是我義姐,就算不穿那樣古老的服裝也……”
「趣味です」
"這是我的興趣愛好"
信伊が苦笑するのも無理は無かった。靜子は特例中の特例として、女人の身でありながら公家男子の正裝である束帯を纏っている。それも平安時(shí)代に流行していた時(shí)代がかったものであり、周囲の公家達(dá)から浮いて見えた。
信伊無法不苦笑。靜子身為女性,卻身著法家男子的正裝束帶,這是特例中的特例。而且這種束帶還是平安時(shí)代的流行款式,看起來很過時(shí),讓周圍的官員們都對(duì)她有些異樣的眼光。
何故そのような大時(shí)代的な衣裝を著ているかと問われれば、わざと目立って彼ら(??)の神経を逆撫でするためである。本來、束帯とは公家男子の正裝であり、猶子を結(jié)んだとは言え靜子に與えられることは無い。
若被問為何穿上如此大時(shí)代的衣裝,那是為了故意引人注目,逆著他們(??)的神經(jīng)。束帶本是公家男子的正裝,就算是成為靜子的養(yǎng)子,也不應(yīng)該被賜予。
普段は目立つことを嫌う靜子が、敢えて耳目を集めるような真似をする意図はここにある。
平時(shí)討厭引人注意的靜子,這次卻有特意要吸引眼球的意圖。
「さて、彼らは見て(??)いますかね? 折角、方々手を盡くして彼らの寶物を探し出したのですから、慌てて貰わないと困るんですけどね」
“好了,他們看見了嗎?我們盡了全力尋找他們的寶藏,所以他們不能慌亂?!?/p>
靜子は腰に佩(は)いた太刀の柄頭(つかがしら)をポンポンと軽く叩きながら呟いた。彼らとは勿論、九條?二條?一條家の手の者となる。公家による官軍の編成ということで、彼らの家からも何人かは參陣している。
靜子手拿腰刀,不停地輕敲著柄頭,喃喃自語道。他們自然而然地成為九條家、二條家、一條家的手下人。作為公家組織的官軍編制,一些人也參加了他們家的行列。
とは言え派兵された者は嫡流ではあるものの末席に近い者であり、明らかに數(shù)合わせとして遣わされている。何の権限も自由をも與えられていないため、官軍の列內(nèi)所定の位置から動(dòng)こうともしない。
然而,被派遣出去的人雖然是正統(tǒng)派,但更靠近末位,明顯是用作填補(bǔ)人數(shù)。由於沒有任何權(quán)力和自由,因此不會(huì)從政府軍隊(duì)所指定的位置移動(dòng)。
「敵意のこもった視線を感じますので、何処からか見ているのでしょう。ただ義姉上の太刀が『藤原三寶』の一つと気付くか否か……」
「感覺到充滿敵意的目光,可能是從哪里看著我們。只有義姐的太刀是否能認(rèn)出『藤原三寶』之一......」
「義父上を含め色々な方に盡力して貰ったのですから、気付いて貰わねば割が合いません」
“我們得到了包括繼父在內(nèi)的許多人的幫助和支持,如果不讓他們意識(shí)到我們的感激之情,就不公平了?!?/p>
信伊の言う『藤原三寶』とは公家の名門中の名門である藤原氏伝來の寶物を指す。その名の通り三つを數(shù)え、一つを藤原(ふじわらの)鎌足(かまたり)(藤原氏の始祖)の肖像畫『大織冠(たいしょっかん)の御影(みえい)』、一つを惠良(えりょう)和尚(かしょう)筆の『紺紙(こんし)金泥(こんでい)の法華経(ほけきょう)』、そして最後が『小狐の太刀』である。
信伊所說的“藤原三寶”是指藤原家族傳承的寶物,這是公家中最顯赫的家族之一。正如其名稱一樣,這“三寶”包括藤原鎌足(藤原家族的創(chuàng)始人)的肖像畫“大織冠之御影”、惠良和尚所書寫的“紺紙金泥法華經(jīng)”以及“小狐之刀”。
史実に於いては藤原頼長(よりなが)が小狐の太刀を佩いて、千百五十二年八月に石清水(いわしみず)八幡宮(はちまんぐう)を詣でたという記録が殘っている。その後、九條家に伝來するも鎌倉時(shí)代前期に失われ、後に鷹司家に伝來したとされるが、これも鎌倉後期に失われている。
歷史記錄中記載藤原依長曾佩戴小狐之太刀于公元一千五百五十二年八月參拜石清水八幡宮。此后傳至九條家,但在鎌倉時(shí)代前期遺失,后又傳至鷹司家,但同樣在鎌倉時(shí)代后期遺失。
その後は、とある寺所蔵となっていたのだが紛失して行方不明とされていた。史実に於いては明治期に九條家が買い戻したとされているが、果たして本物の小狐の太刀であったか定かではない。
之后,它變成了某座寺廟的藏品,但后來失蹤了。據(jù)史實(shí),九條家在明治時(shí)期買回了它,但不確定它是否是真正的小狐之太刀。
それというのも小狐の太刀は同名の刀が複數(shù)伝わっており、更には影打ちまでもが存在している。そのため、靜子が現(xiàn)在佩いている『小狐の太刀』も真作である保証はない。何しろ小狐の太刀は誰の手によるものか不明なのだ。
而且,小狐的太刀同名刀已經(jīng)傳播了多把,甚至還有影打刀。因此,無法保證靜子現(xiàn)在佩戴的“小狐太刀”是真正的作品。畢竟,小狐太刀是由誰制造的仍是不明確的。
(影打ちとされる物も回収したし、出來得る限りの捜索はしたので本物と強(qiáng)弁するしかないね。太刀に九條家所縁(ゆかり)の物が添えられていたのは、盜んだ兄の子が真作の証拠として付けたとも考えられるか)
(已收回被視為影印的物品,并且進(jìn)行了盡可能的搜索,只能強(qiáng)烈聲明這是真品??赡苷J(rèn)為加入九條家的關(guān)聯(lián)品是被偷竊的兄弟的孩子作為真跡證據(jù)所附上。)
九條家から小狐の太刀が失われた理由は家督相続にある。鎌倉時(shí)代前期に九條家には二人の兄弟がおり、病で兄が家督を継げなくなったため、弟が継ぐことになった。
九條家失去小狐太刀的原因在于家督繼承。在鎌倉時(shí)代前期,九條家有兩個(gè)兄弟,由于疾病,哥哥無法繼承家督,于是弟弟繼承了家督。
しかしこの決定に兄の子が不満を持ち、ある時(shí)小狐の太刀を盜んで出奔(しゅっぽん)したとされている。
然而,據(jù)說這個(gè)決定讓兄弟的孩子感到不滿,有一次他偷走了小狐的刀子并出逃。
困り果てた九條家は、當(dāng)時(shí)の名人に依頼して代わりとなる小狐の太刀を打たせた。以降、それを小狐の太刀として代用していた。今回靜子の発見した小狐の太刀には、九條家の家紋が象嵌(ぞうがん)された懐刀が添えられていたため、恐らく本物であろうと推測(cè)している。
九條家無法處理該問題,因此請(qǐng)求當(dāng)時(shí)的專家打造一把代替的小狐太刀。此后,他們將其用作小狐太刀的替代品。靜子發(fā)現(xiàn)的小狐太刀上,嵌有九條家家徽的懐刀,因此可以推測(cè)它可能是真品。
(小狐の太刀を盜んで出奔し、どのような経緯で手放すことになったのか興味が盡きないところだけど、何にせよ今考えることではないかな)
(偷走了小狐的太刀并逃走了,雖然對(duì)于它是如何放棄的這一過程很感興趣,但現(xiàn)在考慮這些也沒什么意義了。)
いずれにせよ、今は目先のことに集中しようと靜子は頭を振った。
無論如何,靜子搖了搖頭,決定專注于眼前的事情。
「さてさて、お荷物……いえ、お神輿(みこし)を擔(dān)いで大坂へ向かいますか」
“那么那么,要背負(fù)行李……不,是要抬起神轎前往大阪嗎?”
「言い繕えていませんよ、義姉上!」
“我并沒有編造話,姐姐!” translated to Simplified Chinese is "我沒有編造話,姐姐!".
「隠す気が無いですからね」
“我沒打算隱藏”
「隠して下さい。義姉上のお考えは判りますが、父上も動(dòng)き易くなりますからお荷物も連れて行きますが、いくさ場(chǎng)では案山子(かかし)にも劣りますよ?」
“請(qǐng)把它藏起來。我明白姐姐的想法,但是帶上這個(gè)包裹會(huì)讓父親更容易被發(fā)現(xiàn),在戰(zhàn)場(chǎng)上,它連稻草人都不如。”
「いくさ場(chǎng)には出しませんよ。城を守らせる名目で詰めさせれば良いでしょう」
“不要讓他參加戰(zhàn)場(chǎng)??梢砸员Pl(wèi)城池為名讓他留守?!?/p>
「いくさ場(chǎng)に立つか、我々の指示に従うかであれば後者を選ぶでしょうね。あ、私は勿論どこまでも義姉上と共に參ります!」
若是在戰(zhàn)場(chǎng)上或遵從我們的指示的話,我想會(huì)選擇后者。啊,當(dāng)然我會(huì)一直和義姐姐一起前進(jìn)!
「義父上から大將に任じられていなければ、何処かの城に城代として殘したんですけどね……」
如果我沒有被我的岳父提升為將軍,他本來會(huì)讓我留在某個(gè)城市擔(dān)任城代的……
「そんな! 義姉上、私はお役に立ちますよ!」
"怎么會(huì)這樣!姐姐,我會(huì)盡我所能幫你的!"
靜子は己の頬に手を當(dāng)てて嘆息すると、信伊が諸手を挙げて抗議した。己が近衛(wèi)家の跡継ぎであるという事実を、彼が忘れていることに靜子は頭痛を覚える。
靜子將手放在自己的臉頰上嘆息,信伊則舉起雙手抗議。靜子因?yàn)樗浟俗约菏墙l(wèi)家的繼承人而感到頭疼。
「元よりそれほど時(shí)間を掛けるつもりもないので、さっさと行って手早く片付けましょう」
“由于本來就沒打算花太多時(shí)間,所以趕快去處理吧。”
自分の歓心を買おうとあれこれと話しかけてくる信伊をいなしながら靜子は南方を睨んだ。
靜子瞪著南方,一邊趕走對(duì)自己說話討好她的信伊。