徒然草 第60段 真乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。?吉田兼好

真乗院に:<しんじょういん>。仁和寺に屬す院家。真言宗。
芋頭といふ物を好みて:<いもがしら>は、サトイモの親芋と呼ばれる部分。これを好きだというから「曲者=変人」だ。
談義の座にても:仏典購読の講座のこと。
七日?二七日など:?二七日<にしちにち>」で14日間のこと。この時代、食事療法などでは、治療の単位を7日を一単位とした習慣があった。
極めて貧しかりけるに、師匠:極めて貧しかったのは師匠の方か、盛親僧都の方かは、文字面からはよく分からないが、文脈からして僧都の方を主語としているのであろう。「師匠」は僧都の先生で、いずれにせよ銭200貫と坊舎を遺産として僧都に呉れたのである。なお、1貫は、100疋<ぴき>。
その銭皆に成りにけり:300貫、3萬疋分の芋を全部食ってしまった。
三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計らひける、まことに有り難き道心者なり:貧しき身に300貫のお金を他に流用せずに芋に集中して費消した。このように計らったことは、これは優(yōu)れた道心あればこそ、とみんなで褒めちぎったらしいが、俗物たる訳者には、これが何故ほめられるのかよく分からないのだが???。
しろうるりといふ名をつけたりけり:「しろうるり」の意味は不明だが、本人は「見た感じと」いっているので、あまり意味はないのではないか。 この挿入エピソードの真意はよく分からないが。
宗の法燈なれば:宗派、ここでは真言密教の、希望の星と期待されている人物。
世を軽く思ひたる曲者にて:世間の流儀に従わない「曲者」 。ここに「曲者」は、変わり者の意。超俗の変人。筆者は肯定的な意味で使っている。
出仕して饗膳などにつく時も:招かれて法事などをし、そのあとで接待の食事が出される宴。
斎?非時:<とき?ひじ>と読む?!笖拧工蠜Qまった食事?!阜菚r」は戒律上は食事のない時間の食事。たとえば午後など。
心を澄ましてうそぶきありきなど:「うそぶく」のは現(xiàn)代語の悪いイメージはない。和歌などを口ずさむこと、口笛を吹くことなどもう「 うそぶく」ことになる。ここでは、雑念を払うために漢詩を吟じたのであろう。