【日本小5道德】28#代代相傳
親から子へ、そして孫へと(代代相傳)
作者:巖上 薫(いわかみ かおる)
健太が三年生の時である。町の中學校で英語を教えていたヨセフ·ジョージ先生が、健太のクラスに來た。學校の國際交流集會のお客さんとしてである。ジョージ先生は、自分達の町で自慢出來るものは何かと健太達に尋ねた。健太は、社會科の「昔探し」で勉強していた事を思い出し、「北山神楽」とすぐに答えた。ほかのみんなも「そうだ?!工妊预盲?。先生は、「おう、お神楽ね。素晴らしいですね。一度、見たいものですね?!工妊预盲?、その後自分の國の自慢出來るものを話してくれた。
(健太三年級的時候。在鎮(zhèn)上中學教英語的約瑟夫·喬治老師,作為學校國際交流集會的客人來到了健太的班級。喬治老師詢問健太他們自己鎮(zhèn)上引以為傲的東西是什么。健太回想起社會課上“尋找從前”所學過的內容,馬上回答道:“北山神樂”。其他人也說道:“沒錯?!崩蠋熣f道:“哦,神樂啊。很棒啊。很想看一看?!比缓笏f起了自己國家引以為傲的事。)
健太の住む朝日町北山地區(qū)では、昔から祭りの時、お囃子に合わせ、踴りを踴る神楽が神社で行われ、沢山の見物客が集まる。ところが、二百年も続いているこの伝統(tǒng)行事も、これを受け継ぐ人がいなくなり、あと數(shù)年もするとやめなければならない狀態(tài)になってしまっていた。
(健太所居住的朝日鎮(zhèn)北山地區(qū),從以前開始,在祭典的時候,在神社隨著伴奏跳神樂舞,聚集來了很多觀光客。然而,持續(xù)了兩百年的這項傳統(tǒng)活動,處于沒有繼承人,還有數(shù)年就不得不停止的狀態(tài)。)
そこで、北山地區(qū)の老人クラブの人達が相談して、「北山神楽保存會少年の部」を作ることになった。健太が四年生の正月である。
(于是,北山地區(qū)的老人俱樂部里的人們商量后,決定成立“北山神樂保存會少年部”。這是健太四年級正月的時候。)
健太の同級生の実と、その兄正一が中心となり、會員を集めることとなった。実の祖父清三爺さんが保存會の指導者だからである。健太も実に誘われたが、あまり気乗りはしなかった。だが、健太の父が神楽の舞の指導者と言うことから入る事にした。
(以健太的同級生實和其哥哥正一為中心,召集會員。因為實的祖父清三爺爺是保存會的指導者。健太雖然也被實邀請了,但不怎么感興趣。然而,由于健太的父親是神樂舞的指導者,所以加入了他們。)
保存會少年の部の練習は、毎週土曜日の夕方から公民館で行われた。最初は、橫笛、太鼓、鐘などのお囃子の練習で、音楽の時間のような楽しさがあった。しかし、數(shù)か月も経つと練習は厳しくなってきた。橫笛の健太は、家に帰っても父から音が悪いと注意されるので、土曜日の來るのが嫌になってきた。
(保存會少年部在每周六的傍晚起在文化館進行練習。最初練習橫笛、太鼓、鐘等伴奏,像音樂課一樣很開心。然而,經(jīng)過了數(shù)月后,練習越來越嚴厲。吹橫笛的健太就算回到家后,也會被父親提醒音色不好,因此他開始討厭周六的到來。)
健太達が五年生になったばかりのある日の夕方、父がついてこいと言うので、父のバイクに乗って公民館に行った。
(健太他們剛升入五年級的某天傍晚,父親讓他跟著去,于是他乘著父親的摩托去了文化館。)
「ちょっと、昔のお神楽の記録を整理するから手を貸してくれ?!?/p>
(“要整理從前的神樂的記錄,稍微幫下忙。”)
父がそう言って、埃をかぶった古い箱を次々と出す。健太は、(また、神楽のことか。)と思いながら、手渡された箱を広間に運んだ。そこに清三爺さんや実達も來た。
(父親如此說著,然后不斷拿出滿是灰塵的老舊箱子。健太一邊想著“又是神樂?。?span id="s0sssss00s" class="color-gray-03">”一邊把接過手的箱子搬去大廳。清三爺爺和實他們也在大廳。)
清三爺さんが、「こんなに手があるなら、面や衣裝も出して、點検しよう?!工妊预盲?。皆は、清三爺さんに従った。
(清三爺爺說道:“有那么多人手的話,把面具和服裝也拿出來檢查吧。”大家都聽從他的話。)
「おうい、皆集まってくれ。これを見ろよ。今から百五十年も前のことが書いてある?!工妊预η迦隣敜丹螭温暏?、皆が集まった。
(“喂,大家集合??纯催@個。寫著迄今150年前的事了。”大家聽到清三爺爺?shù)穆曇艉?,集合起來?/span>)
清三爺さんの説明によると、昔も引き継ぐ人がいない時があり苦労したこと、面や衣裝を買うのに山の木を売ってお金を作ったことなど、地區(qū)の人々が協(xié)力して神楽を続けてきたと言うのだ。健太は、(北山神楽は隨分昔からやっていて、リレーのバトンのように次々に渡されてきたんだな。)と思った。また、古い面や衣裝が沢山あるのに驚いた。清三爺さんが、皆に向かって、「ここにあるものは、これから生まれてくる北山地區(qū)の人達のものだ。もっと、大切に保存しなくてはね?!工仍挙筏堡?。
(據(jù)清三爺爺?shù)恼f明,從前也有找不到繼承人的時候,很辛苦,以及為了買面具和服裝,賣掉山上的樹木等事情,地區(qū)的人們協(xié)力使神樂流傳至今。健太想道北山神樂是從很久以前開始,像接力棒一樣被傳到了現(xiàn)在。并且,他驚訝于有很多老舊的面具和服裝。清三爺爺面向大家說道:“在這里的東西是將來出生的北山地區(qū)的人們的東西。必須更加珍重地保存。”)
健太は、「これから生まれてくる人」と言う清三爺さんの言葉が気になりだした。
(健太很在意清三爺爺所說的“將來出生的人”。)
健太達のクラスで楽しい夏休みの話が出始めた頃、豊が転校してきた。本人が自己紹介で、「橫笛が得意だ。」と皆に言った。それを聞いた実が、神楽保存會に誘った。豊は、すぐに參加した。豊の今までいた市では、全市をあげてお祭りをし、その時、各地區(qū)ごとに山車を出すと言う。この山車に乗って、小さい時から橫笛を吹いていたと言う豊は、健太達にとって良きライバルとなった。特に、健太は、橫笛の練習を怠けがちだったが、豊の參加で家でも密かに練習するようになった。
(健太他們的班級正在討論愉快的暑假的話題的時候,豐轉校而來。他自我介紹的時候,對大家說道:“我擅長橫笛。”實聽到后,邀請他加入神樂保存會。豐馬上參加了。在豐之前待過的市,全市舉行祭典時,每個地區(qū)都會開出花車。從小就乘上花車吹奏橫笛的豐是健太他們的好對手。特別是健太,本來總是懶于練習橫笛,不過豐參加后,他開始在家也悄悄地練習。)
夏休みが來て、豊は、もと住んでいた市の祭りに行くと言う。実と健太は、一緒に見に行かないかと誘われた。
(暑假到了,豐要去原先所住的市的祭典。他邀請實和健太一起去看。)
三人は、豊の親戚に一晩泊めてもらい、祭りを見に出かけた。豊から聞いていた以上に山車は美しい。また、何臺も次々に目の前を通る山車は、地區(qū)によって飾りが違う。お囃子も違う。どの山車も百年以上前の彫刻がしてあった。県指定の文化財だと言う。豊の父の案內で、古い山車を展示している郷土館にも行った。館內は、美しい音色のお囃子が響き渡り、古い山車や衣裝がライトを浴びている。
(三人在豐的親戚家住了一晚,然后去看祭典了?;ㄜ嚤蓉S所說的還要美。一輛輛從眼前通過的花車根據(jù)地區(qū)不同,裝飾也不同。伴奏也不一樣。每一輛花車都有著百年以前的雕刻。是縣指定的文化遺產(chǎn)。豐的父親還帶領他們去了展示古老花車的鄉(xiāng)土館。館內響徹著音色動聽的伴奏聲,古老花車和服裝沐浴在燈光之下。)
豊の父が、「郷土館にあるものは、未來の人のものだ?!工妊预盲?。健太は、清三爺さんがいつか言っていた、「北山神楽はこれから生まれてくる人のものだ?!工妊预ρ匀~を思い出した。
(豐的父親說道:“鄉(xiāng)土館的東西是屬于未來的人的。”健太想起了清三爺爺所說過的“北山神樂是將來出生的人們的東西。”)
夏休みが終わり、十月の祭りを目指して、健太達の北山神楽の練習は、一段と力が入ってきた。お囃子も冴えてきた。子供のお囃子で、大人が舞う神楽が出來ると言う見通しができた。そんなある日、外國のテレビ放送局から、「子供のお囃子」を撮影したいと言う話が、英語のジョージ先生から入ってきた。
(暑假結束后,朝著十月祭典的目標,健太他們的北山神樂的練習更加賣力了。伴奏聲也漸漸清澈了。能夠預見大人隨著孩子的伴奏跳神樂舞了。某日,英語喬治老師說外國的電視臺想要拍攝“孩子的伴奏”。)
「北山神楽が外國に紹介されるぞ?!?/p>
(“外國要介紹北山神樂了。”)
「北山地區(qū)がテレビに映るぞ。」
(“北山地區(qū)要上電視了。”)
地區(qū)の人々は喜んだ。地區(qū)の皆が祭りに向かって動き出している。町の公民館や學校にも、ポスターが配られた。
(地區(qū)的人們很高興。地區(qū)的大家為了祭典行動了起來。在鎮(zhèn)上的文化館和學校等地方分發(fā)了海報。)
「子供の手による北山神楽」
(“孩子演奏的北山神樂”)
健太の目に、ポスターの文字が飛び込んできた。神楽の練習を途中でやめなくて良かった。この地區(qū)に生まれて良かったと思いながら、橫笛を吹いている。清三爺さんや父の注意も快く耳に入ってきた。祭りの前夜の顔は輝いている。お囃子の音が公民館の森に響き渡っている。
(海報上的文字跳入健太的眼中。沒有中途放棄神樂的練習真好。出生在這個地區(qū)真好,他一邊如此想著,一邊吹奏橫笛。他也樂意聽取清三爺爺和父親的忠告了。祭典前夜的面容熠熠生輝。伴奏聲響徹了文化館的森林。)
清三爺さんも、「これで孫たちに引き継ぐことが出來るぞ。俺はいつ死んでもいい?!工?、冗談を言った。
(清三爺爺也開玩笑說:“這下有孫子們繼承了。我隨時死都沒問題。”)


