ネズミ物語

ネズミ人の私は、今年十七歳で、高校一年になったばかりだ。
父親は、私の二歳の頃に逮捕されて、私が十歳になった頃には刑務(wù)所から出た。そのせいか、二歳から十歳までの私は、父親なんての存在すら知らなかった。私は、小さいごろからは、母と一緒だった。母はヤクザを働く男と釣り合ってた。あのヤクザは、いつも「役立たず」とか「くそ野郎」とか蔑視して呼んできた。ヤクザは母に妹を産んでもらってからというもの、私に悪口だけじゃなく、偶々に私を毆ってた。その後、母はヤクザとは離婚して新しい男とは結(jié)婚した。その時(shí)、父親は、私の學(xué)籍を、こっそり、彼の地元に移籍してくれた。私は流れに流されるように、外祖母のうちから離れて父親に引っ越し寄った。絆の強(qiáng)く存在する家や通りや町などを離れるのは大変だったよね。小學(xué)校六年に中學(xué)校時(shí)代は、父親と暮らしてきた。胴締めだけじゃなく、固く、がっしりした水管さえも、父親が操って私を鞭打つ武器だった。これ以上我慢できなくなった私は、外祖母に逃げ寄っても、追いかけてきた父親に、外祖母の手前で毆られた。
學(xué)校では、私はどうしてか先生に見下された上に、うちが貧困なので友達(dá)は一人でもできなかった。なんと孤獨(dú)極まる窮地なんだね。毎日、行きたくもない學(xué)校に通い、帰りたくもないうちに通い、歩みたくもない孤獨(dú)の家路を歩みていた。
中學(xué)校三年になってこそ、父親は刑務(wù)所経歴があることを、私は分かった。希望がその事実を知った一瞬で破砕されたので、高校入試も応募する意気が消えてしまった。入試の終わったあの日、父親は「くそ息子、試験前の復(fù)習(xí)を怠ったおめえ、落ちるに決まってんだぞ」と、棒を片手に、私を罵りにきた。私は、気が済まなくてたまらなくて、毆り返してやった。父親にこれまでの仇を討つのは、その時(shí)、初めてなんだった。
紆余曲折を経て、私は、省政府所屬の高校に合格し、自分の力で高校生になった。
その後の後、鬱病を病んでいた。家族はその心理的病気について、「何でもなく、病気的に偽っているだろ、雑な言葉で癒されるか」と思っていて、「何か償いもの欲しいの?」と聞いてくれた。「二十萬円ぐらいのパソコン欲しい、」と答えるや、顔が一変、「家族皆は、お前のこと悪く扱ったことはないくせに。お前なんかくず、死んでいいぜ」と、言い方の荒っぽく答えてきた。
今年、二月二十二日、警察は、町の唯一の川の架け橋で、私が自殺するところを、救ってくれた。家族は交番に召喚されたに至っても、警察たちに「このくそ息子、全然大人的じゃない、」と愚癡を零して、私の安全とか自殺の故とか全然気にしないようだった。
ネズミ人の私は、死ねと命じられれば死に赴くというほど大人的なんじゃないか。
母は結(jié)婚は三回もあって、父は刑務(wù)所には長いこと拘束されていた。そんなばらばらした家庭なんて愛情をちっとも寄與しなく、孤獨(dú)と失意とが極まって、死のうと思ったこともある。私はこの世に疲れちまったよ。友達(dá)もいなく、本當(dāng)の家族もいなく、自分しか誰もいない。小さい頃からの記憶は、罵ったり毆ったりすること盡くめなんだ。母と一緒に世の流れに流されて、今時(shí)までも生きてきたのに、母の家庭にでも蔑視されてる。
私の夢は、軍隊(duì)に入り國を守ることだったのに、父の刑務(wù)所経歴のせい、葉えない夢になったまでだ。私は、私は、慘いわよ。
今の先生たちでも、見下してきて、私の好きなものをぶっ壊して、毆って怪我を付けてきた。鬱病のため、今學(xué)校を休んでいて家に籠ってる。どうしようがいいな、私は。