徒然草 第102段 尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに、?吉田兼好 日文

尹大納言光忠卿:<いんの だいなごん みつただ きょう>。源光忠(1284~1331)大納言でかつ弾正尹(弾正臺長官)を尹大納言と呼稱した。 その役目は、京都市中の風俗や公安の巡察、現(xiàn)在の公安警察。
追儺の上卿を勤められけるに:<ついなのしょうけいをつとめられ??>と読む?!缸穬紊锨洹工洗蠡奕栅涡惺陇扦ⅳ牍恧浃椁い问降浞钚?。これに任命された。第19段參照。
洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ:「洞院右大臣」は、洞院公賢<とういんきんたか>(1291~1360)でこの頃右大臣。光忠は、右大臣に役目のやり方を教えてもらいに行った。
「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」:又五郎に尋ねるしか方法はないよ」という。又五郎は、不祥。身分の低い衛(wèi)士(=皇宮警察のお巡りさん で、夜間照明などの管理や警備を擔當)だが、よく宮中行事に詳しい男だったらしい。
近衛(wèi)殿著陣し給ひける時、軾を忘れて、外記を召されければ:ここからは回想。その昔、近衛(wèi)殿(近衛(wèi)経忠か?)が式典で著座しようとしたときに、ひざつきを忘れてしまったので、外記(式典擔當の秘書官)を呼びつけた。軾<ひざつき>は、室外で行う式典時に地面に敷く布または畳狀の敷物。江戸時代になると、転じて庶民の間で「謝禮」の意となる。
「先づ、軾を召さるべくや候ふらん」:照明用の火の管理をしていた件の又五郎は、小さな聲で「近衛(wèi)殿は、外記を呼んで儀式を始めてしまうのではなくて、まず雑用係を呼んで軾を著けるのが先ではないか」と言ったという。
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